42.開始5分、実力の証明
施設の中央にある時計台が、午後3時を示した。
それを合図にしたかのようにピッチの入口の自動ドアが開き、久森監督が数名のサポートスタッフを引き連れてピッチへと戻ってきた。そしてその足取りは迷いがなく、鋭い眼光はすでにピッチ上に散らばる26名の中学生エリートたちを、まるで品定めするように見渡している。
「全員集合だ!」
ヤンセン・大河の声がグラウンドに響き渡った。
その一声で、各自ストレッチやパス交換をして身体を温めていた代表メンバーたちが一斉に久森の前に集まり、整然とした列を作った。
張り詰めた沈黙の中、久森は手元のクリップボードに挟まれた書類を一瞥し、そして顔を上げた。
「よし。じゃあ今から、代表メンバーを【紅チーム】と【白チーム】の二つに分ける。名前を呼ばれた選手は、スタッフからビブスを受け取って着用しろ。呼ばれなかった者は白チームだ。では、紅チームのビブス組を発表する」
久森は抑揚のない事務的な声でリストを読み上げ始めた。
紅チーム【ビブスあり】
GK
大童子清隆
DF
ヤンセン・大河 CB
谷崎明 CB
鈴木幸太郎 RSB
有馬貴大 LSB
MF
九条隼人 OMF
佐々木雅人 OMF
横畑海夏人 OMF
塩村竜也 DMF
石高誠也 DMF
FW
神野蹴太
鷲谷蒼
平崎剛
名前を呼ばれた選手たちが前に出て、スタッフから鮮やかな赤いビブスを受け取り、頭からかぶっていく。蹴太も無言でビブスを受け取り、身につけた。
久森は残った選手たちを一瞥し続ける。
白チーム【ビブスなし】
GK
林誠
森慎吾
DF
青星俊 RSB
鵜飼朝陽 LSB
窪田大輔 CB
中村彰人 CB
MF
国近涼真 DMF
浜出拓哉 DMF
三國健 DMF
外丸直樹 OMF
山田賢人 OMF
FW
武雄颯太
菊池大吾
「以上だ。では、10分後に試合を開始する」
久森はクリップボードをスタッフに預け、腕を組んだ。
「ルールは45分区切りで何度も戦ってもらう。お前たちの体力が完全に尽きるまでな。審判はサポートスタッフが務める。あとメンバーの交代は自由だ。自分たちで話し合って決めろ。そうだな・・・紅チームはヤンセン、白チームは国近。お前たちがキャプテンをやれ。他の奴らはその指示に従え」
「「「「「はい!」」」」」
26名の力強い返事が夏の青空に響く。
「よし。それじゃあ、各チームで準備しろ」
久森の合図で紅チームと白チームはそれぞれピッチの半面に分かれ、短いミーティングを始めた。
■■
紅チームの陣地。
赤いビブスを着た選手たちがヤンセンを中心に円陣を組んでいた。
「よし! じゃあ、さっきの話し合い通り、ベースのシステムは手筈通りに【4-5-1】でいく」
ヤンセンが力強く宣言する。
「とりあえず、登録が3人いるFW以外のフィールドプレーヤーは、全員最初からピッチに出るとして・・・問題は最初に出るワントップを誰にするかだな」
その場にいた九条以外の選手たちは皆一様に、東京カイザースのジュニアユースに所属し、エリートストライカーとしての確かな実績を持つ【鷲谷蒼】が指名されるものだとばかり思っていた。
体格こそ小柄だが、裏への抜け出しとゴール前での圧倒的な嗅覚はこの世代でもトップクラスだと誰もが認めている。
しかしヤンセンの視線は鷲谷ではなく、円陣の少し外側に立っている男へと真っ直ぐに向けられた。
「蹴太。お前からまず行くぞ」
「・・・俺からかよ」
蹴太が心底億劫そうにため息混じりに答えた。
そのやり取りに九条以外の選手たちは一様に驚きの表情を浮かべた。そして九条だけはこれから起きるであろう惨劇を予想して、一人だけ楽しみを抑えきれないといった悪戯な笑みを浮かべていた。
「えぇっ!? 僕からじゃないの!」
真っ先に不満の声を上げたのは指名されると信じて疑わなかった鷲谷だった。
「まぁそう言うな、蒼。こういうのはただの順番だ、順番。後ですぐに交代するんだから」
ヤンセンが苦笑しながら宥める。
「ちぇっ! 分かったよ。でもすぐに代えてよ!」
鷲谷は唇を尖らせながらもヤンセンの決定には逆らえず、渋々引き下がった。
「おーし。んじゃ、サクッと先制点を取って、俺たち紅チームはまず守備からの連携の確認を取っていくぞ!」
ヤンセンはそう言ってパンッと大きく手を鳴らし、各ポジションへと散るように促した。
だがその決定に納得がいっていない選手は鷲谷だけではなかった。
エリート意識の強い一部の選手たちがヤンセンの離れた後、ヒソヒソと陰口を叩き始めたのだ。
「サクッと点を取るって・・・だったら、実績のある鷲谷から使うべきだよなぁ?」
佐々木雅人が不満げに顔をしかめる。
「そうだよなぁ。なんでわざわざあんな無名の【公立の部活】のやつから使うんだよ?」
石高誠也も蹴太を横目で見ながら同意する。
「もしかしてさっき青星が言ってたこと、事実だったりしてな。金かコネで代表にねじ込まれたとか」
有馬貴大が嘲笑うように付け加えた。
彼らは幼い頃からJリーグの下部組織という【温室】で大切に育てられ、選ばれた者としてのエリート教育を受けてきた。だからこそ、自分たちと同じ土壌で育っていない蹴太のような存在は【異物】でしかなく、無意識のうちに排除しようとする心理が働いていたのだ。
(・・・アホくさ)
彼らのヒソヒソ声は、当然蹴太の耳にも届いていた。聞こえるようにわざと話していることは明らかだった。しかし蹴太はその幼稚な挑発に反応することすらバカバカしく、完全に無視して自分のポジションであるセンターサークルへと向かった。
実績や肩書きでしか相手の価値を測れないような薄っぺらい人間はいつの時代にもいる。そういう連中の口を塞ぐ方法は言葉での反論ではない。ピッチの上で、絶対的な実力という暴力でねじ伏せること。それしかないと思っていた。
そして蹴太がセンターサークルのトップの位置につくと、すぐ後ろのトップ下のポジションに入った九条がにこやかに話しかけてきた。
「んじゃまぁ、さっさと良いパス出すから、挨拶代わりのサクッと1点よろしく!」
「気軽に言うなよ。俺は魔法使いじゃないんだぞ」
蹴太が呆れたように返す。
「ハハッ! 何言ってんだよ。どうせお前もあの連中を実力で黙らす気満々じゃん!」
九条は蹴太の静かな瞳の奥に燃える、ストライカーとしての闘志を見透かしていた。
「・・・」
蹴太はその言葉を否定しなかった。ただ前を見据え、軽く首を鳴らしただけだった。
その一方でピッチの反対側。
練習着のままの白チームの陣営では右サイドバックのポジションについた青星俊が、怒りで顔を真っ赤にしていた。
(なんや、あいつ! あんな無名のコネ野郎が、いきなりスタメンかいな! よし決めた! 俺が直々に泣かしたる!)
青星は自分と同じピッチの上にあの【公立の部活生】が立っていること自体が、自分のプライドを激しく傷つけられたように感じていた。
「なぁ、みんな!」
青星は白チームのメンバーに向かって大声を張り上げた。
「なんだ? もうすぐ試合が始まるぞ、青星」
キャプテンを任されたボランチの国近涼真が怪訝な顔で振り向く。
「相手チームのあの【雑魚】のワントップなんて、俺一人で十分や! 俺がサクッと刈り取って仕留めたるさかい、後の連中のマークはよろしくな!」
青星は自分の実力を誇示するように胸をドンと叩いた。
「・・・好きにしろ」
国近は青星の過剰な自己顕示欲に全く興味がないと言わんばかりに、ぶっきらぼうに応えた。そして国近の視線は青星を通り越し、センターサークルに立つ無名の神野蹴太へと向けられた。
(あのヤンセンが1対1で負けを認めた男・・・)
国近の切れ長の目が鋭く光る。
(冗談か? 俺たちをからかうための嘘か? いや、ヤンセンはそういう質の悪い冗談を言うやつじゃない。それにあいつが実力のない相手をわざわざ持ち上げるはずがない・・・ともかく、最大限警戒しておくことに越したことはない)
国近は青星のように肩書きだけで相手を舐めるような愚か者ではなかった。
ヤンセンが名前を記憶し、そして【勝てない】と口にした。その事実だけであの無名のストライカーを警戒するには十分すぎるほどの理由だった。
「では、試合を開始する」
ピッチのタッチライン際で時計を見ていた久森監督が片手を高く上げ合図をし、サポートスタッフが口にくわえたホイッスルを強く吹き鳴らした。
ピーーーッ!
U―15日本代表合宿、最初の紅白戦の幕が切って落とされた。
最初のキックオフは紅チームからだった。
蹴太はボールを軽く後ろに流してトップ下の九条へと預けると、自分はゆっくりとしたジョギングのペースで前線へと上がっていった。
すると待ってましたとばかりに白チームの右サイドバックである青星が、猛然とダッシュしてきて蹴太にぴったりとマークについた。
「おいおい! 何チンタラ走っとんねん、卑怯もんがよ! コネで入った化けの皮、俺が今すぐひん剥いてやるから、覚悟しとけや!」
青星は蹴太の耳元で執拗に挑発的な言葉を並べ立て、激しく身体をぶつけてプレッシャーをかけてきた。
しかし蹴太は青星の存在など微塵も気にしていなかった。
視線は常にボールを持つ九条の動きと、白チームのディフェンスラインが作り出す【スペース】だけに向けられている。
(んじゃ! 約束通り、1点よろしく!)
中盤でボールをキープしていた九条が白チームのプレスの網を華麗なタッチでいなした瞬間、一瞬だけ顔を上げた。そして蹴太の動き出しと完璧に呼吸を合わせ、左足を鋭く振り抜いた。
芝を這うような、強烈で精確なグラウンダーの縦パス。それは白チームの中盤の選手たちの間をすり抜け、最前線の蹴太の足元へと一直線に向かっていった。
「もらったで!」
青星がパスをインターセプトしようと鋭く身体を寄せる。だが蹴太は焦る素振りすら見せなかった。
トンッ。
蹴太は右足の内側で飛んできたボールに軽く触れた。ただそれだけだった。
固有スキル【吸着トラップ】。
強烈な勢いを持っていた九条の縦パスが蹴太の足元に触れた瞬間、まるでそこに強力な磁石があるかのように一切の音も立てず、1ミリも弾くことなく、ピタリと完全に静止した。
(・・・ほぅ? 上手いな。あの異常なまでに柔らかいトラップ技術、それだけでもここにいるだけの価値は十分にある)
少し離れた位置でカバーリングに入ろうとしていた国近が、そのたった一つのボールタッチを見て内心で舌を巻いた。
(だが・・・青星のやつはあいつのあのトラップの異様さを分かっているか?)
国近の危惧は見事に的中していた。
青星は蹴太のトラップの凄さに全く気づいていなかった。むしろ、ボールが完全に止まったことで奪う絶好のチャンスだと勘違いしたのだ。
「おらおらぁ! ビビって止まっとらんと、こんかい!」
青星が威嚇するように吠える。
蹴太は足元にボールを置いたまま、初めて青星の顔を正面から見据えた。そして氷のように冷たく、感情の籠もらない声でたった一言だけ告げた。
「・・・お前、なんで代表に選ばれたの?」
「なんやと!?」
青星の顔が怒りで一気に朱に染まった。
自分の誇りである代表選出を馬の骨に全否定された屈辱。青星は完全に理性を失い、蹴太の言葉の真意を考えることもなく、ただ力任せにボールを刈り取ろうと全速力で突っ込んだ。
相手の動きも、重心も見ていない。怒りに任せたあまりにも素直であまりにも稚拙なディフェンス。
「そら! もろたで! ここから俺のカウンターや!」
青星が勝ち誇ったように右足を大きく伸ばし、スライディング気味にボールへタックルを仕掛ける。だがその足は虚しく空を切った。
「なっ!?」
青星の視界から蹴太の姿とボールがまるで蜃気楼のようにフッと消えた。蹴太は青星が突っ込んでくるタイミングを完全に読み切っていた。
青星の足が届くコンマ数秒前。蹴太は右足の裏でボールを手前にスッと引き、そのまま流れるようなしなやかな動作で自分から見て左側へと身体を反転させた。
ルーレットのような美しいターン。
青星の突進する勢いを完全に逆手に取り、闘牛士が猛牛をかわすかのように、いとも簡単に、そして残酷なまでに美しく青星を置き去りにしたのだ。
「なんや、と・・・」
青星が芝の上に無様に転がり、何が起こったのか理解できずに呆然と振り返った時、蹴太はすでに完全に前を向き、広大なスペースへとドリブルを開始していた。
(なるほど。確かに上手い。そこら辺のクラブチームのエリートFWよりもボールの置き所も身体の使い方も圧倒的に洗練されている)
青星が抜かれた瞬間、即座にカバーに入ったのは白チームのキャプテンであるボランチの国近だった。
(だが、俺なら奪える!)
国近は青星のように感情任せに飛び込むような愚かな真似はしなかった。
冷静に蹴太のドリブルのスピードと間合いを測り、コースを限定しながらじりじりとプレッシャーをかけてボールを刈り取る。それが国近の得意とする、クレバーな守備だった。
国近は蹴太の正面に立ち塞がり、決して抜かれない、そしてパスも出させない完璧な距離感を保つ。この間合いならどんなフェイントが来ても対応できるという絶対の自信があった。
だが国近は知らなかった。
目の前にいる男がそうした戦術や間合いといった積み上げてきた【サッカーの常識】を、純粋な【個の暴力】だけで物理的に粉砕してしまう理不尽な怪物であることを。
「なっ!」
国近の目が驚愕に見開かれた。抜く素振りなど全くなかった。蹴太の身体が一瞬だけ、ほんの数センチ深く沈み込んだ、次の瞬間。
ドンッ!!
固有スキル【瞬間最高初速】。
助走も筋肉の予備動作も一切ない。静止に近い状態からたった一歩で自身の持つ最高速度【スピード:SSS1000】へと到達する、理不尽極まりないゼロヒャクの加速。
それは中学生の動体視力や反応速度で対応できる領域を遥かに超えていた。
国近は自分が反応して足を出すよりも早く、まるで突風が吹き抜けるように蹴太に縦のコースを一直線にぶち抜かれていた。
「嘘、だろ・・・」
世代トップクラスのボランチである国近が何もできないまま、ただのかかしのように棒立ちにさせられた。
青星をターンでかわし、国近を圧倒的な初速で置き去りにする。その間わずか数秒。蹴太の前にはもうペナルティエリアが迫っていた。
ゴールからの角度は45度。ストライカーにとって最もシュートコースが広く見える、絶好のポイント。
「止めろぉぉっ!」
国近が叫んだと同時に白チームのセンターバック、窪田大輔が血相を変えてカバーに走ってくる。だがもう遅い。窪田の足がシュートブロックに届く距離ではない。
ピッチのタッチライン際。腕を組んで試合を眺めていた久森監督の目がカッと見開かれた。
「!!!」
蹴太は一切の迷いなく、左足を振りかぶった。固有スキル【クイックモーション】。
通常なら大きく振りかぶるテイクバックの動作を極限まで省略し、相手の予測より一拍早くシュートを放つ技術。本来なら威力が落ちるはずのそのフォームにさらに固有スキル【パワーシュート】の理不尽な威力が上乗せされる。
ドバァァァンッ!!
空気を切り裂くような破裂音と共に放たれたボールは、まるで目に見えない糸で引かれているかのように一直線にゴールへと向かった。
白チームのGKの林誠が必死に横っ飛びで手を伸ばす。だがそのシュートはあまりにも速く、そしてあまりにも正確すぎた。林の指先を嘲笑うかのように通過したボールはゴールのファーサイド、最も遠い隅のネットへと突き刺さるように吸い込まれていった。
バサァッ!!
ゴールネットが激しく揺れ、その音がピッチに響き渡った。
【紅チーム 1―0 白チーム】
試合開始のホイッスルが鳴ってからわずか5分後の出来事だった。
「・・・」
ピッチ上はまるで時間が止まったかのような深い静寂に包まれた。
青星も、国近も、そして試合前に蹴太に不満を漏らしていた紅チームのエリートたちも、全員が信じられないものを見たというようにただ揺れるゴールネットと、そのゴールを決めて涼しい顔でセンターサークルへ戻っていく背番号のない男の背中を、呆然と見つめることしかできなかった。
圧倒的な個の力。
それは彼らがこれまで信じてきた肩書きや実績という薄っぺらい常識を、たったワンプレーで完全に粉砕する、残酷なまでの【実力の証明】だった。




