59.U15日本代表VSU15イタリア戦―――5
「ゴォォォォォォォォォォォォル!!!! ゴラッソォォォォォォォォォォッ!!」
実況アナウンサーの声がまるで限界まで張り詰めた弦が弾けたかのように、マイクの許容量を完全に超えて割れ、割れた音声のまま全国のテレビのスピーカーへと響き渡った。
スタジアムを包み込んでいたイタリアサポーターによる地鳴りのような歓声は、たった一瞬にして静寂へと変わり、それに代わってそれまで息を潜めていた日本のサポーターたちの爆発的な絶叫が、夜空を物理的に震わせるほどの凄まじい音圧となってスタジアムを支配した。
「ゴラッソ! アメイジング! 信じられません! 神野蹴太のまさに電光石火、いや、それを超える神速のダイレクト・ボレーシュート!! ペナルティエリア内に侵入した彼に対し、イタリアのGKドナルーマとカバーに入ったバストーニが完全にコースを塞いだかに見えました! しかし! 神野はボールをトラップすることなく、後方からの難しいボールをそのまま、ノーステップで空気を切り裂くような右足のダイレクト・ボレーでゴールネットに突き刺しましたぁぁぁっ!」
アナウンサーは目の前で起きたあまりにも非現実的なプレーに、もはや実況としての冷静さを完全に失い、一人のサッカーファンとして喉を枯らして絶叫し続けていた。
「見事に! 実に見事に! 欧州が世界に誇る絶対的な盾、あの強固なカテナチオの分厚いかんぬきを粉々に砕き散らし、U-15日本代表が後半23分、1-1の同点に追いつきましたぁぁぁぁっ! なんという中学生! なんというストライカーでしょうか! 彼は本物です! 神野蹴太は間違いなく世界に通用する、日本の本物の【怪物】です!」
テレビの画面の向こう側、蒼空斗の自宅リビングでも健一がクッションを天井に向かって力任せに放り投げ、涙を流しながら絶叫してソファの上を転げ回っていた。春樹も明里も立ち上がって言葉にならない歓声を上げている。
そして蒼空斗は握りしめていたタブレット端末を震える手でテーブルに置き、信じていた友の放った歴史的なゴールに、ただ静かに、しかし胸の奥から込み上げる熱い感情を噛み締めていた。
■■
アナウンサーがテレビの前の視聴者に向けて、興奮冷めやらぬ熱狂的な実況を繰り広げているその頃。
ピッチ全体を俯瞰で見渡すことができる関係者席では、ナショナルダイレクターである柳野がスーツの皺も気にすることなく、勢いよく椅子から立ち上がっていた。
「よしっ!!」
普段はどんな劇的なゴールを見ても表情一つ崩すことなく、冷静に戦術的分析を続けるあの柳野が、両拳を固く握りしめ、ガッツポーズと共に腹の底から絞り出すような歓喜の声を漏らした。その極めて珍しい姿に隣に座っていた部下の氷川はピッチと柳野の顔を交互に見比べながら驚愕に目を見開いていた。
「神野君・・・なんていうシュートですか、あれは・・・信じられません!」
氷川の声もまた、興奮で微かに震えていた。彼女の手元のPCには、イタリアの強固な守備陣形をどうやって崩すかという悲観的な分析がびっしりと書き込まれていたが、その全てがたった一つの理不尽なプレーによって完全に無に帰した。
「すごい・・・本当にすごいです。イタリアの誇る強固な守備陣、あのスカモーニとガッティのカバーリングを異常な急減速と再加速で完全に抜き去ったスピードとボディコントロールもさることながら・・・九条君からのあの強烈なスピンのかかった難しい軌道のパスを、ペナルティエリアという極限のプレッシャーの中でトラップもせずにダイレクト・ボレーで決めるだなんて・・・普通のストライカーなら、いや、プロのストライカーでさえ、一度足元に収めようとして、結果的にシュートコースを消されて終わっていたはずです!」
氷川の心底からの驚嘆だった。
しかし柳野は小さく深呼吸をして己の興奮を抑え込むと再び椅子に腰を下ろし、鋭い眼光をピッチへと向けたまま、淡々と、だが確かな熱を帯びた声で氷川に伝えた。
「あぁ、その通りだ。神野のあの決断力、そしてそれを完璧に実行するシュート技術はもはや日本の中学生年代という枠には到底収まりきらない、世界トップクラスの代物だ。だが、俺が賞賛したいのはそれだけじゃない」
「それだけじゃない、ですか?」
氷川が問い返す。
「あぁ。あのゴールを生み出したその前の【プロセス】だ。九条のあのパスを見ただろ」
柳野は膝の上で組んだ指先でピッチの自陣に戻っていく九条隼人の背中を指し示した。
「九条は相手のインサイドハーフが釣り出された、ほんのコンマ数秒の隙を見逃さず、ドリブルでバイタルエリアに侵入した。そこまではいい。優秀なパサーなら誰でもやる。だが、九条はあそこで相手のセンターバックであるバストーニが自分に寄せようか判断する一瞬、まさにそのタイミングで前線を一切見ることなく、あの極小のスペースへ、一切の躊躇なく、刀を振り抜くように左足を振り抜いてボールを蹴り込んだ」
柳野の言葉に氷川はハッとしてピッチを見た。
「一瞬でも・・・もし九条が神野の動き出しのタイミングを目視で確認しようとして、コンマ数秒でもパスを出すのを迷い、躊躇していれば・・・イタリアのカバーリングは確実に間に合っていた。そして、神野がスピードを落としてパスを待つような凡庸なストライカーであれば、あのパスはそのままGKドナルーマにキャッチされて終わりだった」
柳野は薄く笑みを浮かべた。
「【パスを出してから走る】のではない。【走るのを見てからパスを出す】のでもない。互いが互いの【極限のプレー】を信じ切り、完全に呼吸をシンクロさせた、まさに奇跡のようなタイミング。久森の野郎、ハーフタイムのわずかな時間であの中学生たちにどれだけ難易度の高い、狂気じみた要求をしたんだ。そしてそれを一発勝負のピッチで完璧に体現してみせた九条と神野。末恐ろしい才能どもだ」
柳野は身震いするような感覚を覚えながら自分の興奮を抑え込み、淡々と氷川に伝えた。そして氷川は柳野の戦術的な解説を聞き、改めてピッチ上で涼しい顔をして自陣へとゆっくり戻っていく背番号9、神野蹴太の姿を見た。
先ほど世界最高峰の盾を粉々に打ち砕く、歴史的なゴラッソを決めた直後だというのに、彼は過剰に喜んでユニフォームを脱ぐこともなく、サポーターに向かって咆哮することもなく、まるで「決めて当然だ」とでも言わんばかりのあまりにもふてぶてしく、落ち着き払った態度だった。
「本当に、恐ろしく、そしてすごいストライカーです・・・神野君は。U-15という世代において、いや・・・もしかしたら長きにわたる日本のサッカーの歴史の中でも、これほどまでに理不尽な【個】の力と、冷徹なメンタルを持ち合わせたフォワードは過去に存在しなかったかもしれません」
氷川もまた蹴太のその計り知れない底知れぬ力に驚愕し、そして日本の未来を託すほどの強烈な期待を込めた目で彼の背中を見つめていた。
■■
超満員のスタジアムが同点ゴールによる熱狂の渦に巻き込まれ、何万本もの青いフラッグが波打つように揺れ動いている中。
歴史的なダイレクト・ボレーシュートを決めた張本人である神野蹴太は、熱狂の中心にいながらも自陣のセンターサークルへとゆっくりとジョグで戻りながら、自身の視界の端にだけ表示される、半透明のホログラムのような【ステイタス画面】を静かに呼び出していた。
前世の記憶と共に彼に与えられたサッカーの神からの理不尽な寵愛。
蹴太はゴールを決めた直後の高揚感を冷ますかのように、無機質な数字の羅列を淡々と確認していく。
――――
神野蹴太
【基本スキル】
フィジカル:F156
スピード:E210
ドリブル:E210
スタミナ:F198
シュート:E286
キープ:F157
パス:F164
【固有スキル】
・神の寵愛:圧倒的なサッカー選手としての能力が付与される
・決定力:シュート時、ボールがゴールの枠内に収まりやすくなる
・両利き足:両足が利き足になり、ボールをコントロールできるようになる
・クイックモーション:威力は下がるが、クイックシュートを撃てるようになる
・ピンポイントクロス:対象に対してピンポイントでクロスをあげられるようになる
・精密パサー:パスミスがなくなり、精度が上がるようになる
・キラーパス:的確なスルーパスを出せるようになる
・パワーシュート:ミドルレンジからのシュートが入りやすくなる
・ヘディング:ヘディングシュートが入りやすくなる
・吸着トラップ:トラップミスがなくなるようになる
・ワンタッチ:ワンタッチでプレーができるようになる
・丈夫な身体:怪我がしにくくなる
・フリーキッカー:フリーキックがゴールに収まりやすくなる
・ブロッカー:相手と身体を密着させることで、パスとシュートを封じやすくする
・瞬間最高初速:一歩目で自身の最大スピードを出せる
・チェンジオブペース:自在に緩急をつけられる
・ダイレクト・ボレー:ダイレクト・ボレーシュートの精度と威力が上がる
――――
(・・・ふむ)
蹴太は走りながら微かに息を吐いた。
(新しい【スキル】自体は今まで通り、限界の状況を突破することで覚えられる。だが根本的な基礎となる【ステイタス】の数値の伸びはランクの制限が無くなってから目に見えて鈍化してきているな)
実際、蹴太のステイタスは世界基準へと器が拡張されて以降、まだFやEと示すものが多かった。
(まぁ、それでも常人からしたら異常な伸び率か)
蹴太は脳内のスイッチを切るようにしてステイタス画面を視界から消去した。そして画面を消した直後、背中にズシリと重みがかかった。
「しゃぁぁぁぁぁぁぁぁっ!! 神野ぉぉぉぉぉぉっ!!」
背後から凄まじい勢いで突進してきた右サイドバックの青星が、歓喜の雄叫びを上げながら蹴太の背中に思い切り飛び乗るようにして激しく抱きついてきた。
「ぐぇっ!」
「さっすがや! さっすが神野やで! あの超絶ウルトラC級のボレーシュート、なんやねんあれ! マンガの世界か! お前はやっぱり、俺が最初から見込んだ通りの最高の男やでぇぇぇ!」
青星は蹴太の首に腕を巻き付け、自分の顔を蹴太の頭に擦り付けるようにして興奮のままに大声でわめき散らした。
直後、横畑や三國、外丸といった中盤の選手たちも駆け寄り、蹴太を中心に歓喜の輪が形成されていく。
「おい、バカ、痛ぇよ! だからいちいち俺に飛び乗って抱きつくな!」
蹴太は顔をしかめながら、背中に張り付いている青星を無理やり引き剥がそうと身体を捩った。
「ええやんか! 同点やで、同点! あんなイタリアのガチガチの壁を粉砕したんやから、少しくらい喜ばせろや!」
青星が満面の笑みで抵抗する中、蹴太がなんとか彼を自分の身体から離していると、歓喜の輪の少し外側でトップ下の九条隼人とバチリと目が合った。
九条は蹴太の周囲で騒ぐチームメイトたちには加わらず、ただじっと、射抜くような鋭く、しかし深い熱を帯びた瞳で蹴太を見つめていた。
蹴太もまた青星の腕を振り払い、九条のその視線を真っ直ぐに見つめ返した。
二人の間には言葉以上の、極限のプレッシャーの中で最高難度のプレーを共に一発で成功させた者同士にしか分からない濃密な空気が流れていた。
「・・・ナイスパスだ、九条」
蹴太が短く、しかし確かな称賛を込めて言葉を紡ぐ。
「ナイスシュートだ! 神野!」
九条もまたそれに応えるように、満面の笑顔で短く言葉を返した。
二人はゆっくりと近づき、お互いの右手を高く上げ、力強く乾いた音を立ててハイタッチを交わした。そしてハイタッチを交わした後、九条は蹴太が油断して少しだけ表情を緩めたその隙を突き、ニヤリと笑って蹴太の首にガシッと勢いよく肩を組んだ。
「あっ! おい、お前!」
蹴太が驚いて顔をしかめる。
「いやー! それにしても本当にすごいな神野は! バケモノかお前は!」
九条はテンションを高くして弾んだ声で話し始めた。
「俺はパスを出した瞬間、頭の中で【俺のパスをトラップして、タメを作ってからシュートを撃つ】っていう俺なりの理想のゴールを思い描いていたんだ。だけどあそこでトラップなんていう無駄な手順を一切省いて、あの強烈なスピンのかかったボールを、空中で叩き落とすようなダイレクト・ボレーで突き刺すなんて! あれは俺の頭の中にあった【理想】を遥かに凌駕する、理想以上のゴールだった! 最高だぜ、お前は!」
九条は自身の描いた青写真を見事に破壊し、さらに芸術的な完成度へと昇華させた蹴太の理不尽なまでのストライカーとしての能力に、パサーとして心からの歓喜と興奮を爆発させていた。
「いいから、暑苦しいから離せ。それにまだ同点に追いついただけで試合は終わってないぞ。浮かれるのは勝ってからにしろ」
■■
蹴太たちが自陣のセンターサークル付近で同点ゴールの歓喜に浸り、スタジアムの日本サポーターが狂喜乱舞している頃。
失点を喫したU-15イタリア代表のメンバーたちは、自陣のペナルティエリア付近でそれぞれが重く、悔しさに満ちた表情を浮かべていた。
特に守備の要である3人のセンターバックの顔色は青ざめていると言ってもいいほどだった。
(・・・やられた。完全にやられた!)
イタリアのキャプテンであり、ディフェンスリーダーであるスカモーニは、ゴールネットからこぼれ落ちたボールを拾い上げながら、ギリッと音を立てて奥歯を噛み締めていた。
普段はどんな状況でも感情を表に出さない彼だったが、今ばかりはその巨大な拳を白くなるほど強く握りしめ、屈辱と怒りを必死に押し殺していた。
(あの日本の9番。スピードがあるのは前半のプレーで分かっていた。だが、あんな異常なまでの急減速と再加速・・・人間の考えられる限界の【チェンジオブペース】の技術とボディコントロールがあるとは!)
スカモーニの脳裏に先ほどの失点シーンが鮮明にフラッシュバックする。
自分の横をトップスピードで抜き去った直後、蹴太の身体はあり得ないほどの制動力でピタリと止まり、ガッティの完璧なタイミングのスライディングをひらりと躱してみせた。そして、そこからのゼロスタートでの爆発的な再加速。さらに九条からの高難度のパスをトラップせずにダイレクトで叩き込む異常なシュートセンス。
(あれはただの足が速いだけのストライカーじゃない。本能だけで動いている野生児でもない。戦術と組織のほころびを理不尽な【個】の力で強引に抉じ開ける、真のバケモノだ)
スカモーニは自陣に戻っていく背番号9の後ろ姿を目でジッと見つめた。
(あの9番・・・もしかしたら南米の・・・ブラジルのあの【クリスティア】レベルの怪物なのか?)
スカモーニの脳裏に一人の選手の姿がよぎった。
欧州のクラブユースの大会で、強固な守備陣をたった一人で壊滅させて文字通り【蹂躙】していった、ブラジルの至宝にしてサッカー選手の最高到達点。同世代にしてすでに世界最高峰のクラブから熱視線を浴びている、絶対的な才能【クリスティア】。
そのクリスティアが放っていた、ディフェンダーを絶望の淵に叩き落とすような、あの理不尽で暴力的なまでのプレッシャー。それを今、無名のアジア人から感じ取っていた。
(・・・いや、あんなバケモノがこの世界にポンポンと何人もいてたまるか。しかもアジアに。次は絶対に抑え込められる!)
スカモーニは一瞬浮かんだ弱気な、トラウマのような考えを振り払うように激しく頭を振った。そして、呼吸を整えるとイタリアの指揮官がいるベンチへと視線を向けた。
そこにはすでにピッチサイドで激しく身体を動かして準備を進めている、三人の交代メンバーの姿があった。
(サンドロとダービィ。あの豊富な運動量と攻撃力を誇るうちの強力な両ウイングバックの控え。そして、195センチの巨体を持つFWのジャンルカか。両ウイングバックとFWの3枚同時交代。監督は前線の基準点を作り直し、サイドからの攻撃のテンポと圧力を思いっきり変えて、確実に勝ち越し点を奪いに来るつもりだな)
スカモーニはベンチの意図を瞬時に完璧に理解すると、すぐさまイタリアイレブンをペナルティエリア内に集め、キャプテンとして短く、しかし強い口調で声をかけ、次の動きと陣形の修正を指示した。
「いいか、失点したことはもう忘れろ! 引きずっている暇はない。まずはベンチが動くまで守備のブロックを再構築し、カウンターへの備えを徹底しろ。あの9番にはこれ以上絶対に前を向かせるな! 死ぬ気で潰せ!」
「「「了解!!」」」
イタリアの選手たちがキャプテンの言葉に再び目をギラつかせ、闘志を取り戻す。
そして後半25分。
スタジアムが日本の同点ゴールによる異様な熱狂に包まれたまま、U-15イタリア代表のレテギのキックオフによって試合はリスタートした。
「よしっ! この勢いで一気に逆転までいくぞ!」
ヤンセンが日本代表イレブンに伝えた。同点に追いつき、完全に勢いづいた日本代表はキックオフ直後から九条や蹴太を中心に、前線からアグレッシブにプレスをかけにいった。
しかし。
(・・・ん? 思ったよりも、かなり守備的だな)
前線でイタリアのディフェンスラインにプレスをかけようとした蹴太は、イタリアの陣形とボール回しの異変にすぐに気がついた。
失点して同点に追いつかれたイタリアは、怒り狂って猛攻を仕掛けてくるかと思いきや、むしろその逆だった。キックオフ直後から両ウイングバックは最終ラインにベタ引きして5バックを形成し、ボールを無理に前線へ運ぼうとせず、自陣でロカテッリを中心に極めて安全でリスクを完全に排除したボール回しに徹していたのだ。
(まるで後半の最初のような引きこもりだ・・・いや、違う。前線のレテギやキエーザのポジショニング・・・これは俺たちが前がかりになって隙を見せるのを待っている。完璧なカウンター狙いか)
蹴太はイタリアの意外なほどの守備的で冷静な再開に不気味な疑問を持ちながらも、ボランチのロカテッリの動きを監視しつつ、いつでも相手の裏のスペースへと抜け出せるように、虎視眈々と前線でスタンバイを続けた。
しかしイタリアの守備ブロックは蹴太の先ほどのゴールによってさらに警戒度と密度を増しており、日本の九条や横畑からのパスはことごとく網に掛かるようにインターセプトされてしまう。
そのため後半28分になっても互いに決定的なチャンスを作るような大きな動きはなく、中盤での息詰まるようなボールの奪い合いと膠着状態が続いていた。
そして日本の陣地深く、イタリアの右サイドからのスローインで試合が再開する直前。ついにイタリアのベンチが動いた。主審が時計を止め、第四の審判が交代を告げる電子ボードを高々と掲げる。
【OUT RWB ジョバンニ・ディ・ウドジェ 背番号5】
【OUT LWB フェーデ・ディマルコ 背番号8】
【OUT FW フーリ・キエーザ 背番号11】
電光掲示板に交代でピッチを退く選手の名前と背番号が表示される。前半から無尽蔵のスタミナでサイドを上下動し続けていた両ウイングバックと、先制点のアシストを決めたスピードスターのキエーザがお役御免となる。
そして代わってピッチへと入ってくる選手の名前がアナウンスされる。
【IN RWB ダービィ・フラッテージ 背番号16】
【IN LWB サンドロ・トナーリ 背番号14】
【IN FW ジャンルカ・スカマッカ 背番号13】
ピッチサイドで交代する選手同士がハイタッチとハグを交わし、新たな三人の青い戦士たちが闘志を漲らせてピッチへと足を踏み入れた。
蹴太はセンターサークル付近から新たに投入された選手たち、特に前線へと向かってくる背番号13のフォワードの姿を見て思わず眉をひそめた。
(・・・おいおい。交代で入ってきたあのFW、なんだありゃ。デカすぎねぇか? もしかして、うちのヤンセンよりもでけぇんじゃねぇか?)
蹴太の視線の先にはまるでプロレスラーか、あるいは城門を破壊するための攻城兵器のような、規格外の巨躯と分厚い筋肉の鎧を纏った男、ジャンルカ・スカマッカが悠然とした足取りで前線の中央へと陣取っていた。
身長は間違いなく190センチ台後半。いや2メートルに迫るかもしれない。中学生の大会という枠組みを完全に無視したような、暴力的なまでの質量。
イタリアの三人の交代メンバーが定位置につき、主審のホイッスルで試合が再開された。
後半28分。
イタリアはスタミナが完全に有り余っているフレッシュな左右のウイングバック、フラッテージとトナーリが投入されたことにより陣形が劇的に変化した。
守備時は5バックで固めながらも、ボールを奪った瞬間、この両翼が狂ったような猛スピードで前線へと駆け上がり、攻撃と守備の切り替えのスピードが前半とは比較にならないほど飛躍的に跳ね上がった。
日本はこのフレッシュな両翼の運動量と交代で入った巨漢FWスカマッカの圧倒的なキープ力に振り回され、ボールを奪うどころか、自陣に釘付けにされる苦しい時間帯が続く。
同点に追いついた勢いは完全に削がれ、前半同様、いやそれ以上に攻めあぐねる絶望的な展開へと引き戻されていた。
そして後半35分。ついに牙を剥いたイタリアが日本のゴールへと襲いかかる。
「いけぇ! サンドロ!」
自陣深くでボールを奪ったボランチのロカテッリから、左サイドの広大なスペースへと正確無比なロングフィードが蹴り込まれる。
そこへ交代で入ったばかりの左ウイングバック、トナーリが有り余るスタミナに物を言わせた圧倒的なスプリントで走り込み、ボールをトップスピードのまま足元に収めた。
「させねぇっ!」
日本の右サイドバック青星が必死の形相でスライディングタックルにいく。
だがトナーリは青星のスライディングを嘲笑うかのように、ボールを軽く浮かせてかわすと、そのままペナルティエリアの左角付近まで深くえぐり込んだ。
そしてトナーリはルックアップすることなく、ゴール前へ向けて高速で鋭く曲がる、低弾道の悪魔のようなアーリークロスを蹴り込んだ。
「中央っ!」
GKの大童子が絶叫する。
そのクロスの落下点、ペナルティエリアのど真ん中へ向けて、交代で入ったイタリアの超巨漢FWのスカマッカが重戦車のような足音を響かせて一直線に走り込んでいた。
その質量とスピードが乗った突進はまさに恐怖そのもの。まともにぶつかればディフェンダーごとゴールネットに吹き飛ばされかねないほどの威圧感。
だがその巨大な質量による暴力的な突進に対し、日本の絶対的な防壁、左センターバックのヤンセンが表情一つ変えることなく、寸分の迷いも恐怖もなく、真っ向から踏み込んだ。
「うぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!!!」
ヤンセンは腹の底から獣のような咆哮を上げながら、スカマッカの突進コースへと自身の巨体を投げ打つようにして、強く、深く踏み込んだ。
ドォォォォォォンッ!!!
人間の肉体同士がぶつかり合ったとは思えないほどの、鈍く、そして重い衝突音がスタジアムに響き渡った。
「!?」
空中でぶつかり合った瞬間、スカマッカは驚愕に目を見開いた。
自身の195センチ、90キロを超える巨体による助走をつけた突進。同世代の欧州のディフェンダーでさえ、空中でバランスを崩して吹き飛ぶはずの自身の最大の武器。
しかし目の前の日本人のハーフのセンターバックはその暴力的で規格外な質量を、強靭極まりない体幹と背筋力で真っ向から完璧に受け止めた。
そればかりか、スカマッカの巨体に真っ向から身体をぶつけ、衝撃を完全に吸収したヤンセンは、そこからさらにバネのようにしなやかで長い両脚を激しくしならせて地を蹴り上げ、スカマッカの頭の半分以上も上へと、異次元の跳躍力で空高く舞い上がった。
「おらぁぁぁぁぁぁっ!!」
ヤンセンは空中で完全に制空権を掌握し、スカマッカを見下ろすような圧倒的な打点から全身の力を首に込めた渾身のヘディングで、悪魔のようなクロスボールをペナルティエリアの遥か外へと力強く叩き落としてクリアした。
「しゃぁぁぁぁぁぁっ!! ナイスクリア、ヤンセン!!」
スタンドの日本サポーターから、ゴールが決まったかのような割れんばかりの大歓声と拍手が沸き起こる。
ズシンッ!
ヤンセンがピッチに重い音を立てて着地する。
ほぼ同時に着地したスカマッカは自分が純粋なフィジカルコンタクトと跳躍力でアジア人に完全に敗北したという事実が信じられず、怒りと屈辱に顔を歪ませ、ヤンセンを殺すような鋭い目で睨みつけた。
だがヤンセンはその巨漢ストライカーの視線に対し、全く怯むことなく、むしろ挑発するようにニヤリと凶悪な笑みを浮かべ、視線すら外さずに真っ向から睨み返した。
「日本語が通じるかはわからんが、言っておくぞ」
ヤンセンは自身の胸にある八咫烏のエンブレムを力強く叩きながら、イタリア語でも英語でもなく、堂々たる日本語で吠えた。
「来るなら来いよ! 俺はこの日本の最終ラインを統べる絶対の壁だ! 俺を超えられるもんなら、超えてみな!」
日本が有する最高傑作の防壁の一人、ヤンセン・大河が欧州の頂点であるイタリアの暴力的なフィジカルに対し、一歩も引くことなく、その鋭い牙を剥き出しにして立ち塞がった。
しか、日本の守護神たちがどれほど魂の籠もったプレーを見せようとも、イタリアの攻撃の手が緩むことはなかった。
交代選手によって活性化されたサイド攻撃と中央のスカマッカという絶対的な基準点。日本はなんとかヤンセンと窪田のセンターバックコンビを中心に跳ね返し続けるが、防戦一方の極限状態が続いていた。
そして試合は終盤戦、後半38分を迎える。
イタリアの厚みのある攻撃を跳ね返し、こぼれ球を拾おうとした日本のボランチ、三國健のトラップがほんのわずかに長くなった。
疲労からくる、数センチのコントロールミス。だがその微小なミスをイタリアの【心臓】は決して見逃さない。
三國がボールをリカバーしようとした瞬間、死角から忍び寄るように距離を詰めていたイタリアのボランチ、ロカテッリが長い足をスッと伸ばしてボールを突っ突き、奪い取った。日本のトラップミスからの致命的なショートカウンターだった。
「くそっ! 戻れ!」
三國が絶叫する。
ボールを奪ったロカテッリはルックアップするや否や日本の守備陣の視線が巨漢のスカマッカに完全に集中している、そのほんの一瞬の意識の【ズレ】を完璧に見抜いた。
ロカテッリの右足から針の穴を通すような、地を這う超高速のグラウンダーのスルーパスが放たれる。
そのパスはヤンセンと窪田の間、コンマ数秒だけ開いた数メートルのスペースを一直線に切り裂いていった。
「っ! 裏だ!!」
GKの大童子が叫ぶ。
ロカテッリのキラーパスの先。そこに走り込んでいたのは巨漢のスカマッカではない。
前半、完璧なポジショニングとシュート技術で日本のゴールを打ち破った、イタリアが誇る絶対的なエースストライカー。背番号9、マテオ・レテギ。
レテギはロカテッリのパスを、スピードを一切落とすことなく足元にピタリと収め、瞬く間に日本のペナルティエリア内へと単独で侵入を果たした。
前を塞ぐディフェンダーはゼロ。GK大童子と完全に一対一の絶体絶命のピンチ。
(もらった! これで終わりだ、日本!)
レテギが勝利を確信した凶悪な笑みを浮かべ、大童子の動きを冷静に見極めながら右足を大きく振りかぶる。コースはゴール左隅。決まれば間違いなくイタリアの勝ち越し、そして日本の敗退を決定づける致命的な一撃となる。
スタジアムの6万人の観衆が息を呑んで硬直する。日本のサポーターの悲鳴が上がる。
だが・・・
「させるかぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!」
レテギが右足を振り下ろし、シュートを撃とうとしたボールの軌道上へ。後方から凄まじいスピードで猛追してきたヤンセンが自身の身体を投げ打つような、捨て身の体勢で飛び込んできた。
(なっ!?)
レテギが驚愕する。
ペナルティエリア内での、背後からのスライディングタックル。
一秒でも、いや、コンマ一秒でもタイミングが遅れてボールではなく相手の足に触れてしまえば、一発レッドカードでの退場、そしてイタリアへのPK献上という最悪のリスクを伴う狂気のプレー。だがヤンセンに迷いは一切なかった。
ヤンセンはその恐るべきリスクを全く顧みず、自身の長い右足を限界まで真っ直ぐに伸ばし、芝生を削りながらレテギの足元へと猛烈なスピードで滑り込んだ。
ドゴォォォォォンッ!!
レテギの強烈なシュートが放たれた瞬間。
ヤンセンの伸ばし切った右足の靴底、スパイクの裏がレテギの右足から放たれたボールの芯に寸分の狂いもなく真正面から直撃した。
ヤンセンの決死のブロックにより、ゴール左隅へ向かっていたはずのボールの軌道は完全に逸れ、ボールは大きく上空へと真上に跳ね上がった。
「クリアしろぉっ!」
ヤンセンがピッチに倒れ込みながら叫ぶ。
跳ね上がったボールの落下点。
そこにヤンセンの魂のブロックに呼応するように誰よりも早く反応し、ペナルティエリア内を飛び出してきた男がいた。日本の守護神、GKの大童子清隆。
大童子は空中でレテギと巨漢スカマッカがボールを奪おうと競り合ってくる中、その二人の間に一切の恐怖心を持たずに割って入り、両腕を天高く伸ばして必死の思いでこぼれ球をガッチリとキャッチした。
「おらぁぁぁぁぁぁ!!」
大童子がボールを胸に抱え込みながら芝生の上に倒れ込んで咆哮する。
(チッ! またこいつか! なんて執念だ・・・)
レテギは決まったはずのシュートを防がれた屈辱に顔を歪め、忌々しそうにピッチに倒れ込んでいるヤンセンを睨みつけると、舌打ちをして自陣へと戻っていった。
「ヤンセン、大丈夫か!?」
「あぁ。心配したか? 清隆」
ヤンセンは大童子に手を差し出されると、その手を強く握り返して立ち上がった。
「当たり前だろ! ペナルティエリア内であんな後ろからのスライディング、心臓が止まるかと思ったぞ! 一歩間違えればPKだぞ!」
大童子がホッとした表情で、しかし苦言を呈する。
「ふっ。俺を誰だと思ってる。そんな素人みたいなミスはしねぇよ」
ヤンセンはユニフォームの汚れをパンパンと払いながら力強く言い放った。
「俺達はこの試合に勝つんだ。俺が、俺たち日本の最終ラインが絶対にもう1点も取らせないぞ」
「・・・あぁ、そうだな。俺も絶対にゴールは割らせない」
大童子もヤンセンの気迫に押されるように力強く頷いた。
ヤンセンは大童子と短く拳を合わせると、クルリと前を向き、はるか前線、センターサークル付近でイタリアの守備陣と睨み合っている背番号9、神野蹴太の背中を見つめた。
(蹴太・・・日本の後ろはこの俺が命に代えても守り抜いてやる。だから・・・)
ヤンセンの視線が無言のメッセージとなって蹴太の背中へと突き刺さる。
(お前は前線のストライカーとして、あのゴールを奪うこと、あのカテナチオを完全に息の根を止めることだけを考えておけ!)
後半40分。スコアは1-1の同点。
スタジアムのボルテージが最高潮に達する中、U―15日本代表の意地とU-15イタリア代表の誇りがぶつかり合う死闘の決着の時がすぐ目の前まで迫っていた。




