理不尽
「別の世界ですか…。ちょっと、何を言ってるんですか!?」
いきなり別の世界だと言われても、信乃には全く理解できない話であった。ここが、起きた時に想定した病院でないことは周囲を見渡す限り理解できたのだが…。
漫画やゲームなどで別の世界に行き、その中で大活躍をする話はいくつも作られているが、それは創作物の中での話である。
現実には異世界や平行世界などと呼ばれるものは存在せず、世界は唯一無二である。こんなことは、小学校も高学年になれば常識だろう。
シーラが冗談を言っているとしか思えない。それとも、現実の自分は、橋から落下した衝撃に耐えられず、未だ夢の中にいるのであろうか。
「あなたが異世界にいるということは現実です。説明を致しますと、私はあなたの住んでいた世界からこの世界へと召喚する者を選定するために、思念体をそちらの世界に飛ばしておりました。その際に、あなたと出会ったのです。そちらの世界に思念体を飛ばすためには、莫大な魔力を消費するため長時間滞在することはできません。あなたと出会った時には時間が迫ってきていたために、こちらの世界に戻ってこようとしたのです」
シーラはここまで話し、一呼吸を置く。
「通常であれば、そちらの世界の者が私の姿を捉えることはできません。素養のある者でも、声を聴くことができるのが精々でしょう。しかし、あなたは私の存在を認識していた。恐らく、私があそこから飛び降りたと思ったのでしょうね。そして、私を助けようとした。私は、そのままこちらの世界に戻ってくるつもりだったのですが、あなたの身が危険だと思い、こちらの世界にお連れしたのです。通常であれば、本人に承諾をとってからこちらの世界に召喚するのですが、緊急事態であったために、無理やり連れてくることになってしまったのは、お詫び申し上げます」
シーラはそう言って頭を下げる。
未だに信じられない話であるが、とても冗談を言っているようには見えない。
それに、信乃は一国の主が頭を下げるということが、どれだけ重大なことか理解できた。周りには、シーラの発言と行動に唖然とした顔をしている者もいる。
シーラ自信は悪い人間ではないのだろう。だからといって、この話が納得できるかどうかは別である。それにここが異世界であるのことが事実であれば、元の世界に返してもらわなければならない。信乃には高校サッカー選手権に出場するという譲れない目標があるからだ。
「つまり、私がこの場にいることは、シーラ様にとっても不可抗力な出来事であったのですね。それならば、私を元の世界に返して頂けないでしょうか?」
一見すると不敬だと捉えられかねない信乃の発言であったが、不可抗力で信乃を召喚したこと、シーラ自身がそれを謝罪していることを鑑みれば、例え、国家の主だとしてもこちら側から要求することは可能であろう。
それに、召喚することができるのであれば、その逆も可能なはずだと検討をつけた上での要求である。このことを考えた上での発言である。
「残念ながら、それはできません。何故ならば、こちらとそちらの世界を繋げるには膨大な魔力に加え、多数の魔道具が必要であり、その準備がいつ完了するかわからないこと。例え、世界を繋げたとしてもそちらの世界のどこに繋がるのかは不明であり、どの時代と繋がるのかもわかりません。それ故、信乃殿を元の世界に返すことはできません」
「困ります!俺にはどうしてもやらなければならないことがあるんですよ!簡単にわかりましたといって引き下がることはできません!」
できないというシーラの言葉に、信乃は思わず立ち上がり声を荒げてしまった。
こんな荒唐無稽なことで、自分の夢が断たれることなど許せることではない―
「この馬鹿が!」
信乃の言葉に反応したダンストンが焦った表情を浮かべ、信乃の体を押さえつけようとする。
シーラの周囲にいる男たちが抉るような視線を信乃に向け、非難の言葉を浴びせている。
「皆静まりなさい。信乃、あなたの言うことは最もなことですが、現状その望みを叶えることは私にはできません。それと不躾で悪いのですが信乃には依頼したいことがあるのです」
シーラが周囲の者たちを制し、信乃の発言をまるで意に介していないかのように発言してくる。
その様子が信乃の癪に障る。シーラが自分の夢を大したことのないように思っているだろうと感じられたからだ。
「何をさせようっていうんですか?帰してくれるっていうのなら考えますよ」
「何度も申し上げますが、あなたを元の世界に帰すことは現状不可能です。それと、先程も言ったように、通常であれば異世界の者は私の思念体を認識することはできません。素養のある者であっても声が聞こえる程度です。そして、この素養というのはこちらの世界に来た場合に高い魔力を備えている可能性が高いということです。高い魔力を保有している者は、優れた戦力となり得る。そして、思念対まで認識できるような素養を備えているあなたには、可能性を感じざるを得ません。このことを踏まえた上で、信乃、あなたの持つ力を貸して頂けないでしょうか?」
「戦えってことですか?」
「そうです。この世界における人間は絶対的な力を持った種族ではありません。人間よりも力を持った種族は数多く存在します。現状、その他の種族との生存競争は押され気味であり、人間の勢力圏は日増しに狭くなっています。また、膨大な力を持った魔獣も数多く生息しております。我々人間は、明日を迎えられる保証なぞ、ないのですよ。ですから、戦う力、それもかなり強力な力を持っているであろうあなたにこうしてお願いしているのです」
そして、シーラは真っ直ぐに信乃の視線を捉え、こう告げるのだった。
「あなたには、私たち人間を守って頂きたい」
要するにシーラが言うには、信乃には力があるのだから戦えということである、それも命を懸けて。
信乃には、自分にそんな力があるなんて、とてもじゃないが思えない。命がけの戦いなんてしたこともない。
できるはずがない。
「冗談じゃない!いきなり、訳の分からない所に連れてこられて、あるかもわからない力があるかもしれないから戦えって!?そんなの…、そんなのって、理不尽ですよ!」
そう理不尽なのだ。
日本という平和な国で暮らしてきた信乃にとって、命をかけて戦うことは全く無縁なものであった。それをいきなり目の前に突き付けられるなんて、それも自分と全く関係のない人のために…。
理不尽としか言いようがない。
「信乃、落ち着け」
不意にダンストンから声がかけられる。
「シーラ様、恐れながら申し上げます。此度の召喚者である信乃は未だ混乱している様子です。このまま話を続けても平行線を辿るばかりでありましょう。この者のことは一端、このダンストンに任せて頂けないでしょうか?」
「そうですね。私としても無理やり戦わせることは本意ではありません。確かにダンストンに任せるのが適任でしょう。よろしくお願いします。2人とも今日の所は下がってくれて構わなくってよ」
「ありがとうございます。それでは失礼させていただきます」
ダンストンはシーラに頭を下げ、未だ興奮醒めやまない信乃を無理やり謁見の間から退室させていく。
退室を終え扉が閉まったことを確認すると、ダンストンが着いてこいと言わんばかりに手を振ったので、信乃は黙って目の前の大男の後ろに従う。
「おい、信乃。俺は最大限に丁寧な対応をしろと言ったよな。それなのにあんな態度を取るなんて、本当に肝を冷やしたぞ。シーラ様はお優しい御方なので、それ程気になされていないだろうが、周りにいた貴族や近衛の連中にいつ手を出されてもおかしくなかったんだぞ。まあ、やってしまったものは、しょうがないが、シーラ様が話したことは全て本当のことだ。聞いているのか?」
信乃には、今かけられたダンストンの言葉が右から左に流れていくだけだった。
自分の夢が達成できない、夢が叶うかどうかの舞台にすらあがれないのだと言われたようなものだからだ。
信乃が物心ついてからというもの、生活の中心はサッカーだった。もちろん将来の夢はプロサッカー選手である。それが叶うかもしれない所まで来ていたにも関わらず…。
実際にいくつかのプロチームのスカウトから獲得の確約は得られていないものの声を掛けてもらっていた。それが到底信じることのできない状況に追い込まれ、放棄せざるを得ない。
この屈辱に比べたら、ダンストンの言葉など塵にも等しい。
「おい、聞いているのか」
「聞いていますよ」
信乃はダンストンを睨みつけながら返事をする。
「お前はどうしてもやらなきゃ行けないことがあるって言ってたよな?良かったら聞かせてくれないか?」
「ダンストンさんに言っても分からないと思いますけど、もうすぐ大事なサッカーの大会があるんですよ。俺はそれに出場して県大会を勝ち抜いて、全国大会に行かなきゃならないんです。そして、全国大会で活躍できればプロのサッカー選手になれる可能性が出てくるんですよ」
「そうか、信乃はプロサッカー選手になりたいのか。日本でもプロサッカー選手になれるのだな」
この世界にサッカーがあるかどうかは分からないが、ダンストンは信乃の言ったことをすんなりと受け入れているようであった。
それに何故か異世界にある日本のことを知っているかのような口ぶりである。
「信乃、お前には話しておくべきことなんだがな。俺もお前と同じ世界の出身さ」




