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第21話 ハニートラップ開始

 昼過ぎのギルドカフェ。

 人は多いが、騒がしすぎない時間帯。


 リアーネはすでに窓際の席に座っていた。


 ……いつもと、違う。


 受付嬢の制服ではない。深めのネックラインに、袖のない濃紺のワンピース。銀の髪が、肩に流れている。

 普段より、だいぶ肌が出ている。


 ……作戦のためとはいえ、反則じゃないか。

 敵が来る前に、俺の心臓が持たない。


 俺とルミリアは、その二つ後ろの席。

 俺は帽子を深くかぶり、新聞を広げる。ルミリアは蒼猫フードに眼鏡。くーちゃんは膝の上で丸まっていた。


「なんだか、スパイみたいで楽しいですね」


 ルミリアが小声で囁く。目がきらきらしている。


「楽しむ作戦じゃないからな」


「でも、カフェで隠密行動ってちょっとドキドキします」


 俺の内心は、別の意味でドキドキしていた。

 リアーネが敵と二人で会う。しかも俺は隣で女の子とカフェ。


 内密調査。相席カフェ。潜伏。

 ……イベントフラグ多すぎないか。


「きゅーん」


 くーちゃんが小さく鳴く。頭を撫でると、満足そうに丸くなった。


「静かにな、くーちゃん。今日は潜入任務だ」


 入口のベルが鳴る。来た。


 レムリオだ。


 新聞の陰から覗き見る。

 歩き方。視線の流し方。店に入るなり、店内を一度だけ見渡す。

 研究者というより、監視者の動きだ。


 リアーネが席から立ち、軽く会釈する。


「お待たせしました」


「いえ、私も今来たところです」


 紅茶を注文し、しばらく沈黙。


 ……普通だ。普通すぎる。


「デートっぽいですね」


 ルミリアが耳元で囁く。


「静かにしろ」


 前の席では、天気の話。街の様子。王都の研究事情。

 なんだこれ。普通のお見合いみたいだぞ。


 リアーネが、ゆっくり話題を変えた。


「最近はダンジョン研究が盛んですね」


「ええ。王都でも注目されています」


「やはり鉱物などの調査ですか?」


「ええ、まあ。珍しい鉱石や魔力結晶の調査が主ですね」


 答えは整っている。無駄がない。まるで事前に用意された説明のようだ。ガードが固い。


「魔力の減衰なども調査されているのですか?」


「……いえ」


 レムリオは即座に首を振った。


「そのような研究は、まだ王都でも体系化されていません」


 隙がない。完全に研究者の顔だ。


 ……あ。リアーネが、餌を投げた。


 紅茶を口に運び、カップを置く。そのまま、少しだけ前に身を傾けた。


「でも、レムリオさんほどの研究者なら」


 声が、柔らかくなる。


「きっと、私には想像もできないような研究をされているんでしょうね」


 翡翠の瞳が、まっすぐレムリオを見る。


 一瞬。レムリオの表情が変わった。


 耳が、わずかに赤い。


 誇らしげな顔。


「……まあ」


 少し背筋を伸ばす。


「実際のところ、魔力の流れについては興味深い現象が確認されていまして。ダンジョンの一部では、魔力が自然に集束する……あるいは」


 そこで、言葉が止まった。


 レムリオは紅茶を口に運ぶ。


「……いえ。まだ仮説段階の研究です」


 視線を逸らす。


 今、言いかけた。


「怪しいですね」


 ルミリアが小さく呟く。眼鏡の奥の瞳が、細くなっていた。

 ……楽しんでるのか、本気で分析してるのか、判断がつかない。


 俺も黙って頷く。


 少し間を置いて、リアーネはカップを両手で包むように持つ。それだけの動作なのに、絵になる。


「さすが王都の研究ですね」


 その言葉に、レムリオは満足そうに頷いた。


 そして、リアーネが自然に話題を切り替える。


「そういえば」


 さりげない口調。


「明日、ルミリア様がダンジョンを調査されるそうですね。終焉ドラゴンの件で」


 レムリオの瞳が、かすかに動いた。


「……ほう」


「少し心配なので、私も同行する予定なんです」


「危険ですね」


 声は穏やかだ。だが、顔が笑っていない。


「ちなみに、何時ごろです?」


 リアーネは少し考えるふりをする。


「昼前ですね。護衛は最小限で、あまり目立たせたくないので」


「なるほど」


 レムリオは短く答え、カップを置いた。


 その後しばらく、雑談が続く。研究の話。王都の近況。どれも当たり障りのない会話。


 そして。


「ああ、すみません」


 レムリオが立ち上がる。


「研究所に用事を思い出しました。今日は失礼します」


 軽く会釈し、足早に出口へ向かう。振り返らない。


 ベルが鳴り、扉が閉まった。


 俺は小さく息を吐いた。


「……絶対、何か考えてるな」


 だが、それでいい。動いてくれれば、証拠が取れる。

 自分から罠に入ってくるとは思っていないだろう。


「釣れましたね」


 ルミリアが言う。


「まだ釣れてない。餌を見に来ただけだ」


「でも」


 ルミリアは少しだけ声を落とした。


「リアーネさん、すごかったですね」


 素直な一言だった。


 しばらくして、リアーネが戻ってくる。


 さっきまでの柔らかい声は、もうない。翡翠の瞳が、静かに仕事の顔に戻っていた。


「お疲れ様でした」


 俺たちの席に座り、小さく声を落とす。


「どうだった?」


「食いつきました。確実に」


 リアーネは資料を指で軽く叩いた。


「時間を聞いてきたのが、全てです。関係のない研究者なら聞く理由がありません」


「動くってことか」


「ええ。動かなければ、むしろ不自然です」


 静かな声だった。だが、その言葉には確信があった。


 この人、調査員の顔になると本当に怖い。


「きゅーん」


 くーちゃんが小さく鳴く。レムリオが去った扉を見る。それから俺の膝に顎を乗せた。


「……明日か」


 俺は小さく息を吐いた。


 平穏な清掃員の日常は、どこへ行ったんだろうな。


 くーちゃんが、のんきにあくびをした。

 知らん、とでも言うように。

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