第35話 麦が育っている数字
本作は全70話で完結予定です。
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朝の畑で、俺は、麦の草丈を、測っていた。
ミリアが、農業記録帳を手に、隣でしゃがんでいる。一本一本、丁寧に、数字を読み上げていく。
「区画B……ここは、改善した区画です。草丈、平均で、これくらい」
ミリアが、棒に刻んだ目盛りを、読み上げた。
「区画A、比較のために、去年と同じやり方で育てた区画……こっちは、これくらい」
二つの数字を、並べて、見せた。
「三割以上、違いますね」
ミリアの声が、わずかに、上ずった。
「この差は、計算通り――いや、計算以上です」
俺は、うなずいた。堆肥を入れ、土の状態を整えた区画は、根の張りが違う。それが、草丈に、はっきりと出ていた。
◇
その数字を、俺は、住民にも見せた。
「去年の、この時期の草丈より、二割、高い。記録に、残っています」
ミリアが、去年の農業記録帳を、開いて見せた。今では、村に、記録を残す習慣が、根づいていた。
「このペースで育てば、収穫量は、大幅に増えます」
老人の一人が、記録帳を、手に取った。
俺が言ったから信じる、ではなく、自分の目で、去年の数字と、今年の麦を、見比べていた。しばらく、ページをめくって、それから、ぽつりと言った。
「……ほんとだ。去年は、こんなに、なかった」
◇
ラナが、麦の前に、立っていた。
長いこと、黙って、穂のつき始めた麦を、見つめていた。やがて、低い声で、言った。
「……去年とは、明らかに違う。これは、分かる」
その一言で、住民の間に、ある空気が、広がった。「本当に、変わったのかもしれない」――疑いではなく、確信に近いものが。
俺は、それを、急がせなかった。数字は、嘘をつかない。秋まで育てば、もっと、はっきりする。
◇
その日の夕方、ウォルトが、俺のところへ来た。
声を、少し落として、言った。
「ヴィンス様から、また、連絡がありました」
俺は、手を止めた。
「ダールムの近況を……かなり、詳しく、聞いてきます。畑のことも、住民のことも、グライが来たことも。何か、動こうとしている気が、します」
ウォルトの顔には、迷いが、あった。ヴィンスへの報告と、俺への気持ちの間で、揺れているのが、分かった。
「引き続き、正直に、報告してください」
俺は、静かに言った。
「成果が出ていれば、それが、答えになります。隠すことは、何もない」
ウォルトは、ほっとしたように、うなずいた。
◇
ウォルトが去った後、俺は、もう一度、麦の草丈を、測った。
このペースなら、収穫量は、去年の二倍を、超えるかもしれない。
それだけの数字があれば、グライに、答えられる。
ヴィンスのことは……秋が来てから、考えれば、間に合う。
たぶん。




