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感情の独り歩き

野鳥の囀りに意識を引かれ目を覚ますも、

肌を焼く様な日差しに全てを台無しにされる。

小さな唸り声と共に拭われる汗に美しさの欠片も無い。



「んん~・・・ダメ・・・はぁ~癒されるぅ・・・

 はぁ・・・・・起きよ・・・」



柔らかい布団のベットから這いずる様に身を乗り出した先の石壁。

無駄に硬いその壁面は、不快な暑さを和らげる程度の優しさはあった。

まだ早朝だというのに気候の影響なのか、

昨夜から続く暑さは、朝の爽やかな風すらも豹変させた。

元よりヨハンと言う人間は、その主たる女性に基本は似ている。

しかし、その職の性質上、主人よりは幾分マシでいられるのだが限度もあった。

その為か一人旅も相成り、時たま素が出る事が増えている。

しかし、今は不味かった。

ドアを優しく叩く音は、意外にもヨハンの思考を現実に引き戻すことは無い。

呼び声に対し、ぼやける思考はあろう事か反応する。



「おはようございます。 ──── 」


「は~い。どーぞぉー・・・・アッ!」



返事に一瞬遅れ、現実に復帰する思考なのだが・・・

同時に開かれる扉。

日頃冷静沈着を着込む様に振る舞うメイドヨハン。

だがその装いは、この蒸し暑い気候に剝ぎ取られている。

先に反応したのは扉を開いたハイネス。



「おっと・・・これは失礼しました」


「いえ・・・・私が・・・・」


「いや、謝らないでください。

 こんな暑さだ・・・誰だってそうなります。

 急いだ私に問題があったのですよ。

 応接間でお待ちしておりますので・・・

 くれぐれも何か羽織ってお越しください」


「は・・・はい。ごめんなさい・・・」



背を向け、ヨハンにかけられる言葉は彼らしい敬語口調。

しかし、その声色には恥じらいがある。

とは言え、彼に女性経験が無いはずがない。

噂の第二王子の様に明るい訳では無いが、ジェラールよりはまともだ。

しかし、彼にしては違和感のある反応。

ヨハンは逆にその反応に恥じらいを感じた。

その為だろうか、背を向けたまま小さく頭を下げる彼に返す言葉の締めは謝罪。

静かに閉まる扉と共に、思考を内に向け自問自答するも行きつく先に苛立つ。



「私は何を考えているんだ・・・

 妄想は・・・・いや、これも今じゃない・・・はぁ・・・」



独り言に対し突っ込む虚しさ。

曇る思考を振り払う様に頭を左右に振る。

うなじに滲む汗は、既に冷や汗から生理的な反応へと変わる。

視線を上げ、着替えを始めながら気が付くヨハンの耳は赤い。

鏡に映るその服装は、事を始める娼婦の様だった。




ヨハンのため息は応接間の前でようやく終わる。

呼吸を整え丁寧にノック。

返る声は、優しくも規律の様な彼の物。

静かに扉を開き、頭を下げるヨハン。



「先ほどは、失礼しました」


「いや、気にしなくて良いんですよ。昨夜は暑かったですからね。

 私だって似たような姿を爺に諫められました。

 さぁ、席に座ってください。朝食にしましょう。

 ヨハン殿は、酸味の利いたモノがお好きでしたね」

 


優しい笑みから始まる言葉に含まれる確認の問い。

それは、ヨハンが誰にも話した事の無い食の好み。

職の都合と教育のせいか、本人は余り表情には出ないと思っていた。

しかし目の前の彼は、その中からヨハンの感情を読み取っていたのだろう。

主人家族や親以外からの親切など片手で指を折る必要もない程だ。

一瞬呆ける表情は、初めてに近いそれに恥じらいを滲ませる。



「はっ・・はい・・・・」


「うん、それはよかった。

 さぁ、立っていないで座ってください。

 ご一緒に食べましょう」



他人に朝食を用意される事など金銭を支払う以外には初めてだろう。

何処に視線を向けていればいいか迷うヨハンは何処か居心地が悪い。

目の前では、白髪の男性が綺麗に盛り付けられた食事を静かに運ぶ。

明らかに老人なのだが、遠目で見れば白髪以外はハイネスと大差ない。

背筋は伸び、軽やかに作業を続ける老人執事。

ヨハンの視線は、無意識にそれを追っていた。

一通り配膳すると、白髪の執事はハイネスに頭を下げ一歩下がる。



「ありがとう爺。下がっていて構いませんよ。

 彼女には危険はありません。

 爺も皆と休んでいてください。

 片付けは私が・・・いえ、声を掛けます」



頭を下げた白髪の執事の表情が一瞬鋭く変わったが刹那だ。

ハイネスは苦笑いを浮かべつつも老執事を下がらせた。

続く彼の言葉はヨハンへと投げられた。



「ハハッ・・・ダメですね。する側の癖が抜けません。

 お待たせしました。それではヨハン殿、冷めないうちに頂きましょう」


「はい、ハイネス様。頂きます」



部屋は変る事が無い無駄な暑さが覆い尽くす。

窓から吹き込む優しい風など火に油だ。

しかし優しく爽やかなハイネス笑み。

そこにヨハンは居心地の良さを感じ無意識に食を細くした。

静かな空間に聞こえる心地よい食器の音。

時折交わされる無駄の様で無駄のない会話。

それは尋問や問答ではない。

この時間は、ヨハンにとって作り笑顔など不要。

しかし、彼の口調はヨハンの知る彼のまま。

仕事と私情、そして立場はヨハンの表情に違和感を生じさせる。

しかし、そこに気付く男は表情を変える事無く話を進めた。



「そうですか・・・ベーゼン様が。

 昨日もお話し頂きましたが、興味深い所ですね。

 私の立場では、国に対して出来ぬ考えです。

 それに、ヨハン殿の見解もしっかりしている。

 離宮・・・あまり良い噂の立たない場所ですね。

 管理は確か・・・・クリーヴァス様でしたか・・・・

 いや・・・・数年前に変わった様な・・・

 いけませんね、興味がない事はすぐに忘れてしまう」



爽やかな苦笑いに小さな恥じらい。

誘われる様にヨハンの表情も柔らかく明るい。

促されるまでも無くヨハンの口は彼の言葉を補足した。



「わかります。私も忘れてしまう事があります。

 え~と・・・今の離宮管理はロドリゲス伯です。

 ここにも違和感があります・・・ベーゼン様も仰っていましたが」



手を止め思考するハイネスだが表情は次第に曇る。

自然と反応し首をかしげるヨハンだが、彼女の持つ情報に答えは無かった。

腕を組み悩む二人。考えの先は互いに違う。

少しだけ重い空気の広がった応接間。

それを壊すかの様に響く優しいノック音。

ハイネスは意識を戻し、いつもながらの受け答え。

頭を下げ、入室しち老執事は皿を下げつつハイネスに問う。



「デザートのご用意がございます。

 紅茶か珈琲、どうなさいますか?」


「そうですね・・・デザートは旬の果物ですか?」


「いえ、昨夜おお話に出ていた氷菓子でございます」


「そうですか・・・では、珈琲にいたしましょうか」



ヨハンから見ても不思議な光景だが、1日も経てば慣れる。

執事の様な立ち振る舞いの領主とその執事。

見ていて微笑ましい。

クスッと零れるヨハンの笑みにハイネスもつられ声を返した。



「フフッ、どうかされましたかヨハン殿・・・

 フッ・・・慣れないモノですよ。

 こういう状況は、傅いていた方が性にあっていましてね」



優しく返される苦い笑みと言葉。

ほのぼのと広がる空気だが、一瞬鋭い眼差しがハイネスを襲う。



「ハイネス様・・・そう仕立てたのは御父上と私。

 しかし、今は一領主の立場でございます。

 どうか、上に立つ者の振舞をお願い致します。

 ご婦人、どの様な方か存じ上げませんが、

 ご婦人からも一言言っていただけませんでしょうか?」



その場には3名しかいない。にもかかわらずヨハンは周囲を見渡す。

存在しない ご(・)婦(・)人(・) を探す表情は、戸惑いから恥じらいへと変わる。



「ご婦人だなって・・・私は一介の従者です。

 御領主様に意見など・・・・」



困り顔のヨハンの視線は、一瞬ハイネスに助けを求めるも机へと落ちる。

対する老執事の鉄壁の表情は、少しだけ笑みを浮かべヨハンの言葉に続けた。



「この場には貴女様しかございません。

 我が領主に進言出来る者も限られます故・・・

 老い先短い老人の願いを叶えていただければ幸いにございます」



振る舞いには仰々しさは無く、表情すら鋼鉄の仮面。

一見嘘くさい言葉だが、逆に刺さる不思議。

普段表情を殺すヨハンだが、昨日から表情筋が無駄に動く。

対面では苦笑いから苛立ちへと変わるハイネス。

その場に漂う空気は、口を開かざる得ないと判断せざるおえなかったのだろう。



「爺、やめないか!・・・・

 ヨハン殿も困っています。

 客人を困らせては、傅く者として失格では?」


「これは過分でございました。失礼いたしましたハイネス様。

 ヨハン様・・・私めの戯言、申し訳ありませんでした」



やはり、いつものヨハンではいられない空間なのだろうか。

せわしなく動く眉と口元。

目の前で頭を下げた老執事。

しかし、単に謝罪だけをしている様には感じ取れない空気。

対面からは、大きなため息を溢すハイネス。

表情は和らぎ、視線はヨハンの皿、そしてヨハン、老執事へと続く。



「爺、デザートはわかりました。

 ヨハン殿、お出ししても構わないですね?

 それと爺、私はもう少し食べたい。パンとジャムを頼む。

 ヨハン殿もどうですか?」



ここに来て無意識とは言え自らの癖にヨハンは顔を赤くした。

返答に困り俯くヨハン。

対するハイネスはヨハンの返答を待つことなく老執事に言伝し下がらせる。

老執事の退室を確認し、ヨハンに掛けられる声は優しく明るい。



「すみません、気が利きませんでしたね。

 フフッ、砂漠の果実を煮詰めたジャムがあるんですよ。これがパンに合うんです。

 ヨハン殿、ご一緒して頂いても構いませんか?

 甘みの中に酸味が利いていて、

 きっと気にいって頂けると思いますよ。フフッ。」


「は・・・はい。ありがとうございます・・・」



ヨハンは、皿の上で内部を抉られたパンを見つめ小さくため息。

感情が理性の傍らで独り歩きしたことを静かに戒めるのだった。


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