38.紡がれる未来
7月上旬。
区立青下中学の冷房が微かに効いた自習室には、シャープペンシルが紙を走るカリカリという乾いた音だけが響いていた。
「かぁ! なんでこんなに勉強しなきゃいけないのかね!?」
その静寂を唐突に打ち破ったのは、机に突っ伏したまま両手で頭を抱え込んだ健一の嘆きだった。目の前に広げられた英語の長文読解の問題集には、消しゴムで何度も乱暴に消しては書き直した黒ずんだ跡が痛々しく残っている。
「お前が赤鳳学園に合格できるかどうか怪しいからだろうが。文句言ってないでさっさと手を動かせ」
向かいの席で涼しい顔をして参考書を広げている蹴太が視線すら上げずに淡々と切り捨てた。
「ぐぬぬっ! 分かってるよ! 俺のモテモテなバラ色のハイスクールライフを送るためには、この壁を乗り越えるしかないのは分かってるんだけどよぉ!」
「その意気だよ白河君。じゃあ、あと英単語100個覚えようか」
隣に座る蒼空斗がいつもの爽やかなイケメンスマイルを浮かべながら、分厚い単語帳を健一の目の前にことりと置いた。そのあまりにも爽やかな笑顔と裏腹なスパルタ要求に、健一は「鬼かよ!」と悲鳴を上げる。
蹴太と蒼空斗は部活動を引退したこの時期を利用して、自習室で健一の受験勉強の面倒を見ていた。
蹴太の成績は学年でもトップクラスであり、東京帝王大学への進学実績が豊富な開進高校を狙えるレベル。蒼空斗もまた文武両道を地で行く生粋の優等生である。ただ一つ問題なのは、根性と体力だけは誰にも負けないが、学力というステイタスが絶望的に足りていない【健一の存在】だった。
「だいたいよぉ、関係代名詞とか現在完了形とか、日常生活でいつ使うんだよ・・・」
ぶつぶつと文句を言いながらも、健一は必死にシャーペンを動かしていた。しかし不意に、その手がピタリと止まる。
「・・・今頃は支部大会の結果も出て、東京大会本戦の準備をしてるはずだったんだけどなぁ」
健一は窓の外、抜けるように青い夏の空を見上げながら、思いふけったようなひどく寂しそうな表情をした。そしてそのぽつりと漏れた言葉に、蹴太と蒼空斗も無言で顔を見合わせた。
あの日、葛田によって理不尽に奪われた夏の大会。本来なら春季大会で東京都の頂点に肉薄した青下・松野川合同チームは、夏の全国大会へ向けてこの猛暑の中で泥まみれになってボールを追いかけていたはずだった。
「終わったことをほじくり返すな。今は受験に専念しろ」
蹴太が努めて感情を交えずに言う。
「・・・ごめんね、白河君」
「いや、お前が謝ることじゃねぇよ。お前もあのクソ野郎の被害者だろ」
蹴太が即座に否定し、健一も慌てて顔を振った。
「そうだぞ! もとはと言えば、懲戒免職でクビになったあのクソ顧問の葛田が100パーセント悪いんだからな!」
「だな。でも、あのバカには相応しい結末だったんじゃねぇか」
蹴太はペンを置き、窓の外の青空を冷めた目で見つめた。そして蹴太の脳裏に思い返されるのは6月中旬のこと。
葛田に強引に乗っ取られた青下・松野川合同チームの夏の大会一回戦での出来事。
対戦相手は決して強くはない無名の中学校だった。しかし、試合は最初から目を覆うような惨状だった。
「何やってんだ! 月影にパス出せよ! この下手くそども!」
ピッチの袖から、肥えた腹を揺らしながら見苦しく怒鳴り散らす葛田の姿がそこにはあった。理由は単純明快。前半の時点ですでに0―3という絶望的なスコアで大敗していたからだ。
葛田はサッカーの戦術や理論など、最初から何一つ理解していなかった。彼の中にある唯一の戦術は、【俺が見事に更生させた不良生徒のパスを、天才の月影が受け取って華麗にゴールを決める】という、自分都合の吐き気がするほど浅はかな三文芝居の妄想だけだった。
だからろくな戦術的指示も出さなかった。パスの出し所も、守備の連動も、ラインの上げ下げも何一つ教えない。ただひたすらに「月影にボールを集めろ」と無能な指示を叫ぶだけ。
さらに致命的だったのは、葛田が「更生のため」という美しい名目で無理やりスタメンにねじ込んだ青下中学の二年生たちの存在。
まともに練習もしていない素人同然の彼らは、システムもポジションも、オフサイドのルールすらろくに理解していなかった。
ピッチ上で烏合の衆と化した彼らに、徹底マークされる蒼空斗へパスを通す技術などあるはずがない。
逆に相手チームは蒼空斗さえ複数人で徹底的に囲んでしまえば、他に脅威となる選手は誰もいなかったのだ。
結果として、青下・松野川合同チームは蒼空斗にまともな形で一度もボールを渡せないまま、サンドバッグのように打たれ続け、あっけなく敗退した。
夏の大会、一回戦惨敗。
それが葛田の描いた、歪んだ【美談】の無惨な結末だった。
「てめぇら! いい加減にしろよ! 俺にこんな無様なチームの監督をさせやがって! 俺の完璧なシナリオを泥で汚す気か!」
試合終了の無情なホイッスルが鳴った直後。
葛田はあろうことかピッチ上で、相手チームも、審判も、そして観客からも丸見えの公衆の面前で、自分のチームの生徒たちに向かって激しく怒鳴り散らした。
自分が思い描いていた【崩壊したチームを全国へ導く、優しくも厳格な名将】という美談が完全に崩れ去り、周囲からただの【素人の無能な監督】として嘲笑されているという強迫観念が、彼のプライドをズタズタに引き裂いたのだ。
「そもそも、てめぇが持ちかけてきた話じゃねぇか」
うつむいて理不尽な説教を聞いていた青下の二年生の一人が、耐えきれずに反抗的な口答えをした。
「あん? 今なんつった?」
「てめぇがサッカー部に入れば、強い三年生のおかげで勝ち馬に乗れて内申書も良くなるっつうから入ってやったのによ! ちっ! 言うこと聞いて損したぜ。時間の無駄だったな」
「っ! このクソガキがぁ!」
逆上した葛田は理性を完全に失った。
顔を真っ赤にして激昂し、生徒の胸ぐらを掴むと、そのまま公衆の面前で力任せに顔面を殴り飛ばした。これまで彼が被り続けてきたメッキが完全に剥がれ落ちた瞬間だった。
鈍い音が響き、生徒が芝生の上に倒れ込む。そして会場は一瞬の静寂の後、悲鳴と怒号に包まれた。
その決定的な暴力行為はすぐさま相手チームの監督や審判に取り押さえられて止められた。しかし時代が葛田を許さなかった。観客席にいた誰かが、その一部始終をスマートフォンで録画していたのだ。
【教師が試合直後に生徒に暴力】というセンセーショナルな見出しと共に、その動画は瞬く間にSNSで拡散され、取り返しのつかない大炎上となった。そして事態を重く見た学校側と教育委員会は即座に動き、葛田は言い逃れの一切できない状況で懲戒免職となった。
自分の保身と出世のためだけに生徒を利用しようとした浅ましい男は、自らが用意した舞台の上で最も惨めな形で社会から退場していった。
「まったく、本当にザマァだったな。絵に描いたような自業自得だ」
健一が机に突っ伏したままどこか虚無感の漂う声で言った。
「健一?」
「いや・・・葛田がどうなろうと知ったこっちゃねぇけどよ。あいつが消えたところで、どうやったって俺らの夏はもう二度と戻ってこねぇんだなってな。そう思ったら、なんか急に虚しくなっちまってさ」
健一の言葉に蹴太と蒼空斗は押し黙ることしかできなかった。そのため悲しそうな表情で窓の外を見つめる健一を、二人はただ黙って見守ることしかできなかった。
「なーに湿っぽい顔してんのよ!」
スパーンッ!
突然、健一の後頭部を小気味よい音を立てて叩く者が現れた。
「いてっ! 何すんだよ月影さん! どうすんだよ! 俺の脳みそから、今やっと覚えた英単語が10個くらい飛んでいったじゃねぇか!」
健一が涙目で後頭部を押さえながら抗議する。
「大して頭に入ってないでしょ! 言い訳しないの!」
明里が腰に両手を当てて、呆れたようにため息をついた。その明るい声が、どんよりと沈みかけていた蹴太たちの空気を一瞬で吹き飛ばした。
「それよりみんな、この後松野川中学に行かない?」
明里の唐突な提案に蹴太が片眉を上げた。
「松野川に? なんでだ?」
「だって私達、居舘先生にちゃんと進路の話をしてないじゃない? 今まであんなにお世話になったのに、そのままっていうのは失礼でしょ。さっき中田先生にお願いして、居舘先生にアポを取ってもらったの」
「・・・そういや、そうだな」
蹴太は納得したように頷いた。
理不尽にチームを奪われ、バラバラになってしまったあの日から居舘とはまともに顔を合わせていなかった。自分たちにサッカーの楽しさを教えてくれた恩師。報告に行かない理由はなかった。
「よし、じゃあ行くか。健一、単語帳は持っていけよ。歩きながら覚えろ」
「鬼かよ!」
四人はそれぞれのカバンを手に取り、居舘の待つ松野川中学へと向かって歩き出した。
■■
遡ること1日前。松野川中学の三年生の教室にて。
(進路・・・か)
吉峰春樹は自分の机の上に置かれた【進路希望調査票】を、まるで難解な戦術ボードでも見るかのように険しい顔で睨みつけていた。
その第一希望の欄には、とりあえず鉛筆で【保留中】とだけ書かれている。
(考えても仕方ないか。俺はどのみち、家から自転車で通える都立の高校しか行けないしな)
春樹は小さくため息をつき、その用紙をファイルに挟んでカバンの中にしまった。
春樹の家は母子家庭だ。下に妹と弟がいる。
母親が昼夜を問わず必死に働いて家計を支えてくれていることは、長男である春樹が誰よりも一番よく理解していた。だからこそサッカーの街クラブのセレクションも受けなかったし、学費の高い私立高校で本気でサッカーを続けるという選択肢は春樹の頭の中には最初から存在しなかった。
(サッカーは好きだ。でも、家族にこれ以上の負担はかけられない)
それは春樹が中学生という若さで身につけてしまった、優しくも残酷な価値観だった。そして放課後。春樹は一人、誰もいない松野川中学のグラウンドを見下ろす土手に立っていた。
夕日が赤く染まり始めたグラウンド。あそこで健一と泥だらけになって守備の連携を確認した。蒼空斗のパスに抜け出す練習をした。そして蹴太の理不尽なまでの才能に引っ張られながら、本気で全国を目指した。
(もうこのグラウンドでみんなと練習することはないんだな)
胸の奥がキュッと締め付けられるような寂しさを感じながら春樹は校門へと足を向けた。
「吉峰」
「! 居舘先生・・・」
歩き出そうとした春樹の正面からジャージ姿の居舘が歩いてきた。その顔はかつてベンチで指揮を執っていた時と同じように教え子を真っ直ぐに見据える温かい目だった。
「吉峰、お前・・・まだ進路希望調査票出してないんだってな。担任の先生が心配していたぞ」
「はい、すみません。でも、もう決めました」
春樹は一瞬だけグラウンドを振り返り、そして居舘の目を見てはっきりと答えた。
「俺は、都立高校に行きます。親にもそれを話して明日提出します」
「いいのか?」
居舘の短い問いかけにはサッカー指導者としての無念さと、春樹の才能を心底惜しむ気持ちが込められていた。
「はい。俺の家、裕福じゃないんで。私立でサッカーを続けるのは無理ですから」
春樹は無理に作った笑顔でそう答えた。
居舘はそれ以上何も言わなかった。春樹の家庭の事情を知っているからこそ、無責任に【夢を諦めるな】などとは言えなかったのだ。そして春樹は居舘に一度深く頭を下げ、夕暮れの道を家へと向かって歩き出した。
「ただいまぁ」
古いアパートのドアを開けると、夕飯の匂いと共に母親の明るい声が返ってきた。
「おかえり! 春樹!」
エプロン姿の母親がキッチンから顔を出す。
「あぁ。そう言えば母さん、今日お客さんが来るって言ってたね。どうだった?」
春樹がリビングに入ると、小さなローテーブルの上には来客用に出されたと思われるお菓子とお茶の湯呑みが二つ置かれていた。母親はそれを手際よく片付けているところだった。
「まぁね・・・それより春樹、手洗ってうがいしたらこっちに座りなさい」
母親は片付けを終えるとテーブルの前に正座し、春樹に向かい合うように促した。その顔は普段の優しい母親の顔ではなく、どこか真剣な、覚悟を決めたような顔つきだった。
「単刀直入に言うわ」
母親は、春樹の目を真っ直ぐに見据えた。
「あんた、サッカーまだ本気で続ける気あるの?」
「なんだよ、急に?」
不意を突かれた質問に、春樹は戸惑いながら視線を泳がせた。
「いいから! あるかないか、はっきり答えなさい!」
母親の強い口調に押され、春樹は正直な気持ちを口にした。
「そりゃあ、あるよ。できることなら続けたいよ」
「そう。分かったわ」
母親は深く頷くと、自分の隣に置いてあった大きな茶色い封筒を取り出し、その中身をテーブルの上に滑らせて春樹の前に見せた。
「これは?」
春樹は目を丸くした。
テーブルの上に置かれたのは光沢のある立派なパンフレットだった。表紙には大きく【私立・赤鳳学園高等学校】という文字がある。そしてその隣には【スポーツ推薦入学のご案内】と書かれた正式な書類が添えられていた。
「今日ね、赤鳳学園のサッカー部の女の監督さんがわざわざうちまで来てくれたのよ」
「赤鳳学園・・・」
春樹は震える手でパンフレットに触れた。
「んでね、監督さんが言うには、春樹に赤鳳学園のサッカー部に【推薦】で入学して欲しいってさ」
「俺に推薦?」
「監督さん曰く、春季大会の試合映像を見て決めたんだってさ。あの白豪学園相手に、中盤で堂々と渡り合ってたボランチの戦術眼とキャプテンシーが、高く評価されたらしいわよ。まぁ、本来の推薦枠にたまたま欠員が出たから急遽声がかかったらしいけどね」
「・・・」
春樹は赤鳳学園のパンフレットのページをめくった。
人工芝の広大なグラウンド。充実したトレーニング施設。そこには自分が喉から手が出るほど欲しかった【本気でサッカーに打ち込める環境】がすべて揃っていた。
しかし数秒間そのパンフレットを見つめた後、春樹はパタンとそれを閉じてテーブルの上に戻した。
「俺は都立の高校に行くよ。別にそんな強いところでサッカーやりたいわけじゃないし」
春樹は視線を逸らして自分の心に嘘をついて強がった。
「春樹!」
ドンッ!!
母親がテーブルを強く叩き、立ち上がった。そのただならぬ剣幕に春樹の肩がビクッと跳ねる。
「!!!」
母親は不器用な笑顔を浮かべて自分を誤魔化そうとする息子を本気で怒鳴りつけた。
「子どもが親の懐事情を気にして、夢に遠慮するんじゃないよ!」
「母さん・・・」
「いいかい!? 親っていうのはね、子どもの夢に投資して、それを全力で応援するもんだよ! 私だってこれでもあんたの母親だ。あんたが一番やりたいことを叶えさせてやるくらいの甲斐性はあるんだよ!」
「でも・・・下の二人の学費だってこれからかかるし、私立なんて絶対に無理だろ・・・」
普段はキャプテンとして誰よりも気丈に振る舞っている春樹の声が、今はただの十五歳の少年として小さく震えていた。
「それなら心配ないよ」
母親はフッと表情を和らげ、推薦の書類を春樹の胸に押し付けた。
「監督さん曰く、今回の推薦は入学金が全額免除、授業料も3年間半額だってさ。これなら私が少し夜のシフトを増やせば十分に払える額だ。だから、お金の心配なんて一切しなくていい!」
「母さん・・・」
春樹の視界が急に滲んだ。
「サッカーやりたいなら本気で、絶対に後悔しないようにやりなさい! 途中で逃げるのは許さないからね!」
「・・・本当に、いいの?」
「当たり前よ! それに・・・」
母親は涙ぐむ息子を見ていたずらっぽく笑ってウィンクをした。
「あんたがこのままサッカー上手くなって、もしプロにでもなれたら契約金で家でも建てて私を養ってよ! 先行投資なんだから、将来しっかり回収させてもらうわよ!」
「ふっ」
春樹の目から大粒の涙がポロポロとこぼれ落ちた。
袖で乱暴に涙を拭い、春樹は母親を真っ直ぐに見つめ返した。
「いいよ。わかった。絶対にプロに・・・なれるかは約束できないけど、でも必ず高校で全国の舞台には行く。俺がテレビに映るから、だから見ていて」
「うん! 気張りなさいよ!」
その夜、春樹は進路希望調査票の第一希望の欄に、力強い字で【私立・赤鳳学園高等学校】と書き込んだ。
消しゴムで消された【保留中】の跡の上には、確かな未来への道筋が刻まれていた。そして次の日、春樹は担任に用紙を提出して正式に赤鳳学園への推薦による進学を決めた。
「そうか! 吉峰は赤鳳学園に決めたか!」
職員室の前で報告を受けた居舘は自分のことのように顔をほころばせた。
「はい! 古豪と言われていて大変だと思いますが、1年生から必ずレギュラーを取る気持ちで頑張りたいと思います!」
「わかった。お前なら絶対にやれる。頑張れよ!」
居舘は春樹の肩を力強く叩き、教え子の新たな巣立ちを心から喜ぶような、眩しい表情をした。そして思い出したように付け加えた。
「そう言えば、この後神野たちが進路の報告にここへ来るみたいだぞ。久々に会って話でもしたらどうだ?」
「本当ですか!? 分かりました、校門で待ってます!」
■■
そして現在。
松野川中学の校門で春樹が待っていると、学生服を着た蹴太、蒼空斗、健一、明里の四人が到着した。
「春樹! 久しぶりだな!」
健一が真っ先に手を振って駆け寄ってくる。
「白河! 神野たちも元気そうで良かったよ」
春樹も笑顔で四人を迎えた。理不尽な形で引き裂かれたチームメイトとの再会に、誰もが自然と笑みをこぼしている。
「居舘先生ならさっきまで職員室にいたんだけど。さっき急な呼び出しを受けたみたいだ。グラウンドで待っていて欲しいってさ」
「そっか。じゃあ、久々に俺たちのホームグラウンドに足を踏み入れますか」
健一の言葉に促され、五人は歩き慣れた松野川中学のグラウンドへと足を運んだ。
「神野たちは居舘先生に用だったのか?」
グラウンドを見下ろしながら春樹が尋ねた。
「あぁ。俺達の進路が決まったからその報告をな。先生には世話になったし」
蹴太が答える。
「そうか」
「そう言えば春樹は? もう進路は決まったのか? どこ行くんだ?」
健一が興味津々に身を乗り出す。春樹は少し照れくさそうに頭を掻いた。
「俺は・・・実は昨日、赤鳳学園から推薦を貰って、そこに進学することにしたよ」
「「「「えっ!?」」」」
蹴太、蒼空斗、健一、明里の四人の声が、寸分違わず綺麗にハモった。
あまりの驚きように今度は春樹の方が目を丸くする。
「え? お、驚いた? まぁ、俺も驚いたよ。あの白豪戦のビデオを見て評価してくれたらしくてさ。でも推薦を貰ったからにはそれに恥じないように必死に頑張るつもりだ」
春樹は照れ隠しのように笑い、そして真剣な顔つきになった。
「お前らがどこの強豪に行くのかは知らないけど、もし公式戦の試合で当たっても、絶対に手加減すんなよ?」
春樹のその言葉に、四人は顔を見合わせたまま、数秒間完全に沈黙した。
「? どうしたんだよ、みんなして?」
不思議そうに首をひねる春樹に対し、蹴太が呆れたような、それでいて心底可笑しそうな顔をして口を開いた。
「いや、手加減もなにも俺達四人もそこだぜ? 赤鳳学園」
「・・・は?」
春樹の思考が停止した。
「・・・マジで?」
「マジで」
蹴太が頷き、蒼空斗が笑顔で肯定し、健一がニカッと親指を立てる。
五人の間に再び深い沈黙が訪れた。しかしそれはすぐに弾けるような笑い声へと変わった。
「ハハハッ! なんだよそれ!」
「マジで奇跡だな! 示し合わせたわけでもないのに、俺等全員が同じ高校に進むなんてな!」
健一が腹を抱えて笑い転げる。春樹も信じられないといった顔をしながら、次第に笑いが込み上げてきた。
「あぁ全くだ。神野と月影、それに白河まで一緒か。こりゃあ、高校に行っても面白くなりそうだな。これからもよろしく」
春樹が右手を差し出し、蹴太がそれをガシッと力強く握り返した。
「よぉーし! じゃあ、再結成を祝して全員で手を合わせるぞ!」
健一の音頭で五人はグラウンドの真ん中で円陣を組み、それぞれの手を中央で重ね合わせた。そして健一がいつになく真剣な、燃えるような瞳で仲間たちを見回す。
「俺等は大人の勝手な都合で中学最後の夏、全国への道を絶たれた」
その言葉に全員の顔から笑みが消え、鋭い闘志が宿る。
「だから! 俺達は高校で、赤鳳学園で、今度こそ必ず全員で全国のピッチに立つぞぉ!!」
「「「「おぉぉぉぉっ!!!!」」」」
五人の重ね合わせた手が空に向かって力高く突き上げられた。
理不尽に終わった中学サッカーの無念を、高校での輝かしい未来へのエネルギーへと変える、若きサッカー選手たちの確かな誓いだった。
「おーい! お前らぁぁ!」
五人が円陣を解き、爽やかな笑顔で盛り上がっていると、校舎の方から居舘が全力疾走でグラウンドへと駆け込んできた。そしてその表情はこれまで見たことがないほどに紅潮し、異常なほどに興奮している。
「居舘先生? どうしたんですか、そんなに慌てて?」
蒼空斗が不思議そうに尋ねる。
「ハァ、ハァ・・・か、神野っ!」
居舘は息を大きく切らしながら蹴太の目の前まで迫り、その両肩をガシッと強く掴んだ。
「はい? なんですか?」
蹴太が怪訝な顔をする。
居舘は一度大きく深呼吸をして呼吸を整えると、信じられないものを見るような、それでいて誇らしさで爆発しそうな瞳で蹴太を真っ直ぐに見据えた。
「・・・選ばれたぞ」
「何に?」
「お前が・・・U-15の日本代表メンバーに選ばれたぞ!!!」
「・・・はいぃ?」
神野蹴太、中学三年生。
神野蹴太、中学三年生。無名の部活動のストライカー。その目の前に日本の頂点、そして世界へと繋がる新しい扉が、今、唐突に開かれたのだった。




