密偵である前に
簡素な窓辺に差し込む光はまだ微かだがやけに強く、朧げな頭を目覚めませる。
一番鶏の類だろうか、どこか間抜けな雄鶏の声が混じりヨハンの口元を和らげた。
いつもなら主人を起こしに王城の廊下を歩いていただろうが今は違う。
手持無沙汰に眺める日の出、何気なく啜るコーヒは妙に苦く感じた。
目覚め切った頭は、急かす様に手帳を開かせた。
独りになった為なのか、もしくは主人の癖が憑依でもしたのか。
「ここからだと・・・町の中央を目指して・・・
あっ、そう言えば何が好きだったかしら。
ん~・・・・手持ちは・・・よし、問題なし」
路銀の入った革袋に再び綿を詰め口を閉る。
主人に貰った飾らない手鏡と櫛で身なりを整え始めた。
再び着慣れてしまった冒険者風の装い。抑えめの化粧。
しかし、淡いピンクのルージュが少しだけが主張する。
日が東の空に上がる頃、旅支度を終えたヨハンは宿を出た。
向かう先はエルグリムの商店街。
活気といえば王都程とはいかないものの、
伊達に王位継承権を持つ貴族の町ではない。
しかし雰囲気だけは今の王都を凌駕していた。
「おっ、冒険者の姉さん! どうだい東方の食材だぜ?
どれも、し・・新鮮の乾物。水で戻せば出汁にも具材にもなる優れモノだ!」
「・・・新鮮って・・・フフッ。」
気軽にかかる客寄せの声。
一瞬視線を飛ばすが、手を振り先を急ぐ足。
その姿を気にすること無く、次の客を探す乾物屋。
流れる空気に重さは無く、在るのはただの日常。
それほどまでに人々の心は荒んでいない。
進む足は芳ばしい香りを見つけ、それに導かれる様に従う。
店の戸を開くと心地よいドアチャイムの音が響き渡り、それを店員の声が追う。
「いらしゃいませ!」
「フフッ、小さな店員さんだな」
「いらっしゃいませ、何をお探しですか?」
舌足らずの小さな店員を優しく撫でるヨハンに優しい視線と柔らかな声。
誘われる様にヨハンの視線は、パンや焼き菓子の並ぶカウンターへと戻る。
足元は判らないが、視界に入る姿から食品を扱う者に適した装いだろう。
エプロンを付け、いかにもその筋の者の姿。もちろん印象は頗る良い。
ミントグリーンの髪を左耳側へ流し、一つに束ねている。
続く声は更に印象を強める様にやさしく穏やかだ。
「フフッ、良くできましたね。アチェ。
あっ、いけませんね。お客さんを置いてけぼりにしてしまいました。
お姉さんは・・・ん~冒険者さんですね!
じゃぁ、これなんかどうでしょうか?」
ほんわかした雰囲気のままだが、会話の主導権を握る姿はやはり商売人。
しかし、ヨハンの求める物は、決して乾パンなどでは無い。
苦笑し、一瞬視線を外すヨハンは少し頬を赤らめる。
「いや・・・・探しているのは、葡萄の乾物を使った菓子なのだが・・・・
ん~・・・この辺の特産で、ラム酒で漬けたヤツなのだが・・
すまない、名前が出てこない」
投げられた声に女主人も腕を組みし首を傾げ悩むことしばし。
沈黙を破る第一声は小さな店員からだった。
「はは! ラムレーズン!
りょーしゅのムスコ好きなヤツ! バウンドケーキ!」
「「それだ!」」
無駄に被る二人の声。
一瞬顔を見合わせ小さな笑いが起こる。
ヨハンは、口元を手で隠し咳払い。
空気を商談に戻し注文を続けた。
「主人、そのバウンドケーキと言うのは置いているか?」
「はい、ございますよ。フフッ」
「どうした?何か私がおかしなことでも?」
嫌味の無い微笑みに眉を顰めるヨハン。
しかし、返るのは屈託のない笑顔と謝罪。
「いえ、訂正しなかった私がいけなかったんです。
実は、” バウンド ” では無く " パウンド " なんです。フフッ。
うちのアチェがごめんなさい…いえ、私のせいですね。
あっ、意味はよく解りませんが・・・
確か、どこかの国の重さを表す言葉とかだったか・・・
説明が足らず、すいませんでした」
深く頭を下げる店主。それを真似しペコリと頭を下げる幼女。
そこには、やはり嫌味も屈託も無い。
対応に焦るヨハンだがだが、王城勤めは伊達手はない。
丁重にそれ収拾し話を続けた。
「いや、気にしないでくれ。名を忘れてしまった私に被がある。
では、それを頂きたいが・・・包んではもらえないだろうか?
できれば、見栄えがすると良いのだが・・・」
女店主は腕を組み一瞬悩む。
そもそもこの店の格式は高く無く、いわば ” 下町のパン屋さん ” 。
貴族が好みそうな無駄に値の張るそれでは無い。
しかし、目の前で少しだけ感情を出す女冒険者を見つめ意を決した。
「期待に沿えるか判りませんが・・・フフッ。
お姉さんの想いを伝えられる様に私頑張ります!」
「いや、想いなど・・・・・・すまない、頼む」
有無を聞く前に店主は奥へ消えた。
ヨハンが、そこに残された幼女と戯れること10分程度。
女店主は小綺麗なバケットにパウンドケーキを詰め戻った。
会計を済ませ店を出るヨハンへ女店主は声を掛ける。
「私、伝わると思います。」
「フッ、私など・・・・・そうだと良いな。
ありがとう・・・・ええっと」
「私、エラって言います。
良かったらまた寄ってくださいね。
ええっと・・・・」
ヨハンと同じように眉を顰め悩むエラ。
逆光に姿を消すヨハンからは優しい声が返る。
「エラ、ありがとう。 私の名はヨハンだ」
光に包まれていくヨハンに手を振るエラとアチェ。
ヨハンは、大通りに戻り一際大きな屋敷へと足を向ける。
そよぐ風は、優しく彼女の背を押す様に吹いていた。




