41.招集されたメンバー
施設のミーティングルーム。
冷房の冷たい風が静かに吹き出す室内で、ホワイトボードの前に立つ久森涼介の背中へ、サポートスタッフの一人が恐る恐る声をかけた。
「・・・久森監督、本当によろしいんでしょうか?」
「何がだ?」
久森は振り向きもせず、ホワイトボードに書き殴った紅白戦のメンバーリストを腕組みしたまま眺め続けて答えた。
「さっきのピッチでの説明ですよ・・・」
男性スタッフの声には、明らかな懸念と戸惑いが滲んでいた。
「チーム練習を一切やらないとか、独断と偏見でスタメンを決めるとか、いくらなんでも初対面の選手たちに対して突き放しすぎではありませんか? 彼らは確かに全国から選ばれたトップクラスのエリートですが、まだ中学生です。少しは動揺を和らげるようなフォローをするとか、最低限の戦術の擦り合わせの時間を設けても・・・」
「知らん」
久森はあっさりと、そして冷酷に切り捨てた。
「俺の言葉を聞いてどう思うかは選手たちの勝手だ。俺は、俺の考えとこの合宿における絶対のルールをありのままに伝えただけだ。あいつらがそれをどう解釈し、どう動くか。文句を言ってふて腐れるのか、それとも己の実力でこの状況を打破しようと殺気を放つのか。それを観察するのも実力確認のうちだろ」
「それは・・・まぁそうですけど」
「過保護な環境に慣れきった日本の温室育ちのエリートどもに、世界の理不尽さを教えてやるにはちょうどいいショック療法だ」
久森はペンを置き、ようやくスタッフの方を向いた。その目には海外の下部リーグで泥水をすすってきた者特有の冷たく鋭い光が宿っていた。
「戦術だの、連携だの、そんなものは言葉が通じなくてもピッチの上でボール一つあれば十分だ。実力のない奴が小綺麗な戦術に逃げ込む。俺が欲しいのはどんな理不尽な状況に放り込まれても、己の【個】の力だけで相手の心臓を食い破れるような、純粋なバケモノだけだ」
久森は鼻を鳴らし、再びホワイトボードに向き直った。
「だがまぁ、一応事前にキャプテンをするであろうヤンセンには俺の方針と意図を軽く話してある。後はあいつ次第だ。あいつがあの烏合の衆をどうまとめるか、見物だな」
久森の口元には、悪戯な笑みが浮かんでいた。
スタッフはそれ以上何も言えず、ただこの異端の監督が巻き起こすであろう波乱を思って、小さくため息をつくことしかできなかった。
■■
久森たちスタッフがミーティングルームで話している頃。
強い日差しが照りつけるピッチの上では久森の言葉に動揺し、不満と不安の声を漏らす選手たちを前に、ヤンセン・大河がすでに動いていた。
これまで所属するクラブチームやトレセンで常に丁重に扱われ、丁寧な戦術指導を受けてきたエリート中学生たち。彼らにとって、いきなり【戦術練習はしない】【試合の結果だけで評価する】と突き放されたことは、文字通りの未知の恐怖だった。ざわめきと混乱がピッチを包み込みかけた、その時だった。
パンッ! パンッ!
「はいはい! 動揺しない!」
ヤンセンが大きく手を叩き、よく通る声でピッチ上の注目を一手に集めた。その場にいた25人の視線が、自然と190センチを超える巨体へと吸い寄せられる。
U―15世代において飛び級でユースに上がり、圧倒的な実績と実力を誇る男。彼が声を張っただけで、ピッチの上の不穏な空気がスッと鎮まるのが分かった。
「久森監督の言いたいことも、意図も分かる」
ヤンセンは落ち着いた口調で慌てる様子もなく周囲の選手たちに語りかけた。
「俺たちは今日、全国から集まったばかりだ。所属するクラブも違えば、普段やっている戦術だって、システムだってもちろん違う。そんなバラバラの奴らが短い期間で世界と戦える一つのチームになるには、手っ取り早く実戦の中で互いの特徴をすり合わせるしかないだろ?」
その言葉に不満を口にしていた選手たちがハッとして押し黙る。
ヤンセンの言う通りだった。ここでちまちまとパス回しの練習をし、座学でシステムを学んでいる時間はない。実戦の強烈なプレッシャーの中で互いの実力を測り、パスのタイミングや動き出しの癖を身体で直接覚え込むのが一番早いのだ。
「まぁ、それでもいきなり【何もなし】で試合をしろってのは酷な話だ。だから、とりあえずのベースとなるシステムと陣形だけは今ここで考えようか。何か案のあるやつはいるか?」
ヤンセンが周囲を見渡すと静寂の中でスッと真っ直ぐに手を挙げた選手がいた。
「いいか? ヤンセン」
「いいぞ、涼真」
涼真と呼ばれた選手は切れ長の鋭い目でヤンセンを見た。彼は他の選手たちに囲まれた集団の中から一歩前に出る、姿勢を正し、落ち着いた、だが自信に満ちた声で名乗った。
「一応、全員に自己紹介をしておく。俺は国近涼真。神奈川の川崎フロンティアーズのジュニアユース所属。主なポジションはMF。とくに中盤のボランチをやることが多い」
国近は端的に自己紹介を済ませると無駄な言葉を省いてすぐに本題へと入った。
「俺とヤンセン、あと大童子の三人は、U―12の国際大会で一緒にプレーしたことがある。互いのプレースタイルは熟知しているつもりだ。だからとりあえずのベースとして、俺たち三人を中心にセンターラインを組み立てるのはどうだ? 急造チームでも背骨がしっかりしていれば最低限の守備の安定は図れるはずだ」
「なるほどな。悪くない案だ。大童子はどう思う?」
ヤンセンから指名され、集団の後方から野太い声が返ってきた。
「・・・異議なし」
声の主はヤンセンと並んでも見劣りしないほどの大柄で筋骨隆々な男だった。中学生とは到底思えない分厚い胸板と、丸太のような太い腕。だが、その表情は能面のように無愛想で声にも一切の抑揚がない。
「おいおい、清隆。せっかく顔を合わせたんだから、少しくらい自己紹介しろよ」
ヤンセンが苦笑しながら促すと、ヤンセン自ら周囲に向かって説明を補足した。
「あいつは浦和レッツのジュニアユースでGKをやってる大童子清隆だ。仏頂面で取っ付きにくそうに見えるが、義理堅くていいやつだぞ」
大童子はヤンセンの紹介に、ただ短く「よろしく」とだけ顎を引いて返事をした。
「まぁ、とりあえず涼真の案を採用するか」
ヤンセンがパンッと手を叩き、話をまとめる。
「試合までまだ時間はあるし、紅白戦の中で問題点が出ればその都度ピッチの中で修正していければいい。じゃあ一旦、ベースのシステムは守備のブロック作りに重点を置いた【4-5-1】でいくぞ。その形でスムーズに始められるように、各自頭の中を整理して準備を進めよう」
ヤンセンの的確なキャプテンシーにより、ピッチ上の動揺は完全に収まった。そして選手たちの目に試合へ向けた確かな集中力が戻り始めていた。
「まぁその前に一回、全員で順番に自己紹介とポジションの確認だ。じゃあまず、蒼から頼む」
「おぅ!」
ヤンセンに指名され、一際元気よく前に飛び出してきた選手がいた。
その選手は周囲の屈強なエリートたちに比べると一際小柄だった。身長はまだ170センチに届いていない。しかしその身体には見合わないほど、腹の底から響く大きな声で自己紹介をした。
「鷲谷蒼! 東京カイザースのジュニアユースでFWをしています! 今回、初めての代表招集ですごく緊張していますが、精一杯走りますのでよろしくお願いいたします!」
(へぇ・・・東京カイザースのジュニアユースのFWか。ちょっと実力見たいな)
蹴太はその小柄なFWを興味深く観察していた。
ヤンセンと同じクラブの出身。蹴太よりも身体は小さいが、間違いなく蹴太よりも厳しい実戦経験と高度な戦術指導を積んできたエリートストライカー。
あの体格のハンデをどのような技術とポジショニングで埋めているのか。純粋に戦ってみたいと蹴太は感じていた。そして鷲谷の元気な挨拶を皮切りに、残りのメンバーも次々と自己紹介をしていく。
「横畑海夏人です! 静岡ウォリアーズのジュニアユース所属で、ポジションはMFです! 主に攻撃面を担当しています! 僕も初招集なので緊張していますが、皆さんよろしくお願いします!」
(・・・月影と同じくらいイケメンだな)
横畑はそのまま男性アイドルグループに混ざっても全く違和感がないほどの、甘く整った顔立ちをしていた。そしてその屈託のない爽やかな笑顔が非常に印象に残る選手だった。
(サッカー上手くて顔もいいとか、健一が見たら血の涙を流して嫉妬しそうだな)
どうでもいいことを考えながら蹴太は次の選手の自己紹介に耳を傾けた。
「俺はなにわのブルースター! 青星俊や! 名門の大阪ユナイテッドでバリバリのスタメン張ってる右サイドバックや! 世代ナンバーワンのディフェンダーは俺やからな! 俺のサイドは絶対に抜かせへんで!」
青星は周囲を威嚇するように自信満々に自己紹介を進めた。その過剰な自己顕示欲に何人かの選手が苦笑いを浮かべているが、青星本人は全く気にする様子もない。
さらに白豪学園の九条が陽気に自己紹介をし、武雄も短く名乗り、明石SCの朝陽も落ち着いた様子で自己紹介を終えた。そして、いよいよ最後に蹴太の番が回ってきた。
「よーし。じゃあ最後は蹴太」
ヤンセンに促され、蹴太はゆっくりと前へ出た。そして周囲の25人のエリートたちの視線を一身に浴びながら、相変わらずの冷めた抑揚のない声で口を開いた。
「・・・神野蹴太。一応、ポジションはFW」
蹴太はそこで一拍置き、ピッチの上の全員をぐるりと見渡した。
「言っておくが、俺はどこぞのジュニアユース所属でも、クラブチーム所属でも、全国常連の強豪の部活動の選手でもない。ただの【公立中学の部活動】の選手だ。よろしく」
その言葉が落ちた瞬間、ピッチの空気が凍りついた。誰もが耳を疑った。
日本代表の合宿。ここにいるのは各地域のトレセンを勝ち上がり、名門クラブで幼い頃から英才教育を受けてきた超エリートたちばかり。
そこに【ただの公立の部活】の無名選手が紛れ込んでいる。それは彼らの常識を根底から覆す、あり得ない事態だった。
「いや、ただの公立の部活って、お前・・・」
ヤンセンが呆れたようにツッコミを入れかけた、その時だった。
「なんやそれ!!!!」
空気を劈くような大声と共に、青星がズカズカと足音を荒立てて蹴太の目の前まで歩み寄ってきた。
「どこぞの馬の骨ともわからん無名の部活のヤツが、こんな日本のトップが集まる神聖な場所に来てええと思ってんのか、ボケェ!」
青星は蹴太を鋭く睨み、露骨な敵意を剥き出しにした。
「・・・知らん。俺は協会から呼ばれたから来ただけだ」
蹴太は全く表情を変えず、面倒くさそうに答えた。
「お前あれか? 親が協会の偉いさんかなんかで、金積んでねじ込んでもろたんか? きったないのぅ! 実績も実力もないのに、代表の枠を一つ潰しやがって!」
「・・・」
(アホくさ)
蹴太は内心で深くため息をついた。
サッカーという残酷なまでの実力主義の世界で、過去の【実績】や【肩書き】がないことだけを理由に噛み付いてくる。こういう薄っぺらい手合いには、言葉で反論するだけ時間の無駄だと理解していた。ピッチの上のプレーで、物理的に黙らせるしかない。
蹴太は完全に無関心な態度を貫き、青星の怒鳴り声をただのBGMとして右から左へ受け流した。
「なんかいえや! 図星突かれて黙っとんのか、それともほんまに何の実績もない素人なんか、こらぁ!」
パンッ!
青星が蹴太の胸ぐらを掴まんばかりに因縁をつけていると、ヤンセンが再び大きく手を叩いて注目を集めた。
「そこまでだ、青星。今、俺たちがこんなところで言い争っている時間なんて無いぞ。さぁ、もうすぐ久森監督が戻ってくる。紅白戦の準備をするぞ」
「・・・ちぃっ!」
ヤンセンの絶対的な声に、青星は渋々引き下がるしかなかった。だが蹴太を睨みつけるその目は、まだ明らかな敵意に満ちていた。青星は舌打ちを一つ残し、足早に離れていった。
「大丈夫かい? 神野」
その騒動の様子を静かに見ていた朝陽が蹴太の隣にやってきた。彼は心配しているというよりは、肩書きでしか相手を測れない青星の浅はかさにどこか呆れているような顔だった。
「あぁ。てか、お前やっぱりいいやつだな。あんなのに絡まれてる俺に話しかけてくるなんて」
「ハハッ! なんとも思ってないみたいだね、君は。じゃあ、一緒にウォーミングアップしようよ」
「いいぜ」
蹴太は青星の存在などすっかり頭から消し去り、朝陽と一緒にパス交換のウォーミングアップを開始した。かつては敵として死闘を演じた相手とこうして同じユニフォームを着てパスを交換している。その事実に蹴太は不思議な感慨を覚えていた。
一方、その騒動の直後。
ヤンセンが自分のアップを始めようとボールを足元に置いたところで、国近と大童子の二人がスッとヤンセンの元へ歩み寄ってきた。
「ヤンセン」
「ん? なんだよ、涼真」
国近は遠くで朝陽とアップを続ける蹴太の背中を鋭い目で見据えながら低く問いかけた。
「・・・神野ってやつは何者だ?」
「なんだよ、急に? 蹴太も自分で言ってただろ、ただの公立の部活の選手だって」
ヤンセンはとぼけたように笑う。だが、国近は誤魔化されなかった。
「それだけじゃないだろ? お前が何の実力もない有象無象の無名選手を、あんなにはっきり覚えているわけがない・・・答えろ」
国近の鋭い追及へヤンセンは観念したように、悪戯な、それでいてどこか獰猛な笑みを浮かべた。
「だから言っただろ? ただの公立の部活動の選手だって・・・まぁ、あえて付け加えるなら・・・」
ヤンセンは国近の肩にポンと手を置き、その耳元で静かに、しかしはっきりとした声で囁いた。
「俺が1対1で勝てないと思ったFWだな」
「「!!!」」
その言葉に、国近と大童子は同時に目を見開き、息を呑んだ。
あの世代最強のディフェンダーであるヤンセン・大河が【勝てない】と認めたストライカー。そんなバケモノがあの無名の公立中学生だと伝えたのだ。
ヤンセンはいたずらが大成功した子どものような満足げな表情を二人に向け、「じゃ、アップしてくるわ!」と楽しそうにピッチを走り出していった。
あとに残された国近と大童子は驚愕の冷めやらぬまま、朝陽とリラックスした様子でストレッチをしている無名の背番号なしのストライカーの背中を、穴が開くほど見つめ続けていた。
すみません、明日は投稿できるかわかりません。出来ても1話です。




