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聖女じゃないです。清掃員の清城です。  作者: 荒瀬 維人


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第13話 王城の白い嘘

 白は、汚れがない色じゃない。


 隠したいものを見えにくくするために、いちばん都合のいい色だ。


 地下水路から引き上げた白い包みは、乾かしてもなお妙に整って見えた。泥を浴び、長く水に沈んでいたはずなのに、布地の目は細かく、結び紐の銀糸も完全には死んでいない。下町の荷ではない。そう結論づけるのに、十分すぎた。


 翌朝、誠司たちはそれを携えて王城へ向かった。


 西区画の井戸は、昨夜の時点で匂いがだいぶ引いていた。子ども部屋の水差しも、底に残る濁りが薄くなっている。完全に安心できる段階ではないが、流れが戻り始めたのは確かだ。


 だからこそ、次に止めるべきは上流だった。


「顔色が悪いな、見習い浄化官」


 城門前でガロが言う。


「寝てねえだろ」


「寝ましたよ。短く」


「それを寝たとは言わねえ」


 誠司は肩をすくめた。実際、ほとんど寝た気はしない。地下で見つけた白い包みのことを考えるたび、王都の上と下が一本の汚れた管でつながっている感覚が消えなかった。


 リュシエンヌは包みを布袋へ納めたまま、真っ直ぐ前を見ている。


「王城の物資管理区画に顔が利く方へ、先に伝えは入れてあります」


「話が早いと助かります」


「早く済むとは言っていません」


 その言い方に、誠司は少しだけ口元を緩めた。


 通されたのは、王城の表の広間ではなく、使用人棟へ近い管理廊下だった。白い壁。磨かれた床。窓辺に置かれた香草の壺から、甘い匂いが薄く漂う。


 整っている。清潔に見える。だが誠司は、そういう場所ほど足元を見たくなる。


 王城の白さは、神殿の白さとは少し違った。神殿は清浄を掲げるために白い。ここは権威を保つために白い。どちらも汚れを嫌うが、後者はときどき、汚れそのものより『汚れて見えること』を恐れる。


 廊下の継ぎ目に、白い粉が細く残っていた。拭き取りきれなかった漂白剤に似た粒子だ。しかも、角を曲がるごとに量が増える。


「洗濯庫のほうですね」


 誠司が言うと、案内役の書記官が怪訝そうに振り向いた。


「なぜわかるのです」


「床が教えてくれます」


 書記官は納得しない顔のまま、しかし否定もしなかった。


 案内された先には、王城の洗濯庫と漂白室、それに祭服の保管前処理を行う作業室が並んでいた。扉を開けた瞬間、鼻を突くのは石鹸と香油の匂いだ。だが、その奥に刺すような白い臭いが混じっている。地下水路で嗅いだ灰水の匂いと、よく似ていた。


 作業台には真新しい白布が積まれ、奥の槽では侍女たちが手袋をつけて布をすすいでいる。どれも清らかに見える光景だ。


 だが、白布を浸した水桶の縁には細い灰線が残り、乾かす前の布から落ちる雫は、床へ当たるたびわずかに白く泡立った。浄めた水ではなく、白く整えるための水だ。用途が違えば、流した先で起こることも違う。


 見える、だけなら。


「王城の排水が西区画の古下水道へ落ちている可能性があります」


 リュシエンヌが、まず正面から告げた。


 その場にいた管理責任者の男が眉をひそめる。歳は四十ほど、痩せた肩にきっちりした上着。いかにも書類の数字で現場を抑えるタイプだ。


「ありえません」


 返答は早かった。


「王城の洗浄水は、定められた浄化槽を経て処理されています。しかも聖務に関わる区画です。汚染など起こりえない」


「起こっていました」


 誠司が言う。


「地下で、王城の区分布と見られる包みを回収しています」


 男の視線が一瞬だけ袋へ落ちる。その一瞬を見逃すほど、誠司は鈍くなかった。


「似た布はいくらでもあります」


「でしょうね」


 誠司はあっさり頷いた。


「だから布だけで決めつける気はありません。代わりに、流れを見ます」


 そう言って、誠司は洗濯庫の奥へ視線を向けた。床の排水溝が、見た目以上に深く作られている。しかも、手前にあるはずの濾し格子が新しい。交換したばかりだ。


「この格子、最近替えました?」


 若い侍女が反射的に頷きかけ、責任者の目に気づいて口をつぐんだ。


 代わりに男が答える。


「保守は定期的に行っています」


「詰まりやすいからですか」


「衛生管理の一環です」


 言い換えただけだ。


 誠司はしゃがみ込み、排水溝の縁を指でなぞった。表面はきれいだが、内側の角に白灰色のこびりつきが残っている。乾いた層の下に、わずかに黒ずみもある。大量の白い水が流れ、その一部が古い有機汚れを巻き込みながら落ちている痕跡だ。


「この下、見せてください」


 責任者の口元が強ばる。


「なぜその必要が」


「必要があるからです」


 リュシエンヌの声は静かだったが、拒否を許さない硬さを帯びていた。


 しばしの沈黙のあと、管理責任者は渋々、床板の一部を外させた。


 現れたのは、白石で囲われた比較的新しい排水枡だった。だがその脇、壁際の陰にだけ、不自然に古い継ぎ目がある。王城の改修より前からある石組みだ。


 誠司は灯りを近づけた。


 継ぎ目の隙間に、厚紙の繊維が引っかかっている。地下で回収したものと、同じ質感だった。


「ここですね」


「ただの古い目地です」


「ただの目地なら、水の筋が二本になりません」


 誠司は白石の内側と古い継ぎ目、その両方に残る流れ跡を示した。新しい排水枡へ向かう筋とは別に、溢れた時だけ古い継ぎ目へ逃がす、もう一本の道がある。


「改修のとき、仮設の逃がしを残したんですか」


 責任者は答えない。


「浄化槽へ送る量が多すぎて、峰の高い日だけこちらへ迂回させていた。古下水道は使われていないことになっているから、誰にも見つからないと思った」


「証拠はあるのですか」


 男はなおも言い張ったが、声が乾いていた。


「地下にあります」


 誠司は布袋を開き、白い包みの中身を机へ並べた。銀糸の結び紐。王城式の出納印に似た赤印の残る紙。白い固形片。


 そして、先ほど排水溝の縁から掻き取った白灰色の粉を、その隣へ置く。


「匂いも手触りも一致しています。少なくとも、同じ系統の水が流れている」


 侍女たちの何人かが顔を青くした。彼女たちは知らなかったのだろう。自分たちが毎日すすぐ白布の残り水が、どこへ落ちていたのかを。


 一人の年若い侍女が、堪えきれず小さく言った。


「去年の改修から、雨の日だけ逆流がひどくて……でも、上へ言えば『すぐ直す』とだけ」


 責任者が睨みつけ、彼女は肩を震わせて口をつぐむ。十分だった。知られていない事故ではなく、黙らせてきた不具合だったのだ。


 管理責任者だけが、なおも表情を保とうとする。


「仮に一部が流れていたとしても、王城の清浄区画から出る水です。下町を傷めるほどの害は——」


「ありました」


 今度はガロが遮った。


 低い声なのに、部屋の空気が一段下がる。


「子どもの寝床が臭った。井戸が苦くなった。吐いたやつもいる。てめえが見てねえだけで、下じゃもう起きてる」


 責任者が初めて言葉に詰まった。


 誠司は立ち上がった。


「白い布を保つために、見えない場所へ汚れを押しつけるなら、それは清潔じゃない。ただの先送りです」


 言い切ったあとで、自分でも少し驚いた。日本にいた頃なら、もっと角の取れた言い方を選んだかもしれない。だが西区画の井戸や、孤児院の子ども部屋の臭いを思い出すと、これ以上やわらかく言い換える気にはなれなかった。


「言葉を選びなさい」


 鋭い女声が、廊下側から落ちた。


 振り向くと、扉口に数名の侍女を従えた若い女が立っていた。白銀に近い淡い髪を上品に結い、城の光をそのまま纏ったような衣を着ている。表情は柔らかい。だが、その柔らかさが先に来るぶん、目の温度だけが際立っていた。


 リュシエンヌが小さく息を呑む。


「……エルミナ様」


 その名を聞いて、誠司はようやく察した。王城でいま最も「白く」見える立場の女。聖女候補として持ち上げられ、民の前では慈愛の象徴として語られる人物。


 エルミナは部屋の惨状——外された床板も、並べられた包みも、顔色を失った責任者も——を一目で見渡し、それでも崩れない微笑みを浮かべた。


「誤解が広がる言い方は、誰のためにもなりません」


 優しい声だった。


 だからこそ、誠司にはよくわかった。


 これは謝罪のための声ではない。整った白さを守るために、まず言葉の形から拭き取ろうとする声だ。


 王城の嘘は、排水溝の奥だけにあるわけじゃない。


 今、ちょうど目の前で、美しい微笑みの形をして立っていた。


 そして誠司は、地下より息苦しい場所へ来てしまったのだと、ようやく理解した。

最後までありがとうございました!


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