郷愁
小川のせせらぎは、落ちた肩を擦る様に囁き、
静かに燃える焚き木と共に二人の男女を包む。
火に照らされた苦く重くるしいハイネスの横顔。
視線を落とす先には真新しい手紙。
無意識にハイネスは小さくため息を吐きかけるが内容が変わることは無い。
絶望とまでは言えない背にヨハンは空気を換えようと声を掛けるしかなかった。
「ハイネス様・・・食事が出来ました。
お口に合えば良いのですが・・・・・」
優しいく彼に寄り添う声。
フワッとハイネスの頬を掠める風は彼女の存在を彼に伝える。
ハイネスは視線を手紙から声の主へ。
その表情はぎこちなさを残しながらも笑みを湛えた。
「これは、すまないね。
んん、素晴らしい香りです。
口に合わない事など在りえません。
このような状況の野営では贅沢品ですよ。
ヨハン殿、ありがとう」
「いえ・・・そんな・・・
さぁ、冷める前に食べてしまいましょ」
一瞬合った視線は反発する様に別方向へと向けられる。
しかし、そんな事など気のせいと思わせる様にヨハンは振る舞う。
先日までの銀のカトラリーはそこには無い。
村の工芸品かと思わせる木製のそれは優雅な音を立てる筈も無く、
在るのは火の爆ぜる音と微かな咀嚼と嚥下だけ。
重苦しい食事が半ば終ろうとした時、ハイネスはヨハンに頭を下げる。
「ヨハン殿、すみません。
予想していた事だが、ここまで堪えるとは思いませんでした。
この様な食事を用意して頂いたのに私は・・・・本当にすまない」
「やめてください!・・・・内容など言わずとも分かります。
エルグリム家の家紋で封がされた手紙・・・・
このタイミングで朗報など期待できるものでは・・・
謝るのは私の方です・・・」
「いや、君は悪くない・・・・私はこれで良かったと思います。
はぁ・・・本当にすいませんでした。
私はこれで、エルグリムのハイネスではなく只のハイネス。
ハハッ・・・王子付きの従者ハイネスです」
「ハイネス様・・・・」
重苦しい空気を笑顔で振る舞うハイネス。
そこに在る表情には、迷いはない。
空元気とは違う自然な優しい声はいつもの彼の空気。
スープを一口運ぶと、ハイネスはヨハンに視線を向けた。
「とはいえ、私には文官長の肩書が残っています。
自分の力で手に入れたモノは離縁では消えません。
あっ・・・資金の事は気にしないで構いませんよ。
私の・・・いえ、そうですね・・・フフッ、王子に精算させましょう。
これで助ける以外に道はなくなりました。
ん~ん、このスープは美味しいですね。
出汁は・・・・まろやかな甘みがある・・・癖は多少ありますが悪くない。
ヨハンさん、教えていただいても?」
子供のような笑顔は、いつも眉間に皺を寄せている様なハイネスには珍しい。
正確には、ヨハンが目にすることそれなりにあった表情。
戯ける様にはにかむ姿は、ヨハンの心に重く圧し掛かった黒雲を掻き消していく。
「あっ、はい。 東方の乾物を使いました。
確か・・・・コンブ?とかいう・・・えっと・・・これですね」
深緑の板を袋から取り出すと指でコンコンと叩く。
それを眺めるハイネスの表情は明るい。
「コンブ・・・あぁ、確か王都では商人が売り込んでいましたね。
このような味がするのですね・・・面白い。
ん~ん、良い味です。王子には隠しておきたいものですね」
「フフッ、まだおかわりもありますよ。
しっかり食べて明日に備えましょう。
きっと長い一日になります」
「ハハッ、そうですね。
大変な一日になりそうですが、君がいれば乗り切れそうだ。
明日は、ヴィアファブリック領に入りますね。
領主から協力が得られるかは分かりませんが・・・最善を尽くしましょう。
そう言えば、確かノーマン師が隠居なさっていましたね」
視線をヨハンから外し、爆ぜる炎に向けるハイネス。
一方ヨハンは、ハイネスの空いた木製の椀にスープを注ぐ。
椀の中ほどまで注ぐとそれをハイネスへ渡し、彼の言葉に続けた。
「ノーマン・・・パトリック老ですね。
あの方は、ベーゼン様の師です。
それに、宰相に対しては良い感情を擁いてはいません。
きっと力になってくれますよ」
「そうですね。ヨハン殿の言う様に事が進むことを祈りましょう。
領としての協力を得るのは難しいかもしれませんがきっと・・・」
星かげさやかに静かに更けていく空。
それは二人の気持ちを映す様だ。
戦火で半壊した家屋に張られたテント。
いずれか一人を番に残し朝日を待った。
当りを包む朝霧の奥からは世話しなく聞こえる小鳥の声。
何事かと跳び起きる者など居ない日常の一幕。
何が起こる訳でもなく只一日は始まる。
二人は軽い食事を済ませると、ヴィアファルリックの町を目指す。
ヨハンにとっては、懐かしい道、懐かしい林。
だがその全てに感情は静かだ。
町を出て十数年、友と呼べる者などここには居ないはず。
そもそも " 友 " など王都で初めてできたと感じている程。
主人との関係を聞かれれば、それもまた " 友 " と呼べるかもしれない。
だたしそれは主人の性質に依存する上、主従関係が無いわけは無い。
しかし、彼女と共に歩んだヨハンの人生。
結果、ヨハンの世界は想像も出来ない程に広がった。
その為だろうか、郷愁などと言う感情は皆無なのだろう。
とは言え、林を抜け広がる世界は今の王都よりも眩しく感じた。
眼前に広がる大麦の穂は黄金に色付き、その重さで頭を垂れる。
蝉の耳障りな歌は、それを育てた領民を称賛している様にも思える程だ。
ヨハンは首筋から髪を払い汗を拭う。
無意識だろうが口からは小さく声が漏れた。
「私が乗馬なんて・・・変わるものね」
傍らではその小さな呟きに反応するも理性で抑えるハイネスの姿。
表情からは優しさ以外感じられない。
馬を駆り進む道は無駄に石畳。
ヨハンの知る風景ではないが、知識としてはある。
中途半端に林から続くそれは作業の途中。
助言と資金の出所は我が主人だからだ。
気持ちの良い馬蹄の音と共に進む先は石造りの強固な門。
見知らぬ門兵、それに足止めされる商人。
それはよくある光景。よくある光景なのだが、
聞き覚えのある声に二人の意識は引き寄せられる。
「だから先刻、文はだしたと言っとるだろ?」
「その文は此方では確認できていませんよ・・・先刻って、いつですか?
モーガンさんだからと言って通すわけにも・・・
例外を作ってしまうと不味いですし・・・」
「そりゃあ、確かに例外はいかんよ。
いかんが・・・急ぎの用といえば聞こえがいいが・・・
あぁ~いつまでかかるんだい・・・依頼主はアイネス様だぞ」
商人の苛立ちは場を包み重苦しい空気だけが流れていた。
勿論、ヨハン達にもそれは伝わる。
その為か、顔見知りだからと言って二人その中心に近づこうとはしなかった。




