最北の領地にその人あり
山肌を下る風は轟々と音を立て粉雪と共に頬を掠める。
二頭の馬には其々騎士にも冒険者にも見える人影。
切り立つ山を越えた先に広がる世界は人工的。
強引に開拓されたすり鉢状の盆地は人の叡智なのだろう。
そこは温かい光が灯る街並み。しかし人影は少ない。
単に季節のせいなのか、それとも領主の影響なのか。
ヨハンの前を進むハイネスは馬を止めた。
振り返る視線は、王都と変わらない生真面目なモノ。
しかし、表情は優しく崩れヨハンを気遣う。
「もう少しですよ、ヨハン殿。
こちらをどうぞ。まだ水が入っています。
ここロドリゲス領領主を引きこめば、我々の準備は終わります。
後は、王都へと戻るだけ・・・・全てが始まるんですよ」
ヨハンは一瞬自分の水袋に手を掛けるが、数刻前に空にしたことを思い出す。
一瞬、受け取る事を躊躇うも、彼の笑みに絆される様に自然と手は彼へと進む。
笑みのまま頷くハイネスは、優しく手を添え落とさぬ様にと水袋を手渡した。
「ありがとうございます。ハイネス様。
んっんっんっ・・・・フゥ・・・・
ロドリゲス伯と言えば、あまり良い話を聞きませんが・・・
それに、第二王子派閥でも発言力が大きい方・・・・
ハイネス様、無茶だけはおやめください・・・私は・・・・
ベーゼン様の指示には明確にありませんし・・・・きっと・・・・」
数カ月前であればここまで感情的になっていただろうか。
隠す好意も隠すべき相手が一人では、その必要性を問う程だ。
実際その数カ月前ですら、傍から見れば理解できるレベルの感情。
知らぬ者でも二人が良い仲であることは仄かにわかる。
人は、感情を押し込めたところで、その分燻り燃え上がるのだ。
理性の塊の様なハイネスですらその範疇。
人と獣の違いを理性だとするところは怪しい。
不安を隠す事無くあわられる表情は、ヨハンでは無くヨハネそのもの。
間諜であり女主人に仕えるヨハンはそこには居ない。
ヨハンの潤む瞳に、優しく声を返すハイネスもまた王都の堅物では無い。
「ヨハネ・・・大丈夫だよ私は。
準備だってしているんだ。君が懸念する事など起こらない。
ジェラール様を取り戻し、あの静かな日々に戻ろう」
「ハイネス・・・はい。 信じています・・・信じています」
ヨハンはハイネスの水袋を返しながら自分の言葉を噛みしめる。
知る者など居ない山間の街道を、2頭の馬が静かに足音だけを残す。
まだ太陽は天辺を少し過ぎた程度だというのに辺りは薄暗く肌寒い。
街を守る大門の兵は、いぶかしむ様に視線を二人に向ける。
しかし、2人の姿が大きくなるにつれて表情も所作も変化していった。
「お待ちしておりました、ご無事で何よりですエルグリム卿。
ロドリゲス様よりご案内を仰せつかっております。
領主館まで距離がございますので、騎乗のまま私の後に続いてください」
「文は届いていたようですね。これは僥倖と言うべきですか。
では、案内をお願いします。
・・・あぁ、後ろの者も同様に扱って頂けると嬉しい」
ハイネスはヨハンの説明を省くも同等に扱えと伝える。
それは、理解していますと言わんばかりに兵士は一礼。
その後、確認の為一歩横へ動くも、ハイネスはソレを遮る。
「それは無礼ですよ・・・・・あなたはロドリゲス伯の面子を?」
「いえ・・・失礼いたしました!」
「こんな状況ですし、彼方の行動も間違ってはいません。
私も言い過ぎましたね。
しかし、貴族というモノは面子があります。
知らせるべき情報は提示しますが、逆もしかり。
一兵士である貴方が全てを知る必要はありません・・・・
貴方も大切な人はいますよね・・・・・悲しませたくはないでしょう?」
圧力でしかない言葉、表情は只々静かだ。
門兵は一歩たじろぐも職務に背を押され辛うじてとどまった。
そして、辛うじて残る意識を保つように唾を飲み込む。
ハイネスに対し深く頭を下げ背を向ける。
「エルグリム卿とそのお連れをご案内いたします。
門を開いてくれ!!」
雪を吸い込む様に開く巨大な城門。
雪深い地域の為だろう、その厚さは王都にも引けを取らない。
3人は城門の中へと消えて行く。
それを追う様に完全に開く事の無い城門は、街を隠すように固く閉じられた。
粛々と業務をこなす案内兵。
ヨハンは、視線だけを街並みに向ける。
崖からの見えたソレとは異なる温かみのある光景。
街路に活気は無いが、家々の灯は温かく領主の治世を感じさせた。
しかし、その事がヨハンを混乱させる。
口は答えを望みハイネスを呼よぶ。
ハイネスの馬は速度を落としヨハンと並走。
少し身を乗り出し耳を傾けるハイネス。
「ハイネス様、ここの領主はロドリゲス伯・・・ですよね?」
「そうですね・・・・うん、間違いはありませんよ。
ニケロム様を推す派閥ではありますが、
彼は自領民に対しては真面目・・・いや、少し違いますね・・・・
彼にとって彼の領民は彼の所有物・・・金を生む為の歯車。
歯車は傷つき欠けては仕事になりませんよね。
それにこの地は季節毎の影響が大きい。
彼はよく居る阿呆な貴族ではないという事です。
とはいえ、貴女の想像する様な男でもありますよ・・・
大丈夫、私を信じて・・・君の事は私が守ります。いいですね」
ハイネスの小声は、ヨハンの耳を優しく撫でる。
こそばゆい感覚は、優しい風圧のせいだけではない。
ただ、その状況をヨハンは良しとできなかった。
主人に似たのだろうかヨハンの意思は声へと変わる。
「それでは、私の立場がありません・・・・・
立場がありませんよ・・・・私の。
私だって・・・守ります・・ハイネス様」
尻すぼみになる言葉は、威勢に任せて言える程彼女には優しくない証拠。
様々な感情は理性を呼び起こし、逃げ道を模索。
不意に漏れた言葉は無難でしかない。
「ベーゼン様に顔向けできません・・・・
エルグリム卿に守られたなど・・・
ロドリゲス伯のことは分かりました。
もうこの話は終わりです。つまらない話は終わり!」
「そ、そうか・・・私は一向に構わないよ。
前にも言っただろ、君は私の同僚だよ。
立場は変わらないとね。
それに、君の話を聞くのは楽しい。色々な表情も観れるしね。ハハハッ。」
案内兵は後ろでじゃれ合うような声を気にすることなく職務を全うした。
彼は主人が待つ領主の館へと2人を案内し、二人の馬を厩へと連れて行く。
玄関は二人を待たせるまでも無く静かに開いた。
内から洩れる暖められたか空気が、二人を誘っている様に優しい。




