45.サッカーの神に愛されてるんで
ピッピィーーー!
サポートスタッフの吹く甲高いホイッスルが、熱気を帯びたピッチに鋭く鳴り響いた。
試合開始から45分。国際基準の試合時間で行われた、アディショナルタイム無しの45分ハーフの第一セットが、ここで一度区切られた。
笛の音と共にピッチ上のあちこちでエリート選手たちが膝に手をつき、あるいは疲労困憊で芝生の上に大の字に倒れ込んだ。
白チームは最後まで健闘したものの、その努力は虚しく、結局ヤンセン・大河と大童子清隆がそびえ立つ紅チームの強固な城壁の前に、ただの1点も奪うことは出来なかった。
「よし。15分休憩だ。水分を補給して、メンバー変更や作戦変更の時間に当てろ」
久森が感情の読めない淡々とした声で指示を出すと、両チームの選手たちは重い足取りでそれぞれのベンチ前へと集まっていった。
紅チームの陣営ではキャプテンマークを巻いていないにもかかわらず、その圧倒的な存在感でチームを束ねるヤンセンを中心に、前半の総評とメンバー変更が伝えられていた。
「前半は良かったな」
ヤンセンはタオルで額の汗を拭いながら満足げにうなずいた。
「蹴太の理不尽な個人技と、隼人たちとの連携で3点。守備では清隆を中心に連携で無失点。急造チームの最初の45分としてはこれ以上無い出来だ」
ヤンセンのその言葉に紅チームのメンバー全員の視線が、自然と一人の男へと向けられた。
神野蹴太。
文句なしの前半のMVPであり、エリートたちのプライドをたった45分で粉々に打ち砕いた怪物。だが当の蹴太は周囲の畏敬の念など気にも留めず、腰に手を当てて大きく、そして深く息を吐いていた。
(・・・ふぅ。慣れていない分、ちょっと疲れたな)
蹴太はスポーツドリンクを口に含みながら、自身の身体の状態を冷静に確認していた。
通常の日本の公立中学生にとって、試合時間は前後半30分ずつの計60分が基本だ。しかしこの合宿では、最初から45分という大人の時間が設定されていた。
(中学生の公式試合とは違う45分ハーフ。そういや月影が言ってたな。数年前から高校生年代も、国際試合の基準に合わせて45分ハーフが主流になるって。久森のやつ、最初から俺たちを中学生扱いする気はねぇってことか。だが、もう慣れた)
蹴太の【スタミナ:SSS1000】というステイタスは息の上がりこそすれ、その回復速度において並のエリート選手とは次元が違った。深く呼吸を数回繰り返すだけで、筋肉に溜まった乳酸がスッと抜けていく感覚がある。
「んで、次の45分だが、蹴太」
ヤンセンが声をかけてきた。
「・・・」
蹴太が黙って視線を向ける。
「お前は蒼と交代だ。ベンチで休んでろ」
「・・・分かった」
蹴太は短く答え、ビブスを脱いでベンチに腰を下ろした。もっとピッチで暴れたいというストライカーとしての飢えはあったが、合宿はまだ始まったばかり。ここで無駄にチームメイトとの関係性を悪化させる必要はない。
「よし! じゃあ作戦は前半同様だ。追加点を狙いつつ、失点ゼロで抑え切る。この後は各自身体を冷やさない程度に休憩しろ」
ヤンセンがパンッと手を叩いてミーティングを終了させた。そして蹴太がベンチで静かに汗を拭っていると、目の前に小さな影が立った。
「・・・何?」
見上げると、これから蹴太と交代してピッチに出る東京カイザースジュニアユースのFW、鷲谷蒼が真っ直ぐに蹴太を見下ろしていた。
「負けないからね!」
鷲谷は蹴太の圧倒的なプレーを見せつけられた後でも全く怯むことなく、むしろ闘争心に火がついたような無邪気な笑顔でその一言だけを伝えると、そのままピッチへ向かって軽い走り込みを開始した。
(・・・負けん気が強いことで)
蹴太はふっと口角を上げその小さな背中を見送った。
そして一方、3点のビハインドを背負い、無得点で前半を終えた白チームの陣営。そこは紅チームとは対照的に重く沈んだ空気が支配していた。
選手たちが無言でボトルに手を伸ばす中、ミーティングの開口一番で、右サイドバックの青星俊が地面に額がつくほどの勢いで深く頭を下げた。
「すまんかった!!!!!」
腹の底から絞り出すような、悲痛な謝罪の声だった。
エリートとしてのプライドを完全に捨て、久森監督に公衆の面前で土下座をしてまでピッチに残った青星。その彼の目には自分の軽率なプレーへの後悔と自責の念が色濃く浮かんでいた。
「・・・頭上げろ」
キャプテンの国近涼真が、静かに、だが威厳のある声で言った。
国近に言われ、青星はゆっくりと頭を上げる。その顔は汗と泥、そして悔し涙にまみれていた。
「俺の勝手な傲慢のせいで、チームに余計な2点を与えてもうた。ほんまにすまん・・・」
「気にするな」
国近は青星を一切怒鳴らず、極めて冷静に事実だけを伝えた。
「お前が別にあの感情的なプレーをしなくても、結果として神野を起点に3点入れられたという事実は変わらなかったかもしれん。それくらい、あいつの個の力は異常だった」
国近のその言葉に、白チームのメンバーたちは誰も反論できなかった。
青星のミスは確かにあった。だが、それを差し引いても神野蹴太という男が放つ理不尽なまでの暴力的な突破力は彼らの戦術的理解を完全に超えていたのだ。
「終わったことを悔やんでも時間は戻らない。次の45分の作戦を伝える」
国近はチームメイトたちの視線を集め、今頭の中で描ける勝つ確率の最も高い作戦を伝えた。
「パターンは2つ。まず後半も神野が出た場合だ。あいつのスピードはトップクラス・・・いや、【世界クラス】だと思ったほうがいい」
【世界クラス】。
世代屈指のボランチである国近の口から出たその重い言葉に、白チームのエリートたちは一斉に息を呑んだ。
「一度でも前を向かせてスピードに乗らせたら、俺たちじゃ絶対に止められない。だから神野へのパスコースは全面的にカットする。あいつは最前線のFWだ。ボールがない時のオフ・ザ・ボールの動きに極限まで気を配り、パスの出し手ごと潰しにいけばOKだ」
国近は淡々と、しかし緻密に、今の白チームの戦力で戦うための最適な守備網の構築案を出していった。感情に流されず、相手の脅威を正しく評価し、その上で封じ込める。これぞキャプテンとしての国近の真骨頂だった。
「次に神野が交代してベンチに下がった場合・・・その時は俺たちが攻めるぞ」
国近の言葉に白チームのメンバーたちが力強くうなずき、肯定の意を伝えた。
「おそらく代わりに出てくる鷲谷も間違いなく速いが、正直、神野ほど理不尽じゃない。俺たちの連携で十分に対応できる。問題はヤンセンとGKの大童子だが・・・まずはヤンセンのカバーリングが及びにくい左側を中心に攻め立てる。だが、状況によっては右も使う。その判断は俺がやる。その際は青星、オーバーラップしろ」
「おう! 死ぬ気で走るわ!」
青星が泥だらけの拳を握りしめて答える。
「あとは大童子だが、武雄」
「はい」
国近に名指しされ、白チームのストライカーの武雄颯太が顔を上げる。前半、ヤンセンに徹底的に封じ込まれ、フラストレーションを溜めている男だった。
「大童子は確かにGKとして中学生離れした体格と威圧感があるが、手足が長い分、足元の至近距離の反応速度は普通だ。強引に撃ち抜くのではなく、シュートフェイクを入れて重心を揺さぶっていけ」
「・・・了解」
武雄の目に反撃の炎が宿った。そして白チームのミーティングも終え、それぞれが次の45分に向けて水分補給とストレッチを行いながら休息を取っていた。
■■
「・・・」
蹴太がベンチに深く座り、冷えたスポーツドリンクを喉に流し込んでいると、ふいに隣へ影が出来た。そのため視線を向けると、そこには腕を組んだ久森涼介監督が立っており、蹴太を鋭く見下ろしていた。
「お前、何者だ?」
唐突な、そして本質を突く鋭い問いかけだった。
「何者って・・・代表の監督なら俺の選手データとかの情報くらい持ってるんじゃないですか?」
蹴太はペットボトルを置き、面倒くさそうに返した。
「俺のもとにある情報は協会の柳野から送られてきたペラペラのデータだけだ。そのデータには特に不思議な点は何一つない。ただの【公立中学の無名の部活動選手】という情報を除けばな」
「・・・」
「俺は別に、無名だからといって差別はしない。俺自身が日本のサッカー界では無名であり、海外の底辺を這いつくばってきた人間だからな。だが、お前は無名にしては異常すぎる」
久森は先ほどの45分間で見せつけられた蹴太のプレーを脳内で反芻していた。
一歩目での爆発的な初速。密集地帯での神がかったボールコントロール。そしてどんな体勢からでも枠をぶち抜く異常なシュート力。
あれほどの完成された技術と肉体が日本の育成システムから完全に漏れたまま、ただの公立中学校のグラウンドでひっそりと育つなどあり得るはずがなかった。
「異常ですか。別にやましいことは何一つ無いですよ。それはここに来る前のメディカルチェックで判明しているはずです。過去の経歴も隠していませんし、嘘もついていません」
蹴太は久森の威圧感に一切怯むことなく、淡々と答えた。そしてふっと口角を少しだけ上げ、自嘲するように、しかしどこか誇らしげに付け加えた。
「まぁ、強いていうなら・・・【サッカーの神に愛されている】ってことですかね」
前世で理不尽な才能に絶望し、一度はサッカーを捨てた男が転生という奇跡を経て手に入れた、文字通りの【神からの祝福】。その真実を誰にも言えない以上、そう言うしかなかった。
「・・・なるほどな」
久森は蹴太のその言葉を聞き、何かを確かめるように一瞬だけ表情を硬くした。そして蹴太の正面に回り込み、その目を真っ直ぐに射抜いた。
「サッカーの神に愛されているのなら、日本をワールドカップで優勝させろ。それがお前の責任だ」
「・・・」
蹴太は息を呑み、言葉を失った。
柳野に【日本を頼む】と言われた時と同じ、いや、それ以上に途方もなく重い、常軌を逸した要求。中学生に向かって『ワールドカップで優勝させろ』などと本気で言う大人がこの世にいるとは思わなかった。
「まぁその前に・・・まずはこのU―15ナショナルチャンピオンシップのグループステージを突破しないとなにも始まらないがな」
久森はそれだけ言うと背を向け、ゆっくりとベンチから離れていった。
(ワールドカップで優勝、ね・・・)
蹴太は汗にまみれた自分の両手を見つめた。
【面接のエピソード作り】のために始めたはずのサッカーが、いつの間にかこんな途方も無い場所まで自分を連れてきている。
だが、その理不尽なほどの重圧を蹴太は不快だとは全く思わなかった。むしろ、ストライカーとして自分の【個の力】がそこまで高く評価されているという事実に、ゾクゾクするような快感を覚えていた。全身の血がその期待に応えてすべてを圧倒しろと、熱く沸騰しているのを感じた。
■■
ピーッ!
今回主審を務めるサポートスタッフのホイッスルが鳴り、次の45分のセットが始まった。それを蹴太はベンチに座りながら、ピッチ上で繰り広げられる激しい攻防に目を凝らした。
(鷲谷ってやつ、意外と速いな)
蹴太と交代してピッチに入った鷲谷の動きは、確かに目を見張るものがあった。蹴太の【瞬間最高初速】ほど理不尽な加速ではないが、それでも並のディフェンダーを置き去りにするには十分な初速を持っている。
何より、FWとしてのオフ・ザ・ボールのセンスが極めて高かった。相手ディフェンスの死角を突き、常にパスを引き出そうとピッチを上がり下がりする軽快さがある。東京カイザースのジュニアユースで、エリートとして生き残っているだけのことはある。
しかし・・・
(だが最終ラインの手前、あの国近ってやつのせいでまともにプレーできてないな)
蹴太の冷静な分析通り、鷲谷の行く手には常に白チームのキャプテン、国近涼真が冷徹な壁となって立ちはだかっていた。
国近は蹴太という【理不尽】が消えたことで、完全に本来のディフェンスを取り戻していた。鷲谷へのパスコースを事前の読みで簡単に消し、鷲谷にボールが回っても味方と連動してすぐに刈り取る。
その強固な守備網のせいで、紅チームは前のセットの流れるような攻撃が嘘のようになかなかゴールを奪えずにいた。そして守備が安定した白チームは国近のタクトによって見事な反撃の狼煙を上げた。
「鵜飼!」
国近からのパスを受けた朝陽が左サイドを進む。紅チームのディフェンスが朝陽に引きつけられたその瞬間、中央へ鋭いパスが通った。
「もらった!」
ペナルティエリアのやや外側でボールを受けたのは白チームのエースストライカー、武雄颯太だった。
武雄はボールをキープし、目の前に立ちはだかる最大の壁、ヤンセン・大河をあえてギリギリまで惹きつけた。
(ヤンセン! お前を抜くのは不可能に近い。だが!)
武雄は強引な突破を選ばず、後方から駆け上がってきたトップ下の外丸へとヒールでパスを流した。
「外丸!」
「OK!」
外丸はダイレクトで武雄の前のスペースへ柔らかい浮き球のパスを返す。完璧なタイミングのワンツーパス。ヤンセンの身体がほんの一瞬だけ置き去りにされた。そしてペナルティエリア内に侵入した武雄の前に、ついに大童子が立ちはだかる。両手を広げ、威圧感たっぷりに距離を詰めてくる巨大なキーパー。
【大童子の反応速度は普通だ・・・シュートフェイクで揺さぶれ!】
国近の指示が武雄の脳裏をよぎる。
武雄は右足を大きく振りかぶり、強烈なシュートを放つモーションに入った。
「ふんっ!」
大童子がそのモーションに反応し、身体を投げ出すように横へ飛ぶ。だがそれはフェイクだった。
武雄は蹴る寸前で足首の角度を変え、右足のインサイドでボールを左へスッと持ち出した。大童子の巨体が空を切り、無人のゴールが武雄の前に広がる。
「おっし!」
武雄はファーストタッチで態勢を立て直すと、そのまま左足でゴールの隅へと確実なグラウンダーのシュートを流し込んだ。
バサァッ!
試合開始23分。
【紅チーム 3―1 白チーム】
武雄の執念と国近の戦術が実を結んだゴール。ついに白チームの反撃が始まった。そしてその後も勢いに乗った白チームは上手い連携で着実に紅チームのゴールへと迫り、さらに1点を追加することに成功した。
大童子の牙城を崩し、ヤンセンの壁を連携で越える。白チームの選手たちは完全に息を吹き返していた。
しかし・・・
ピッピィーーー!
今回の45分ハーフの終了を告げる、サポートスタッフのホイッスルがグラウンドに鳴り響いた。
「全員集合しろ」
久森の声が響く。
結局今回の90分間トータルでの結果は【紅チーム 3―2 白チーム】。
紅チームは後半で追加点を入れられず、白チームは猛烈な反撃で1点差まで迫ったものの、あと一歩届かず紅チームの勝利で終わった。
「30分休憩を挟んだ後、さらに45分を2回セットで行う。そして今日は19時で終了する。では、各自休息を」
肩で息をしているエリート中学生たちを見下ろしながら、久森は悪魔のような宣告を淡々と告げた。そしてそれ以上何も言わずに、スタッフを連れてミーティングルームへと引き上げていった。
「ハァ・・・ハァ・・・マジかよ。ずっと試合やる気かよ!」
紅チームの佐々木雅人が芝生に座り込みながら悲鳴のような不満を漏らした。
「体力が持つわけねぇだろ・・・中学生を殺す気かよ」
石高誠也や有馬貴大も滝のような汗を流しながら同意する。彼らの恵まれた育成環境において、これほど過酷で理不尽なフィジカルの酷使は経験したことがなかった。だがその不満の声を切り裂くように、ヤンセンが力強く手を叩いた。
「はいはい! 文句言っても始まらないぞ! とりあえず、全員身体を冷やさないように休憩だ!」
ヤンセンは疲労を感じさせないタフな笑顔でチームメイトたちを鼓舞する。
「一番だめなのはこんなところで集中力を切らして怪我をすることだ。ストレッチ、水分補給。しっかりやっとけよ!」
ヤンセンの圧倒的なキャプテンシーとタフネスに引っ張られ、不満を漏らしていた選手たちも重い腰を上げ、黙々と休息の準備に入った。
蹴太もまた静かにストレッチを始めながら、夕暮れが近づき赤く染まり始めたピッチを見つめていた。
(45分をさらに2セットか・・・上等だ)
ストライカーとしての飢えが蹴太の身体の奥底で静かに燃え上がっていた。
30分後。
チームのメンバーを入れ替えて再び過酷な試合形式の練習が始まり、その果てしない死闘は午後7時までエンドレスに続いたのである。




