54.勝つしか道はない
9月3日。
U15ナショナルチャンピオンシップのグループステージ第1節、U15日本代表が初戦の強豪コスタリカ代表相手に、4-0という誰も予想しなかった圧倒的なスコアで大勝を収めた翌日の朝。
日本中のスポーツメディア、ワイドショー、そしてニュース番組がこぞって昨夜の熱狂を報じていた。
画面には太字のテロップで【新たな怪物の誕生】【救世主・神野蹴太】【無名の中学生が世界を蹂躙】と刺激的な言葉が踊り、昨夜の興奮の余韻が日本全土を熱狂の渦に巻き込んでいる。
そんな社会現象とも言える真っ只中において、区立青下中学校の校門周辺はいつも以上に異様なまでの喧騒と、どこか浮き足立ったようなフワフワとした熱気に包まれていた。
「おい、来たぞ・・・」
「マジかよ、今日本当に学校来んのかよ・・・」
「テレビで見たまんまだ。オーラが違いすぎる・・・」
登校してくる生徒たちの視線の先。校門の前に横付けされた、日本サッカー協会の八咫烏のエンブレムが黒い車体に鈍く輝く、重厚なワンボックスカー。
スライドドアが静かに開き、中から見慣れた青下中学の学生服に身を包んだ一人の少年が姿を現した。
「あれって・・・間違いなく神野だよね・・・」
「昨日のテレビで見た、あの怪物の神野蹴太・・・」
「す、すげぇ・・・オーラがヤバい。流石だ・・・近寄りがたい・・・」
登校中の生徒たちは歩みを止め、まるでモーセの十戒のごとく自然と道を空けた。
昨夜、全国放送のゴールデンタイム。コスタリカの屈強な大人のようなディフェンダーたちを文字通り子供扱いし、鮮やかなハットトリックを決めた日本代表の背番号9。さらには試合後のヒーローインタビューで、全国の視聴者をドン引きさせるようなふてぶてしい発言を放ち、SNSのトレンドを一人で独占した男。
そんな【テレビの中の遠い世界の住人】が、自分たちと同じ制服を着て、同じ校門をくぐろうとしているのだ。無理もない反応だった。
中にはこっそり学校に持ってきていたスマートフォンを向けて写真を撮ろうとするミーハーな生徒もいたが、蹴太が鋭い視線を一度向けただけで獲物に睨まれた小動物のように慌ててスマホを隠す始末だった。
蹴太、遠巻きにヒソヒソとする生徒たちの好奇と畏怖の視線を全身に浴びながらも、その表情を全く崩すことなく、いつも通りの気怠げな足取りで玄関へと向かった。
(・・・まぁいい。変にミーハーな気分でキャーキャー近寄って来られるよりは、こうして遠巻きに距離を置いてくれた方がよっぽどマシか)
蹴太は内心で小さくため息をついた。
代表合宿が始まってからというもの、彼の日常は完全に非日常へと侵食されている。だが、自分はあくまで義務教育を受ける中学生。学生としての本分を放棄するつもりはなかったし、たかだか初戦で勝ったくらいで浮かれるつもりも毛頭なかった。
そんなことを思いながら、蹴太は3年1組の教室へと到着し、後ろの引き戸をガラリと開けた。
教室の中も蹴太が姿を見せた瞬間に水を打ったように静まり返った。クラスメイトたちが一斉に息を呑む音が聞こえる。だがただ一人、そんな空気を全く読まない男が弾かれたように席から飛び出してきた。
「おいおいおいおいっ! 蹴太ぁ!」
白河健一である。
「お前、昨日の今日で学校に来る余裕あんのかよ!? ていうか、なんで普通に登校してきてんだよ! 代表の合宿所とかホテルにずっと缶詰になってるもんじゃねぇのか!?」
健一は興奮で顔を真っ赤にしながら、蹴太の肩をバンバンと力強く叩いた。
「・・・痛ぇな。だから前にも言っただろ? 学校に来るのは義務だって。俺は中学生だぞ」
蹴太は健一の鬱陶しい絡みを適当にいなしながら、自分の机に向かってカバンを置き、すぐに本日の1時間目の授業の準備を淡々と進め始めた。昨日のハットトリックの余韻など、彼の中にはもう微塵も残っていないかのような落ち着きぶりだった。
すると健一の後ろから、蒼空斗と明里も蹴太の机の周りに集まってきた。
「まずは初戦勝利おめでとう、蹴太。コスタリカ戦はマン・オブ・ザ・マッチにハットトリック。本当にすごかったね。テレビの前で鳥肌が立ったよ」
蒼空斗が心からの称賛を込めて微笑んだ。
「ねぇ? ゴールは本当にすごかったけどさ・・・もうちょっと、試合後のインタビューの練習した方がいいんじゃない? 『死ぬ直前まで理不尽に追い込まれた』とか、全国放送であんなこと言ったら、久森監督がパワハラで問題になっちゃうじゃない!」
明里は両手に腰を当てて、まるでお母さんのようにお小言を言い始めた。
「うるせぇよ。俺は別に聞かれたことに対して正直な感想を言っただけだ。嘘をついてメディアに媚びを売る義理はねぇ」
蹴太はそう言って鼻でフッと笑うと、机の中に教科書を丁寧にしまい込んだ。そして全ての準備を整えると椅子に深く腰掛け、真剣な眼差しで蒼空斗の方を見た。
「月影。次の第2節、イタリア戦・・・どう思う?」
その言葉に教室の空気がスッと冷えた。
蒼空斗は蹴太の真意を探るように、一瞬思案する表情を見せた。そして周囲の喧騒を遮断するように、ゆっくりと、そして重い口を開いた。
「・・・率直に言って、次のイタリア戦の勝敗は全て君・・・いや、君という絶対的な【矛】にかかっているっていうのは普通の感覚かい?」
「おいおい蒼空斗、プレッシャーかけすぎだろ!」
健一が慌てて割って入ろうとしたが、蹴太はそれを手で制した。
「いや、俺も自分でそう思うよ。久森監督の戦術は俺の【個】の力で相手の守備を強引にこじ開けることを前提にしている。俺が不発なら日本は点を取れない。それは事実だ」
「なんだよ蹴太! お前なら昨日みたいにどんな奴らでも余裕で行けんだろ!? あんなすげぇループシュート決めたんだからよ!」
健一が昨夜の興奮冷めやらぬ様子で拳を握る。
「・・・あのヤンセンと同レベルの化け物が、3人もいる可能性があるのにか?」
蹴太のその言葉に健一の笑顔がピタリと凍りついた。
「・・・マジかよ」
健一も普段のおちゃらけた表情から、一気に血の気の引いた真剣な表情へと変わる。隣の明里も信じられないというように息を呑んだ。
ヤンセン・大河。あのレベルが相手チームに3人もいる。それは自分たちのような普通の中学生にとっては想像を絶する絶望的な戦力差だった。
「イタリアは伝統的に【カテナチオ】と呼ばれる、守備に重きを置く、洗練させてきた間違いなく世界トップレベルの強国だ」
蹴太は机の上で指を組み、冷静に分析を語った。
「コスタリカの5バックのような、ただのペナルティエリア内の引きこもりじゃない。組織的で連動していて、それでいて個人のフィジカルと対人能力が異常に高い。マジな話、こっちが攻めあぐねている隙を突かれてカウンターで1点でも奪われたら・・・その時点でカテナチオの鍵が完全に閉められ、試合が終わって負ける可能性がある」
健一と明里が完全に絶句した。
常にふてぶてしく、どんな強敵を前にしても「知らん」「勝つ」としか言わなかった蹴太の口から、明確に【負ける】という単語が出たからだ。
相手はそれほどまでに強い。元からサッカーの超大国だと知っていたところに、ピッチで直接世界と肌を合わせた蹴太のその言葉は疑いようのない絶望的なリアリティを持っていた。
「珍しいね」
蒼空斗が蹴太の顔を覗き込むようにして言った。
「君がそんな風に試合前に相手を評価して、弱気な発言をするなんて」
「・・・俺がそう見えるか?」
蹴太は口角をニヤリと吊り上げた。
「いや?」
蒼空斗もまた蹴太のその表情を見て、嬉しそうに笑い返した。
「むしろ・・・その分厚く絶望的な壁を自分がどうやって撃ち抜いてやろうか、ワクワクして考えているように見えるよ。君の目は獲物を見つけた捕食者の目だ」
「あぁ。ご名答だ」
蹴太は己の手のひらをじっと見つめ、拳を固く握りしめた。そしてその漆黒の瞳の奥には圧倒的なプレッシャーを最上の餌にして燃え上がる、狂気じみた闘志がみなぎっていた。
「俺は今、正直・・・次の試合が楽しみで仕方ない。俺という【個】』が、世界最高峰の守備の壁であるカテナチオにどれだけ通じるか。ぶち壊せるか。それを試したくてたまらないんだ」
蹴太の脳裏に前世の残酷な記憶がフラッシュバックする。
かつて才能の限界という見えない分厚い壁に完全に絶望し、世界はおろか、日本のプロの舞台にすら立つことなく、自ら言い訳を作って逃げ出してしまったかつての惨めな自分。
(前世で絶対に敵わなかった、見ることすら許されなかった【世界】という頂点・・・サッカーの神の寵愛という理不尽なチートがあるとはいえ、今の俺が果たしてどこまで世界に通じるのか・・・ぶち抜いてやるよ! カテナチオ!)
蹴太は心の中で誰にも聞こえない強さで誓った。
■■
その後蹴太は午前中の授業だけを受け、給食が始まる前の4時間目終了のチャイムと共に早退し、校門で待機していたJSAの車に乗り込んで、U15日本代表が滞在する都内の高級ホテルへと向かった。
そして昼食を手早く済ませると休む間もなく、すぐに巨大なプロジェクターが設置されたミーティングルームで全員参加のミーティングが始まった。
室内の空気は昨夜のコスタリカ戦に勝利した余韻など微塵も残っておらず、張り詰めた糸のようなヒリヒリとした緊張感に包まれていた。誰もが次なる敵の強大さを肌で感じ取っている証拠だった。
「全員揃ったな」
教壇に立った久森涼介監督が、鋭い視線で選手たちを一人一人見回す。
「まず、我々のコスタリカ戦の後に行われたグループAのもう一つの試合。イタリア対ドイツの結果は、みんなすでにニュースなどで知っているな・・・1-2でドイツが勝利を収めた・・・この意味、分かるよな?」
久森の重い問いかけに選手たちは固唾を飲んだ。
イタリアは初戦ですでに1敗を喫している。グループステージを突破し、上位2カ国に入るためにはこれ以上勝ち点を落とすことは絶対に許されない。
それはつまり、第2節で当たる日本に対して彼らが死に物狂いで、一切の手加減なく、プライドを懸けて全力で叩き潰しに来ることが明白であることを意味していた。
「そして本日、我々のイタリア戦と同時刻に行われる、ドイツ対コスタリカ戦。これはドイツが順当に勝つと予測される」
久森の断言にメンバーは誰も異議を唱えなかった。サッカーに絶対はないとはいえ、昨日の試合で完全に心が折れたコスタリカが、優勝候補筆頭のドイツに勝つ絵は誰の頭にも浮かばなかったからだ。
「となれば、ドイツが2連勝でグループ突破をほぼ確実にする。イタリアは是が非でも2位通過を狙うため、この日本戦を落とすわけにはいかない・・・いや状況によっては最悪【引き分け】でも向こうは構わないとさえ思っているだろうな。イタリアは、ドイツが仮に主力メンバーを落としても、日本に負けることはないと思ってる」
「だから引き分けでも・・・ですか?」
佐々木雅人が怪訝な顔をして尋ねる。
「そうだ。日本は最終の第3節でドイツと当たる。イタリアは最終節ですでに敗退が決まっているであろうコスタリカと当たる・・・つまり、イタリアは日本と引き分けて勝ち点1を分け合っても、最終節で自分たちがコスタリカに大勝し、日本がドイツに負ければ得失点差や勝ち点で日本を上回り、2位通過できると計算しているはずだ」
久森の冷徹な分析に選手たちの間に重苦しい空気が流れる。
「だからこそ、イタリアは無理に攻めてリスクを冒すことはしない。自慢のカテナチオで日本の攻撃を完全にシャットアウトし、隙を突いたショートカウンターで1点をかすめ取る。そういう戦術的で一番いやらしい戦い方をしてくることが考えられる」
久森はプロジェクターの電源を入れ、スクリーンにイタリア代表の選手たちの詳細な資料を映し出した。
「イタリアが文字通り【国を挙げて】全力で我々を殺しに来ることを想定して、特に注意すべき、U15イタリア代表のキーマン3人を教えるぞ」
スクリーンに、一人の選手のプレー映像が流れる。
「まずはFW。背番号9のエースストライカー、【マテオ・レテギ】だ」
映像の中の男は屈強な欧州のディフェンダーたちを、圧倒的なスピードと強引なまでのフィジカルでなぎ倒してゴールを量産していた。
「こいつは【ザ・ストライカー】という表現が一番ハマる。日本人・・・いや、一部の例外を除いて日本人には到底不可能な、理不尽な初速と重戦車のようなドリブルで単独突破をしてくる・・・まぁ、うちの神野と同類のストライカーって言ったほうが分かりやすいか」
久森のその言葉でメンバーの顔に一気に緊張が走った。
神野蹴太と同類。
昨日、コスタリカの屈強な5バックをたった一人で粉砕したあの理不尽な力が、相手にも存在している。それは一筋縄ではいかないどころの話ではないということを告げていた。
「次にMF。背番号10を背負う、イタリアの心臓、【アンドレア・ロカテッリ】」
スクリーンが切り替わり、中盤で優雅にタクトを振る選手の映像が映る。
「こいつは広い視野とコンピューターのように正確無比な長短のパスで、ピッチのどこからでも簡単に決定機を作り出す男だ。フィジカルこそ他の欧州の代表選手よりは劣っているように見えるが、それを補って余りある空間を支配する【ポジショニング】の力がある。前線組はこいつに自由なパスを出させるな。徹底的にプレスをかけろ」
(なるほど・・・)
蹴太は腕を組みながら、映像を見つめて分析する。
(国近タイプってところか。あいつを自由にさせたらさっきのマテオに無限にキラーパスが供給されるわけだ。厄介なホットラインだな)
「そして最後に、DF」
久森がリモコンを操作すると、スクリーンに腕にキャプテンマークを巻いた、190センチ台後半の彫りの深い顔立ちをした巨漢の姿が大写しになった。
「キャプテンにして、センターバックの要。背番号3、【ジョルジョ・スカモーニ】だ。こいつは一言で言えば・・・ヤンセンと同レベルの怪物だ」
「・・・」
プロジェクターに映し出されるジョルジョの圧倒的な威圧感に、ヤンセン・大河は腕を組み、睨みつけるような、それも強い闘志を持った目でスクリーンを凝視した。
映像の中のジョルジョは相手FWの動きを完全に読み切り、一切の無駄な動きをせずに、冷酷なまでに正確なタックルでボールを刈り取っていた。
「イタリアは守備のチームだ。こいつはその堅牢なカテナチオの絶対的な中心であり、守備の要だ。当然、昨日のお前たちの攻撃など簡単に攻略させてくれるような相手じゃない」
重い空気がミーティングルームを支配する中。
「すんません、監督。一つええですか?」
右サイドバックの青星が恐る恐る手を挙げた。
「何だ?」
「いや・・・その映像見てたら、ほんまにヤバい奴らばっかりやないですか。でも、そんな化け物みたいなやつらがおるのに、なんでドイツはイタリアから2点も入れはったんですか? ドイツがさらにヤバいってことですか?」
青星の素朴な疑問だった。
「・・・お前にしては鋭くていい質問だ」
久森は少しだけ目を細め、そして絶望的な事実を口にした。
「答えは単純だ・・・このジョルジョはドイツ戦に出ていない」
「・・・は?」
青星が間抜けな声を漏らす。
「マジでっか!」
「それどころじゃない。今挙げたマテオ、アンドレア、ジョルジョの3人のキーマンは、全員ドイツ戦のピッチに立っていない。ベンチで温存されていた・・・この意味が分かるよな?」
久森のその言葉にメンバー全員の表情が完全に凍りついた。
つまり、イタリアは初戦の最強ドイツ相手の試合を、ベストメンバーではない状態、いわゆる1.5軍で挑んでドイツと1-2の接戦を演じたということ。そしてこの日本戦に万全の状態の化け物たちを全てぶつけてくる。
「対して、うちはどうだ? もう隠すカードは一枚もない。コスタリカ戦の後半でジョーカーである神野と九条の連携まで全て出し切った。向こうの偵察班はうちの手の内を完全に丸裸にして分析を終えているだろう。こちらはもう、バレている手持ちのカードの中で考えられる、最善の布陣で正面から挑むことしかできない」
久森の残酷な宣告に質問をした青星はあんぐりと口を開けたまま、完全に石像のように固まってしまった。ヤンセンや国近でさえ、顔色を悪くしている。
手札を隠し持っているイタリアと、手札を晒しきった日本。戦術的なアドバンテージは完全に相手にあった。
「俺達には勝つしか道はない。イタリアの引き分け狙いに付き合って、スコアレスドローに終われば、それはそのままグループステージ敗退と同義だと思え」
久森は机をバンッと強く叩いた。
「各自、残された時間で今からでも自分の【個】の力を少しでも上げろ。研ぎ澄ませろ。勝つにはそれしか無い。いくら俺が頭で考えた高度な戦術を教え込もうと、最終的にピッチで相手を剥がし、ゴールネットを揺らす力がなければ何の意味も無いからな」
「「「「「はい!!!」」」」」
絶望的な状況を突きつけられながらも、エリートたちの声には確かな覚悟と闘志がこもっていた。
「よし。では明日のイタリア戦のシステムは昨日と同じ【4-5-1】だ。コスタリカ戦の後半戦、神野をワントップに置いたあのメンバーでスタートから挑む。そのつもりでこれからの練習に臨め。解散!」
ミーティングを終えたU15日本代表はその足でピッチへと向かい、今自分たちにできる最大限のレベルアップを図るため、血を吐くような過酷なトレーニングと戦術確認に没頭した。
相手がどんなに巨大な壁であろうと、打ち砕くための矛を極限まで研ぎ澄ますために。
そしてそれから二日が経った決戦の日。再び熱狂の渦に包まれた超満員のスタジアム。
様々な光に照らされたピッチの上で、いよいよU15日本代表対U15イタリア代表の生き残りを懸けた死闘が始まろうとしていた。




