第26話
ウェンディの絶叫は空間そのものに張り付き、耳に届くというより骨身の裏側へ染みていた。
けれど俺が見ていたのは彼女じゃない。囚われている少女だ。白く濁った眼球。口腔から絶え間なく滴り落ちる青白い粘液。青白い皮膚の輪郭は人間なのに、その内側にあるものがもう、完全に別法則で動いている。
――生き物は、壊れるときには壊れてくれない。ほんの少しだけだ。たった1歩、理解の外側へ踏み外した瞬間にそれは、どうしようもなくなる。
――ああ、もう駄目だ。あれは人間ではない。理解できる生物ですらない。そう思えた。
「進化とは、有用を保存し、不利を淘汰すること、すなわち正義なのだ」
何がおかしいのか、それともすべてがおかしいのか、少女にへばりつく白衣の男が嗤っていた。
「まだしゃべれるのか、お前」
「見たまえ……この色彩、この滑らかさ。彼女は、ついに1歩を踏み出したのだ。さあ、君の好きなように動いてみたまえ!」
「──── ヅッァアァアアアアアアアア!!!」
白衣の男はウェンディの方を見ず、画面の向こう側にいる俺を直接見て来やがった。
少女が叫んだ。悲鳴というにはあまりに濁り、猛る獣の咆哮とも違う。あるいは、頼むから救いごと喰い殺してくれとでも言うような断末魔を叫び、襲いかかってくる。
「ウェンディ!」
「このっ!」
取り出したアサルトライフル2丁とランタンの一斉射撃。白衣の男を狙った弾丸と火炎は、男の背に無数に伸びる色鮮やかな突起物に阻まれた。
「こちとら毒の類はもう十分だっつってんだよ!」
自動で飛びかかってくる巨大な銛と、少女の口から扇状の毒霧が襲いかかってくる。地面を蹴って跳び上がり、フルチャージのキラーブレイズで毒霧を一掃する。
遠距離では先日手だ。弾も限りがある。幸いあの巨体ではどうあがいても素早く旋回できない。
飛んでくる銛を紙一重で避け、火炎噴射で再加速、毒霧が吹かれる前に今まででの最高速で背後を取った!
「ひひ、ィヒヒヒ、ははぁアッハッハッハハハ!」
白衣の男が手持ちのコンソールを叩いている。嫌な予感に射撃しながら離れると、弾丸と火炎の軌道が大きく左右にブレた!?
「重力制御か!?」
画面の向こうで浮かび上がる巨体が、ウミウシのように3次元的に泳ぎながら襲いかかってくる。一方でこちらは対空時間が長くなり、回避のタイミングが取りづらい。
ランタンを揺らし、身を捻って飛んでくる銛を蹴り、大きく距離を取る。操作感覚が狂って迂闊に近づけない、何か手は⋯⋯!
「ゴールド! あの銛を吸い込めないの!?」
「そうか、その手があるか!」
紐を引かれて戻っていく前の銛にランタンを合わせる。火炎の本が牙で食いつくように、鋭い銛を焼いて取り込んだ。
「取り付け!」
2本の炎をまとった楔が左右に飛び出し、地面や壁に張り付いて、空中での進行方向を変えた。ランタンと楔によるロープアクションか、これなら十分に全方向立体的に移動できる!
大きくななめ下に旋回して弾倉にマガジンを叩き込み、一斉射撃で真下からウミウシ部分に撃ち込む!
「炎も弾も効いてる! けど⋯⋯!」
キラーブレイズで大きく穴を空けたが、水みたいに手応えがない。再生しているというより、海水そのものを相手にしている気がする。キラーブレイズを10発も当てれば蒸発するだろうが⋯⋯。
「く、ぅっ⋯⋯」
「ア、アア、アッ、ヅブブ、アアア、アヅァ」
これ以上は彼女たちが、持たない。変異した少女は残り少なそうな正気を削られ、ウェンディはその叫びと戦闘の負荷に体力を消耗している。いくら肉体がレベルアップしても、正気を削る悪意による精神の負担まではカバーできない。
低重力の中で関節が外れるか外れないかの激しい空中機動の連続、肉体だっていつまで持つか⋯⋯。
────── なら、あの男が油断している隙に切り離すか。もう奪う方が手っ取り早い。
集中。飛び散る飛沫の1つまでスローモーションで通りすぎる。俺と世界の間にある時が、緩やかに止まっていく。狙いは1点、あのウミウシの動きも関節も、すでに読めている。
問題はあの娘が耐えられるかと、師匠にはあまりやるなと言われた技の使い方だが、この際しかたがない!
「上等だ。1流の幕を開けてやるよ、3流未満」
────── みずわかち。
ギリギリまで肉薄し、閃く手刀が脊髄の上をひるがえる。穢された少女の肉体から“それ”を切り離した。
成功の証に、終わらせてくれと叫んでいた少女は、気絶したように動かなくなった。




