思い出に今を想う
陽が昇る少し前、二人の男女が見晴らしのいい丘で東の空を眺めている。
二人の視線の先には、少しずつ白け始めるごくありふれた風景。
雲海平線に沿ってゆっくりと広がる光の筋。
満ちる陽の光と共に溢れる二人の笑みは互いの心を温める。
「・・・・あぁ、こんなに美しいなんて思ってなかった。
お兄様、起こしてくれてありがと」
「朝もいいね。フフッ、気にしなくていいよ」
二人の視線は、少しずつ姿を見せる太陽を捕らえ続けている。
周囲には同じように眺める者、手を合わせ何かを願う或いは感謝する者の姿も。
ベーゼンはその姿に口元を緩め、信仰の根幹を感じ思う。
(空が近いから、神様に届くって思うのかな・・・
存在する相手に対してって思うと片想いみたいね・・・
でも、信じたくなるのもわかるかも・・・届くと良いな、フフッ)
珍しく感傷に耽るベーゼンだが、
環境の影響だろうか頬を擦る風は余りにも強く冷たい。
手を擦り自らの息を吹きかけ暖を取る。
その姿に、兄アイネスは優しく手を差し伸べた。
「風が刺すように冷たいね・・・ほら、こうすると温かくなった」
「ありがと、お兄様。
これは、どうされたんですか?
パトリックさんって訳じゃないですよね?」
兄アイネスは不思議な意匠の手袋をつけ、ベーゼンの両手を優しく包む。
ベーゼンの手が包まれた瞬間から風の当りは和らぐ。
さらには、体が少しづつ優しい暖かさに包まれていくのが分かった。
そして、不思議な意匠の手袋には微力の魔力を感じる。
アイネスは、口元を緩め視線を後方へと向けた。
「ヨハンだよ。父上が寄こしていたみたいだよ。
昨日の夜だね、部屋に来てベーゼンに渡してくれって。
フフッ、そう言えば、ベーゼンには内緒にしてって言ってたかな」
「まったくお父様ったら・・・・もう。
" この件は、お前の成長の為にいい機会だ。
よって、ヨハンを伴う事を禁止する "
だなんて言ったくせに・・・お父様はぁ」
「フフッ、父上はベーゼンに甘いからね。
あれ、もう効果が切れちゃった・・・・
はい、ベーゼン。君なら魔鉱石なしで扱えるよ。あと、これもね」
父親の真似をするベーゼンに、笑いを返したアイネスは手袋を渡す。
そして、羊毛で出来たた耳当て付きの帽子を優しくベーゼンに被せた。
「これは、昨日お店にあった帽子・・・フフッ、お兄様ありがと」
「うん、あんな表情で見てたからね。買ってきて正解だよ。
いい表情だよ、ベーゼン。色も素敵だし似合ってる」
ベーゼンは想い返す。日の出に手を合わせていた商人らしき男の姿。
(" 早起きは三文の徳 " って、どこかの国で言われてたけど、
" 早起きの鳥は虫を捕まえる " だろってよく言い返していたわね・・・
フフッでも、信じてみるのもいいかもしれないわね)
薄れゆく過去の記憶の格言だが、昔擁いた感情と今は違う。
当時は、朝方の生活が社会では効率的である事や、
物事は早い者勝ちだと考えていた。
しかし、全てが変わった今は少しだけ変っていた。
直接起因する事ではないが、ベーゼンは睡魔と仲がいい。
彼女曰く、睡魔と布団が彼女を離さないらしい。
それは、過去の自分とは違う。
当時は、周りに対し警戒する様に意識を張り、他者の言動や物事を疑う。
その一方で、社会の中で自分のあり所を作らなければ生活など出来ない。
だが、幼少期に愛情や信頼の価値を知る事が出来なかった者にそれは難しい。
しかし、今は違う。ここには孤独ではない自分がいる。
だからだろう他人を頼り、見えない存在に祈る事を愚かだとは思わない。
或いは、それも良いモノだと感じる事が出来る。
ベーゼンの自身の変化を想い返す表情は、その年齢には似合わない。
アイネスは首を傾げ、その表情の変化を心配し声を掛ける。
「ベーゼン? 大丈夫かい?
お腹でも冷えちゃったかな、そろそろ宿に戻ろうか」
「えっ・・・いえ、大丈夫ですわ、お兄様。
フフッ、戻りましょ。朝食はジャガイモのポタージュですって」
笑顔を返すベーゼンは、兄の手を引き宿へと足早に駆ける。
そんな姿は、昔の自分が見たら赤面するだろう。
実際に、当時された時は嬉しい反面、恥ずかしかった。
それを今の自分はやっている。
全ては変化し、過去の記憶が薄れていく事に何処か寂しくも感じる。
しかし、それを良く思う自分自身もまた存在した。
朝食を終えた三人。その場にはもう一人の旅人が食事を終えようとしている。
その姿を見るベーゼンには、少しだけ悪戯な悪魔の顔が出そうとしていた。
兄はその表情に対し、ゆっくりと顔を左右に振り意を返す。
しかし、若さとは浅はかだが、羨ましく思われる一面がある。
それは無駄な自信と行動力の高さだ。
思考さえも抑え呑み込む感情の波は、彼女を突き動かす。
「お姉さん、お一人で冒険ですか?」
1人で食事する女性は、顔の輪郭のみ知り合いに似ていた。
ショートカットの知人だが、目の前の彼女はロングの髪を後で一部纏めている。
肌の色も浅黒く、目の形も違う。もちろん声もやや低い。一般には別人だろう。
しかし、その独特なパンの食べ方をベーゼンは見逃さない。
前情報を兄から貰っているとはいえ、その所作は彼女以外にあり得ないのだ。
パンの表面を残し、ほじくる様に中を摘まみだし口に運ぶ。
行儀が良いとは言えないが、ベーゼンは可愛らしく思う。
他人のはずの目の前の女性は、視線を反らし声を返す。
「・・・えぇ、1人よ。 静かに食べたいの。用がないなら、そっとしておいて」
そのよそよそしい姿にベーゼンお口元は歪む。
視線を向けない女性も知ってか知らずかさらに視線を反らす。
獲物を捕らえた悪魔は笑みを浮かべ告げる。
「フフッ、用はあるわヨハン・・・ もぉ、来てるなら言いなさいよ。
お父様には言わないから、一緒に食べよ。みんなで食べる方が絶対美味しいわ」
「わ、わたしは、お前など知らないし、ヨハンなどというメイドではないぞ!」
変装を見破られた事に動揺し墓穴を掘るヨハンの頬は少し赤く染まる。
それを見る悪魔の表情は、玩具でも見つけたように明く闇深い。
遠くの席では、苦笑を浮かべる兄アイネスと、フォッフォッと笑うパトリック。
悪魔は、動揺するヨハンの顔をまじまじとニンマリ見つめる。
「ヨハンって、やっぱり器用よね。
今度、化粧教えてよ。完全に別人だもん凄いよ」
「私はヨハンなどでは・・・・ハァ。
わかりましたよ、お嬢様。私の負けです・・・・
ですが、どうか旦那様みはご内密に」
悪魔は勝ち誇った様に胸を反らし笑みを強める。
そして取引を持ち掛けた。
「いいわよ。さっきも言ったけど、化粧の講師で手を打つわ。いいわね?」
「・・・はい、お嬢様」
ヨハンは、自分の無意識な癖を恨む。
そして、屋敷の屋根裏で飼っていたネズミを思い出し、ため息をつく。
気を取り直しつつ、3人の席へと移動するのであった。




