第33話 住民が揺れる
本作は全70話で完結予定です。
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その話を聞いたのは、ミリアからだった。
「昨日の夜、何人かの住民が、集まって話していました」
ミリアの顔は、いつもより硬かった。
「グライさんの提案に……傾いている人が、数人います」
俺は、麦の畑を見ながら、その言葉を聞いた。すぐには、何も言えなかった。
「『三年分の生活費があれば、街で暮らせる』『農業は続けたいが、続けられる保証はない』……そういう声が、出ていたそうです」
ミリアは、悔しそうに、唇を噛んだ。
「みんな、レイム様がここまでしてくれたのに」
「責めないでください」
俺は、静かに言った。
「迷うのは、当然です。三年分の生活費は、本物の魅力だ。それに比べて、俺がまだ、それ以上のものを、見せられていない。それだけのことです」
◇
ミリアが、思いつめた顔で言った。
「私が、説得しましょうか。みんなを回って、農業を続けるべきだって」
「いえ」
俺は、首を振った。
「説得は、しないでください。これは、住民が、自分で決めることです。誰かに言われて決めたことは、いつか、揺り戻す」
ミリアは、納得しきれない様子だったが、それでも、うなずいた。
その夜、俺は、自分の中の焦りに、気づいていた。前世では、村の田畑がどうなろうと、ここまで胸が痛むことは、なかった。いつの間にか、この土地に、それだけの感情が、生まれていた。だからこそ、揺れる住民を見て、焦っている。
◇
翌日、俺は、珍しく、自分からラナのところへ行った。
「相談が、あります」
ラナが、手を止めた。俺から相談を持ちかけるのは、初めてのことだった。
「住民が、揺れています。どうすれば、信頼を、保てますか」
ラナは、しばらく俺を見つめた。それから、ゆっくりと、口を開いた。
「……お前は、いつも、何かをしてやろうとする。畑を直す、水路を直す、知識を教える。それは、いい」
ラナの声は、低かった。
「だが、今は、違う。お前が何かをしてやろうとするより――お前が、ここにいるだけでいい」
俺は、その言葉を、すぐには飲み込めなかった。
「逃げ出さずに、ここにいる。それを、住民は、見ている。お前にできるのは、それだけだ」
ラナは、そう言って、また鍬を振り始めた。
◇
その日、俺は、いつもどおり、畑に出た。麦の世話をして、水路を点検して、子供たちと土を触った。特別なことは、何もしなかった。
やれることを、やる。秋まで、農業の成果を、積み上げる。それだけだ。住民の判断は、住民に任せる。急がない。焦らない。
ただ――ラナの言葉が、ずっと、胸に残っていた。
「お前が、ここにいるだけでいい」
前世で、誰かに、そう言われたことが、あっただろうか。
――なかった、と思う。
だから、この言葉が、少し、重かった。




