その領主、狂妄につき
その夜は、街並みと空の境目があやふやに変わる。
窓を強く叩く風だけが耳に付く。
闇に浮かぶ光は家族の温もりなのか、
それとも生に縋る魂の輝きなのかは定かではない。
客間から案内されるままに進む廊下は二人には広く、そして長い。
いきついた先で開かれた扉。
二人の視界に広がる世界はまるで異界。
奥に控える人影が優雅に笑みを浮かべ視線を向ける。
向けられた声は、遠目に映る姿とはかけ離れ、ヨハンの思考を破壊した。
「ロドリゲス伯・・・・?
んッ・・・でも・・・・女性?
えっ・・・・・・」
表情だけが困惑する彼女の姿は珍しい。
それでも所作だけは辛うじて冷静を装っている。
視線だけが声の主を探すも、そこに在る物は変らぬ結果。
大きくなる人影は、未だに女性。
ヨハンの手は無意識にハイネスを求めた。
触れ合う指先に意識を取られるハイネス。
ヨハンに返る表情は一瞬だが優しい。
しかしこれは交渉事、仕事である。
ハイネスは表情を瞬時に戻すと、彼女の手を優しく払う。
そして自らの魔力に声を乗せ、ヨハンへ困惑の答えを与えた。
「あれが、ロドリゲス伯、男性ですよ。
遠目には美しい女性・・・だったが、時は少しづつ蝕んでいく。
あの見た目と彼の・・・・・んっんん。
いや、やめておきましょう。
・・・・君は私が守ります・・・・何かしようとは考えないでください。
いいですね。ヨハン」
視線などヨハンに向けられる状況ではない。
しかし、小さく頷く事しかできなかった。
廊下から聞こえた音は、扉により遮断される。
静かに音色を紡ぐハープ。
小さく聞こえる男の笑み。
穏やかで優しさを与える全てが、二人の体を強張らせた。
笑いは止み、はっきり聞こえた声は男。
「急な吹雪で大変でしたね。エリグリム卿。
フフフッ、貴方が私の領に来て下さるなんて夢の様ですわ」
「んっんん・・・この度は、お招きいただき感謝しています。ロドリゲス伯。
出来る事ならば、王都での口調に戻していただいてもかまいませんか?
どうも私はその口調に慣れませんので・・・・」
ロドリゲス伯から視線を外すハイネス。
正面では、艶やかな赤いドレスを纏う30代程の女性が表情を変える。
当り障りのない笑みから、妖艶で裏のある笑みへ。
「これは失礼した・・・フフッ。
これを好む貴族も多くてね。 私はどちらでも構わないのだが。
では、話を続けましょうか。
この度の来訪については食事の後にゆっくりといたしましょう。
ん?・・・・そうでしたな、これは失敬」
仰々しい動きからロドリゲスはヨハンに視線を向ける。
椅子から腰を上げ、深々と頭を下げる。
「私はロドリゲス領領主デュアルテ・ロドリゲス。
一代限りの領主ですが・・・皆からは良くして頂いて伯爵などど。
有難い限りですよ。フフフッ」
ヨハンの前に跪き、手を取りその指先に口づけ。
そして、一瞬見せる上目使い。
女性にしては力強く、男性にしては妖艶。
服装を改めなくとも、心揺るがない者は少なく思える程。
しかし、間近で見る姿は造られた美しい3・40代後半。
良く言えば努力の賜物なのだろう。
ヨハンは、ハッと意識を戻し礼儀を返す。
「えっ・・・あっ。
この度のご招待、ありがとうございます。
私は・・・・エ、エルグリム様の侍女でジョアンナといいます」
目の前の長身女装男性はゆっくりと立ち上がる。
その瞳には優しさの奥に鷹にも似た鋭さがあった。
返す言葉もまた丁寧で優しい。
「ジョアンナ・・・良い響きですね。フフッ。
この様な寒い地域です。どうぞ暖炉の傍にお座りなさい。
ブランケットもあった方が良いですね、直ぐに用意させましょう。
ふむ、あのエルグリム卿が侍女・・・お付きの者が女性とは。
礼儀もさすがエルグリムの者と言えますね・・・フフッ。
あぁ、私としたことが、お客人を立たせたままにしておくなどと。
さぁ、座ってください。食事を始めましょう」
違和感が残る言葉と視線。
ヨハン達は雪国の領主に勧められるままに会食を始めた。
料理は静かに運ばれる。
3人の前に揃うと伯爵は手を合わせ目を瞑る。
「女神カーディナよ、貴女の慈悲に感謝し、この食事を頂きます。
私共の心と体の糧となる様祝福を・・主の望む欲望のままに・・・・」
食事を神に感謝する言葉にしては不穏。
しかし、豊穣の女神であるカーディアは多面性を持つ。
よって、この祈りにおかしいところはない。
神や宗教など、信仰対象への衷心により祈念する者もいれば、
逆にそう成らない者もいる。
それは個人の自由であり真理。
其々の理念から外れた者を迫害さえしなければそれでいい。
ヨハンとハイネスは、言葉こそ復唱しないが手を合わせた。
応接間の演奏は既に止んでいる。
静かな時の中をカチカチと魔導具の音だけが主張。
小さな息から優し気な声が二人を呼び戻す。
「私に合わせていただき感謝します。
それでは頂きましょう。
これは我が領民が丹精込め育てた野菜です。
この地は一日の中で寒暖差が激しい。
その為、野菜の味もハッキリしています。
もちろん、果物も例にもれません。フフッ」
「巷で名高いロドリゲス領の高地野菜ですね。
・・・・たしかに味がハッキリしています。これは美味しい」
「野菜も育てた者の感情を反映するといいますが、
きっと領民の方も健やかに過ごせているのですね」
ハイネスに続きヨハンも口にした言葉は、
共に領主とその民に敬意を表した。
よくある社交辞令なのだが、
二人の見せる表情、空気からは、それが真実だと領主は理解できた。
落ち着いたハープの音色は、会食を妨げない。
笑みの絶えない時間は一刻ほど流れ本題へと移っていく。
交わされる言葉は意外にも少なく、必要な内容は意外にも早く決着した。
前祝いとばかりに始まる宴の様な時間。
かわされる葡萄酒、更けていく霜夜、酔いを隠すように燃え上がる暖炉の炎。
欲望の女神信者は、その口をゆっくりと開く。
対するハイネスは刹那のため息と共に笑みを作り、それに身構えた。
「ハイネス殿・・・まだあるのでしょ?
そうでなければ私を派閥から引き抜けるなどと考えは起きますまい?」
妖艶な笑みは、動きを忘れた蛙を望む大蛇そのもの。
舌舐めづりなど、あるはずがないのだが幻影が重なる。
しかし、領主の目下の生物は蛙ではない。
領主みずから勧め注ぐ葡萄酒を、小さく首を振り制止。
開いた口から出る声は、彼らしく無機質。
「と、いいますと・・・・・・
お望みは・・・いえ、はしたない言葉は控えます。
しかし、私は彼女の身を我が領民である彼女の親から預かっております。
それに、彼女は私の大切な民の一人であることは変らない。
それは確かに、これ以上ない献上品かもしれませんが・・・・・・」
難しいお話ですね・・・・」
ハイネスは、ジトッとした表情を出す事無く笑みを浮かべ、視線を足元に。
少し言葉を溜め繰り返す。
「そうですね・・・・難しい・・・出来ぬ相談です」
正面の雌大蛇は、ハイネスの見せる表情に口元を不敵に崩す。
彼に向けや足を組み返し視線だけを残し顔を背ける。
「そうですね・・・確かに領民は大切な歯車。
失っては事が止まってしまう・・・・・・
わかりますよ・・・・
今宵は特に冷えるかもしれません。
私の部屋は、廊下の最奥です。
何かあれば、お待ちしております。フフフッ」
「感謝します。ディアルテ殿。
では、ここは失礼致します。」
「おやすみなさいハイネス様。フフフッ」
意味深な笑いだけがハイネスの背を押す。
ガラスを叩く風音が雪に埋もれることは無い。
ハイネスは、ヨハンの寝顔を残し闇へと消えた。




