8.痛感するブランク
蹴太が居舘にサッカーのルールを教えてもらっている中、グラウンドでは青下中学と松野川中学のサッカー部員たちが合同で基礎練習を行っていた。
すると、松野川中学のサッカー部員である伊野新太が、興味津々といった様子で蒼空斗に話しかけてきた。
「なぁなぁ! 月影君って、あの東京カイザースのジュニアユースにいた月影だよな! 怪我治ったのかよ!」
「あ、あぁ。一応主治医からはサッカーをする許可はもらっているよ。えっと・・・」
「あっ! 俺は伊野新太ね! FWの中でも右ウィングだから、ガンガン俺にパス出してくれよ! お前の鮮やかなパス、期待しているからな!」
伊野はそう言うと、親しげに蒼空斗の背中を叩いてドリブル練習へと向かっていった。一方の蒼空斗は、基礎練習の一環であるラダートレーニングを黙々とこなしていた。
(鮮やかなパス、か)
ラダートレーニングで細かくステップを踏みながら、蒼空斗は先程の伊野の言葉を脳内で再生していた。すると、隣の列で同じくラダートレーニングを行っていた健一が話しかけてきた。
「なぁ月影」
「ん? なんだい? 白河君」
「月影は、向こうのドリブル練習やパス練には加わらないの? みんな見たいんじゃない? 月影蒼空斗の圧倒的なテクニックを!」
「テクニックね・・・」
「? どうしたの?」
蒼空斗は少しだけ自嘲するように笑い、健一へ向かって口を開いた。
「いつか分かることだから、正直に教えておくよ。俺はもう、怪我をする前の状態には戻らないと思う」
「えっ・・・」
「今もボールを使わずにラダートレーニングとか走り込みを行っているのは、一から身体づくりをするためなんだよ。1年以上、本格的なサッカーから離れていたからね」
「それは・・・」
「もちろん、全ての経験値が0に戻ったわけじゃないから、ある程度のことはできる。ただ、今の俺がジュニアユースのレベルかと言われると、全く違う」
健一は、聞いてはいけない残酷な事実を聞いてしまったと思い、なんとも言えない表情を浮かべた。しかしそれを見た蒼空斗は、パッと明るい笑顔を作って健一に告げた。
「でも、心配しないで! 必ずレベルは上げる。全く同じにはならないかもしれないけど、必ずチームを全国の舞台に持っていけるレベルにまでは戻すよ!」
「・・・そうか! 期待してるぜ!」
健一はそれ以上何も言わず、力強く頷いて蒼空斗と一緒にラダートレーニングを続けた。 しばらくすると、蹴太と居舘がみんなのもとへと戻ってきて、全体に集合をかけた。
「7対7の変則試合、ですか?」
松野川中学のキャプテンである春樹が、居舘の提案に疑問の声をあげた。
「そうだ! お互いのことを理解するには、まず実戦形式で相手がどんなプレーをするのかを確認するほうがいい。とりあえず、青下中学のキャプテンの白河君と、松野川キャプテンの吉峰のチームに分けるぞ」
居舘はそう言うと、両校のメンバーを混ぜ合わせた2つのチームを発表した。
白河チーム(8名)
神野蹴太(青下)
山本明信(青下)
田中翔太(松野川)
鈴木一平(青下)
白河健一(青下)
中村直樹(松野川)
斎藤光夫(松野川)
中野聡(松野川・GK)
吉峰チーム(7名)
伊野新太(松野川)
中山修(松野川)
高橋一郎(青下)
月影蒼空斗(青下)
吉峰春樹(松野川)
渡辺健吾(松野川)
佐々木五郎(青下・GK)
「とりあえず、今日はこのメンバーでミニゲームをしてみよう。コートの大きさはいつもの半分くらいで、時間は15分を前後半に分けた30分で行う。いいな!」
居舘の指示に全員が大きな声で返事をし、それぞれのキャプテンを中心に集まって作戦会議を始めた。
「えーと、うちのチームは一人多いな・・・すまん蹴太! お前は後半から出るってことにしてくれ!」
「あぁ、まぁいいぜ」
健一率いる白河チームは人数の関係で8人となり、吉峰チームよりも1人多かった。そのため、健一は【ルールを知ったばかりの初心者】である蹴太を、一旦ベンチスタートとさせたのだ。
「じゃあとりあえずのフォーメーションだが、全員の普段やってるポジションから考えると3-2-1って感じで、DFを三人にしようと思う。いいか?」
健一の提案に特に異を唱えるメンバーはおらず、すんなりとフォーメーションが決定した。
一方その頃、春樹率いる吉峰チームも作戦が決まっていた。
「じゃあフォーメーションは2-3-1で。トップ下に月影君を置いて、両サイドは伊野と高橋君。後ろのDFは俺と渡辺。GKは佐々木君で、トップは中山に任せた」
春樹はゆっくりと、的確にメンバーへポジションを伝達した。そしてそれが終わると、新太が蒼空斗の背中をバシッと叩いた。
「期待しているぜ! 天才君!」
「まぁ、ぼちぼちね」
お互いの作戦が決まったところで、健一と春樹は居舘にスターティングメンバーを伝えた。それを聞いた居舘は、健一のチームのスタメンに蹴太がいないことに気づく。
(神野君はスタメンじゃないのか? なにか意図があるのか? まぁいい。とりあえず今は、全員がこの状況でどれだけ動けるかを確認しないと)
居舘は、まずこの試合で選手全員の特徴をフラットに掴もうと考えていた。
両チームがそれぞれのポジションに着き、主審を務める居舘のホイッスルで、試合が開始された。
■■
試合はまず、吉峰チームのボールから動いた。トップのポジションにいた中山が、下がって受けにきた蒼空斗にパスを出す。
(さぁ! 天才の華麗なパスを見せてくれよ!)
伊野は蒼空斗にボールが渡った瞬間、一気に右サイドを駆け抜け、オフサイドラインぎりぎりでディフェンスの裏へ飛び出した。
(見えた。あそこだ)
蒼空斗の目は、伊野の完璧な動きを的確に捉えていた。そのため、最適な強さとタイミングのスルーパスを出すよう、右足の筋肉に指令を送る。
しかしその一瞬、治ったはずの右足が、頭の中のイメージよりもほんのコンマ数秒だけ遅れて動いた。
放たれたパスは伊野の足元に正確に届いたが。
「ピピッー! オフサイドだよ、伊野。7人制とはいえ、ルールは通常に準拠するからな!」
「すみません。気をつけます」
(なんだよ。パスが出てくるタイミングが遅いんだよ。天才なら、俺が走った瞬間に足元へピタリと出してくれよ・・・)
伊野が少し不満げにオフサイドの位置から戻るのを見て、蒼空斗は軽く息を吐いた。
(伊野君の飛び出しが少し早かったとはいえ、怪我前ならボールをもらってダイレクトでパスを出せていた。だけど今は、ワンタッチ入れないと蹴れなかった。これがブランクか)
蒼空斗は先程のワンプレーで、自分のフィジカルの残酷なまでの衰えを確信してしまった。しかし、すぐに頭を振って雑念を振り払い、白河チームの攻撃に備える。
■■
(蒼空斗・・・)
「なんだ? 愛しいお兄様の心配か?」
「そうですよ!」
「お、おぅ」
青下・松野川合同サッカー部のマネージャーとなった明里と共に、蹴太はベンチで試合を観戦していた。明里は両手をぎゅっと握り締め、心配そうに双子の兄である蒼空斗を見つめている。
「まぁ、見た感じ問題ねぇんじゃないの? さっきのオフサイドだって、伊野ってやつが早く飛び出し過ぎただけだ。パスミスってわけじゃないだろ」
「いいえ。悔しいけど、怪我前の蒼空斗ならあの伊野君の動きにも対応できていたわ。サッカーは、ほんのコンマ何秒の遅れが明暗を分ける。あの時、蒼空斗がもう半歩早くパスを出せていれば、確実に裏へ抜け出して1点先制だった」
「・・・まぁ、そうだろうな。頭の中のイメージの伝達スピードに、筋肉の出力が全く追いついてない。視野の広さは健在みたいだが、フィジカルとボールタッチが完全に【ブランクのある素人】のそれだ」
「し、素人って・・・そこまで言わなくてもいいじゃない!」
「事実だろ。昨日サッカーを始めた俺のほうが、まだマシなトラップするぜ」
初心者らしからぬ的確な言語化で蒼空斗の現状を鋭く分析し、蹴太はつまらなそうに頬杖をついた。
試合はまもなく10分が経過しようとしていた。蒼空斗の不調もあり、試合は意外にも拮抗し、スコアは0-0のまま動かなかった。
■■
(やっぱり、月影は怪我の影響が色濃いな。俺が小学生の時に見た月影のトラップは、まるで足に磁石がついているようだった。しかし今は平凡。いや、たまにトラップが大きくなって、ボールが流れている)
自陣でボールをキープしている春樹は、じっくりと最終ラインを押し上げながら、冷静に蒼空斗の様子を観察していた。そして、前線のスペースへ顔を出した蒼空斗に縦パスを打ち込んだ。
(やっぱり、まだ思い通りには身体が動かないか。なら、今の俺にやれることをやる!)
春樹からの強いパスを受けた蒼空斗は、自身のボールタッチの粗さを痛感しながらも、前を向いた。それでも、染み付いたドリブルテクニックは完全に錆びついてはいなかった。
ディフェンスに寄せてきた白河チームの斎藤を、細かいタッチのシザーズで抜き去ると、ペナルティエリア内に侵入し、GKの中野と一対一の勝負になった。中野が鋭く前に飛び出してきたため、蒼空斗は咄嗟に右足を振り抜き、シュートを放つ。
(くそっ!)
少しだけボールの芯を外した蒼空斗のシュートは、惜しくも右のゴールポストに激しく当たり、弾き返された。
しかし、その弾かれたボールの落下点に、猛然と走り込んでくる影があった。春樹だった。
(まさか、あの天才が決定機を本当に外すとはな・・・)
春樹は、万が一蒼空斗がシュートミスをしてもいいように、最初からセカンドボールを拾うことだけを考えて全速力で駆け上がってきていたのだ。こぼれ球にいち早く反応した春樹は、無人のゴールへ冷静にボールを叩き込んだ。
(今の俺はまだこのレベル、か)
膝に手をつき、悔しそうに下を向く蒼空斗。
そのゴールが決まった直後、白河チーム:0―1:吉峰チームとなったところで、居舘が前半終了のホイッスルを長く吹き鳴らした。




