第57話 記録帳を渡す
翌日、俺は、アナが書き写した、記録帳の副本を、ヴィンスに、手渡した。
「全部、入っています」
ヴィンスが、それを、受け取った。
「土壌の、診断の方法。堆肥の、作り方。輪作の、順番。水路の、修理の仕方。――俺が、二十五年かけて、学んできたことが、全部、ここにあります」
ヴィンスが、ページを、めくった。びっしりと、書き込まれた、記録を、見ていた。
◇
「もし」俺は、言った。「管轄内に、使えそうな、廃村が、あれば、声を、かけてください。俺が、行けるかどうかは、分かりませんが――相談には、乗ります」
ヴィンスが、顔を、上げた。
しばらく、俺を、見てから、ふっと、息を、吐いた。
「……お前は、不思議な、やつだな」
その声に、もう、敵意は、なかった。
◇
その朝、辺境伯も、俺を、呼んだ。
出発の、前だった。
「レイム。他の分領の、農業改良にも、協力して、ほしい。今後、正式に、辺境伯府から、依頼を、出す」
辺境伯は、まっすぐ、俺を、見た。
「辺境の、農業改良使として、動いてもらいたい。お前の、知識は、ダールム一つに、留めておくには、惜しい」
俺は、すぐには、答えなかった。
「……考えさせて、ください。今は、まだ、この村が、途中なので」
辺境伯は、それを、聞いて、わずかに、口の端を、上げた。
「いい返事だ。自分の村を、放り出さない男なら、信用できる」
◇
辺境伯一行が、出発した。
村人全員が、見送りに、出た。
馬車が、動き出す。ヴィンスが、馬上から、一度だけ、俺の方を、見た。
俺は、軽く、頷いた。
ヴィンスも、ほんの少し、頷き返して、前を、向いた。
◇
一行の姿が、小さくなっていく。
ウォルトが、隣で、言った。
「これで……終わり、ですね」
「いいえ」
俺は、答えた。
「辺境の、仕事の話が、来ました。農業改良使、として」
ウォルトが、目を、丸くした。
「……また、始まりですか」
「また、始まりです」
◇
辺境伯たちが、見えなくなった後。
ラナが、俺の横に、来た。
「終わったな」
「一段落、です」
「次は、どこへ、行く」
俺は、しばらく、考えた。
「まだ、ここに、います。二年目の収穫が、終わるまでは」
ラナが、低く、言った。
「……そうか」
その「そうか」の中に、何か、複雑なものが、混じっている気が、した。




