34.VS白豪学園中等部―――6
(あいつの・・・いや、あいつらの目は死んでない)
自陣のポジションへ向かいながら、ヤンセンは青下・松野川の面々を鋭い横目で捉えていた。
さっきまで逆転のショックでピッチに崩れ落ちていたはずの青下・松野川。点差をつけられ、完全に絶望に飲まれかけていた。しかしそれが今、全員が確かな闘志を宿して前を向いている。
点差をつけられて心が折れるどころか、あの9番を先頭に目だけが異様にぎらついている。それは追い詰められた人間の目ではない。これから相手を追い詰めに行く人間の目だった。
(来るか!)
「お前ら、気をつけろよ」
九条隼人が味方に向かって大きな声を張った。それはいつもの調子の声ではなかった。
「手負いの獣ほど、怖いものはないからな」
その一言に逆転の勝ちムードに緩みかけていた白豪の選手たちがはっと表情を引き締め直す。
ここで気を抜けば確実に足をすくわれる。1点リードという数字が逆に自分たちを油断させる猛毒になりかねない。それをキャプテンの本能が察知していた。それに九条もまた、あの背番号9を中心としたピッチの空気の劇的な変化を肌でビンビンと感じ取っていた。そして主審が試合再開の笛を吹く。
(向こうは絶対に神野で攻めてくる)
九条は冷静に読んでいた。
(いくら神野とはいえ、今の白豪の全員守備は破れまい!)
指示は明確だった。白豪学園は自陣へ深く引いた。1点のリードを確実に守り切る、堅守のスタイルへと切り替える。
無理に前へ出る必要はない。時間を使い、コースを消し、あの9番からこの1点を守り切ればいい。それだけで勝てる。
青下・松野川のキックオフ。蹴太から受けたボールを春樹が一度足元で預かる。そして、そのまま蹴太へ返そうとしたその時。
「ちっ!」
蹴太の背中に白豪のワントップ、武雄颯太がぴたりと張り付いた。
(俺だって同じFWだ! お前には負けない!)
武雄は春樹から蹴太へのパスコースを完全に塞ぐように位置を取った。あわよくばそのままボールを奪い、決定的なカウンターに繋げるつもりだった。
守備の選手ではないはずの男が自ら最前線まで下がって蹴太を潰しにかかっている。それはエースストライカーとしてのプライドがそうさせていた。同じFWに、ここまで試合を支配される屈辱にもう耐えられなかったのだ。
(・・・正直、悔しいよ)
その光景を見ながらボールを持つ春樹は歯を食いしばった。
(神野と月影以外、【個】では白豪の連中にまともに勝てない。今だって俺たちは結局蹴太に得点してもらうしか勝ち筋はない)
1年かけて泥臭く積み上げてきた組織力。それが通用しなかった。
チームで守り、チームで攻める。その全部を出し切って、なお足りなかった。この期に及んで頼れるものがたった一人の【個】の力しかない。その事実はキャプテンとして情けなくもあった。だが・・・
(だからこそだ)
春樹は顔を上げた。
(神野・・・蹴太に全部を託す!)
蹴太を親の仇のように睨み、背中に張り付いている武雄。しかし春樹はその武雄めがけてあえてパスを出した。
「はぁ!?」
武雄が目を見開いた。自分に向かってボールが転がってくる。マークしている自分に対してパスを出すなど意味が分からない。
(何を考えて・・・)
その時だった。武雄の背中にぞくりと死神のような悪寒が走った。
強烈な威圧感。振り返るより早く、その気配は武雄の右脇を風のように駆け抜けていく。
(速すぎるだろ!)
蹴太だった。ステイタスの力を全開にした理不尽な加速。武雄も咄嗟に反応したが、反応の速さも脚の速さも蹴太の方が明確に上だった。
武雄へのパスは完全に囮だったのだ。武雄に出されたパスそのものが、武雄自身の足を一瞬止めるための罠。その一瞬で完全に背後を取る。春樹と蹴太の、目線すら合わせない無言の共謀だった。
(((((来る!!!!)))))
白豪の選手全員の背筋が凍った。蹴太は自陣でボールを受け取っていた。
センターサークルよりも後ろ。およそストライカーが位置取る場所ではない。だからこそ今この瞬間、白豪の陣内に青下・松野川の選手は誰一人としていなかった。
たった一人で50メートルを。ゴールを奪いに来る。そしてそれを見たベンチの白豪の監督が思わず腰を浮かせた。
(・・・馬鹿な。あの位置から一人で来るつもりか)
セオリーで言えばありえない。ストライカーが自陣まで下がってボールを受けるなど、攻撃の枚数を自ら減らす愚策だ。だがそれが成立してしまう理不尽な選手が、この世にはいる。
「行けぇ!」
居舘がベンチで拳を握って叫び、明里達もそれに呼応する。
「・・・」
蹴太は無言でドリブルを開始した。じわり、と武雄へ迫る。そして必死に追ってきた武雄がその進路に立ち塞がる。
(くそっ! 同じFWで二度も負けるわけには行かねぇ!)
武雄が間合いを詰めた。それに白豪の左右のインサイドハーフも呼応する。
1対3。
通常ならインサイドハーフが空けたスペースへ味方にパスを出すのがセオリーだ。だが今、青下・松野川に前線の味方はいない。しかも白豪は両サイドバックがすでにオーバーラップして、その裏のスペースまで完璧に消していた。
逃げ場はない。だが蹴太は最初から逃げ場など探していなかった。
―――才能があると分かっていながら、サッカーから逃げた弱虫の俺。
さっき自分の口から出た言葉が頭の中で反復される。
前世の自分。すべてを否定されたと思い込み、勝手に絶望し、そして勝手に死んだ、あの独りよがりの少年。
(今考えれば、めっちゃ独りよがりの迷惑なやつだな)
蹴太は少しだけ笑った。ドリブルをしながら自嘲するように笑った。
「なっ!」
その異様な余裕が武雄には信じられなかった。
一切の無駄がない、流れるような高速のボディフェイント。細かく、確実なボールタッチ。武雄は止まっているコーンのようにあっさりと抜かれた。
(なんなんだよ! こいつは!)
追いすがろうとして足がもつれる。武雄は自分が抜かれた瞬間をカバーすることすらできなかった。しかし抜かれても次があるはずだった。左右のインサイドハーフが両側から挟み込むように襲いかかる。
―――諦めたら、もうなにも残らないぜ?
(そうだよなぁ!俺からサッカー取ったら、何が残んだよ!)
蹴太は右インサイドハーフの股にボールを通し、自身の身体は左インサイドハーフを支点にするように手を添えて、くるりと華麗にターンする。そしてボールはまるで意思を持って待っていたかのように蹴太のドリブルしやすい足元へと転がってきた。
(本当にやべぇな! もう三人抜きかよ!)
九条は駆け戻りながら戦慄していた。
(だが、これ以上は進ませないぜ!)
九条と、ヤンセンとは別のもう一枚のセンターバックがカバーに入る。
―――もう逃げねぇ。
(あぁ、そうだ! 俺はもう絶対に逃げねぇよ!)
蹴太は走りながら華麗なヒールリフトを繰り出した。高すぎず、それでいてすぐにはヘディングで対応できない、絶妙なスピードの浮き球。
その浮き球が、一瞬足を止めた九条ともう一枚のセンターバックのちょうど間を鮮やかに抜けていく。
二人ともボールを目で追ってしまった。ほんの半歩、意識がボールに引かれた。その半歩が致命的な隙間になった。
「そんなんありかよ・・・」
九条が呆然と呟いた。四人目。そして五人目。もう抜いた人数を数えることに意味はなかった。ボールを追って蹴太が二人の間を一直線に走り抜ける。
そして、その先。最後に対峙するのは世界に届く傑物、ヤンセン・大河だった。
(来ると思ったぜ!)
ヤンセンは最大級の警戒態勢に入った。背後では白豪のゴールキーパーも飛び出す準備をしながら蹴太を鋭く睨んでいる。
(どう来る!?)
ヤンセンの思考が高速で回転する。
(ドリブルで強引に突っ切るか? 35メートルくらいのこの位置から、あのミドルシュートか? それとも上か?)
思いつく限りの選択肢を全て並べ、そのどれにも即座に対応できるよう、重心を落として身構える。だが・・・
「蹴太!」
その声でヤンセンの心臓が跳ねた。
(しまっ! 蒼空斗!)
いつの間にか蒼空斗が左サイドを全力で駆け上がっていた。
今、蹴太がそこへパスを出せばオフサイドにもならずにボールが完璧に通る。しかも白豪のゴールキーパーは蹴太のシュートを警戒するあまり、完全にニアへ重心を寄せている。逆サイドへの対応は間に合わない。あの位置で、あのフリーで。蒼空斗なら確実に決められる。
(俺らが、蹴太の【個】に完全に釣られた!)
白豪の誰もが同じことを思った。
自分たちが後半、この試合でやってのけた作戦。【個】を囮にして別の場所で仕留める。それをそっくりそのまま、一番痛いタイミングで返された。しかしそう思った瞬間。
(・・・いや!)
ヤンセンの目が鋭く光った。
(お前なら自分で来る! そうだろ! エゴイストのFW!)
(・・・流石につられないか!)
左サイドの蒼空斗が内心で舌打ちする。
ヤンセンは蒼空斗へのパスという可能性を完全に切り捨てた。
視線も、身体の向きも、蒼空斗には一切割かない。全神経を目の前の蹴太ただ一人へと注ぐ。
このストライカーは絶対にここでパスなど出さない。この位置まで自分一人で運んできた男が、最後の最後で誰かにゴールを譲るはずがない。撃つ。絶対に自分で撃ちに来る。そう確信した。そしてそれはヤンセンが同じストライカーの魂を持っているからこそ届いた確信だった。守り手としての冷静な読みではない。かつてゴールを渇望した人間の、本能の読みだった。
(ヤンセン・・・)
蹴太はパスを出さなかった。
(絶対に口にしないが、お前と試合できて良かったよ)
蒼空斗を見ることすらしなかった。怪物同士の、決着をつける第三ラウンド。その幕を開けたのは、蹴太の得意とするボディフェイントだった。
(右か、左か・・・それとも縦か・・・)
ヤンセンは冷静に蹴太を観察する。
上半身の揺れに惑わされない。腰と、ボールと、軸足だけを見る。そして蹴太が一瞬、スピードを緩めた。
(スピードを緩め―――)
その刹那。ヤンセンの視界の前から蹴太が消えた。いや、消えたように見えた。
「! 縦かぁ!」
蹴太は一瞬で体勢を極限まで低くし、ヤンセンの視界から外れながら一気に縦へ抜けにかかっていた。ヤンセンも即座に反応し、長い右足を限界まで伸ばす。だが蹴太はその足が届く寸前、左足でボールを一瞬だけ手前に引いた。そして伸びたヤンセンの足が虚しく空を切る。
(・・・くそ)
蹴太の一歩目が爆発的に地面を蹴った。そのたった一歩で、蹴太は自身の【最速スピード】に到達していた。
助走はない。筋肉の収縮の予備動作もない。静止に近い状態からいきなりトップスピードへと跳ね上がる。人間の身体の構造、筋力を極限まで使う理不尽極まりないゼロヒャクの加速だった。
そのためいくらヤンセンの歩幅が大きくても、たった一歩で最高速に乗った蹴太には絶対に追いつけなかった。手を伸ばしても届かない。じりじりと、だが残酷なほど確実に、その巨体が引き離されていく。
(これが・・・世界に届く、本物のストライカーか・・・)
ヤンセンは生まれて初めて、純粋な【走力】だけで人に置いていかれるという、圧倒的な絶望の感覚を味わっていた。
自分が追いつけない同世代など存在しないはずだった。それが今、目の前の背中に手が届かない。蹴太はヤンセンを完全に置き去りにした。
「うぉぉっ!」
最後の砦、白豪のゴールキーパーが飛び出してくる。横っ飛びのスライディング。ボールごと蹴太の足を刈り取ろうとする、捨て身の一手。だが蹴太は足の甲にボールをそっと乗せた。
すくい上げるように、ふわりと。
スライディングしてきたゴールキーパーの、その上をボールが静かに越えていく。
――――
神野蹴太
ランク:ジュニアユース
【基本スキル】
フィジカル:SSS1000
スピード:SSS1000
ドリブル:SSS1000
スタミナ:SSS1000
シュート:SSS1000
キープ:SSS1000
パス:SSS1000
【固有スキル】
・神の祝福:ステイタスが伸びやすくなる
・決定力:シュート時、ボールがゴールの枠内に収まりやすくなる
・両利き足:両足が利き足になり、ボールをコントロールできるようになる
・クイックモーション:威力は下がるが、クイックシュートを撃てるようになる
・ピンポイントクロス:対象に対してピンポイントでクロスをあげられるようになる
・精密パサー:パスミスがなくなり、精度が上がるようになる
・キラーパス:的確なスルーパスを出せるようになる
・パワーシュート:ミドルレンジからのシュートが入りやすくなる
・ヘディング:ヘディングシュートが入りやすくなる
・吸着トラップ:トラップミスがなくなるようになる
・ワンタッチ:ワンタッチでプレーができるようになる
・丈夫な身体:怪我がしにくくなる
・フリーキッカー:フリーキックがゴールに収まりやすくなる
・ブロッカー:相手と身体を密着させることで、パスとシュートを封じやすくする
・瞬間最高初速:一歩目で自身の最大スピードを出せる
――――
ステイタス画面の一番下にまた一行増えていた。
(今だけはステイタスに感謝するぜ)
浮き上がったボールと無人のゴール。蹴太は落ちてくるボールへ、左足を思い切り振り抜いた。
バサァッ!!
ボールが、白豪学園のゴールネットを激しく揺らす。
「うぉぉぉぉぉぉぉ!」
蹴太が吠えた。いつも冷めていた男が、生まれて初めてというほど、腹の底から感情を剥き出しにして声を上げていた。
【青下・松野川合同チーム 2―2 白豪学園】
後半終了間際。
たった一人で50メートルを駆け抜けた男が、青下・松野川合同チームを同点の瀬戸際へと引き戻した。
■■
「蹴太ぁぁぁぁぁ!」
真っ先に飛んできたのは健一だった。
今度ばかりは蹴太も振りほどかなかった。飛びついてきた幼馴染の勢いを、そのまましっかりと受け止める。
「見たぞ! 全部見たからな! お前! お前ぇぇ!」
「・・・うるせぇ。耳元で叫ぶな」
そう文句を言いながらも、蹴太の口元は嬉しそうに緩んでいた。そして春樹が駆け寄ってくる。
「・・・託して正解だったよ」
「あぁ。いいパスだった」
自分に向かって出された、あの武雄へ向かうパス。あれがなければこの1点は生まれなかった。全部が噛み合った末の、執念の1点だった。
一人で決めた。だが一人では始まらなかった。蒼空斗が最後にゆっくりとやってくる。
「僕にパス、出す気なかっただろ」
「・・・お前がヤンセンに消されてたからな」
「嘘つけ。最初から自分で決める気だったくせに」
蒼空斗は肩をすくめ、それでも心底楽しそうに笑っていた。そして一方の白豪学園。
ヤンセンは芝の上に片膝をついたまま、しばらく動けなかった。
(・・・ハハッ)
悔しさよりも先に込み上げてきたのは、抑えようのない圧倒的な高揚だった。同世代にこんな化け物がいた。ユースでも、代表でも、今まで一度も味わったことのない感覚。
(・・・面白ぇ。最高に面白ぇよ、蹴太)
「ヤンセン」
九条が手を差し伸べてきた。その顔に沈んだ色はなかった。
「まだ同点だ。まだ終わってねぇぞ」
「あぁ!」
ヤンセンはその手を取って力強く立ち上がる。二人の目に消沈の色はなかった。むしろ、完全に火がついていた。そしてその様子を見ていた会場が一瞬だけ静まり返った。しかし次の瞬間、この日最大の先ほど白豪が逆転した時など比べ物にならないほどの、地鳴りのような大歓声が爆発した。
「今の見たかよ!!」
「一人で、白豪の全員抜いたぞ!?」
無料でヤンセンを見に来たはずの観客がいつの間にか総立ちになっていた。彼らの目はもう、白豪の背番号25を追ってはいなかった。
たった一人、絶望の扉を自分の足でこじ開けた無名の9番。その背中だけを全員が食い入るように見つめている。また観客席の一角では柳野隆二がゆっくりと立ち上がっていた。拍手も、歓声もしなかった。ただその口元だけが確かに笑っていた。そして隣で氷川が震える手でビデオカメラを構え続けていた。




