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第5章  第四部 図上

第四部 図上

 仮宿舎を出てから、指揮所までの距離は、短かった。

 短いが、後方の地面の温度が、白凪の足の下に、続いていた。

 踏み固められた土の上を、迎えの兵の歩幅に、合わせて、進んだ。

 迎えの兵は、何も、話さなかった。

 話さない、というのが、ここでの、案内の形だった。

 白凪も、何も、訊かなかった。

 訊かない、というのが、白凪の、答えだった。


 指揮所は、低い建物だった。

 仮宿舎より、少し、奥にあった。

 壁の色は、土の色だった。

 屋根は、板だった。

 入口の脇に、別の兵が、立っていた。

 立った兵は、白凪を、見た。

 見たが、長くは、見なかった。

「九番の白凪二等兵ですか」

「はい」

「澪原中尉が、お待ちです。中へ」

「了解です」

 白凪は、入口を、くぐった。

 くぐる前に、銃を、入口の脇の、別の兵に、預けた。

 預けるのは、後方の規則だった。

 規則は、迎えの兵から、歩く途中に、聞いていた。

 預けた銃の重さが、肩から、抜けた。

 抜けた重さの分だけ、右手の重さが、軽くなった。

 軽くなった右手は、震えなかった。

 震えなかったのは、構えていなかったから、ではなかった。

 別の場所に、自分の手を、置いていたからだった。

 別の場所は、まだ、形が、はっきりしなかった。

 はっきりしないまま、白凪は、入口の中に、入った。


 入口の中は、廊下だった。

 廊下の脇に、扉が、いくつか、並んでいた。

 扉のうちの一つに、迎えの兵が、立ち止まった。

 扉の前で、迎えの兵は、軽く、二度、ノックした。

「澪原中尉、九番の白凪二等兵、お連れしました」

「入れ」

 中から、低い声が、答えた。

 迎えの兵は、扉を、開けた。

 開けた扉の奥は、机と、地図と、書類が、並ぶ部屋だった。

 部屋の中央に、大きな机が、置かれていた。

 机の上に、地図が、広げられていた。

 地図は、白凪が、初めて、見る大きさだった。

 大きさ、というのは、九番の本陣で、鷹見が広げる地図より、はるかに、広い、ということだった。

 広い地図の上に、点と、線と、数字が、並んでいた。

 並んでいる点と線の中央付近に、大きな点が、いくつか、あった。

 大きな点には、文字が、添えられていた。

 文字は、地名だった。


 地図の奥に、男が、立っていた。

 男は、三十代の後半、くらいだった。

 軍服は、白凪の軍服と、別だった。

 階級章が、付いていた。

 中尉、の階級章だった。

「白凪二等兵か」

 男は、低く、言った。

「はい」

「澪原だ」

 澪原は、それだけ言った。

 言ってから、机の方向に、視線を、戻した。

 戻した視線の先に、地図が、あった。

「鷹見軍曹の報告を、読んでいる」

「はい」

「お前の判断、いくつか、後方記録に、参考として、残っている」

 白凪は、その言葉を、聞いた。

 聞いた瞬間、引き出しの中の、「参考」の場所が、もう一度、確かめられた。

 確かめられた場所は、すでに、決まっていた。

 決まっている場所に、澪原の声が、重なった。

 重なったが、揺れなかった。

「はい」

 白凪は、答えた。

「九番の正面、距離三百で、別働、六から八、ゆっくり前進、を、お前が、読んだな」

「はい」

「その時、お前は、何を、選んだ」

「別働の前進を、止める動きを、選びました」

「他の選択肢は」

 澪原は、続けた。

 声の速度は、変わらなかった。

「瀬名衛生兵の側に、動く動き」

 白凪は、答えた。

「水城工兵に、射線を、渡す動き」

「もう一つ」

「何もしない動き、です」

「四つの動きを、並べた、ということだな」

「はい」

「並べた中で、お前が選んだ動きが、最も保たせる動きだった、と、お前は、判断した」

「はい」

 澪原は、頷かなかった。

 頷かずに、もう一つ、訊いた。

「だが、別の動きを、選んでいたら、何が、変わった」

 白凪は、半拍、置いた。

 置いた半拍の中で、答えは、もう、決まっていた。

 決まっていた答えを、白凪は、口に、出した。

「名取が、生きていた可能性が、ありました」

 答えた声は、低かった。

 低いが、揺れなかった。

「だが、それを、選ばなかった」

 澪原は、続けた。

「はい」

「なぜ」

 白凪は、もう一度、半拍、置いた。

 置いた半拍は、確かめる時間だった。

 確かめたのは、自分の中の、答えだった。

 答えは、変わっていなかった。

「最も保たせる動きが、名取を、救う動き、では、なかったからです」

 白凪は、答えた。

 答えた瞬間、澪原は、頷いた。

 頷きは、短かった。

 頷くだけで、それ以上は、訊かなかった。

 訊かない、というのが、澪原の、確かめ方だった。


「お前の判断、合っていた」

 澪原は、それだけ言った。

「合っていた、というのは」

 白凪は、訊いた。

 訊いたのは、訊くべきだ、という判断ではなかった。

 ただ、合っていた、という言葉の意味を、引き出しの中の、形と、揃えたかった。

 揃えたい、というのは、白凪の動きでは、なかった。

 引き出しの中の、何かが、確かめたがった。

「九番が、抜かれていれば、芦森が、落ちていた」

 澪原は、答えた。

「芦森が、落ちていれば、ここに、お前は、いない」

 白凪は、その言葉を、聞いた。

 聞いた瞬間、引き出しの中で、線が、一本、繋がった。

 線は、九番から、芦森まで、伸びていた。

 伸びた線の先に、後方の地面が、あった。

 後方の地面の上に、今、白凪は、立っていた。

 立っているのは、九番が、抜かれなかったからだった。

 九番が、抜かれなかったのは、白凪が、別働を、止める動きを、選んだからだった。

 選んだ動きの先に、後方の地面が、あった。

 地面の上に、白凪が、いる。

 いる、というのが、合っていた、という言葉の、意味だった。

 白凪は、その意味を、引き出しに、入れた。

 入れた場所は、決まらなかった。

 決まらないまま、澪原の次の声が、続いた。


「白凪二等兵」

「はい」

「地図を、見ろ」

 澪原は、机の上の地図を、指した。

 白凪は、机の方向に、近づいた。

 近づいた地図の上に、点と、線と、数字が、並んでいた。

 地図は、白凪が、知らない範囲を、含んでいた。

 知らない範囲、というのは、九番から、北の方向に、遠く、続いている範囲だった。

 遠く続いている範囲の中に、白凪が、聞いたことのある地名が、いくつか、書かれていた。

 翠槇州。

 芦森補給廠。

 黒杭河。

 夕凪集落。

 断尾嶺。

 地名の脇に、点が、置かれていた。

 点の大きさは、それぞれ、違っていた。

 大きい点は、芦森補給廠と、翠槇州の中央だった。

 小さい点は、九番と、夕凪集落だった。

 地図の南東の隅に、九番の点が、あった。

 点の脇に、「九番」と、書かれていた。

 書かれた文字は、地図の中で、目立たなかった。

 目立たない文字を、白凪は、見た。

 見たが、何も、感じなかった。

 感じなかったのは、目立たないことが、当然だったからだった。

 当然、というのが、白凪の中で、半拍、止まった。

 止まった半拍は、すぐに、戻った。


「九番が、ここだ」

 澪原は、南東の隅の小さな点を、指した。

「はい」

「九番が、抜かれると、別働が、ここに、流れる」

 澪原の指は、地図の中央寄りに、移った。

 移った先に、別の点が、あった。

 点の脇に、文字は、なかった。

「ここが、芦森補給廠だ」

 澪原の指が、もう一度、移った。

 移った先は、大きな点だった。

 大きな点の脇に、「芦森補給廠」と、書かれていた。

「芦森が、抜かれると、翠槇州への補給が、絶える」

 澪原の指は、もう一度、移った。

 移った先は、もっと大きな点だった。

 点の脇に、「翠槇州」と、書かれていた。

「補給が、絶えると、翠槇州の防衛が、保たない」

 澪原の指は、止まった。

「翠槇州が、抜かれると、戦線全体が、後ろに、下がる」

 澪原の指は、地図の北の方向を、指した。

 北の方向には、白凪が、知らない地名が、いくつも、並んでいた。

「後ろに、下がると、後方の地面が、戦場になる」

 澪原は、それだけ言った。

 言ってから、指を、地図から、離した。

 離した指の代わりに、白凪は、地図を、見続けた。

 見続けている白凪の中で、線が、繋がっていった。

 線は、九番の小さな点から、伸びていた。

 伸びていく先に、芦森補給廠の点が、あった。

 芦森から、翠槇州の点が、あった。

 翠槇州から、北の方向に、地名が、続いていた。

 続いている地名のうち、いくつかは、白凪が、生まれた地域の名前と、近かった。

 近かったが、同じでは、なかった。

 同じでは、ないが、近い。

 近い、というのが、白凪の引き出しの中で、半拍、止まった。

 止まった半拍を、白凪は、追わなかった。

 追えば、家族の輪郭が、近づいてくる。

 近づいてきたら、急がない手の動きが、見えてくる。

 見えてきたら、揺れる。

 揺れたら、保たせる、が、緩む。

 その連鎖を、白凪は、もう、知っていた。

 知っているまま、白凪は、追わなかった。

 追わずに、地図を、見続けた。


 澪原は、白凪が、地図を、見続けていることを、見ていた。

 見ていたが、何も、言わなかった。

 言わない時間が、続いた。

 続いた時間の中で、白凪は、引き出しの中の、線を、組み直した。

 組み直された線は、こうだった。

 九番が、保たれている。

 保たれているから、芦森が、生きている。

 芦森が、生きているから、翠槇州が、保たれている。

 翠槇州が、保たれているから、その先の、地名が、戦場では、ない。

 戦場では、ない地名の上に、人が、住んでいる。

 住んでいる人の中に、白凪の知っている誰かが、いる可能性が、ある。

 可能性、というところで、白凪は、線を、止めた。

 止めたのは、それ以上は、追わない、という選択だった。

 選択は、もう、決まっていた。

 決まっていた選択を、白凪は、続けていた。

 続けながら、線の根元に、もう一度、視線を、戻した。

 根元には、九番の小さな点が、あった。

 点は、目立たなかった。

 目立たないが、線の根元だった。

 根元が、抜けたら、線が、全部、崩れた。

 崩れた先に、後方の地面が、戦場になる。

 その認識を、白凪は、地図の上で、初めて、目で、確かめた。

 確かめた、というのが、引き出しの中で、組まれていた連鎖が、紙の上に、線として、並んだ、ということだった。

 並んだ線は、揺れなかった。

 揺れない線の根元に、九番が、あった。

 九番には、笹倉と、久我と、瀬名と、荒瀬と、鷹見が、立っていた。

 立っているあいだは、線が、保たれていた。

 保たれているあいだは、白凪は、ここに、立っていられた。

 ここに、立っているのは、戻るためだった。

 戻る先は、九番だった。

 戻った先で、また、保たせる側に、入る。

 その動きを、白凪は、引き出しに、入れた。

 入れる場所は、決まらなかった。

 決まらないまま、白凪は、地図から、視線を、上げた。


「九番が、戦線の南東の隅で、最後の前線になっている」

 澪原は、それだけ言った。

「はい」

「白凪二等兵」

「はい」

「お前は、戻ったら、もう一段、動く」

 白凪は、半拍、置いた。

 置いた半拍の中で、もう一段、という言葉が、引き出しの中で、半拍、止まった。

 止まった言葉は、まだ、形を、取っていなかった。

「もう一段、というのは」

 白凪は、訊いた。

「鷹見軍曹が、お前に、告げる」

 澪原は、答えた。

「はい」

「お前は、もう、九番の兵だけじゃない」

 澪原の声は、低かった。

 低いまま、続いた。

「だが、九番に、戻れ」

「了解です」

 白凪は、答えた。

 答えた声は、低かった。

 低いが、揺れなかった。

 揺れなかったのは、答えた瞬間に、すでに、答えが、自分の中で、決まっていたからだった。

 決まっていた答えを、白凪は、口に、出した。

 出した瞬間、引き出しの中で、また、新しい場所が、ひとつ、開いた。

 開いた場所には、まだ、何も、入っていなかった。

 入る前に、澪原が、白凪の右手を、見た。

 見たが、何も、言わなかった。

 言わない、というのが、確かめた背中の動きだった。

 確かめた背中の動きを、白凪は、知っていた。

 知っていたのは、鷹見が、何度か、見せていた動きと、同じだったからだった。

 同じ動きが、ここでも、出た。

 出た動きを、白凪は、受け取った。

 受け取った、というのが、半拍、別の形で、響いた。

 響いた形を、白凪は、追わなかった。

 追えば、まだ、形が、取れていない場所に、入る。

 入る前に、澪原の次の声が、続いた。


「白凪二等兵」

「はい」

「お前の判断、これからも、参考にする」

「了解です」

「九番の判断、後方記録に、残し続ける」

「はい」

「以上だ」

 澪原は、それだけ言った。

 言ってから、地図の方向に、視線を、戻した。

 戻した視線は、別の場所を、見ていた。

 別の場所、というのは、地図の上の、別の点だった。

 別の点の脇には、別の地名が、書かれていた。

 澪原は、その地名を、見ていた。

 見ているが、何も、言わなかった。

 言わない、というのが、ここでの、終わり方だった。

 白凪は、頷いた。

 頷いてから、半歩、下がった。

 下がる動きは、急がなかった。

 急がない動きが、ここの形だった。

 ここの形を、白凪は、もう、覚えていた。


 澪原の机の上に、新聞が、一部、置かれていた。

 新聞は、折りたたまれていた。

 折りたたまれた表面に、見出しが、見えた。

 見出しは、「翠槇州、北部、防衛維持」、と、書かれていた。

 書かれた文字を、白凪は、見た。

 見たが、それ以上は、読まなかった。

 読まない、というのが、白凪の選択だった。

 見出しの脇には、小さな文字が、並んでいた。

 小さな文字には、何かが、書かれていた。

 書かれている何かは、白凪の引き出しの中の、線とは、別の形を、持っている可能性が、あった。

 可能性、というのが、白凪を、半拍、止めた。

 止まった半拍は、すぐに、戻った。

 戻ったのは、読まない、という選択を、白凪が、もう、決めていたからだった。

 決めた選択を、白凪は、続けていた。

 続けたまま、新聞から、視線を、外した。


 扉の方向に、向き直る前に、白凪は、もう一度、地図を、見た。

 地図の南東の隅に、九番の小さな点が、あった。

 点は、目立たなかった。

 目立たないが、白凪の場所だった。

 場所、というのは、戻る場所だった。

 戻る場所が、地図の上に、印として、残っていた。

 残っているまま、白凪は、地図から、目を、離した。

 離してから、扉の方向に、向き直った。

 向き直った先で、澪原が、もう一度、口を、開いた。

「白凪二等兵」

「はい」

「気をつけて、戻れ」

 澪原は、それだけ言った。

「了解です」

 白凪は、答えた。

 答えてから、扉を、開けた。

 開けた扉の外に、廊下が、続いていた。

 廊下を、白凪は、進んだ。

 進んだ先で、銃を、預かっていた兵から、銃を、返してもらった。

 返してもらった銃の重さが、肩に、戻った。

 戻った重さは、九番から出る時の重さと、変わっていなかった。

 変わっていない重さの下で、白凪は、入口の外に、出た。


 入口の外には、昼の光が、あった。

 光は、白凪が、入口を入る前の、薄い光と、別だった。

 薄い光は、朝の光だった。

 今の光は、昼の光だった。

 昼の光の下に、平らな地面が、広がっていた。

 平らな地面、というのが、後方の地面だった。

 後方の地面の上で、白凪は、立っていた。

 立っている地面の温度は、九番の土の温度と、別だった。

 別の温度の中で、白凪は、空を、見た。

 空は、曇っていた。

 曇っているが、九番の空より、明るかった。

 明るい空の下で、白凪は、引き出しの中の、線を、もう一度、確かめた。

 線は、揺れていなかった。

 根元に、九番の点が、あった。

 点は、目立たなかった。

 目立たないが、線の根元だった。

 根元から、伸びた線の先に、芦森が、あった。

 芦森から、翠槇州が、あった。

 翠槇州から、白凪の知らない地名が、続いていた。

 続いた先に、後方の地面が、あった。

 地面の上に、今、白凪は、立っていた。

 立っているのが、確かめられた。

 確かめられた瞬間、白凪の中で、戻る方向が、決まった。

 決まった方向は、南東だった。

 南東に、九番が、あった。

 九番に、戻る。

 戻って、もう一段、動く。

 もう一段、というのが、まだ、形を、取っていなかった。

 形は、鷹見が、告げる。

 告げる前に、白凪は、戻る。

 戻るために、ここを、出る。


 入口の脇で、迎えの兵が、待っていた。

「白凪二等兵」

「はい」

「九番への、帰り道、お話、しておきます」

「お願いします」

「枯枝街道、北寄りで、お進みください」

「了解です」

「夜は、避けてください。今日のうちに、ある程度、進んでください」

「分かりました」

「水城工兵は、野戦病院で、治療継続中です」

「はい」

「治療が、終わり次第、後方に、留め置く予定です。前線への復帰は、未定です」

「了解です」

「お前さん、一人で、戻ることになります」

「分かっています」

 迎えの兵は、それだけ言った。

 言ってから、半歩、下がった。

 下がる動きは、急がなかった。

 急がない動きが、ここの、最後の動きだった。

 白凪は、頷いた。

 頷いてから、銃の重さを、肩で、確かめた。

 確かめた重さは、変わっていなかった。

 変わっていない重さの下で、白凪は、後方の地面の上を、歩き始めた。


 歩き始めた方向は、南東だった。

 南東の方向の、空の色は、九番の方向の色だった。

 九番の方向の色は、後方の空の色より、わずかに、暗かった。

 暗いのは、戦闘の煙の色が、混じっているからだった。

 混じっている色を、白凪は、見た。

 見ても、揺れなかった。

 揺れないのは、引き出しの中の、線が、揺れていなかったからだった。

 線の根元に、九番が、あった。

 九番には、笹倉と、久我と、瀬名と、荒瀬と、鷹見が、立っていた。

 立っているあいだは、線が、保たれていた。

 保たれているあいだに、白凪は、戻る。

 戻る先で、もう一段、動く。

 動く形は、まだ、見えなかった。

 見えないまま、白凪は、進んだ。

 進む足の速度は、行きと、違っていた。

 行きは、水城の歩く速度に、合わせていた。

 今は、合わせる相手が、いなかった。

 いない、というのが、半拍、新しい感覚だった。

 新しい感覚を、白凪は、追わなかった。

 追わずに、足の速度を、自分の歩幅に、戻した。

 戻した歩幅は、九番で、土嚢の脇を、移動する時の歩幅と、近かった。

 近い歩幅で、白凪は、後方の地面の上を、進んだ。

 進む先に、枯枝街道の、北寄りの入口が、あった。

 入口の先に、撃たれた土の道が、続いていた。

 続いている道の先に、九番が、あった。

 九番に、戻る。

 戻るために、白凪は、足を、出した。

 出した足の動きは、揺れなかった。

 揺れない足の下の地面の温度が、徐々に、九番の土の温度に、近づいていく方向だった。

 近づいていく方向に、白凪は、進んだ。

 進む方向の空に、薄く、雲が、流れていた。

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