情勢を見つめる天日
力強く振り下ろさせた鍬は、容易に畝を作っていく。
作業の進みとは裏腹に農民農奴から吐き出される重苦しいため息。
汗を拭い太陽を望む表情は不安以外何もない。
「もう雪解けの季節というんに・・・厄介な・・」
「せやせや・・・お天道様が弱っても地代なんぞ変らんからな」
「まったくね。変わらなければマシかもね。アハハハッ・・・ハァ」
叫ぶような農奴たちの会話は人目など気にしていない。
そんな領主国家に対した訴えにも似た声を咎める者はその風景には無かった。
一台の馬車は、辛うじてその存在がわかる石畳の道を進む。
幌の張られた乗合馬車は雑に乗客の尻を突き上げる。
そこには黄色い声などあるはずもなく、聞こえるのは御者への野太い罵倒だけ。
「ジジイ、シャンと走らせろや! 棺桶前のババアのがまだフラつかねえぞ!」
元より風通しのいい空間ではなかったが、王都から離れる毎にそれは加速する。
重苦しく濁る空気に眉を拭染める人影は、纏うマントの胸元を握りしめた。
一見若い冒険者にも映る佇まいだが、気軽に話せる空気はない。
しかし、その圧とは裏腹に見る者の意識には何故か残らない。
マントの冒険者は、乗車口で流れる光景を眺め小さくため息をつく。
「ベーゼン様・・・・部屋を綺麗にしているだろうか・・・頼むぞラスティ」
ヨハンの吐いた小さなため息から半月、裁判からは半年以上も過ぎている。
未だにエルタニア王家が王都に訪れたと噂はない。
宿に併設された食堂でパンをほじくるヨハンは、小さな手帳を眺めていた。
内容は大したことは無い。
ベーゼンの作った小さな地域地図とヨハンの書いたメモ。
ほじくったパンを摘み、作業の様に口に運び食む。
彼女には主人の様な独り言は無い。
食事を終え、席を立つヨハンは視線を店主に向けた。
「んっんん・・店主、勘定を置いておく・・・ご馳走様」
「あいよ、あんちゃん。お粗末さん!」
竹を割ったような店主の声。
景気の悪い世の中でもと感じさせるそれはヨハンに小さな笑みを与えた。
ヨハンは宿を後にし、変らぬ乗合馬車で目的の領地を目指す。
変らぬ空気で緑が増す風景を進む馬車。
ガタゴトと進む車内に迷い込む黄色い羽根の蝶はヨハンの視線を奪う。
フワフワと舞う蝶、食後の適度な揺れ。
それは意外にもヨハンの意識を現実から闇へと引くづり込んでいった。
仄かに浮かぶ淡い風景。
聞こえる声は、いつもの明るく理屈っぽい。
「何よ・・・私、変なこと言ってないわよね?」
そこに在る光景は、王都を出る前日。
主人の部屋での会話だ。
ヨハンは王都で調べた情報を主人に報告していた。
その中で、過去を思い返し感慨を感じていた時の事だろう。
いつからか間諜としての仕事は減り増えたのはメイド業。
久方ぶりの情報集めとその報告、思い返せば10年程は無かった。
主人が完全に娘に代わってからは皆無だった仕事。
目の前では、眉を顰めジトッとした視線を送る主人。
「ねぇ、ヨハン? 聞いてる?」
「いえ・・・・あの頃のベーゼン様を思い返していただけです。
年月とは、なんと残酷なものかと・・・」
ムッとするも、ため息と共に苦笑いへと変わるベーゼンの表情。
その視線は、ゆっくりとガラス越しに遠くの雲へと移った。
「ヨハン、気を付けてね」
「はい、ベーゼン様。
ベーゼン様・・・私が居ないからと言って──────」
ベーゼンへ向ける言葉は、母親の様な言葉ばかり。
無意識とは言え、思いやりから来るものなのだろう。
しかし、相手のベーゼンもそれなりに年を重ねている。
苦笑いから元に戻るベーゼンの表情。
表情をそのままに、視線を雲からヨハンへと戻す。
言葉の無い訴え、そこに在るベーゼンの小さな笑顔。
ヨハンは口を止め、小さく息を吐き主人と同じ様に笑顔を返す。
「ベーゼン様、私が戻るまで無茶はしないでくださいね。
それでは失礼致します」
丁寧に扉を閉めると辺りは闇へと変わる。
遠くからは、ベーゼンの声がかすかに聞こえた。
「あんちゃん・・・あんちゃん起きてくんなせえ。
着きやしたよ、終点のエルグリム」
そこには主人など居ない。
聞こえていた筈の声色は、しゃがれたオヤジの物に代わっている。
ハッと意識を引き戻し、辺りをそっと見渡すヨハン。
目の前には皺が深く刻まれた年寄り男性の顔。
心配そうに見える表情は、周りを調子づかせる材料にはなりえる程。
ヨハンは、小さく息を整えると口を開く。
「んっんん・・・有難う爺さん。私はどのくらい寝ていたんだ?」
「着いてから大して経ってねえですよ。
そうじゃな・・・・ほれ、この長いのが・・・この印をひとつ進んだ程度」
ヨハンはオヤジの見せる懐中時計型の魔導具を覗く。
それは、主人の研究所から広がった技術が使われた物の一つ。
カチカチと進む針にヨハンの表情から緊張を僅か和らげた。
「そうか・・・長居してしまったな」
「まだ日も高ぇで、宿も取れるだろうさ。気ぃ付けて行けや」
ヨハンは手を振る老人に会釈し、宿の立ち並ぶ通りへと足を向けた。
王都から南方に位置するエルグリム領だが、やはり雪解けの季節とは言えない。
雪こそないが、ただそれだけ。
ため息を吐き捨て太陽を見つめるヨハン。
その瞳は何処淡い希望を求めていた。




