第17話 蒼猫ちゃん、爆誕
今日こそ、平穏な一日になるはずだった。
シスコン勇者は去り、王都の圧もない。
──なのに。
ノック三回。間髪入れず開く扉。
「透真さん、暇ですよね?」
……フラグは速攻で折れた。
俺の部屋の前で、蒼い瞳の少女が堂々と宣言している。
暇って、決めつけなの? まあ暇だけど。
「な、何か用なのか?」
「監視です!」
一歩も引かない顔で言い切った。そのまま当然のように部屋へ侵入する。
ここ、俺の部屋なんだけど?
くーちゃんはすでに歓迎モードで尻尾を振っている。
「きゅーん!」
「わあ、くーちゃん、久しぶり! 元気ですね」
昨日も会ったよな?
「一人だと退屈なんです。兄はずっと通信してきますし」
『――ルミリアよ。今日はブラックドラゴンを十体討伐したぞ。
だが妹不足で心が折れそうだ』
……とかいう通信が、普通に飛んでくるらしい。
シスコン勇者、重すぎる。
「ですから、透真さんの様子をしっかり監視しておこうかと」
「その言い方やめて」
監視と言いつつ、目線はくーちゃん一直線だ。
目的の八割はもふもふだろ。
「おやつ、あります?」
「あるけどさ」
差し出したボーロを、くーちゃんが即ぱくり。
「やっぱり透真さん、餌付けが上手ですね」
部屋は狭い。だがルミリアは気にせず座り込み、興味深そうに辺りを見回す。
「透真さん、ここで生活してるんですね。庶民って感じ」
「そうそう、善良な庶民な」
「ちゃんと掃除してます?」
「清掃員だぞ、俺は」
「それは知ってます」
ふわり、と笑う。距離が近い。
これ、完全にヒロインイベントでは?
落ち着け。前もそうやって調子に乗った。
くーちゃんが二人の間をちょろちょろして、なんとか空気を中和してくれる。
平穏だ。ああ、なんか――青春してないか、俺。
こういう時間が、続けばいいのに。
そのときだ。
ぴしり、と空間に光の紋様が走った。通信魔法。嫌な予感しかしない。
『我が妹、ルミリア』
低く、よく通る声。
背筋が凍る。光の勇者リュシオン。
「……お兄様」
ルミリアは一瞬だけ表情を引き締める。
『今、何をしている?』
問いは短い。だが圧がある。
「監査をしています」
即答。自信満々。嘘ではない。たぶん。
『監査? それはどういうことだ』
光の紋様が、わずかに揺れる。
『……妙だな』
勇者の声が、少し低くなる。
『部屋の気配が違う。ルミリア、お前――』
ちょっと待て。それ以上、言うな。
今この部屋には、ルミリアと俺とくーちゃんがいる。最悪の構図だ。
「忙しいので、切ります」
ぱちん。魔法陣が消える。
「……早い」
「今の、雑すぎない?」
「大丈夫です。通信は一日一回までの約束ですから」
そういう問題か?
もし今の場面を、あのシスコン勇者が視認していたら。この距離、この部屋、この空気。
光の一閃。俺、蒸発エンド。
肝が冷える。
くーちゃんが俺の足をちょん、と叩く。
「きゅーん」
慰めか?
ルミリアは何事もなかったように笑い、両手をぱんと合わせた。
「そうだ、見てほしいものがあるんです!」
そう言ってくるりと踵を返し、ベッドの上に広げたのは――分厚い紙束だった。
「じゃーん。配信企画です」
「蒼猫ちゃん、配信計画書の第一稿です」
どん、と置かれたタイトルに、俺は頭を抱える。
配信名、目的、運営方針、匿名規約、撮影動線。
ページをめくる。
「第7項:くーちゃんの配信中ボーロ摂取量の上限設定(健康管理)」
……くーちゃんの健康管理まで入ってる。
「どうです? くーちゃんと一緒に犬、猫配信がウリです!」
瞳がきらきらしている。
「ああ、しっかりした企画になってると思うぞ」
内容はガチだ。
これ、趣味の範囲超えてないか?
「……あと、見てほしいものがあります」
「まだあるのか?」
「コスチュームです」
え。
「蒼猫ちゃんとしての姿を、確認していただきたいんです」
「確認って、俺が?」
「視聴者代表です」
理屈が強引すぎる。
「では、着替えてきますね」
衝立の向こうへ消える。
「覗いたら処刑です」
「しないわ!」
心臓がうるさい。
布擦れの音。
数秒の沈黙。
「どうですか?」
現れたのは、いつもの水色の少女ではなかった。
蒼いオーバーサイズのパーカー。フードには小さな猫耳。
黒のショートグローブ、レギンスにショートパンツ、軽いブーツ。
長い水色の髪はまとめられ、内側に隠されている。
目元には細い黒縁フレーム、口元は猫刺繍の布マスク。
一瞬、本気でわからなかった。
「……誰?」
「成功ですね」
声が少し低い。変調済みだった。
フードをかぶると、猫耳がぴょこんと立つ。
「似合いませんか?」
一瞬、迷った。
「似合いすぎだろ」
言ってしまった。
フードの奥の瞳が細くなる。
「……もう一回、言ってもらえますか?」
「言いません」
「なぜですか」
「俺の心臓が、もたないから」
ルミリアはくすっと笑うと、
フードを深くかぶり直した。
猫耳がぴょこんと立つ。
「では、改めて」
蒼猫は、軽く指を立てた。
「新人配信者、蒼猫ちゃんです」
くーちゃんが蒼猫ちゃんの足元をくるくる回り、全力で尻尾を振る。
「頑張ろうね、くーちゃん!」
「きゅーん!」
くーちゃんは意味もわからず自慢げに胸を張っていた。
……平穏?
いや。これは次の騒動の入口だ。
蒼猫ちゃん。新人配信者。そして、くーちゃん。
……どう考えても、平穏なわけがない。
――俺の平穏は、また静かに壊れ始めていた。
***
そのころ。
ギルドの受付カウンターで、リアーネが書類の手を止めた。
通りかかった冒険者が、楽しそうに話している。
「さっき、水色の髪の子が清掃員の部屋に入ってったぞ」
「あの美人か? 仲いいな」
リアーネは、ゆっくり顔を上げ、翡翠の瞳で二人を見た。
二人の冒険者が、ぴたりと止まる。
「…………」
「…………」
二人は足早に去っていった。
リアーネは書類に視線を戻した。ペンが、一拍だけ止まっていた。




