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1 夕火(あぶり)の刻、粘滑(ねばらか)なるトーヴ

 たぶん、ドラマとか小説、映画やマンガなんかに描かれる学生時代っていうのは、昔、学生だった人たちが、こうであったら良いなぁ、とか、きっと、自分たちじゃないどこかの幸せな学生はこんな生活をしてるんだろうなぁ、という希望が描かれているんだと思う。実際、俺の学生生活は、あんなに毎日事件が起こったりだとかしない平凡なものだ。朝、登校するときに曲がり角で美少女と出会ったりはしないし、テスト前だからって焦った結果零点とって追試で百点取るような友人もいなければ、ケンカで全国目指してます! なんてやつもいない。──うちの学校で全国を目指してるのなんて、山岳部とか囲碁部とか、そんなくらいのものだ。

 そう、お話の中の学生生活で、これはねーよって思うのは、全部の部活に部室があるっていうやつだ。ひとつの部にひとつの部室……場合によっては、部室棟とかいって、部室ばっかりがあつまった建物まで備えられている学校まであったりする。現実の学校っていうやつは、残念ながらそんな無尽蔵のスペースを持っているわけではなく、うちの学校を例にとって言うならば、自分たちの部室を持ってるという幸せな部は、放送部や音楽部、美術部くらいのもので──これも、学校の放送施設や授業で使う音楽室、美術室などを部室と言ってるだけで、他の部はだいたい放課後の空き教室──つまりは、普通の教室だとか、理科室、家庭科室などをそれなりに使っているだけだ。運動部だって、倉庫にぎっしりと道具を詰め込んでいて、自分たちがグラウンドを使える日にそいつを引っ張り出して練習してる。それぞれの部活専用の倉庫とかロッカー室なんてものはない。

 まぁ、つまり、何が言いたいかっていうと、こうして演劇部と共同の倉庫にはなってるけど、人がひとりは横になれるくらいのスペースがあって、そこを使える軽音楽部は幸せなんじゃないか? っていうこと。

 どっかのマンガみたいに、優雅にお茶を飲めるようなスペースはない。こうして横になってる頭の横には、トレースエリオット──百ワットのベースアンプのスピーカがあるし、足はジャズコ──ギターアンプにのせている。頭の上の棚には、演劇部の小道具が乱暴に詰め込まれている。──今にも落ちてきそうに見えるけど、アレが絶妙なバランスを保っていて、この前の軽い地震でも崩れなかったことを知っている俺は、何も心配することなく、優雅な──ただし、さみしい放課後の時間を過ごしていた。

 グラウンドからは、何か、スポーツをしている音が聞こえてくる。今日は、確か──サッカー部の日だったか。うちの学校のグラウンドは、野球部とサッカー部とラグビー部が紳士協定を結んで、交互に使用している。遠くの教室からは、吹奏楽部が練習する音。まずは、チューニング……この音は、トロンボーンかな……単調な音が響いてくる……眠気を誘うな……自然とまぶたが重たくなる……まぁ……いいか……


 気がつくと、小さな窓の外は暗くなっていた。

 響いていた、たくさんの音は、いつの間にか消えている。

「あー……寝ちゃってたか……」

 時計を見ると、もう八時を過ぎている。さすがに、もう、校内には誰も残っていないだろう。倉庫の鍵を職員室に返すのは、明日の朝でもいいか……今日は帰ろう。

 そう思って、部室──というか倉庫を出る。

 そこで、自分が手ぶらであることに気がつく。

「あちゃー……鞄は教室か……」

 ここから直接昇降口へ行った方が近いけれど、鞄は取りに戻った方が良いよなぁ……一瞬、別に良いかなぁ、と考える。今日、帰ってからあの鞄の中身を何かに使うか? 宿題? たぶんなかったはず。予習復習? そんなの、ここしばらくやってない。じゃあ、別に、鞄を持って帰る必要ってないんじゃ? と思ったけど、鞄のポケットに定期が入ってるのを思い出した。

「やっぱ、ちゃんと鞄持って帰ろ……」

 暗い学校。なぜか、わざわざ声に出して、そう宣言してしまう。誰も聞いていないのに。

 とぼとぼと階段を上がり三階に。中庭を見下ろしながら、長い廊下を歩く。

「──あれ?」

 今、何か中庭を横切ったような……窓から、もう一度中庭を見下ろすけど、何の姿もない。

「気のせいか……」

 怖い、と思うから、そこにない何かを見るんだろう。中庭に何もあるはずなんてない。いつもの見慣れた中庭だし、今歩いている場所だって、毎日飽きるほどに歩いている廊下なんだ。何も、何もおかしいことなんてあるはずがない。

 どうして、そんなことを自分に言い聞かせるのか?

 この、胸の隅っこの方で微かに感じている予感は、いったいなんなんだろうか?

 夜の学校、という非日常のせい? いや、月に数回は、こうやって夜遅くなることはある。まぁ、自慢じゃないけど。だから、別に、それほど特別、というわけじゃない。いつもと今日と何が違うのか?

 そんなことを考えながら、ぼんやりと教室のドアを開けて、そこに俺は、今日がいつもと違う理由を見つけた。

 丸い月の光が射す教室。そこに彼女は立っていた。

「──一之蔵君?」

 淡く染められた唇から、俺の名前がこぼれる。

「あ、ああ……どうしたんだ、高砂たかさごはこんなところで」

「こんなところって……自分の教室じゃない? クラスメイトのわたしがいるのが、そんなにおかしいかしら?」

 彼女──クラスメイトの高砂未名たかさごみなは、そう言ってふっと笑った。たぶん、月の女神って、こんな感じなんだろうなぁ、と思う。柔らかく、流れる、長い黒髪。きらきらと、きれいだ。こうして月明かりの下、彼女が着ていると、いつも飽きるほど見ているはずの制服も、どこか違った、特別なものに見える。闇に溶けるような濃紺のセーラー服に、緩やかに少女の身体を包んでいる。

「いや、そうだな……おかしくないよな……まぁ、でも、こんな時間にいるのは、ちょっとおかしいかもしれないけど……」

「それを言ったら、一之蔵君も同じじゃない? どうしたの、こんな時間に?」

「俺は、さっきまで寝てて……それで、鞄をとりに……」

 そう言って、自分の席にぶら下がった鞄を手に取る。自然と、隣の席──高砂に近づくことになる。

「あー、良かった良かった。これで、ちゃんと明日の予習ができる!」

 なんか、間が持たなくて、ついつい心にも思ってないことを口にする。

「どうせ、予習なんかしないくせに……」

 いや、さすがは隣の席。よく見てらっしゃる。

「まぁ、そうかもしれないけど、もしかしたら、急に勉強したくなるかもしれないし」

「いや、それはないわね」

 ──月は無慈悲な夜の女王って、いったいなんだったっけ?

「なんだよ……いやにはっきり言うな……まぁ、いつまでもなんだし、帰ろうか」

 もしかすると、彼女に告白したりするにはぴったりなシチュエーションなのかもしれないけど、残念ながら、今の俺にはそのつもりはない。それに、これ以上一緒にこうして夜の学校なんかで話していて、本当にその気になっても、その、困るし……いや、困らないかもしれないけど……

「ええ。わたし、もう少し居るわ……」

 けれど、彼女は、俺の誘いを断った。

「ええと……もしかして、俺、嫌われてる?」

「いえ、そういうわけじゃないんだけど……ちょっと……」

 俺を攻めるときとは違って、やけに言葉を濁す。

「まぁ、それだったら……それじゃあ、また明日な」

「うん。それじゃあ、さようなら、一之蔵君」

 なんな、後ろ髪を引かれるような気がしてるけど、たぶん、教室を出て、廊下を歩いて、階段を下りて、学校を出て、家に帰って……そうやって、日常の中に戻ってしまえば、今のこの感覚も忘れて、いつものような怠惰な毎日に戻って行くんだろう。

 そう考えながら廊下に出て、日常に戻るはずの一歩を踏み出す。

 ゆっくりと、廊下を曲がる。

「えっ?」

 目の前には、得体の知れない化け物、

「えっ、ちょ……なんだ?」

 日常へ戻るはずの一歩は、非日常への第一歩だった。


 ぶんっ、とその化け物が前足を振るう。すんでのところで、後ろに躱すが、無様に尻餅をついてしまう。ガンっ! と音をたてて、壁に穴があく。前足にはえた鋭い爪。四つ足の、猛獣──いや、こんな獣、知らないぞ……

「なな、何だって言うんだよ……」

 冷たい廊下の感触。心までも凍えていく。

 武器になりそうなもの……そんなのあるはずない。

 獣が、じりじりと俺ににじり寄る。その瞳は白目とか黒目とか、そういうんじゃなく、ただ目全体が爛々と光っている。血に濡れたような赤色。すごくごわごわしてそうな、というより、さわると痛そうな毛並み。明らかに、今まで見たことのない──テレビでも、図鑑とかでも見たことがないような獣。あえて、どこかで見たことがあるとするのなら……

「おいおい……どっかのゲームかよ……」

 そう、テレビゲームの中に出てくる敵そのものだった。

 恐怖しながらも、教室の中に居る高砂のことを思い出す。

 そうだ。彼女がこんな化け物に襲われたら……ただのクラスメイトかもしれないけど、そんなのは、絶対に嫌だ。

 ゆっくりと立ち上がる。

「さ、さぁ! こっちだ! やれるもんならやってみろ!」

 足を広げて、しっかりと二本の足で立ち、じっと奴を見据える。

 ぐおおおおおおぉぉぉぉお!

 返答は、咆哮。

 びりびりと空気が、そして、俺の身体が震える。

 負けずに、しっかりと拳を握る。

 こいつに、俺の拳がきくとは思えないけど、それでも、戦わなきゃならないときってあるんじゃないかな?

 獣の顎が迫る。

 鋭い牙。

 きっと、俺の頭なんか、一瞬で砕けて飲み込まれてしまうだろう。

 怖いけど……

「うおおおおぉ!」

 思いっきり、振りかぶって──

「伏せてっ!」

 後ろから、鋭い声。

 わからぬまま、思わず声に反応して伏せる。

 ダンッダンッダンッ

 後ろから鋭い音。頭上を何かが飛ぶピシっという音。そして、何か固いものが柔らかいものを突き刺して破壊する、グチャという音が聞こえる。びちゃりと飛び散る液体。

「これでっ!」

 声の主は、先ほどまで教室にいた高砂だった。

 彼女が、化け物の口に、何か円筒形の物体を突っ込む。

 そして、俺は、彼女に引っ張られる。

「えっ? えっ?」

 がばっと、俺の上に覆い被さる高砂。

 何か、柔らかいものがあたってる……あれ? 高砂って、意外に大きい……着やせするタイプ? というより、なんか、いい匂い……

 そんな俺の思考は、轟音とともに吹き飛ばされた。

「ふぅ……」

 立ち上がった彼女が、額に浮かんだ汗を拭く。

「い、今のは……」

 見ると、化け物の上半身は見事に吹き飛んでいて、残った下半身には、空洞が見えていた。

「MK3A2手榴弾。アメリカ軍とか自衛隊でも使われているわ」

 高砂が、さらっと答える。

「い、いや、そうじゃなくて……」

「それじゃあ、先に撃った銃の方? これは、フランスのFA-MASというライフルよ。ブルパップ式で、あまり大きくないから使っているの。それに、かわいいじゃない?」

 黒く光るライフル銃がかわいいという感性はよくわからないけど、セーラー服姿にライフル──フランスのFA-MASというらしい──を持った彼女は、なんか、古い映画のセーラー服と機関銃というか……

「だから、それでもなくて、あの化け物は? って、あれ?」

 そこにあったはずの化け物の死体が消え去っていた。

「──幻想が閉じたのね。閉じた幻想は、現実に影響を与えられなくなるわ」

 彼女はそう言って、化け物の死体があったはずの場所に一瞥。

「幻想?」

 幻? 夢?

「──説明は後よ。始まってしまったからには、終わらせないと。本当は、今日、決着をつけても良かったのだけれど……一之蔵君もいることだし、今日は、脱出をしながら、相手の出方を見るだけにするわ……」

 そう言って、がちゃりとライフルの音をたてて歩き始める。

「え? ちょっと待って……」

 急いでその後を追う。

「あ、そうそう、これ、使って」

 彼女がそう言って投げて渡してきたのは、一挺の拳銃だった。

「あわっ! これって……」

「ベレッタよ。映画とかで見たことあるでしょ?」

 そうこともなげに言うけど……

「どうしてこんなもの持ってるんだよ……」

 頭の中は疑問だらけになりながらも、俺は鞄を肩に引っ掛けて、右手に拳銃を持って、彼女のあとに続いた。


「前はわたしが警戒するから、一之蔵君は後ろをお願い」

 高砂はそう言って前方にくまなく目をやる。

「あ、あぁ……わかった……」

 いまいち状況がつかめていないけれど、それでも、俺は言われるままに彼女に従い、後ろを注意しながら、遅れないように進む。夜の校舎は、昼間の明るい姿とは裏の姿を見せ、そこかしこから先ほどのような化け物が出てきそうな気がしてしまう。

 廊下をいくつか曲がり、階段へ。

「階段は危険ね……まずわたしが先行するわ。踊り場まで降りるから、一之蔵君は後から来て、そのまま二階まで降りて。次は、わたしが一階と二階の間まで降りるから」

「で、俺は一階まで一気に降りて、高砂を迎える、ってことでいいのかな?」

「ええ。先に降りるときは、周囲に注意して。何かあったら、すぐに声を出して」

「ああ。──でも、何かあったら、すぐに悲鳴とかあげると思うよ……」

「……さっきは、全然声をあげなかったじゃない」

 そう言った彼女は、ちょっと困ったような顔で俺をにらむ。

「え、ええと、あのときは、あまりにびっくりして……」

 あのとき、守らなきゃ、と思った高砂に今はこうして守られてる、っていうのも、なんか不思議な感じだな……

「それじゃあ、三つ数えるから……」

 彼女が、ぐっとライフルを握る。

「あ、ちょっと待って」

 俺は、それを押しとどめる。

「何? もっと強い武器でも欲しいの? でも、ライフルは扱うには……」

「いや、そうじゃなくて……」

 そもそも、ライフルなんて、彼女が持ってる一挺しかないじゃないか。

「俺のことは、響でいいよ」

「えっ」

 やった、ライフル持った女の子に、豆鉄砲喰わせてやったぞ! と喜ぶところかな?

「一之蔵って長いだろ? 響でいいよ」

 そう言った俺の顔を、彼女がまじまじと見つめる。

 月の光と、街のビル灯りが窓から細く入るだけでよく見えないせいか、彼女の顔が、その、近い……まつげ長いんだなぁ、とか、肌白いなぁ、とか、こんなときなのにそんなことを考えてしまうのは、どうにも、今の状況が幻のような、夢の続きのような、そんな感じしかしないせいだろうか。

「──それじゃあ、わたしのことも未名でいいわ」

 その言葉を残して、彼女はくるっと前に向き直る。

「──わかったよ、──未名」

「それじゃあ、今度こそ行くわよ……三つで行くから、援護よろしくね」

「ああ」

 銃把をぐっと握る。

「一……二……三! 援護っ!」

 ダッと階段を駆け下りる未名。俺は、その場で四方に銃口を向ける。数秒もかからずに、彼女は踊り場に降りる。

「次っ、響君!」

「わかった!」

 俺は、転げ落ちるように階段を降りて、踊り場の彼女の横をターン。そのまま、二階に降りる。二階の廊下も、遥か左右に広がっていて、その暗闇の奥から何か出てきそうな……

「行くわよ!」

 俺の後を追って、彼女が降りてくる。

「大丈夫、敵はいない……いや?」

 暗闇の奥、何かが光る。赤い、ぼんやりした光。

「なんだ? 消火栓の? いや……違う……アレは……」

 ひとつじゃない、二つ並んだ赤。いや、二つじゃない、四つ、六つ……増える……そして……

「急いで! 何か来た!」

「牽制射撃!」

「そ、そんな! あたらないよ!」

「あたらなくて良いのよ! 牽制なんだから!」

「よーし、わかった、知らないからな!」

 光に向かって、銃を撃つ。

 ──もちろん、銃を撃つのなんてはじめてで、あたるわけない、と思ってた。けれど、そもそも、あたったかどうかすらもわからなかった。後ろに倒れ込まなかっただけ偉い、と自分を褒めてやりたいくらいだ。肩は外れそうに痛いし、腕はじんじんとしびれている。

「十五発しか入ってないんだから、気をつけて。これ、予備のマガジン」

 すれ違い様、ポンと渡される。

「い、いや、そんな、こんなの渡されても、どうやって換えたら良いかなんて……」

「大丈夫、できるから!」

 そう言われても……と、迷ったりしている暇はない。

 どんどん増えて、どんどん近づいてくる赤い光に向かって銃を撃つ。

 やがって、光の正体が何なのか、ぼんやりと浮かび上がる。

「い、犬!?」

 先ほどの獣と違って、今度のは、ちゃんと見覚えがあった。しかし、姿形は犬かもしれないけど、その顔は、俺が見知った犬とは大きく違う。愛嬌の欠片もない、野生そのものの表情。犬と言うよりも狼に近いのかもしれない。──まぁ、野生の狼なんてのも見たことはないわけだけど。怖い……見えないものは、恐ろしい。けれど、姿が見えて、恐怖が形となって現れると、それはまた、恐怖を増幅させる。引き金を絞り続ける。火薬の焼ける匂いが漂う。──これが、硝煙の匂いってやつだろうか? ガンっ。大きな音を立てて、スライドが後ろに下がったままになる。

「え? これ……弾切れ?」

 さっき受け取ったマガジンを出すけど、これ、どう換えればいいんだ?

「次っ! 響君! 奴らはわたしがここで抑えるから」

 ちょうど良いタイミングで、踊り場に陣取った未名が俺を呼ぶ。

「よ、よし」

 銃とマガジンを握ったまま、階段を駆け下りる。

「未名! 弾が……」

「これを使って!」

 踊り場で彼女が渡してきたのは、さっきの拳銃よりは、少し大きな銃……マガジンが、銃把の前に付いている。

「これは?」

「スコーピオン。注意して、連射し続けると、五秒ももたないから。──さぁ、行って!」

 ──さっきまで、こんなの持ってなかったよな? と思いながらも、彼女に尻を叩かれるようにして、俺は一階に降り立つ。今度は──大丈夫。今度こそ、何もいない。

 タタタンッ、タタタンッと、銃を撃つ音が上から響く。

「大丈夫! 下には何もいない!」

 視線は廊下に向けながらも、銃声のする方向へ叫ぶ。

「わかったわ! わたしも降りるから──援護、よろしく!」

 きびすを返して、階段を駆け下りる高砂。

 階段を飛び越えた犬が、彼女に迫る。

「危ない!」

 そいつに向けて、渡された銃を撃つ。

 タタタタタタタッと軽い音をたてて弾丸が飛び出る。薬莢が跳ね上がる。

 吹っ飛ぶ犬。──やったのか?

「ありがとう! さぁ、すぐに次の角まで移動。そこで防御。わたしが抑えるから、あなたが先行して」

 振り返り、階段の方を向いた彼女が、振り向き様に三射。さっき、俺が撃った銃とは威力が違うのか、今度は犬が思いっきり後ろまで吹っ飛んでいく。

 彼女だったら、大丈夫……そう思って、安心して前へ進む。後ろからは、断続的な銃声。

 角を折れたところにも、敵はいなかった。

「うん、大丈夫だよ!」

 二人で角を曲がり、そこで

「後ろは、わたしが守るわ」

 未名は、角から半身を乗り出して撃つ。

 犬は、あとからあとからどんどんと増えてくる。

「ちっ、弾切れ……弾倉換えるわ。カバーお願い」

「わ、わかった……」

 彼女が弾を換えてる間、俺が撃つ。

「──このまま一気に押し込むわ。このままお願い!」

「了解!」

 二人で、弾を吐き出し続ける。

 吹き飛ぶ、犬。

 正確に、何匹吹き飛ばしたのかはわからない。なぜなら、いつの間にかその死体が消えているから。つまりは──

「あの犬も、幻っていうこと?」

「そうね……だから、後ろめたいことも考えなくて済むわ」

 確かに、彼女の言う通りだ。

 もし、アレが本当の犬だったら、さすがに俺と言えども、後ろめたさとか、罪悪感を感じずにはいられないだろう。けれど、本当の犬じゃない、化け物だとすれば、そんなもの感じないで済む。まるで、テレビゲームかなにかのように、淡々と犬を撃つ。

「──もうそろそろ、終わったみたいね……」

 ギャア、という明らかに普通の犬はあげないような声をあげて、犬が転がる。新たな犬は──出てこない。

「みたいだな……」

 ふぅ、といつのまにか額に浮かんでいた汗を拭う。

「それじゃあ、先に進みましょう……校舎を出れば、フィールドからは逃れられるわ」

 未名がそう言って歩き出す。

「ここまで来れば、昇降口もすぐだから……」

 そう言いながらも、彼女は警戒を解こうとはしない。

「さすがに、もう出てこないよな……」

「だと良いわね……」

 おそるおそる、周囲を探りながらも昇降口へと向かう。どうやら、先ほどのような化け物はいない。けれど、胸の奥に、何かちりちりとしたものを感じる……

「いや、でも……いる……何か、いる……」

 靴を履き替えて、外へと出る。

「──響君、これ、わかってたの?」

 外で俺らを待ち構えていたそれを見て、未名が言う。

「わかっていた、っていうか、なんとなく、これじゃ終わらないな、っていう予感が……でも、これは……」

 俺と、彼女が見据えるモノ……それは……

「こいつは……化け物……?」

 敢えて言うと、最初に遭遇した獣に似ているかもしれない。大きさは。けれど、あの獣が、狼とかをベースに考えた幻想だとすれば、これは、熊とかそういう元々凶暴な獣をベースにしているんじゃないだろうか。いや、狼も元々凶暴かもしれないし、熊だって、いつも凶暴というわけじゃないかもしれないけど、それでもとにかく、こいつはヤバい、間違いなく凶暴だろうし、腕は丸太のように太いし、口からは大きな牙が覗いているどころか、なんかよだれをだらだらとたらしているし、もう、これは、危ないんじゃないか?

「──もう、長引かせない! 一発で決めるわ! ちょっと準備するから、その間援護して!」

 そう言って、未名が少し下がる。

「わかった!」

 彼女を背に、銃口を獣に向ける。

 そして、引き金を絞る。

 放たれる弾丸。飛び出す薬莢。

 響く咆哮。圧倒される。押し戻される。

 銃は全然効いていない。

「ダメだ! 全然効かないよ!」

 頭とか、急所を狙えば……

「──ッ、ダメ! ヘッドショットなんてあたらないから! とにかく、弾をばらまいて、弾幕張って!」

 ええいっ、ままよ!

 もうやけになって、引き金に指をかけたまま、とにかく弾を撃ち続ける。

 一……

 うざったい小バエでも追い払うかのように、首を振る。

 二……

 また、咆哮。

 三……

 どしん、どしん、と地響きを立てながら、じわりじわりと迫ってくる。

 四……

 その進撃を、全く止めることができない。

 五……そして、弾が切れた。

「伏せてっ!」

 背後から、未名の叫び声。言われるままに、その場に伏せる。

「あーるぴーじーーーー!」

 ドス、と重たい音をたてて、頭上を何かが飛び過ぎる。

 それは、俺の眼前にまで迫っていた獣に突き刺さり、そして、爆散。

 びちゃびちゃといろいろなものが飛び散る。

「拳銃弾はきかないかもしれないけど、対戦車榴弾なら化け物だって一発でしょ……」

 後ろを振り返ると、そこには片膝をつき、大きな筒を肩に乗せた未名の姿。

「た、助かった……」

 俺は、そのまま地面にへたり込んでしまう。

「もう大丈夫だとは思うけど、まだ、座るにはちょっと早いわ。ここはまだフィールドの中だから……」

「そう言えば、さっきも言ってたけど、そのフィールドって……」

 よいしょ、と腰を上げながら尋ねる。

「そうね……今みたいな化け物が出てくる場所、って言えば、簡単にわかってもらえるかしらね」

「そうだね……そう言われると、よくわかるよ」

 そんな場所からは、早くおさらばしたいな。

 二人で歩いて、校門を出る。

 そこで、感覚が変わる。

「──あれ?」

 今まで、何回、何十回、いや、何百回とこの校門から出入りをしているけど、そのどれでも感じたことがない感覚。空気が変わった──いや、違う、世界が、変わった。

「やっぱり、感じるのね……ねぇ、ちょっとコーヒーくらい飲んで行かない?」

 俺の横に立った未名は、いつの間にかあのライフルを持っていなかった。

「まぁ、ちょっとくらいなら時間あるし、いいけど……さっきの銃は?」

「そうね、そういうところも含めて、簡単に説明するわ」

 言い残して、すたすたと歩き出す彼女。

「わ、ちょっと待ってよ」

 俺は後を追った。


 §


「──というわけで、明日は普通に学校来て大丈夫よ」

 駅前のハンバーガーショップ。俺らと同じように、制服姿の高校生だとか、仕事帰りのサラリーマンだとかで、そこそこ混んでいる。

「うん。よくわからない」

 俺らって、どう見えるんだろうなぁ、とぼんやり考える。

「そう言われても、ねぇ……詳しく説明するには、時間がかかりそうだし……」

 やっぱり、アレかなぁ……恋人同士に見えたりするのかなぁ。

「うーん、でも、アレは幻想で、昼間の学校には出ない、って言われても……はい、そうですか、なんて簡単に納得できる人はいないと思うよ?」

 それとも、ただの友達にしか見えないのか?

「それじゃあ、もう少しだけ説明するわ……」

 まぁ、俺と未名の関係をどう言い表すか? というのは、当の本人である俺にも難しいんだけどね。

「お願いします」

 と、ぺこり頭を下げる。もし、未名だったら、俺と彼女の関係をどうやって言うんだろうな?

「そうね……ねぇ、こんな与太話を聞いたことがある? 水に優しい言葉をかけ続けるとおいしくなる、って」

 俺のドキドキなんかおかまいなしに、彼女はそんな色気も何もない話をはじめる。いや、今日のことの説明をして、と頼んだのは俺かもしれないけど、それにしても──

「ああ。でも、それって、科学的には全く根拠のないでたらめだろ?」

 あと、花に優しい言葉をかけるときれいに咲く、っていうのもあったかな。

「ええ。それは全くのでたらめ。でも、人の思いが強ければ、それは現実に影響を及ぼすようになるわ。人は、自分の見たいモノだけを見る。それだけではなく、現実の世界から、自分の見たい世界を作り出す。人の認識というのはそういうものよ」

「まぁ、そうかもしれないけど……でも……」

 彼女の言う通り、ニュースを見たりしても、それを自分の都合の良いようにしか解釈しない、事実とは全く逆の真実を作り出すような人はいっぱいいる。けれど、だからといって、それがさっきの化け物──そして、彼女が持っていた銃と、どういう繋がりが?

「あの化け物は、誰かが作り出した、そんな認識──幻想のひとつなのよ」

 ええと、つまりは、

「誰かが、あんな化け物がいたら良いな、と思ったから、本当に現れたってわけ? そんなのあり得るはずがないよ」

 ただ思うだけで化け物が現れるなら、そこら中を魑魅魍魎ちみもうりょう跳梁跋扈ちょうりょうばっこしてることだろう。

「もちろん、どこでもあんな化け物が現れるわけじゃないわ。思いが現実になる場所、幻想が現れるための場所には条件がある。たくさんの人間の思いの力が集まっていて、それでいて、思うものの数が少ない場所。たくさんの思いがあれば、それだけ思いの力、幻想が現れるための力は強くなるけど、たくさんの思いがある分、分散してしまって幻想は現れないの」

「つまり、昼の学校で蓄えられた思いの力が、夜の校舎で、誰かの思い──幻想を顕現させた、っていうこと?」

「ええ、その通りよ。響君って、意外に理解が早いのね」

 そう言って、少し驚いたような表情を見せる未名。

「なんか、そういう言い方だと、俺が頭悪く見えてるみたいな……」

「少なくとも、わたしがいつも見ていた響君は、あまり頭良さそうには見えなかったわ」

「そうはっきり言われると傷付くな……」

 そうだったのか……実際のところは、成績は中くらい、良くも悪くもなかったから、あんまり自分では頭悪いキャラだとは思ってなかったんだけど……

「え、ええと……ごめんなさい……そういうつもりじゃ……でも、ちゃんと見直したわ。学校の勉強ができても、こういうことを理解できない、理解しようとしない人はたくさんいるから。そういう人に比べれば、響君はすごいわ」

 そう、ばつが悪そうにフォローする。

「そっか……それじゃあ、もっと褒めても良いんだよ?」

 そんな彼女の様子がかわいくて、ちょっと、調子に乗ってみる。

「え、あ、その……えらい偉い?」

 どうして良いのか困ったのか、未名はそう言いながら手を伸ばして、俺の頭を軽くなでなで、とする。

「──ええと……」

「あ、ご、ごめんなさい! 褒めるって言うから……」

「いや、別に……ちょっとびっくりしただけで……俺も調子に乗り過ぎた……こっちこそ、ゴメン」

 先ほどまで、ノリノリで銃をぶっ放してた未名が、こんなに小さくなって恥ずかしそうにしてるのを見ると、ちょっと、その……困っちゃうな……

「も、もうわかったわよね! だから、明日は学校来ても大丈夫だからね!」

「ああ。休まない、休まないよ」

「ほんと……約束だからね?」

 うん。もう、そんな目で見られたら、休めるわけないじゃないか。

 駅で別れて、家に帰って、寝ても、未名のその顔がまぶたの裏から消えることはなかった。

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