49.U15日本代表VSU15コスタリカ戦―――2
「さぁ! ヤンセン・大河選手の気迫あふれる素晴らしいクリアから、スタジアムの熱気は最高潮に達しています! 依然として果敢に攻め続ける日本! 両サイドを広く使い、パスを回して相手陣内へ侵入を試みますが・・・しかし! なかなかコスタリカの強固なゴールを奪うことはできません! 決定機を作らせてもらえません!」
熱を帯びた実況アナウンサーの声がテレビのスピーカーを通して、東京都内の閑静な住宅街にある蒼空斗の自宅リビングに響き渡っていた。
画面越しからでも伝わってくる、6万人を超える満員のサポーターが作り出す地鳴りのような歓声とピッチ上の異常なほどの緊張感。
テレビ画面を食い入るように見つめている健一、春樹、そして明里の三人は、もどかしさに拳を固く握りしめ、悔しそうな、そして焦りに満ちた声を上げていた。
「くぅ・・・! なんでだよ! ボールはずっと日本が持ってるのに、全然前線にボールが入らねぇ! なかなか攻めきれねぇじゃないか!」
健一が抱え込んでいたクッションをソファに叩きつけながら苛立たしげに叫ぶ。
「あぁ。データを見ても、日本のポゼッション率は60%、いや70%近くを記録している。中盤までは流れるように綺麗にパスが繋がっているんだ。だけど・・・ペナルティエリアの手前、最後の攻めの局面でコスタリカの分厚い壁に完全に弾き返されているな」
春樹もまた腕を深く組み、険しい表情で画面を睨みつけていた。
テレビの画面隅に表示された試合時間はすでに前半開始から25分が経過していることを示していた。前半45分という時間の折り返し地点を過ぎている。
日本は中盤でボールを保持し、一見すると優位に試合を進めているように見える。だがサッカーはボールを持っている時間が長いチームが勝つスポーツではない。決定的なシュートを放てず、相手ゴールのネットを揺らすことが出来なければ、そのポゼッションには何の意味もない。
「やっぱり日本のツートップの武雄君と鷲谷君が、相手の5枚の屈強なセンターバックの壁に完全に阻まれてしまっている。彼らの良さが完全に消されてまともにプレーできてない感じがするね」
蒼空斗が冷静にしかしどこか重い声で状況を分析する。
「うん・・・鷲谷君は体格とフィジカルで、武雄君はスピードと裏への抜け出しのタイミングでコスタリカのディフェンダー陣に完全に負けている気がするわ。大人と子供が試合をしているみたい・・・」
明里も不安そうな表情で蒼空斗の言葉に同意し、テレビ画面の前で両手をギュッと握り合わせた。
明里の言う通りだった。
中学生とすでにプロ予備軍として鍛え上げられている海外選手との圧倒的な体格差。そして手足の長さから来る、リーチの絶対的な差。
コスタリカが敷いている【5-4-1】のフォーメーションは単に自陣にベタ引きしているだけの【弱者の戦術】ではない。5枚の屈強なディフェンダーと4枚の豊富な運動量を持つミッドフィルダーが完全に連動し、中央のバイタルエリアのスペースを極端なまでに狭く圧縮している。
まるで獲物が掛かるのをじっと待つ、幾重にも緻密に張り巡らせた蜘蛛の巣。日本の前線の選手たちに前を向いてプレーする1ミリの自由も、1秒の猶予すら与えていなかった。
蒼空斗は、手元のタブレット端末に目を落とした。
大会公式サイトに映し出された日本代表の選手一覧。その中からリザーブメンバーに名を連ねる【背番号9】、日本代表の真のエースストライカーである友の顔写真を見つめる。
(ボールのポゼッション率は高いけど、肝心なところが攻められない。ただ外側でボールを【持たされている】だけのもどかしい展開・・・この嫌な空気、ベンチにいる君も同じように感じているかい? 蹴太)
テレビカメラが一瞬だけ日本のベンチを映し出した。
そこには腕を組み、鋭い眼光でピッチ上の戦況を冷徹に分析する神野蹴太の姿があった。焦りはない。ただ自らが出場した際に【どこをどう切り裂くか】、獲物を狙うかのように静かに爪を研いでいる。
その頼もしい姿を見て蒼空斗はほんの少しだけ息をついた。
■■
コスタリカ戦、前半開始30分が経過。
国立競技場のピッチ上では日本のイレブンはじわりじわりと【焦り】という名の見えない熱気を感じ始めていた。
ボール保持率こそ70%を超えているが、それはコスタリカが【あえて持たせている】に過ぎないという残酷な事実をピッチに立つ選手たちが一番痛感していた。日本は最後の壁で効果的な縦への攻撃を仕掛けられない。
今もボールは日本代表の心臓であるボランチ、国近涼真の足元にある。だがその国近ですら左右のインサイドハーフである外丸や横畑にパスを出しては相手の分厚いプレッシャーを受けてバックパスを戻されるという、意味のない横パスの繰り返ししか出来ずにいた。
(まずいな・・・明らかにボールを持たされている。生殺し状態だ)
国近の額に、そして背中に、じんわりとした嫌な冷や汗が滲んだ。
ボールを持ち続けるということは一見試合を支配して優位に見える。しかしそれは同時に自分たちがパスやトラップの【ミス】をする確率が常に上がり続けるということを意味している。攻撃の糸口が見えないままパスを回し続ければ、必ずどこかで集中力が途切れ、ズレが生じる。そしてその一瞬のミスを優しく見逃してくれるほど、国の威信を背負った各国の代表チームは甘くない。その事実を国近は痛いほど理解していた。
(中央へのパスコースがさっきから不自然に一つだけ空いている・・・明らかな【誘い】だ。ここにパスを通せば即座に複数人で囲い込んでボールを奪取し、ショートカウンターに繋げる気だ。だが・・・こちらはその誘いだと分かっていても、乗って仕掛けるしかないか。このまま横パスを続けていてもジリ貧で終わる)
国近の目には相手の5バックと中盤の間に意図的にぽっかりと空けられた、一本のパスラインが見えていた。ワントップ気味に張っている鷲谷蒼への縦パス。
しかし国近はそれを自分たちのボールを奪うためのコスタリカが仕掛けた凶悪な罠だと直感で感じ取っていた。それでもリスクを冒さなければこの強固な扉はこじ開けられない。
「鵜飼! 青星! ヤンセンの指示にしたがって、奪われた後のカウンターを最大限に警戒しろ! ポジションを少し下げろ!」
国近は両サイドバックに大声でリスクヘッジの指示を飛ばした。
それと同時に相手のワントップであるアンソニーにパスカットのモーションを取らせないほどの、極限まで予備動作を省いた素早いモーションで右足を振り抜いた。低い弾道の鋭い縦パスが美しい弧を描き、中盤の密集地帯を切り裂いて一気に鷲谷へ通る。
「来たっ!」
鷲谷は足元に強烈なパスを受け取ると、ジュニアユースで磨き上げた柔らかいワンタッチのボールコントロールで素早く前を向こうと反転した。
しかしその前には今だそびえ立つ巨大な絶望の壁、コスタリカのセンターバックのオスカルが完全に間合いを詰めて立ちふさがっていた。
(こいよ、日本のちびっ子。お前らの貧弱なフィジカルで世界が抜けるかよ)
オスカルが余裕の笑みを浮かべてプレッシャーをかける。
(こんのぉ!)
鷲谷は東京カイザースのジュニアユースで培ってきた世代トップクラスのドリブル技術で勝負に出た。たとえ体格とフィジカルで敵わなくても、サッカーは最終的には脚で行うスポーツ。アジリティと足元の細かな技術、そして一瞬のスピードなら絶対に負ける気がしなかった。
鷲谷は細かいボールタッチでオスカルの重心を左右に揺さぶり、一瞬の隙を突いて右へ鋭く抜けようとする。
(抜けっ!)
「ふんっ!」
(なっ!?)
鷲谷が加速しようとした瞬間。オスカルは鷲谷のフェイントに全く引っかかることなく、むしろ鷲谷が抜け出そうとしたコース、自らの巨大で重い身体を投げ出すようにして、激しくチャージを仕掛けた。
ドンッ!
まるで走行中の車に撥ねられたかのような交通事故にも似た衝撃。鷲谷は再びなす術なく芝生の上へ紙切れのように吹き飛ばされた。
しかし主審の笛は鳴らない。ホイッスルは沈黙したままだ。
鷲谷はファウルをアピールするように両手を広げたが、主審は首を振った。ボールへ正当にアタックしつつ、身体の強さで相手を弾き飛ばす。日本では確実にファウルを取られるような接触であっても、世界基準のレフェリングでは完全にボールを奪うための【正当なディフェンス】だと認められていた。
「クソッ!」
鷲谷が悔しさに顔を歪めて芝生を叩くのを尻目に、オスカルが奪い取ったボールはそのまま右サイドバックのケシェルへと渡る。そしてケシェルは前線の状況を確認すると、コスタリカのダブルボランチの一人である【セルヒオ・テヘダ】へと鋭い縦パスを通した。
セルヒオはボールを受けると日本のディフェンス陣が完全に守備陣形に戻りきる前に、前線へ向かって猛スピードでドリブルを開始する。引きこもっていた状態から、一気に牙を剥く凶悪なカウンターの始まりだった。しかしそれに対応したのは日本のボランチ、三國健だった。
三國はピッチのちょうど真ん中、センターサークル付近でセルヒオのドリブルコースを塞ぎ、強引なチャージで身体をぶつけてボールをカットしようと試みた。
(よし、止められる! ここで潰す!)
三國の肩がセルヒオの身体に触れた。その瞬間。
「アァッ!!」
ピィィィ!
(くそっ! 当たっただけだろ!)
三國が思わず悪態をつく。
セルヒオは三國のチャージを大げさに受けて見せ、まるで銃で撃たれたかのように派手にピッチへ倒れ込み、苦痛に顔を歪めて転げ回った。
主審は迷わず日本のファウルを取り、コスタリカにフリーキックを与えた。
あえてファウルをもらい、自分たちのペースを作る、あるいは相手のカードを誘発するずる賢さ。南米や中南米の選手が得意とする【マリーシア】と呼ばれる、勝つための技術だった。そして純粋に綺麗に育てられた日本のエリート中学生にはこの狡猾さは備わっていない。
「三國。気にするな。世界じゃ当たり前のプレーだ。相手のペースに飲まれるな。それより、素早く戻って中の警戒だ!」
国近が悔しがる三國の肩を叩いて宥め、すぐに守備陣形を整える。
コスタリカからのフリーキックでの再開。
先ほどまで痛がって転げ回っていたセルヒオが、何事もなかったかのように素早く立ち上がり、近くにいたもう一人のボランチである【セルソ・ボルヘス】へボールを軽く渡してリスタートする。
セルソはボールを受けると左サイドの広大なスペースへパスを出す。そこへコスタリカの左サイドバック、ロナードが猛然と全力でピッチをオーバーラップしてきた。カウンターの勢いを殺さない、波状攻撃。
「横畑! 青星!」
国近の鋭い指示で呼ばれた二人が素早くロナードのカバーに入る。合宿で徹底的に走り込まされた成果で日本の守備の戻りは速い。
しかしロナードは無理に二人を突破しようとはせず、再び中央のセルソへ安全にボールを戻した。右インサイドハーフの横畑がそれに呼応してセルソへ激しいチェイシングをかける。
(どうする? 逆サイドへの展開パスか? それともワントップのアンソニーへロングフィードのパスか?)
横畑はどちらの選択肢にも対応できる絶妙な位置に身体を置き、パスコースを限定した。しかしセルソは横畑の予想を裏切り、後方から駆け上がってきていたセンターバックのフランシスコへとボールを預けた。そしてフランシスコはボールを足元に止めることなく、ダイレクトでそのままボールを一気に前線へ向けて大きく蹴り出した。
「! 国近君、裏だ!」
横畑が叫ぶ。
中学生の日本人とは比べ物にならない強靭な筋力と身体能力。そこから放たれるロングパスは美しい放物線を描きながら日本のディフェンスラインの頭上を越え、最前線に張っていたワントップのアンソニーへとピンポイントで向かっていく。
(させん!)
しか、国近がすでにその落下地点へとカバーに入っていた。
国近はアンソニーがトラップする直前に身体をねじ込み、強引にボールを大きく弾き返した。だがその弾いたボールの落下点にいたのは、先ほどマリーシアでファウルをもらったコスタリカのボランチのセルヒオだった。
(こいつ! 最初から俺がクリアで弾くセカンドボールを拾う気で位置取ってやがったのか!)
国近が驚愕に目を見開く。
セルヒオの思惑は見事に当たり、彼は胸のワンタッチでボールをトラップした。そしてそのままボールを地面に落とすことなく、クリアした直後で体勢の崩れている国近の裏を抜けて、ペナルティエリアの手前へと一気に飛び出した。
まだペナルティエリアの中には入っていない。ゴールまでは距離がある。しかしセルヒオは躊躇することなく、右足を大きく振り抜いた。
ドゥンッ!という重い破裂音と共に放たれる、強烈なミドルシュート。
(最悪の事態を考えてポジションを下げておいて正解だったな)
ボールが矢のようにゴールネットに突き刺さるかと思われた瞬間。シュートコースのど真ん中にヤンセン・大河が巨体を投げ出して立ちはだかった。
ヤンセンは強烈なシュートから逃げることなく、正面から額でボールを受け止め、強引なヘディングでクリアした。
「おしっ!」
ゴスッ、という鈍い音を立てて弾き返されたボールはタッチラインを割ってコスタリカのスローインとなる。
(・・・凌いだが、嫌な位置でのスローインだな)
ヤンセンは赤くなった額を擦りながら周囲を確認した。ボールが出た位置は日本のペナルティエリアのすぐ横。
いくらコスタリカが引きこもりの戦術を取っているとはいえ、この位置からのリスタートとなれば長身のセンターバックたちも含めて最終ラインが一気に上がってくる。セットプレーと同じ、非常に危険な状態だ。
前半41分。日本がこの試合で初めての決定的なピンチを迎えた。
コスタリカの右サイドバックのケシェルがボールを両手で持ち、長い助走からロングスローを放つ。そのボールはペナルティエリア内で待つセルヒオへと渡った。
(沈め! 日本!)
セルヒオは日本のディフェンダーが寄せてくる前に、ダイレクトでゴール前へ向けて高いクロスを上げた。そのクロスの落下点はヤンセンがカバーしきれないファーサイド。
対応するのはもう一人のセンターバック、窪田。そしてその背後からコスタリカのワントップ、アンソニーが助走をつけて高く宙に舞い上がる。
(高い!)
窪田は必死にジャンプしたが、彼にはヤンセンほどの身長も、アンソニーのような驚異的なジャンプ力もなかった。
空中戦でいとも簡単に競り負け、アンソニーは高い打点からペナルティエリア内で強烈なヘディングシュートをゴールへ向かって叩きつけた。
決まった、とスタジアムのコスタリカサポーターが歓声を上げた。しかし。
「ふんっ!」
U―15日本代表の守護神、大童子清隆が反応を見せた。
横っ飛びになりながら大きく伸ばした右手一本で強烈なボールを弾き出した。
バチィッ!という激しい音が響き、ボールはポストのすぐ横を通過してゴールラインを割る。コスタリカのコーナーキックとなる。
「ここ集中だ! ファーとニア、それぞれにマークを外すなよ! 気をつけろ!」
ヤンセンが守備陣に的確で力強いコーチングをする。
前線の鷲谷も武雄も全員が自陣のペナルティエリアまで戻って、コスタリカの長身選手たちに対して決死の守備のブロックを形成する。
「来るぞぉ!」
国近の声がスタジアムの歓声を切り裂く。キッカーはコスタリカの右MF、ジョエル。
ジョエルは短い助走から右足を鋭く振り抜き、ゴール前の密集地帯、アンソニーの頭上へ向けて正確で速いクロスを上げる。
(くっ! なんだ、この日本人のセンターバックは! 上手い!)
アンソニーはボールの軌道に合わせて飛ぼうとした。しかしそれをヤンセンが完璧にカバーしていた。
ヤンセンはアンソニーのジャンプのタイミングを完全に読み切り、中学生離れした当たり負けしない屈強な身体をぶつけてアンソニーの体勢を空中で崩し、まともなヘディングの体勢をとらせなかった。そして勢いを失い、ふらふらと落ちてきたボールは大童子が安定したジャンピングキャッチでしっかりと懐に収めた。
「チッ!」
アンソニーはピッチに着地すると同時に、悔しそうに舌打ちをした。ヤンセンという壁の厚さに苛立ちを隠せない様子だった。
大童子のパントキックから再び日本の攻撃が始まろうとしたが、時計はすでに45分を回っていた。
そのまま前半アディショナルタイムの4分が経過したが、両チームともに決定機を作ることはできず、結局試合のスコアは動かないまま・・・
ピーッ、ピーッ、ピーーッ!
主審のホイッスルが長く鳴り響き、息詰まるような攻防の末、前半は0-0のままハーフタイムへと突入した。




