陥穽ソナチネ
風音は全てを隠す。
月光も差し込まないであろう廊下は闇に飲まれている。
その闇に潜る様に進む人影は一つ。
知らぬとは言え、家屋の構造など大差はそうは無い。
装飾に隠された点検口からそっと天井裏へ。
ヨハンは、影と同化し目的の部屋を目指す。
仕事なのだが、どこかいつもと違う。
頼まれてもいない仕事。
どうしても心が騒ぐ。
天井裏の通気口は気配はおろか何もなく寒い。
独り這い進む狭い通路、どこまでの冷たく、どこまでも寂しい。
説明も無く、独り残された事が彼女をそうさせるのだろうか。
ヨハンは、胸を押さえ、ため息を吐き気持ちを落ち着ける。
(これはジェラール様の救出に必要な事・・・・必要な事よ)
言い聞かせるように繰り返される思考。
そこに理想の出口は無い。
彼女が想像するそれは、無関係の同好者なら望む絵面の一つ。
だが、自分に好意を寄せる相手が関与した絵は望まない。
小さな葛藤すら圧し潰す感情。
それは苛立ちに代わり、小さな怒りを呼び起こす。
(なんで相談してくれないのよ・・・・・馬鹿メガネ・・・ばか)
「・・・・ばか」
相談ぐらい思う感情が、繰り返し襲い続けた。
実家の爺に仕込まれた感情制御など、今は逆効果でしかない。
天井裏の冷たく寂しい道は、ヨハンを激しく苦しめた。
遠くに見えた透き影は、すでに眼下。
普段なら、鼻息荒く視線を落とすのだが今は違う。
違うのだが、そこに葛藤が生まれていた。
(う~んこのぉ・・・・・・・。
でも、ハイネス様に何かあったら・・・問題よ。見るのよ私!)
そっと視線を落とす先は、嫌に甘ったるい空気に満ちている。
魔導の光は彼らの影を強調し表情を隠す。
しかし、その均整の取れた肉体の起伏を現実以上に妖艶に見せた。
(ハウゥ・・・・チョットだけなら・・・やっぱりダメ、無理・・・)
葛藤が彼女を包むもその体はと止まるのみ。
しかし、彼女の感情が、見るべき光景をその手で覆い隠す。
今の姿を師である実爺に見られていれば叱られていただろう。
一方でヨハンの下では、すでに事は起こっている。
1人は薄手のネグリジェで椅子に掛け、
一方は、ジャケットを脱ぎ、領主の正面に立つ。
領主は甘い声を出すも、どんな女性のそれよりも低い。
「フフフッ、いらっしゃいませハイネス様。
さぁ、こちらに‥‥フフフッ。
貴方から頂いたワインもまだありましてよ・・・フフッ」
「こちらに座らせて頂きます。私は。
ふむ、大層お気にめしていただいた様で私も嬉しい」
領主の妖艶な笑みからは、溢れるばかりの臨戦オーラ。
もう一方の表情は、深く暗い闇がそれを隠す。
「まだ、夜は更けたばかりです。
私が継ぎましょう。ロドリゲス伯」
「ロドリゲス伯なんて・・・・・。
デュラルテと呼んでくださいまし。ハイネス様」
酒を注ぐ執事とその女主人の構図だが、一方の距離は恐ろしく近い。
甘すぎる声と無機質なそれ。相反するとしか思えない。
ロドリゲスは身を寄せ、ハイネスの腕に自らの腕を絡ませる。
「生真面目な貴方好きよ。男としても、女としても。
貴方はどう? 年上の私って・・・」
「そう・・・ですか。ありがとう御座います。
では、もう一杯如何ですか・・・お嬢様・・・」
「フフッ・・・悪くないわ・・・
素敵な紳士に注がれて、気分を返す女なんて居て?」
(今夜は受けかしら・・・でも、こういう男は責めも素敵・・・フフッ)
無駄に近い二つの影。
ヨハンには大変好きな構図だが、今だけは嫌な構図。
明かりは、それを鮮明に映さない。
時と共いにデュラルテは、椅子からベットへと移る。
猫の様にしなやかな足どり。
女性然としたなまめかしい太もも。
それは鍛え抜かれた男のそれでは無く、筋肉質の女性の白く美しい足。
一部の男性貴族や王族が求めるのも頷ける。
ハイネスは、それを頭のどこかで思う事に自分自身を腹立たしく感じた。
視線に気づくデュラルテは、口元を緩め瞳を細める。
彼は妖艶にそして自慢げに話す。
「触ってもいいわよハイネス。
でも痛くしないで、綺麗に保つのも大変なの。
わかって?」
「そうですか・・・・美しく保つですか。
いえ・・・今は止めておきましょう。
さぁ、もう一杯如何ですか?デュラルテ。
酒はご存じの通り血行を良くし、女性を美しく見せる」
闇に沈むハイネスの顔。
声色こそ優しいが、口調は主人の客への対応と同じ。
血の様に赤黒い葡萄酒は、頬を赤らめたデュラルテの口へと消える。
ハイネスへ向けられた表情には自信。酔いとは恐ろしい。
声色に魅かれた領主の思考は、既に花畑を彷徨う。
頬を紅くし、注がれるワインを更に一口。
ディラルテは強引にハイネスの腕を引く。
「嫌ぁ!」
「んっ・・・何かしら?」
天井裏からは鼠の鳴き声の様な小さな悲鳴。
冷静でしかないハイネスの眉は微かに動く。
そして次の瞬間ハイネスは、デュラルテに覆いかぶさった。
女性として見ても美魔女と遜色のないデュラルテ。
その表情に男性色は存在しない。
「何もありませんよ・・・デュラルテ。
ネズミも貴方に嫉妬したのでしょう」
目を閉じ何かを望むデュラルテ。
しかし、想定以上の間に彼女の口は言葉を紡ぐ。
「来てぇ・・・・ハイネス」
デュラルテは自らの顔に彼の体温、息遣い、変らぬ声色を感じた。
それは、優しく耳をくすぐる。
「デュラルテ殿・・・・これは失礼した」
ハイネスは、言葉を言い終えるや否や体制を直す。
服装を正し、ゆっくりといつも通り扉へと歩く。
静かな薄闇に規律に満ちは足音は止まる。
振り返ることは無い。
姿勢よく体制をそのままに領主へと投げられる言葉。
「急に引かれては、私も体勢を崩してしまいますよ。ハハハッ。
お怪我はございませんね。
それに、既に私はこの部屋に来ております。ロドリゲス伯。
私は、ブランケットの追加を頼みに来ただけです。
連れに風邪をひかせては一大事ですからね。
貴方が会話を欲していた様に見受けられましたので、
私はソレにお付き合いいたしました。
ああ、そうでしたね。言い忘れては、相違を生みますね。
まずは、私は腐っても公爵、貴方は伯爵であることをお忘れなく。
次に、私はジェラール様の付き人、王家の所有物です。
この度の件は伏せておきますが、
今会談での取り決めは撤回なさらぬ様に」
「なにを ────────!! 」
部屋に響く怒鳴り声は、女性にしては些か低く男らしい。
ロドリゲス伯は顔を紅潮させ、握る拳をベットへぶつける。
「ハメたのね・・・・最低・・・・糞メガネ!」
未だに振り返る事の無いハイネスは、小さく笑い言葉を返す。
「ハメる気などありませんよ。
私達は交渉に来ただけです。
応じたのは貴方だ。
あぁ、これはいけない。もう一つ、お伝えを忘れる所でした。
私から贈らせて頂いたこの葡萄酒は、決して安いモノではありません。
そうですね・・・不作だった年の物、銘柄もイイ。
その上、私の魔力もふんだんに籠っていますからね。」
ハイネスの言葉に訝しむロドリゲス伯だが、怒りが先に彼を操る。
ロドリゲス伯は数回ベットを叩くと、低い金切り声でハイネスを襲う。
「そんな事、どうでもいいわよ!
口約束の公約なんて破棄よ破棄!!
情報だけは貰って・・・それだけじゃ収まらないわ!
そうね、婦女暴行でこのまま捕まえてもいいわ。
あんたはそれだけの事をしたのよ!
なぁ~にが王家の所有物よ。バッカじゃない!!
さっさとこの部屋から出て行きなさい! 糞メガネ!!」
払う様に手を振るロドリゲス伯。
一方、背を向けたハイネスは毅然と振り返る。
露わになる表情は、視線も含め無気質極まりない。
「伯、貴方にはもう少し学があるかと・・・
私が、貴方を過信しておりました伯爵。
貴方の糞以下の脳みそでも理解できる様に説明しておきましょう。
知らずに死ぬのはお嫌でしょ?」
ロドリゲスは " 出ていけ " と口元まで出かかっていた。
しかし、理性はそれを飲み込ませた。
目の前の男は人の温かみなど一切ない。
一方、睨み続ける領主に視線を向けた感情無き石像は言葉を続けた。
「このワインに込めた魔力は貴方の行動を阻害束縛します。
私達を裏切れば、貴方の生命は止まるでしょう。
おっと、勘違いなさらないでください。
この呪文は、我が家に伝わる程度の代物ではございません。
魔工廠の聖女、貴方方が低俗な魔女と蔑む女性が造った魔法。
万が一にも間違いはございませんし、解呪はあの方以外不可能でしょうね。
もちろん、私はこの様に難解で高度な術式を解呪する事は出来ません」
ロドリゲス伯の顔から血の気は一気に引き、色は美しい白を越え青へ。
王国で魔法を司る一族の一つであるエルグリム家。
その家出身でさらには、若くして文官長の地位を得た者の発言ではない。
その上、内容が重すぎた。
しかし、ロドリゲス伯も思考が止まっている訳でも無い。
彼は口調は本質を取り戻し見た目の様に飾ることは無いかった。
「貴様も飲んでいただろ?あの女もだ!
嘘は止めろエルグリム卿!」
ハイネスは、言葉の先を聞くまでも無いかの様に背を向ける。
返す言葉は冷たく、ロドリゲスの求める言葉はそこには無い。
「私は背く気など無い。それは彼女も同じ。
呪われようが、そうでなかろうが考が変わることはりません。
形だけの国などどうでもいい。
私達は互いに慕い信じる者と共に生きるだけです。
それでは失礼します・・・・良い夜を」
静かで丁寧に閉まる扉。
しかし、ロドリゲスの耳には重く、そして強く閉じられた様に思えた。
そして、廊下から耳に入る足音がそれを更に強調する。
ハイネスは部屋に戻ると、少し満足そうな表情で狸寝入りするヨハンを起こす。
「おきてください。野鼠さん。
夜の散歩に出かけましょう」
「・・・ムっ・・・ノネって‥私は!」
小さく返るハイネスの笑みは、ヨハンを制止させる。
交差する視線、先に外したのは珍しくヨハン。
表情を正しハイネスは言葉を紡ぐ。
「相談せず、気をもませてしまいましたね。
本当にすいませんでした・・・ヨハネを巻き込みたくなかったんです。
・・・・私は傲慢だ、君に心配をかけてしまいました」
「はい・・・次からは相談して欲しいです。
それに・・・いえ・・・
私は、貴方の同僚ですよハイネス」
二人は、領主館を後に雪の降りしきる街へと姿を消した。
足跡すらも消し去る雪は、例外なく王都すらも覆い隠す。




