罪悪
闇に浮か庭園に静かだ。
つい先程まであった静かな喧騒が嘘の様に。
波紋の様に離れていく2つの人波。
ベーゼンは、視線を下階へと向ける。
視線の先には担架を担ぐ2人の獣騎士。
運ばれていくジェラールは徐々に小さくなっていく。
声を掛けても止まるはずもないのに、目を離すことができない。
そこには、ようやく取り戻せた ” 幸せ ” なのだが、
どこか手の平から零れ落ちてしまう気がしてならなかったからだろう。
頭を切り替えようとしても、視線を離せない。
大丈夫だと言い聞かせ、気丈に振る舞う自分。
一方で、また離れてしまう事への不安に沈む自分。
二つの感情に押しつぶされ、行動はそうさせるのだろう。
ジェラールの姿が見えなくなると共にため息が落ちる。
涙ではない事が、今の彼女にとって唯一の救いと言えた。
小さく肩を落としながらも、脚は集団に従う。
視線の先にある背中は、何を想い進むのか。
静まり返る廊下は、深い闇でしかない。
またかと思える光景に集団は足を止めた。
何処かおかしい。
闇の奥に人影が一つ浮かんでいる。
扉を守る様に佇む影は男。
警備にしては貧弱、一人では無茶だろう。
事が起こっては、対応できるとは思えない。
しかし、それが今起こっている。
警備はコチラに気付きく。
ハイネスは、視線を後方へ送ることは無い。
決められたハンドサインで指示を出す。
集団のは、そよ風の様に静かに加速。
やはり、おかしい。
警備の男が向かって来る。
その姿は、神にでも縋りつく様に弱々しい。
さらに拍車をかけたのは、その声と表情。
情況に似つかわしくない震えた声。
助けを求める表情は、地下室で会った2人とは違う。
「お願いです。助けてください。
彼女を救ってください・・・僕じゃ何もできない。
だから・・・」
ハイネスに縋りつく警備の男。
その顔は、出血こそないが痣だらけ。
そのせいか、年季のはいった鎧は更にボロく見えた。
しかし、明らかに新兵でしかない。
勿論、声や顔立ちも若い。
ガタイは相応と言うべきだが、ハイネスに比べ頭半分ほど違う。
とはいえ、集団の中では見分けがつかないだろう。
一方、縋りつかれたハイネスの表情は相変わらず。
むろん、声色も表情と違わずだ。
「まずは、携帯した剣をこちらに渡していただけませんか?
ゆっくりと・・・・そうです。
空間も封じさせていただく。よろしいですね」
ハイネスは、新兵から剣を静かに受け取る。
それと同時に、残る手で指を鳴らし魔力で辺りを包んだ。
視線は、変ることは無い。
しかし少しだけ眉間の皺は浅く和らいだ。
ハイネスは、情況整理する様に新兵に続けた。
「貴方は、ここを警備されていたのですよね?
これでいいんですか・・・職務放棄ですよ?
いや、此方としては構いませんが・・・・
それで、彼女とは誰の事ですか?」
至極当然の質問ではあるが、
おそらく、状況が警備兵をそうさせるのだろう。
ハイネスは、ため息をつき彼を見つめた。
若い警備兵は、一瞬瞳孔を大きく力を込める。
しかし、表情や佇まいは道端に捨てられた子犬でしかない。
「彼女です・・・イセリナ様の侍女の・・・・・。
お願いです。フェデルテさんを助けて下さい。
どうか、フェデルテさんを」
ハイネスは、繰り返される言葉に眉を顰めた。
視線は、警備兵からヨハン、そしてベーゼンへ。
ヨハンの応じる声には、違和感が漂っている。
「フェデルテ・・・・
彼女はイセリナ様に食事を運んでいたけど・・・
離宮に部屋を移されたとは聞いてない。
他の時間は、王の召使として働かせてたはず。
何で今、彼女がここに居るのかしら・・・・
おかしいわよね?」
応じるハイネスは、小さく頷き視線を戻す。
警備兵へ向けられた視線には、多少なりあった優しさは無い。
しかし、それを一変させる情報がベーゼンから飛ぶ。
「ハイネス、あながち嘘だとは言えないかもしれないわ。
城務めの侍女達が話してのよ。
フェデルテが国に返されたって。
ラスも最初は気にしてたわ、遊び相手がいないって。
確か、3か月ほど前・・・
嫌な感じがする・・・・急ぎましょ」
ベーゼンの表情には先度の哀愁は無い。
いつもの彼女がそこには居た。
ハイネス達の反応は早い。
術式を解除するハイネスは、警備兵に指示を出す。
「案内をお願いします。
嘘であれば・・・判っていますね」
「はっはい!・・・ありがとうございます!」
警備兵の声だけが廊下に響く。
しかし、闇の奥から反応は皆無。
一瞬、眉間の皺を深くするハイネス。
しかしこの深さは、いつもより少し深い程度。
場の違和感を感じつつも廊下を進む一行。
目的の部屋に近づくにつれ、空気は徐々に重くなる。
眉間の皺は、ハイネスから一行に感染する。
いや、そうではない。
聞こえる声、鼻に付く匂いがそうさせた。
下衆な言葉は、自尊心から来るものだろうか。
それとも、男の誉れとでもいうのか。
部屋中には男が3人いる事が理解できる。
一つは野次だろう。もう一つは煽て。
そして、最たるが王にでも成ったかの様な発言と笑い。
ハイネスの眉間は、血でも出そうな勢いで皺を刻む。
それは彼から規律と理性を奪う。
彼の脚は、扉を激しくノックする。
開かれた扉。
当りに広がる匂いは、廊下ですら鼻を覆うほど。
一行の表情は " 不快 " を良く表現していた。
映し出される世界は、やはり下衆。
2人の男は、騎士の姿ではあるが軽装。
それは、職務を終え酒場にいる風体だ。
残る一人は、場違いにもほどがある。
軽装ではあるが、厠で用を足した後の様にズボンを直す。
そして、こちらを振り向き万遍の笑み。
口を衝いた言葉は下衆そのもの。
「あっ? 静かに開けろや小僧。
んっ、オメェも、してえってかぁあ・・・・
ねぇよ、オメェはダメだ。ゲヘゲヘ。
ほれ、ど~だよ。
今日は、飯に掛けてやったんだぜぇ。
ゲヘヘへッ、俺様の栄養がたっぷりだ。
ま~だ夜は、長ぇでなぁ~ゲヘへへへ」
一方、軽装の二人は剣を構える。
場の空気は、厠男とその陰に隠れる女性を残し重苦しい。
堰を切るのはヨハン。
それは、目には止まらない。
問答無用で放たれたナイフ。
酒に酔っった挙句、軽装ではどうにもできない。
息の抜ける音を孕む野太い悲鳴。
呼応する女性の悲鳴。
厠男の声は焦りを孕むも、先刻の1組と同じ。
「俺様は離宮を任されてんだ!
テメェらが何やったか判ってんのか!!」
既に二つの悲鳴は消え、幼女のように泣く声が一つ。
ハイネスは厠男を睨む。
それと同時に彼の腕はヨハンを制止する。
「君の手をこれ以上汚すな・・・ヨハネ。
ベーゼン様とフェデルテを頼む」
視線を遮られたヨハンは、表情を戻し我に返った。
彼女の視線は、フェデルテを見つけた。
それは、彼女から、時間の流れを止める。
静かに口から零れ落ちた声。
落胆を通り越し、悲しみと怒り。
「なんて・・・ことを・・・・」
ヨハンの視線は、今一度厠男へ向けられる。
しかし、ベーゼンはそれを引き戻す。
「ヨハン、何人か引き連れて毛布を探してきて。
アイツを問い質すのは、ハイネスの仕事。
いいわね・・・・ヨハン」
「・・・・・・・はい、ベーゼン様」
ベーゼンは、フェデルテの元へ。
そして纏うマントで彼女を包む。
幼女の様に泣きじゃくる彼女を優しく、そして温かく。
ベーゼンの声は震え、抱きしめた現実に涙が頬を伝う。
「フェデルテ、もう大丈夫よ。
何も怖くないわ・・・もう・・大丈夫だから」
フェデルテは、あやされた赤子の様に徐々に声を小さくした。
静寂を得た部屋。
しかし、空気だけは変らない。
ハイネスは、厠男からベーゼン達を隠す様に立つ。
一方、自分の城でも侵されたかの様に苛立つ厠男。
その表情は紅潮するが不安定。口振りには悪気など一切ない。
「な~に、勝手してんだテメェら!!
俺様はなぁ、エルタニア王の命でここに居んだよ。
イセリナ様の身の回りの警護?だったか・・フフっ。
おぉ、執事みてぇじゃねえか俺様、大した出世だぜ。
フッ、あの夫婦もよくやるわな・・・・
いや、テメェらには関係ねぇな・・・まあいい。
っでぇ、テメェは何処の何様だぁ。
誰に何をしてるのか判ってんのか小僧!!」
声が離宮の外に響くことは無い。
妙な反響を残すのはハイネスの仕業だ。
空間は既にハイネスの支配下にある。
ハイネスは、ゴミでも見るかのように眉を顰めるのみ。
だが、エレガントは彼の口を強く動かす。
「私はハイネス。
王子の従者だ。それ以上もそれ以下でもない。
いや、貴方よりは上等ではありたいな・・・・
この度は、貴方様の部下のご依頼で、失礼させて頂きました。
これで良いかクソオヤジ・・・人の名を訪ねる時は自分からだ!」
ハイネスの一歩は大きく見えた。
突風は、部屋の空気を引き連れ厠男を取り残す。
ハイネスの体が厠男と交差する。
そう周囲には映った瞬間、厠男は宙に舞っていた。
部屋に響く蛙を潰した様な悲鳴。
後方からは、珍しい物に喜ぶ幼女の笑い。
次の瞬間、ドンッとけたたましい音を響かせる。
辛うじて意識を残す厠男。
それは、虚像でしかない威厳がそうさせたのだろう。
弱々しくも睨む根性だけは唯一評価できる。
しかし、相手も情況も最悪だ。
ハイネスは、そのまま魔力の環で厠男を拘束する。
全てを終えたハイネスは、大きくため息を吐き捨る。
そして、エレガントに手を払う。
静かに続けられる言葉には感情が籠る。
「貴様の様な下衆が " 執事 " を口にするな・・・・
人の心を理解しようとせず、ただ踏みにじるだけの貴様が・・・・」
ハイネスの表情は、怒りと悲しみに満ちていた。
自分が手をこまねき、王子をあんな姿にしてしまった後悔。
今までやって来た、いわば人生を否定されたような言葉への怒り。
部屋には、場違いな幼女の明るい笑いだけが続く。
幼女の様に明るく弾む笑い。
それが、彼の背をさらに重くさせた。




