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43 ボーナスタイム【2】

 足元が揺れ、天地が裂けるような轟音が響いた。


「危ない!」


 ヨシさんが駆け出すのを見て、慌てて追いかけて同じ方向へ手を伸ばす。


 桔梗さんの足元が崩れ、底の見えない巨大な穴があっという間に現れる。

 床にあったスマホが虚の闇に落ちていった。


「重゛っ……実質二人分の体重っ……!」


 桔梗さんの右腕を私が、左腕をヨシさんがつかみ、捕まえている。

 私が手を離せば()()()()()彼女と一緒に穴へ落ちてしまう。うちのお人好しを道連れにされては困る。


 突如現れた大穴。一軒家のキッチンの床が崩落してこんな穴が空くはずがない。野蕗という怨霊による怪現象だ。

 幻覚にしてはリアルすぎるし、現実にしてはめちゃくちゃすぎる。ありえないことを起こせるほどの力があるなんてすごい。


「この穴、落ちたらどうなるんだろ」


「バカなこと考えるのは桔梗さんを引き上げてから!」


 うずうずしている私に、ヨシさんが嘆くように叫んだ。はいはい。


 膝と腹に力を入れて彼女を引き上げようとする。が、なかなか持ち上がらない。

 ひょろい二人とはいえ、それにしても重すぎないか?


「胎児ってこんなに重いの!?」


「心里さんっ、アレを見てくださいっ!」


 あれって? うわっ。

 よく見ると、桔梗さんの足にワンピース姿の少女がしがみついている。青白い顔の、明らかにこの世のものではない──。


『 ねぇー、こっちに来てよー 』


 通話をジャックした声がすぐそこから聞こえる。

 霊でしかも子供のくせに、えげつない重量しやがって。この理不尽感がたまんねぇ。


「今はダメなの、もう少しだけ時間をちょうだい。お願いよ、お腹の子だけでも……っ」


『もーいーでしょ? おとーさんも来たよ。桔梗ちゃんもおいでよー』


「桔梗さん、それ蹴り落としてみたら?」


「心里さん!」


 事態の解決を試みているのになんでヨシさんはいちいち邪魔してくるんだ。あのガキの味方か?


「どれだけ道連れにしてもあなたは救われないのよ。野蕗ちゃん……!」


 掴む腕から震えが──恐怖が伝わってくる。それなのにこの女は、悪霊へ哀れみの涙を流してあげられるのか。

 ほろほろと泣く姿に私は少し動揺してしまう。そうやって他人に共感したことなど私にはないから。

 普段なら嘘くさいと一蹴するような光景だが、そこに嘘はないように見える。


 ──本当に良い人なんだ。私と真逆の。


「おいクソガキ! てめえの犬を救ってやった私を無視すんな!」


 怨霊の仄暗い瞳がこっちを見上げる。目が合って──まばたきをした途端にその姿が消えた。

 いきなり桔梗さんが軽くなり、そのまま勢いで引き上げた。


「下哭さん、心里さん……ありがとうございます」


 かばうように腹を撫でる桔梗さんは、周囲をきょろきょろと見渡す。もう一人の子供を心配している顔だった。


「あの子はどこに……」



『 もーいーかい? 』



 ぎょっとしたのは、真後ろから聞こえたから。

 反射的に振り返るとすぐ目の前に女の子が立っていた。思わず後ずさり、穴に足を取られそうになるところを隣のヨシさんに支えられる。


「なに……その形態」


 ワンピースこそ見慣れてきたものだが、近くでじっくりと見る少女の姿は異形そのものだった。

 手は黒く毛むくじゃらで、爪は赤く鋭い。平たい瞳孔をした獣の目。

 シルエットこそ人間なのに、その輪郭に収まっているものは化け物だと一目でわかる。ゾワッと肌が粟立ち、本能が恐怖した。


 赤い指先が私を指差す。


『 心里ちゃん 』


「うおっ、ファンサdんぉ゛ごぼぽおべ」


 すごい! 胃が川と繋がったみたいに、急に口から濁った水が噴き出した。

 ドロドロとした藻や腐った木の葉が一緒に出てくる。不味い。臭い。あっ、鼻からも出た。息ができない。マーライオンってこんな気持ちなんだ。


「べべべべべ」


 ずっとゲロしてるような不快感で涙が止まらない。鼻水が激しい水流にもっていかれる。苦しくて膝を折った。

 遠巻きに、桔梗さんがドン引きした顔で私を見ていた。こんな死に方したくないランキング何位にランクインしたか聞いてみたい。


 ヨシさんが私と少女の間に割り入り、毛深い腕をつかむ。


『 だれ? 』


「このお姉さんと遊ぶなら、おじさんも混ぜてくださいね」


 言い方こそ優しいが、それだけだ。

 獣の瞳が、無表情のヨシさんを見上げて睨む。


『 ……なに、おまえ。きもちわるい 』


 顔を#しかめ、吐き捨てるようにそう言うと、少女の姿が消えた。

 同時に、水栓が閉じたかのように口からの濁流が止まる。

 振り返ると大穴は綺麗さっぱり消え、何事もなかったかのように埃の被った床がそこにあった。

 部屋の温度もいつの間にか適温に戻っている。

 少女は本当に立ち去ったようだ。


 はぁー、と長い安堵のため息が聞こえた。ヨシさんだ。

 私は一生懸命に不味い唾を吐き出し、咳き込んでいる。


「うぇ゛えええ゛!! お腹壊すぅう゛!!」


 駆け寄ってきた桔梗さんに背中を撫でられた。そのまま内臓を浄化してほしい。


「大丈夫ですか!? あの子がこんな活発に動くのは初めてです……どうして……」


「げほっ。この状況があのクソガキにとってはオモロだったんでしょ」


 遠くから救急車のサイレンが聞こえた。徐々に近づいてくるのを聞きながら、静かに吊られ続ける男を見上げる。

 彼は堕ちた少女を連れては逝けなかったわけだ。……けど、逆に聞きたい。


「桔梗さんのパパはさ、勝算があってこういうことをしたわけ?」


「それは……」


 それに、あの少女の姿……。


 言いよどんでいた桔梗さんがふいに顔を上げ、逆に質問を投げかけてきた。


「……あなたたち、何者なの?」


 ヨシさんは彼女にどこまで話したのだろう。この感じだと、なんにも話していなさそうだ。

 この状況で生き延びた理由もわからず、困惑しているに違いない。


 立ち上がり、飛沫で濡れた手足を拭きながら答える。


「いっちゃん恐ろしい怪異に会いたい女と、いっちゃん強い霊能力者に会いたい男の二人組」


 そのとき、間近に迫ったサイレンの音が止まった。

 救急車がこの家のそばに到着したのだ。

 ということは。


「やばい、鉢合わせるっ! ヨシさん逃げるよっ!」


「えっ、わっ、わぁっ!」


 私はヨシさんの帯をつかみ、玄関と反対側の窓に向かって走り出した。


 答えに納得していない桔梗さんが私たちを呼び止める声がする。「また会お!」と後ろに向かって小さめの声で叫ぶ。

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