第30話 春の畑と、来た馬
本作は全70話で完結予定です。
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雪が溶けて、春が来た。
区画Cに、初めて、水路の水が行き渡った。手を当てると、土の表情が、まるで違う。乾いて固まっていた土が、水を含んで、やわらかく息づいている。
「水が来た土は、こんなにも変わるのか」
俺は、思わず、声に出した。何度も見てきたはずの光景なのに、ここの土の変化は、格別だった。
◇
春野菜の植え付けが始まった。
区画Dに、カブや葉野菜の種を蒔いていく。住民は、誰に言われるでもなく、自分から作業に加わっていた。
驚いたのは、ラナだった。
腰の曲がった彼女が、若い者に、植え付けのやり方を、教えていた。
「そんなに深く埋めるな。種が、土の重さに負ける。浅く、優しくな」
かつて、誰も信じず、一人で畑に出ていたラナが、今は、人に教えている。彼女自身が、変わっていた。
◇
昼になると、みなで集まって、食事をとった。
干した野菜を入れた、温かいスープ。去年の冬に、蓄えたものだ。
「去年の今頃は」
ミリアが、スープをすすりながら言った。
「こんなに食べる物、なかった。麦粥だけで、それも、薄くて」
「秋に収穫したものが、冬を越して、ここにある」
俺は、スープの椀を見た。豊かとは、まだ言えない。だが、確かに、去年とは違っていた。一年で、食卓が、少しだけ温かくなった。
子供たちは、畑を駆け回っていた。トムが、アナの書いた名前の板を、畑のあちこちに立てている。「かぶ」「まめ」と書かれた、手作りの板だ。
そして、センが、一人で、区画Cの水路のそばにしゃがんでいた。
「セン、何をしてるんだ」
「……水の量を、見てる」
彼は、ぶっきらぼうに答えた。
「昨日より、少し増えてる。雪解けで、上流の水が多くなったんだと思う」
誰にも頼まれていないのに、彼は、自分から、水路の流量を確かめていた。あの、心を閉ざしていた少年が。俺は、何も言わず、ただ、うなずいた。
◇
平和な一日だった。
だが、夕方――その平和に、ひびが入った。
村の入り口に、見慣れない馬が、止まっていた。立派な装具をつけた、上等な馬だった。
ウォルトが、すっと表情を引き締めた。
「……あの馬、商人ギルドの紋章です。グリムの、使者です」
ラナが、低い声で、呟いた。
「来やがった」
その声には、苦いものが混じっていた。商人ギルド。廃村になった土地を、安く買い取ろうとする者たち。彼らが、なぜ今、この村に。
俺は、馬を見た。
「分かりました。明日、話を聞きます」
慌てる必要は、ない。だが、覚悟は、しておくべきだった。
ようやく、村が立ち直り始めた、この時に。彼らがやってきたのは、偶然ではないはずだった。




