9.圧倒的
「いやぁ。1点入れられたかぁ」
10分間の短いハーフタイム。それぞれのチームはピッチの端で給水ボトルを回しながら、ミーティングを行っていた。
青下中学と松野川中学の混成である白河チームは、前半の15分間ずっと守勢に回っていたせいで、メンバーの大半が肩で息をしている。そんな中、キャプテンである健一だけはチームの空気を落とすまいと、必死に声を張り上げていた。
「まぁ、向こうは月影もいるし、あの吉峰っていう松野川のキャプテンもめちゃくちゃ上手いからなぁ! うん! 1失点なら上出来! 仕方がない!」
「で? 後半はどうすんだよ、健一? このまま防戦一方じゃ、体力が持たないぞ」
汗を拭いながら青下中学の同級生の鈴木が不満げにこぼす。
「んー。とりあえず守備の陣形はこのまま現状維持かな? あっ、後半からトップの位置に蹴太入ってね。山本は一旦休憩で」
「はいよ」
後半から白河チームの1トップだった山本に代わり、蹴太がFWの位置に入ることになった。
健一がホワイトボード代わりに土の上に線を引いて再度守備の連携について話していると、ふと同じチームの田中から疑問が出た。
「てか、月影ってあんなもんなの? 天才って騒がれてたから、俺、もっと一人で何人も抜いてくような化け物かと思ってたんだけど」
「あー。それは大怪我からの復帰明けだからな。まだ頭のイメージ通りに身体が動かないんだと思うぞ。ただ、本人は大会前までには絶対に感覚を戻すって言ってたからな」
田中の素直すぎる疑問に、健一は焦ったように蒼空斗をかばう回答をした。その答えに納得した田中は「ふーん、そういうもんか」と呟き、再び健一の話に耳を傾けた。
「よぉし。とりあえず守って、カウンターで1点返すかぁ! 行くぞお前ら!」
健一の泥臭い掛け声に、疲労の色が濃いメンバーたちが気力を振り絞って応え、ハーフタイムが終わる。
(さて、いっちょやってやっかぁ!)
いよいよ、蹴太がゆっくりとストレッチをしながらコートの中央へと向かった。
■■
ピーッ!
主審を務める居舘の吹く甲高いホイッスルがグラウンドに響き、後半戦のキックオフが告げられた。
まずはリードしている吉峰チームからのボールで再開される。彼らは前半の勢いそのままに、キャプテンの春樹を中心に細かくパスを繋ぎ、あっという間に白河チームの陣地へと攻め込んでいった。
(なるほどな。松野川の連中は毎日まじめに練習してるだけあって、ちゃんと基礎ができてる。特にあのキャプテンの吉峰は、ボールをもらう前に必ず首を振って周りの状況を確認している。パスの精度も悪くないし、戦術眼があるな)
蹴太はFWのポジションである最前線から、ただ歩くようなスピードでジョギングをしながら、試合全体の動きを冷静に俯瞰して観察していた。
(ただ、こっち側は特に打つ手はないか。松野川のメンバーは上手いが、うちの青下のメンバーは足元の技術が圧倒的に足りてない。これじゃあ、ボールを奪っても前線までパスを繋ぐことすら不可能だ)
蹴太の冷徹な分析通り、後半が始まって5分が経過しても、試合の主導権は完全に吉峰チームが握っていた。
蒼空斗も前半の反省を活かし、今の自分のフィジカルでは無理な単独突破ができないと悟ったのか、完全に周りを活かすプレーメーカーの動きにシフトしていた。
彼がワンタッチで散らすパスに白河チームは翻弄され、ディフェンス陣は完全に防戦一方になっていた。
「くそっ! ライン上げろ! 下がりすぎるな! 絶対に追加点はやらないぞ!」
DFの要である健一が必死に声を張り上げ、泥まみれになりながらスライディングで中山のシュートコースを塞いだ。
健一のジャージはすでに土の色に染まり、膝には擦り傷ができている。荒い息がピッチの端にいる蹴太の耳にも届くほどだった。
(さすが健一。あいつのあの異常なまでの執念と気迫のおかげで、ギリギリのところで決壊せずに持ちこたえてるわけか)
蹴太がそんなことを思いながら戦況を眺めていると、後半8分、ついに試合が動いた。
吉峰チームの右ウィング、伊野が鋭いドリブルで右サイドを突破しようとした瞬間、健一がライン際で飛び込み、渾身のタックルでボールを刈り取ったのだ。
「しまっ!」
「はぁ、はぁ! 蹴太ぁ! 走れぇぇっ!」
健一は奪ったボールを、前線にいる蹴太に向けて、残された体力を全て振り絞って大きく蹴り出した。
しかし、スライディングで体勢を崩したまま無理な体勢で蹴ったため、ミートしきれなかった。ボールは不規則な縦回転のフック回転を生み出し、蹴太の頭上を大きく越えようとする、強すぎて高すぎる浮き球のクリアパスになってしまったのだ。
「あっごめん! 蹴太! デカすぎた! 追わなくていい!」
(あれはいくらなんでも取れないだろ。そのままタッチラインを割るな)
健一が自身のパスミスを大声で謝罪し、吉峰チームの最後尾にいたDFの渡辺も「ボールが流れる」と判断して、落下地点へと歩いて向かおうとした。
(いや、取れるな。これくらい)
蹴太だけは、回転しながら落下してくるボールから目を離さず、タイミングを見計らいながらゆっくりと落下地点へと歩み寄った。そして・・・
―――ピタッ。
グラウンドに、奇妙な静寂が落ちた。
縦回転がかかり、土のグラウンドに落ちれば大きく不規則にバウンドするはずだった勢いのあるボール。それが、蹴太が軽く右足を突き出した瞬間、跳ねることも、音を立てることもなく、まるで強力な磁石で吸い寄せられたかのように足元にピタリと収まっていた。
ボールの勢いを完全に殺す、固有スキル【吸着トラップ】が発動した瞬間だった。
「なっ!?」
真っ先に驚愕の声を上げたのは、中盤からその光景を見ていた春樹だった。
(なんだ今のトラップ!? あんな回転のかかった勢いのあるボールを、ワンタッチで完全に自分の足元に殺しただと!? プロの試合でしか見たことないぞあんな技術!)
春樹だけではない。ボールがこぼれると油断して歩いていた渡辺や、ベンチから身を乗り出した明里、そして主審の居舘も一瞬にして目を見開いて硬直した。
しかし、周囲がそのあり得ない光景に驚愕してフリーズしている間にも、蹴太はすでに次の行動に移っていた。
(さぁて、サッカーの神の祝福というヤツを見せてやろうか!)
蹴太は足元に吸い付いたボールを前に押し出し、一気にトップギアに入れた。
ステイタス画面に表示されていた【スピード:A663】と【ドリブル:A660】の異常な数値が、肉体の動きとなっていかんなく発揮される。
「くっ! させん!」
我に返った渡辺が慌てて蹴太の前に立ち塞がり、進行方向を塞ごうとする。しかし、蹴太はスピードを一切緩めることなく渡辺の目の前に迫ると、右足のアウトサイドでボールを外側へ押し出すと見せかけ、瞬時に足首を返してインサイドで内側へとボールを引いた。
エラシコだった。
(はっ!? 消えっ!?)
渡辺の目には、蹴太の足元にあったボールが消えたように見えた。
完全に重心を逆につかれた渡辺は、グラウンドに無惨に尻餅をついた。
蹴太は彼を全く意に介することなく、そのままゴールへ向かって一直線に駆け抜ける。その理不尽なまでの圧倒的なドリブルスピードに周囲の選手は全く反応できなかったが、キャプテンの春樹だけが必死の形相でペナルティエリア手前に立ち塞がった。
春樹は極端に重心を低くし、蹴太の肩の揺れとボールの動きに全神経を集中させる。
(へぇ。全国で頂点に立ちたいっていうのは本当みたいだな。いい集中力だ)
蹴太は春樹の目の前で右足の裏を使ってボールを引き寄せると、身体を左に大きく傾けてフェイントを入れ、瞬時に右のアウトサイドでボールを弾き出した。
(! 速い! 鮮やかすぎる!)
春樹の視界から、一瞬にして蹴太の姿がブレて消えた。それは、居舘が練習の時に体験したのと同じ、圧倒的なスピードよって生じる脳の錯覚だった。
春樹がハッと横を振り返った時には、すでに蹴太は彼を置き去りにし、GKの佐々木と完全に一対一になっていた。
「佐々木君! 出ろ!」
春樹の叫びに反応して佐々木が前に飛び出そうとした瞬間、蹴太は固有スキル【クイックモーション】を発動。膝下の振りかぶりの動作を極限まで省略した、予備動作ゼロの右足のインサイドキックが放たれた。
キーパーが一歩を踏み出すよりも早く、ボールはゴール左隅のネットへ向かって鋭く突き刺さった。
――バサァッ!
ボールがゴールネットを激しく揺らす音が、静まり返ったグラウンドにやけに大きく響き渡った。
これで白河チーム:1―1:吉峰チーム。同点である。
「・・・え?」
アシストをしたはずの健一が、自陣の深くでポカンと口を開けたまま、間の抜けた声を漏らした。
「嘘でしょ!? ちょっと運動神経がいいだけじゃなかったの!? なに今の、ここまでスゴイの!?」
ベンチの明里は信じられないものを見たという驚愕の表情をし、ピッチ上のその他のメンバーも幽霊でも見たかのように固まっていた。
しかし、蒼空斗だけは満面の笑顔で、ゴールから無造作にボールを拾い上げる蹴太を見つめていた。
(蹴太め! 前に対決した時は本気じゃなかったな? というか、すごいな。俺が東京カイザースのジュニアユースにいた頃にも、あんな完成されたストライカーはいなかったぞ)
そんな周囲の熱狂と驚愕などつゆ知らず、ただ一人、まるで散歩でも終えたかのように平然とセンターサークルへ向かって歩く蹴太がいた。
その背中を見た春樹は、拳を強く握りしめ、ハッと我に返ってチームに活を入れた。
「お前ら! 落ち込むな! 下を向くな! まだ同点だ! 絶対に取り返すぞ!」
後半10分、たった一人の素人のプレーによってもたらされた失点のショックから立ち直れないチームメイトを鼓舞するため、春樹が大きく手を叩いて叫んだ。
(それにしても、神野君は本当にサッカー未経験の素人なのか? 嘘だろ。あのトラップの柔らかさ、ボールの置き所、そしてシュートのタイミング。あの動きはジュニアユース、いや、プロの下部組織であるユースのレベルにいても全くおかしくない)
そう戦慄する春樹だったが、試合は止まらない。
後半12分、春樹からパスを受けた蒼空斗が、今度は迷うことなく自ら前線へと駆け上がる。
(蹴太にだけ、あんなにいい格好はさせない! 俺だって!)
蒼空斗は身体の奥底から湧き上がる悔しさと高揚感を燃料にし、華麗なステップで白河チームの鈴木を軽々と抜き去り、ペナルティエリア内に侵入しようとした。
しかし、その目の前に立ちはだかる長身の影があった。
「なっ! 蹴太!? お前、FWだろ!」
「悪いな、月影。今どきのモダンなFWは、前線から戻って守備もしないといけないんだよ。面接でも【献身性】はアピールポイントになるからな。そのボール、もらうぞ」
「くっ! 舐めるな!」
蒼空斗は蹴太の重心の逆を突こうと右へボールを躱そうとしたが、蹴太は蒼空斗の肩の動きから完全にドリブルコースを読み切り、それよりも早く長い足を伸ばして、あっさりとボールを刈り取った。
(甘いな。前世で何度、俺が圧倒的なフィジカルとスピードを持った外国人選手と対峙して、絶望してきたと思ってる。あの時の理不尽な化け物どもに比べれば、これくらいは悪いが造作もないぜ)
自陣深でボールを奪った蹴太は、そのままゆっくりと前を向いてドリブルで駆け上がった。
吉峰チームのディフェンス陣は完全に前がかりになっており、蹴太と相手ゴールの間には広大なスペースが広がっている。
(パスを出してもいいが、せっかくだ。あのスキルも試させてもらうぜ)
蹴太はステイタス画面に輝く固有スキル【パワーシュート】の文字を頭に強く意識すると、センターラインを少し超えただけの、ゴールまで優に三十メートル近くはある位置から、助走すらつけずに右足を無造作に、しかし強烈に振り抜いた。
――ドバァァンッ!!
空気を切り裂いて放たれた弾丸シュートは、三十メートルの距離を全く失速することなく、真っ直ぐに相手ゴールの右上隅、ゴールキーパーが絶対に届かないコースへと向かっていく。
「え?」
吉峰チームの誰もが、その一直線の軌道をただ呆然と目で追うことしかできなかった。
GKの佐々木に至っては、ボールに反応して一歩を踏み出すことすらできず、ボールが自陣のゴールネットに突き刺さったのをただ見送った。
白河チーム:2―1:吉峰チーム。
グラウンドは、先程以上の深い静寂に包まれた。歓声すら上がらない。ただ、絶対的な暴力のような【才能】を前に、全員が言葉を失っていた。
(これが才能か。虚しいな)
汗ひとつかかず、呼吸すら乱していない。ただ神から与えられた圧倒的な力だけで、コートを完全に支配してしまった蹴太。
振り返れば、泥だらけになって必死に戦う健一や、自分の身を削ってまでサッカーに焦がれる蒼空斗がいる。
しかし、これほどのスーパープレーを連続で成し遂げてもなお、蹴太の胸の内に達成感や喜びは一切なく、ただ残酷なまでの冷たい虚無感だけが広がっていた。




