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郷愁に隠れた感情

爽やかな風は、まどろみに沈む女性の頬を優しく撫でる。

彼女の視界は明らかに明るく、そして懐かしい。

しかし呼吸は浅く、その姿から心音すら伝わるほど。

胸を押さえ息を整えるヨハンには青白く映る世界が赤妬けて見えている。

悲鳴の無い悲鳴は、誰に伝わるはずもない。

ただ彼女の耳の奥で心音だけが深く傷を残す。


(夢・・・よ・・・そう、ただの夢・・・)


大きく息を吸い込み、ゆっくりと自らを落ち着ける様に静かに吐く。

泣く子を宥める様に数回呼吸を繰り返す。

ようやく世界は現実を取り戻した。

目の前に広がる正され穏やかな色。

戻った世界は、数時間前の実家。

懐かしい部屋でしかない。

窓から見える風景は彼女の心情など知らない。

朝霧を払う様に差し込む柔らかい光。浮き彫りにされていく世界。

足元から聞こえる音は、久しく忘れていた家族の温もり。

ヨハンは重力に任せ、雑多な布団に背を預ける。

しかし、懐かしの天井は優しくはない。

おのずとヨハンの視線は、変る体勢と共に扉へと向いた。


(起きなきゃ・・・ハァ・・・・)


身支度を整え階段を下りるヨハン。

足音は極端に静かだが、経年劣化による軋みはそれを嘲笑う様だ。

その足音に気を向ける老人の眉が一瞬動く。

しかし、その反応とは裏腹に表情は柔らく穏やか。


「よく眠れたようだなヨハン。

 じゃが、実家でも安心しきってはいかんよ。

 どこに何が居るか判らんからな」


「おはよう。じいちゃん。フアーァ・・・あっ。

 言ってる傍からだね・・・・気が抜けてるかな私」


「そうさな、間諜たるもの ────── 」


男と言うのは幾つでも馬鹿だ。

求められていないアドバイスをしたがる生き物。

特に歳を重ねた男性その特性は顕著。

しかし、心構えの教えが始まりかけたその時だった。

大きなため息と共に会話に被せられた優しくも強い声。


「ハイハイ、心得もいいけど、ヨハネはしっかりやってるわ。

 ねぇヨハネちゃん。

 家にいる時ぐらいしっかり呼んであげなさいな。

 それと・・・アンタも机片付けてちょうだい。

 ほら、ヨハネは顔洗ってきなさい・・・目がちょっと赤いわよ。

 この後、現領主(アイネス)様の所に行くんでしょ?」


話を遮られた老人の目はジトッとするもそれは刹那。

急かされまいとするかの様に老人とは思えないレベルで行動は早い。


「ほぉ、朝からごちそうじゃな。

 ヨハネ、動かざる者食うべからず・・・・ほれもう一度、顔洗ってこい。

 オルガ、取り皿とカトラリーは儂が持ってくるよ」


優しさに背を押され身支度を改めるヨハン。

懐かしい名を呼ばれ幼少を思い出すも、それを掻き消す様な闇がそれを覆う。

祖父(ヘネシィ)の扱きからなのか、失われた実親の影響なのだろうか。


食事を終え実家を後にした頃には太陽が遠くの山から顔を覗かせていた。

ヨハンの脚は導かれる様に領主の館へと向かう。

以前と変わらない風景。

駆けられる同僚の声は、変らない者もあれば変化化する者もいる。

男装が多かったあの時とは違うからだろう。


「お嬢さん領主様との謁見は昼・・・・なんだヨハンか・・・

 偉く別嬪さんになったもんだ。王都っちゅう奴はこうも変えちまうもんかね。

 痛っ!何すんだよ!!」


「バーカ。ヨハネちゃんは元から美人だよ。

 ね~ヨハネ。 こんなバカの言葉なんか気にしなくていいよ。

 ゆっくりできる時間があったら王都の話聞かせてよ。

 アッ、私達裏庭だから、じゃあね~

 ちょっと、何ボーッと見てんのよ。行くわよ!」


割と互い距離が近い二人組の男女。

一方は洗濯籠を持ち、一方は剪定鋏や枝はらいを携えている。

二人は笑い合いながらヨハンを残し棟の裏へと消えて行った。

ヨハンの記憶のどこかにはあるのだろう二人の名前。

思い出は彼らの背を追う様に消えて行く。

いつ覚えた判らない造られた笑顔は無意識に返る。

目的だけが頭にはあるが全てが無意識に近い。

ヨハンの足取りは静かに止まり、意識はハッキリとする。

彼女の引き戻したのは門兵のソレイヌだ。


「はよ~ヨハネ。それともヨハンの方がしっくりくるかなぁ?・・・」


その声に注がれる視線は、彼女の同僚の男達。

会話相手のヨハンよりも早い。

そして、彼らの表情は珍獣でも見つけたかの様だった。

対する珍獣の表情は、ソレを跳ね除ける様にジットリとしている。

続けざまに咳払いし、その場を空気を改めるソレイヌ。


「んっんん・・・・なんだその目は・・・・

 兵士長だからって、プライベートまで堅苦しい言葉遣いじゃないんだよ。

 わかったらその気持ち悪い視線を止めて配置に着け、馬鹿ども!」


蜘蛛の子が散る様に兵士達は持ち場へと消えて行く。

ため息を捨てる様に吐き、ヨハンへ視線戻どすソレイヌは苦笑い。


「アイネス様達は・・・朝食の時間ね。

 謁見の準備が出来たら伝えに来るから、少し待ってて」


ソレイヌはそう言い残すと小さく手を振り、玄関扉の中へと消えて行った。

残されたヨハンは振り返り空を見つめる。

雲一つない澄んだ青い空がそこにはあった。

どこまでも澄んだ空、フワフワと舞う蝶や鳥たち。

ヨハンは、これもまた現実なのだろうと、口をへの字にし眉を顰めた。

小一時間待たされるかと身構えていたが、意外にも直ぐに訪れる。


「お待たせヨハン。

 アイネス様が一緒にどう?って」


「わかったわソレイヌ・・・・応接間よね?」


「そうね。応接間よ・・・フフッ」


小さな笑みを浮かべたソレイヌにヨハンは頭を傾げる笑みを返す。


「私、変なこと言ったかな?」


「ん~ん、何でもないわ。

 さっきの同僚共もこんな感じだったのかなってね。

 さっ、ハ(・)イ(・)ネ(・)ス(・)様(・)が待っているわよ。いったいった」


ヨハンの表情は更に困惑するも背を押され送り出される。

背を押すソレイヌに残す言葉は彼女の疑問と小さな感情。


「えっ、何でハイネス様?

 んッ・・・そんなんじゃないから・・・」


パタンと堅く閉じられた玄関扉。

目の前に広がるのは、慣れて知ったる懐かしい領主館の廊下。

バタバタと走る十数年前の女主人の幻影。

あの頃の様に綺麗な内装だが、過ぎた時間は深みと傷を刻んでいる。

幻影が消えた先には目的の応接間の扉。

そこには一人の執事。


「エイスネ副長・・・今は執事長ですね。

 ヨハンが参りました事を領主様にお伝えください」


「言わずもがなですよ、ヨハンさん。

 うむ、良い方の元で働いていたのですね。

 んっんん・・・・これは失礼しました。

 少々お待ちください」


自らの感情を理性で打ち消し耐えイネスは、扉へ振り返り、息を整えノック。


「ハイネス様のお連れ、ヨハン様が参りました」


やはりかとヨハンは視線を落とすが時間が待つわけもない。

一瞬の静けさの後、扉越しに優しくも強い声が響く。


「構わないよ。入ってもらって」


部屋からの声に頷いたエイスネ。

ヨハンに振り返ると粛々と言葉を紡いだ。


「領主様のご準備が出来ております。

 どうぞ中へお入りください」


静かに扉を開く所作はハイネスとまでではないが丁寧そのもの。

無駄にノブに添えられた手すらも美しく思えた。

ヨハンの視界に広がる応接間。

懐かしさの中にある感情は懐古だけではない。

優しい二つの笑み。

領主とのそれと、いつもそばにあった彼の物。

ただ一時は慣れていただけなのだ。

以前にはそんなことは無かったとヨハンは感じてすらいない。

迎え入れられた彼の隣の席。以前ならあり得ない場所だ。

しかし、今のヨハンには居心地の良い場所。

そして、隣の彼が彼女に求める場所である。

変化した世界で始まる会話は、女主人(ベーゼン)の考えをなぞる様に進んでいく。

一方、遠く離れた地では、猫の様な人造生物と共に、それなりに奮闘している女主人。

ヨハン達の会話でくしゃみをする事もあるのだろうか。


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