第16話 麦の秋まき
本作は全70話で完結予定です。
毎日5話ずつ、07:10/12:10/18:10/20:10/22:10 に予約投稿しています。
続きが気になりましたら、ブックマークや評価で応援していただけると励みになります。
秋まきの日が来た。
早朝から、農地に人が集まった。ミリア、ウォルト、子供たち。そして、遠巻きにではあるが、村の老人たちも数人、見物にやってきた。
「今日は、種を蒔きます」
俺は、区画Bと、その隣の従来通りの畑を指した。
「ただ、全部の畑を、同じやり方にはしません。堆肥を入れて土を戻したここと、今まで通りの隣の畑に、同じ量の種を蒔く」
「なんで、わざわざ分けるんですか」
ミリアが聞いた。
「比べるためです。同じ種を、同じ日に蒔いて、片方だけ土を変える。そうすれば、収穫のときに『土を変えると、これだけ違う』と、数字ではっきり証明できる。村のみんなを、言葉じゃなく結果で納得させるためです」
ミリアは、なるほど、という顔をした。
種を蒔き始める。腰をかがめて、一粒ずつ、地面に押し込んでいく。地味で、根気のいる作業だ。子供たちも、見よう見まねで手伝った。
「これ、全部、芽が出るの?」
トムが、土を掘りながら聞いた。
「全部じゃない。でも、選んだ種だから、ほとんどは出る」
「ほとんど! すごい!」
トムが、嬉しそうに種を押し込んだ。
◇
作業の途中、ミリアが、ふと手を止めた。
「……あれ。この土、触り心地が違う」
彼女は、区画Bの土を、両手ですくった。
「前より、柔らかい。ふかふかしてる」
「堆肥が効いてきてる証拠です。土の中で、小さな命が働いて、土をほぐしてくれてる」
見物に来ていた老人の一人が、おそるおそる近づいてきて、土を触った。
「……本当だ。柔らかい」
その老人は、しばらく土を握ったり離したりしていた。何十年もこの村で農業をしてきた手が、初めて触る感触だったのだろう。
◇
一日かけて、区画Bの種まきが終わった。
腰が痛い。十六歳の体でも、農作業は楽じゃない。だが、心地よい疲れだった。
「次は、区画Dを、明後日に」
俺が言うと、帰りかけていた老人が、ぽつりと言った。
「……お疲れさん」
それは、この村に来てから、住民が初めて俺にかけてくれた、ねぎらいの言葉だった。
「ありがとうございます」
俺は、頭を下げた。小さな一言だったが、確かに、何かが変わり始めていた。
◇
その夜、俺は一人で、区画Bの端に立った。
地面を見ても、何も見えない。蒔いた種は、土の下だ。当たり前だ。
だが、確かに、そこにある。三週間もすれば、芽が出る。
農業は、いつもそうだ。見えないものを信じて、待つ。
土の下で、今この瞬間も、種が目覚めようとしている。それを信じられるかどうかが、農業をやる人間と、やめてしまう人間の、分かれ目だった。




