想い涙
窓を叩く風音がやけに耳障りに感じた。
最近は、楽しみの一つだった中庭へと続く回廊も嫌に心を重くする。
ベーゼンは無意識に中庭のガゼボに視線を向けた。
幻影だろうが、そこにはいつもの様に手を振る騒がしいフェデルテ。
そして騒がしい従者の姿に優しく微笑むイセリナの姿が浮かぶ。
ベーゼンは眉を顰め唇を噛む。
強く握りしめられた白い手は所何処を紅く染めた。
ドサッと背中にぶつかる重さに続き現実に引き戻す声。
「姉ちゃん、急に止まって・・・・
わかるけど・・・・わかるけどさ・・・・
僕達には何も出来ないよ・・・・アイツだって・・・」
「トゥーン・・・ごめん。 私がこんなじゃダメね」
いつものベーゼンなら自身の両頬を叩くだろう。
しかし、その勢いはない。
肩を落とすベーゼンは、トゥーンに背を押され、城内の自室へと歩を進めた。
すれ違う城仕えのメイド達は、すれ違う時は礼儀良い。
しかし、暫く経つとクスクスと聞こえる声。それはトゥーンをイラだたせた。
トボトボと進む脚は一つの扉の前で止まる。
無駄に重く感じる扉は、パトリックの店の扉を開く時とは真逆の感情。
ため息と共に開く扉。
中では、パタパタとはたきを振るうヨハンの姿。
それは、ベーゼンの重い心を少しだけ和ませる。
変らない風景、変らない表情、ただそれだけ。
何でもない光景なのだが、悩み苦しむ者には癒しにもなりえた。
視線に気づくヨハンは、視線を返し目を細める。
「どうしたんですかベーゼン様・・・
こちらにハンカチがございます・・・・・あれ?
ん~・・・トゥーン出しなさい」
「はいはい、ほら姉ちゃん」
「えっ・・・・私はこういう状況も好きですが・・・
子供の前では・・・・ってベーゼン様・・・」
「ごめん、ちょっとだけ泣く・・・・・」
ベーゼンは、何も出来なかった悔しさを晴らす様にヨハンの胸に顔を埋めた。
トゥーンは空気を察する様に、残りの荷物を城下へとトリに戻って行く。
静かな時の中でベーゼンの頭を撫でるヨハンの顔は意外にも真面だった。
暫く経つと、ベーゼンはヨハンに悲しみの笑みを向ける。
「急にごめんねヨハン。
私って弱いね・・・・・・よし!」
パンッと部屋に響く音、少しだけ晴れるベーゼンの両頬。
苦笑いを浮かべるヨハンは、自然治癒力を強めるポーションで布を湿らせる。
「ベーゼン様、ダメですよ。
頬を赤らめていたら、何を言われるかわかりません。こちらを」
「ハァ・・・・ありがと」
ベーゼンは、雲に隠れた太陽を眺め数日前の出来事を思い出す。
嫌な思い出程鮮明に思い出されるものだ。
それは、イセリナに招かれたいつもの食事の席。
イセリナの体を労わる様に場所は彼女の部屋である。
視察から数えて数回目の席だった。
勢いよく開く扉。ノックなど無い。
部屋に響くフェデルテの低い声。
「無礼者!ここは第一王子妃イセリナ様の部屋。
間違いならヨシ。そうでないならこのフェデルテが剣の錆にする!」
「煩い小娘!! 貴様は下がっていろ。
さもなくば貴様の言葉、そのまま返させてもらう」
衛兵であることは理解できる服装。
城内の事に明るくないベーゼンだが多少の知識はあった。
眉を顰め衛兵長らしき男に視線を向け口を開く。
「あなたたちは、ここに礼儀無く立ち入って良い理由があるのですか?」
ベーゼンの言葉は一瞬男をたじろがせたが男は鼻で笑う。
その瞬間ヨハンは、二人の間へと割り込むように入り腰に手を当てた。
ヨハン越しに聞こえる声には虚偽など無いと言わんばかりに自信に満ちていた。
「宰相様の命令だ。勿論、王も了承済み。
イセリナ様、貴女には国の安寧を乱す嫌疑が掛けられております。
我らはここで騒ぎを起こす気はない。同行を願う・・・よいな」
衛兵長らしき男の視線は、イセリナから二人のメイドに向けられる。
当然の様に男の手は腰の剣の柄に軽くかけられていた。
その姿にフェデルテは、状況を理解したのか体制をそのままに一歩下がる。
しかし、ヨハンは変らない。
彼女の姿に衛兵長の表情は重い。
「おいメイド。我々は公務でここに居ると言っている」
「ではその言葉、その柄から手を引いて聞かせてもらおう。
出来ぬなら、私は私の主を守るのみ。
貴殿の状況が変わらぬ限り引く気はないぞ」
ベーゼンからは彼女の表情が伺い知れない。
しかし、その声色はいつものそれとは違い重く低い。
それは殺気に満ちた空気がそうさせている。
だが、その空気は1人の声により変化した。
「やめてください・・・コホッコホッ。
私は彼方方の公務の邪魔をする気はございません。
同行いたします。
同行いたしますので、その手をお納めください・・コホッコホッ。
それに、ベーゼン様は何も関係が無いはずです。
私だけなら、彼女の従者に敵意を向ける必要はないのではないでしょうか?」
イセリナの言葉に衛兵長らしき男は剣の柄から手をはなす。
そして彼女を誘う様に静かに頭を下げた。
それを確認したヨハンは静かに腰から手をはなす。
しかし、ベーゼンの前から退くことは無かった。
扉に吸い込まれていくように消えるイセリナ。
彼女は、これが最後の別れかの様に静かに声を残した。
「ベーゼンさん、私・・・ベーゼンさんとご一緒出来て幸せでした。
また・・・また、お茶を致しましょ・・・・コホッコホッコホッ」
振るえるような声は、自分の状況を理解している様だった。
しかし、その状況を招いた要因など理解している筈がない。
何かを企てる程の行動範囲も顔も広くはない。
それは、農村の村娘ですら知っている。その程度の姫なのだ。
しかし、嫌疑がかけられ連行される者の末路を知らぬ程哀れな姫ではない。
彼女の姿が見えなくなる頃、部屋ではフェデルテが跪き項垂れた。
何も出来なかった事に嗚咽を孕み涙を流す。
「・・・・なんで・・・・何でこんな時に・・・・
イセリナ様には・・・・・なんで・・・・何でだよ・・・
あの方は、幸せになってはいけないのか・・・・」
呟きの様な声は全てを聞き取ることは出来ない。
しかし、フェデルテの感情を理解できない者はこの部屋には居ないかった。
ベーゼンは、顔の温かさに対比する様に背筋を冷やす廊下の冷気に唇を噛んだ。
静かに爆ぜる暖炉の炎は嫌に赤黒く脳裏にこびりついた。




