残香と馥郁
影が流れ日差しが戻る丘は静かだ。
昼下がりの空気は優しく暖かい。
ベーゼンとジェラールの視線は交わされることは無いが、
重たく暗い空気はまるでない。
ジェラールの口調は以前に比べ少しだけ和らい。
「他言はない。私がそう呼びたかっただけだ」
ベーゼンは影に覆われるが、やがて日差しが戻る。
見上げる先にはジェラールの背中。
思考は未だに混乱が残る。
「ジェラールさ─── 」
遠くから聞こえる力強い声。
そこに下品さはないが、ベーゼンの声をかき消す。
彼女の口からは、その先の言葉を繰り返す程の力はまだない。
力強い声は、彼女に気を遣う事無くジェラールへと向かう。
「やはりここの丘はいいな。 陽が近く感じる」
「フフッ、王子はいつもそうね。 っんんーいい風。
ねぇ王子、あれって・・・」
「んっ? あぁ、その様だな。珍しい。
おおーい、ジェラールではないか!」
二人連れの獣人は異種間でも判るほど笑みを溢しジェラールへと近づく。
浮かぶ表情は、外交の様な公的な感情ではなく私的に思えた。
ベーゼンは再び陰に覆われる。
視線の先では、ジェラールより頭一つ分大柄な狼獣人が笑う。
足元は大きく露出したサンダルの様なモノを履き、風体は貴族というより冒険者。
どこか蛮族の様に肌を露出している。
風に靡く被毛は一般的な狼のそれよりも暗く全体的に威圧感があった。
その一歩後ろで頭を下げたままの女性も獣人だが別種族。
口元は同じように鋭いが、輪郭は横長のひし形。
毛並みは美しい淡い白黄金と白でフワフワとしている。
ベーゼンは初めて見る人種だが知っていた。
過去の記憶から狐の獣人であると判る。
王子と呼ばれた狼と同じように露出度は多少高いが下品ではない。
頭に掛けられたベールは美しい刺繍が施され、気取らない程度に首元を装飾している。
サリーにも似た服装は赤を基調とし、妖艶な彼女の表情を引き立てる様に思えた。
ベーゼンの意識外で彼らの会話は進む。
「ひさしいな、ルーシアにルヴァーテ姫。
また、評議会に物言いか?」
「良く言う、俺はお前程細かくはないさ。
今回は評議会ではない。商業組合に用だ。
お前はどうした?書庫蔵から出るなど、これから空は荒れるか?」
ルーシアの言葉に、上品に笑う姫に嫌味は無い。
ジェラールは笑みを浮かべ鼻で笑い飛ばす。
「フッ、お前は教養を付けろ。書庫蔵ではなく図書館だ。
言っておくが私は細かくはない。
情報は正確に伝えるべきだと考えているだけだ。
正すべきは、そうすべきではないか・・・
まぁ、今日は君の様に羽を伸ばしているだけだがな」
ジェラールは、口もを緩めルヴァーテに視線を向ける。
対するルヴァーテは、ジェラールの視線や動作から意を察した。
そして彼女の視線は、ジェラールが守る様に立つ先の女性へ。
「ジェラール様を動かす方が現れたのですね。
フフフッ、騒動が起きなければいいのですが・・・
これも、主神ヴェスティア様のお導き。
お嬢さん、お名前は?」
ベーゼンの意識外から予想だにしない言葉と視線。
浴びせられるような視線に優しい声が混じる。
「ベーゼン、すまない。 私の友を紹介するよ。
彼らは、連合国の一国ヤーハンの王族。
ルーシア王子とその妻であるルヴァーテ妃だ」
ベーゼンは手を差し出され挨拶を促される。
優しく差し伸べられた手に身を委ね立ち上がる。
思考など混乱しかない。
一介の貴族、それも家督でも何でもない令嬢。
相手は、大国を代表する者達。
ベーゼンの思考は停止。
嫌々ながら叩き込まれた淑女の嗜みは、人形劇の傀儡の様に彼女を動かす。
「ルーシア王子、ルヴァーテ姫・・・
ベ、ベーゼン・ヴィアファブリックにございます」
ドロワーズのふくらみを摘みお辞儀する姿は彼らに不思議な笑みを生んだ。
しかしそれは、彼女の緊張の糸を少しづつ緩めた。
名前を聞いたルヴァーテは一瞬瞳を大きくし手を叩く。
「フフッ、可愛らしい方。少年みたい。
・・・んっ?ベーゼン・・・ベーゼン製法・・・
貴方もしかして・・・金剛魔石の?」
質問は彼女に疑問符をあたえるが、続く鉱物の名で彼女の思考は動く。
混乱から復帰したベーゼン。瞳孔は大きく、そして口元は緩い。
「金剛魔石のカット製法ですね。
そんな名前になっていたとは・・・はぁ・・・
はい、姫様の考えで間違いありません。
そのベーゼンにございます」
異国の姫は、やっぱりかと小さく数回頷き、ルーシアに視線を送る。
しかし、異国の王子には疑問符しかない。
彼は託された視線をジェラールへと飛ばす。
ジェラールも同じ表情だが、その沈黙を断ち切る。
「ベーゼン、君はただの魔術士では無い様だね。
やはり、僕は君の見る未来を一緒に見たい。
ルーシア、ベーゼンが私を図書館から出してくれたのだ。
大げさかもしれないが、彼女が私を変えた」
笑みを浮かべ彼女を見つめるジェラールに、ルーシアは笑う。
それは嘲笑や蔑みではなく、友を祝うモノ。
「ハハハハッ、言うようになったなジェラール。
お前が、人前でのろけ話か。フフッハハハハ!
今日は飲もうじゃないか。なぁルヴァーテ。祝いだ祝い!!」
「フフフッ、ジェラール様の・・・素敵。
本の蟲は、何にかじりついたのかしらね。
フフツ、興味深いわ」
「おい。ルーシア、ルヴァーテも・・・そんなんじゃ・・・
いや、ありがとう。ベーゼン、どうだ? 私達と飲まないか?」
獣人の王族はゆっくりと歩きだす。
行く先は、王族御用達の酒場だろう。
ベーゼンはジェラールに優しく手を引かれるのだった。




