天空の町
乗合の幌馬車は山道をガタゴトとゆっくり進む。
鉱窟の町クルシュノを出て2日目、旅路は何事も無く順調だ。
しかし、老人の体には脅威以外の何ものでもない。
今朝発った小さな町を出てからは、不調を加速させるだけ。
向かう先のチェーゼは、天空の町を呼ばれ高地に築かれている。
その為、標高は高く肌寒さは増し、厚手のマントが手放せない程。
その上で、この道の悪さ。年寄りの腰には特効、悪い方へ大きく偏るだけだ。
さらに追い打ちと言わんばかりの空気の薄さ。
老師は、ただのお爺ちゃんにすら成る事を許されない。
「フォッ…フォッ‥ゴホッゴホッ‥うっ、こりゃ敵わんな・・・
のう、ベーゼンや、儂・・・帰ってええかのぅ」
「んん~・・・パトリックさん、あれほど飲むなって言われてたじゃない!
も~ぉ、お兄様も言ってやってください。自業自得だって」
眉を顰め残念なモノでも見る表情のベーゼン。
視線を向けられたアイネスは、苦笑いしか返せない。
町を出る際に、御者からは注意があった為だろう。
アイネスは頭を掻き、意志に反して思い出す。
『ここからは標高がさらに高くなるからさらに冷え込むぞ。
死にたくなきゃ、しっかり着込んどけよ。
だがな、酒は絶対に飲むなよ。厳禁だ』
しかし、老人は持論を展開した。
『酒は百薬の長じゃ、飲めば体もポカポカじゃしな』
提唱した老人の現状は真逆。
腰は経年劣化で曲がっているが、腰痛持ちでもないパトリック。
その為、温めるのは逆効果。
さらに、アルコールにより血管が拡張され鼻はつまる。
ただでさえ空気は薄くなっているのにだ。
挙句、酔いのまわりだけは高地のせいか早い。
これでは " 百厄の長 " 、" 万病の元 " である。
アイネスはため息をつき、背蟲の様に丸くなる老人の背を擦る。
「パトリックさん、果実水です。酔いにはこれが良いですからね。
寒くても飲んでください・・・ハァ」
「ったく・・・・だから言ったじゃねぇか。
なぁ爺さん。 " 年の甲 " だか何だか知らんけどよぉ。
御者の俺らは、この道を何年も往復してんだぜ。
その道のプロの言葉は信じようぜ・・・ホレ、これ噛んどけ」
御者の片方が、介抱されるパトリックに乾燥した葉を渡す。
その葉を見る猫種の獣人は、若干犯罪めた表情を浮かべる。
御者はその獣人を払う様に手を振る。
「アンタらには薬にはなんねえよ。変な酔い方するだけだ。ほら、席についとけ。
じゃあな兄ちゃん、なんかあったら言ってくれよ。俺は前に戻るからな」
前方の席へと戻る御者の片割れ。
見送るアイネスとベーゼンは頭を下げる。
ボロ雑巾の様に項垂れる老人は、それすらする余裕はない。
残念な空気の馬車は、それでも山道を粛々と進んだ。
3日目の夕方、予定通りにチェーゼの町に着く。
3人は2人の御者に礼を言い宿を探す事に。
圧迫感のない街並みは、自ずと景色が良く見える。
沈みゆく太陽は、雲海と空の境に雲海平線を成す。
項垂れた老人を他所に、兄妹二人の瞳は輝く。
「・・・・・すごい・・・お兄様、来てよかったですわ。
旅って良いモノですわね。こんな素敵な景色・・・初めて!」
「・・・・そうだね・・・・本当にすごいよ。すごく綺麗だ・・・・」
高地の風は冷たく、二人の距離を縮める。
それは、何処かクルシュナのお節介な雑貨屋の女店主の様だ。
アイネスは、景色に感動するも体を震わすベーゼンの肩を抱きマントで包む。
ベーゼンは視線を向けるが、彼の視線は雲海に沈む太陽を見つめる。
それはベーゼンの疑念を掻き消し、同じように太陽を見つめさせた。
太陽の頭が雲海に沈んだ頃、二人は我に返る。
「ベーゼン、震えていたから・・・嫌だったかな」
「いえ・・・そんな・・・。ありがと、お兄様。暖かいですわ。
素敵な景色でしたわね。きっと良いことがありそうですわね」
アイネスは、ベーゼンと同じ陽の残り香へ視線を戻す。
後方では、荷馬車から粛々と荷物を降ろす行商と御者の姿。
余韻を残しながらも現実に戻るアイネスは、ベーゼンの肩を軽く叩く。
「もう少しすると真っ暗になっちゃうね。よし、宿を探そうか。
パトリックさんも少しは良くなったかな」
「フフッ、そうですわね、お兄様。探しましょ」
夕闇が街を包む頃、行商人の姿も消えた。
3人は何とか宿をとることができ、今は食堂で暖を取る。
しかし、その場には二人だけ。
予想通りだが、パトリックは部屋で泥のように眠る。
パチパチと音を立て揺れる暖炉の炎。
ベーゼンは視線を炎に向け明日を想う。
見つけなければならない人と、その先にある問題。自ずと表情は重い。
一方、意識の外では兄アイネスと店主が会話している。
「待たせたね、山羊肉の香草焼きと、豆とジャガイモのスープだ。
熱いうちに食べてくれよ、冷めちまうと味が落ちちまうからな。
高地じゃあんまり温度が上がらんから、すぐ冷めちまう」
「ありがとう。スープが茶色いのは、この辺の香草ですか?」
店主の眉は一瞬上がり瞳は光る。
一方、深入りしたことにアイネスは苦笑い。
「おう、あんちゃん。これはな、香草から来るの色じゃねえんだぜ。
この辺じゃ、ジャガイモを昼夜の寒暖さで乾燥させて保存食にするんだ。
そんで、そいつを煮だすとその色になるんだ。
芋のに出す前は石みてーに硬えがよぉ・・
騙されたと思って食ってみな、ぜってぇ飛ぶぜ」
「へぇ~、そうなんですか。
寒暖差ってことは、夜はもっと寒いんですか・・・」
アイネスの食いつき先に眉を顰める店主。
しかし、会話しつつもアイネスはスープの芋を口に。
「・・・っおおぉ。 面白い!プルンプルンですね」
「ハハッ、うめぇだろ。
そうだなぁ・・・まぁ夜はクソ寒いな。
だが、そのせいかは知らんが、外から来た連中は口を揃えてスゲェって言うぜ。
後で外出てみな。フッ、堪んねぇからさ。
呆けてる・・奥さんか? 一緒に行きゃあ、良い思い出だ。
食ったら声かけてくれや。じゃぁ、ごゆっくり」
料理を出し終えた店主は、カウンターの奥へと消える。
アイネスは視線をベーゼンへ向け、先ほどの話をベーゼンへ。
ジャガイモを口にしたベーゼンの反応に、アイネスは笑みを浮かべる。
料理の話や翌日の話を交わし食は賑やかに進む。
独特の味に舌鼓とまでは行かずとも、丁寧に調理された料理を堪能した二人。
店主に声を掛け、彼の思惑に従い宿の外へ。
二人はそこで呆然と立ち尽くす。
「「さっぶ・・・・・・・・・・・!!!」」
言葉など、そこに在るはずがない。
天空の町と言われる所以がそこに在る。
澄み切った夜空は、その先が不安になるほど闇深い。
しかし、そこに在るのは宝石をばら撒いた様に美しく輝く星たち。
立ち尽くす二人は、どちらともなく静かに寄り添う。
そっと繋がれた手は、互いの存在を強調させる。
ただ、そこに在るのは慈愛や兄弟愛だとベーゼンは思う。
静かに刻まれる時間は、二人に希望を見せている様だった。




