29.VS白豪学園中等部―――1
ピッチの入場口。
青下・松野川合同チームと白豪学園中等部のイレブンが、二列に並んで整列していた。
洗練されたエリートチームと、部活動の寄せ集めの合同チーム。並んでしまうと、そのユニフォームの着こなしや体格の差は残酷なほどはっきりと見えた。そして、白豪学園の列の中に、ひときわ大きな存在があった。
背番号25。
飛び級でユースに上がったため、中等部での正規の背番号を持たない男に急遽割り振られた数字だった。
ヤンセン・大河。
この世代のナンバーワンと言われる絶対的な男が、今日は中学生の大会のピッチに立っている。
(・・・でけぇな、改めて見ると)
隣の列から蹴太は横目でその規格外の輪郭を測った。
肩の位置が違う。首の太さが違う。同じ年数を生きてきたはずの人間が、まるで別の生き物のように見える。だが、そこに怯えは微塵もなかった。
■■
「今日のオーダー見たかよ! 白豪のスタメンにヤンセンが出るぞ!」
「マジかよ! あの傑物をタダで見られるのか!?」
会場の巨大なスコアボードに掲示されたスターティングメンバーの中にその名前があった。それだけで観客席が一気にざわめき、スマホを取り出す者が続出した。
【白豪学園にヤンセン・大河いる】
【都大会一回戦で無料】
【今から行けば間に合う】
熱を帯びた情報はSNSを通じて瞬く間に拡散し、まばらだった観客席の空席が少しずつ、しかし確実に埋まっていく。
「なんだ、意外と席が埋まりそうじゃねぇか」
「これもヤンセン君のすごさでしょうね」
続々と入ってくる観客たちを眺めながら柳野は嬉しそうに目を細めた。
まだ満員には程遠い。だがそれでもたった一人の選手の名前がこれだけの人を呼んだという事実は彼にとって何よりも感激することだった。
そして柳野はヤンセンと対峙するもう一方のチームの選手名をスコアボードで確認し、そこに並んだ名前を上から順に追って、ふと手が止まった。
「ヤンセンが『見てほしい』と言ってたのって、もしかして月影蒼空斗のことか?」
「・・・そうだと思います」
氷川がタブレットのデータに視線を落としながら頷いた。
「あの悲惨な怪我からよく試合復帰出来るまでに回復しましたね」
「あぁ。俺もピッチへの復帰は絶望的だと思ってたよ」
柳野は懐かしむように目を細めた。膝の前十字靭帯断裂に開放骨折。当時の医療報告書を読んだ時、協会の誰もが同じことを思ったはずだ。将来の代表候補が一人、若くして消えた、と。
「だが、こうしてピッチに戻ってこられて良かった」
「えぇ。だからヤンセン君はこの試合を見に来てほしかったんでしょうね。月影君の奇跡的な復帰を見てほしいと」
「そう・・・だな」
柳野はピッチを見下ろしながら答えた。
筋は通っている。かつてジュニアユースで共にプレーした仲間の復帰を、代表を統括する人間に見届けてほしい。義理堅く、根が優しいあのヤンセンという男が考えそうなことだった。
(・・・本当にそれだけか?)
そのわずかな違和感を、柳野はひとまず胸の内に仕舞い込んだ。
■■
両校のイレブンがピッチに並び、互いに挨拶を交わす。それぞれがポジションへと散っていく中、蹴太は相手の配置を素早く冷静に確認した。
(事前の動画の通り、相手の基本システムは【4―2―3―1】か)
4バック、2ボランチ、2列目にトップ下と左右のインサイドハーフ、そしてワントップ。
守備時には2列目が素早く帰陣して4―4―2の強固なブロックを作る、教科書のように整った布陣だ。そのブロックを崩すのがどれだけ骨の折れる作業か。連日の映像で嫌というほど確認してきた。
そしてその最終ラインの中央には、誰よりも大きい背番号25であり、誰よりも分厚い存在がいる。
(こっちも散々練習してきた【4―3―3】だ)
蹴太は自分の胸に一度だけ力強く触れた。
(絶対に勝つ!)
一方、その蹴太の静かな闘志を白豪の最後方から真っ直ぐに見据えている男がいた。
(神野蹴太)
ヤンセンは緩く肩を回しながら、口の端を吊り上げた。
(始めてだよ、同世代の中学生との戦いでここまで熱くなれるのはな!)
互いの熱い視線がピッチの中央でバチリと交差する。
そして、主審が試合開始のホイッスルを鳴らした。
■■
青下・松野川合同チームのキックオフ。
蹴太が軽く後ろへ流したボールをボランチの春樹が受ける。その瞬間だった。
「行けぇっ!」
白豪学園の二列目が、一斉に獣のように襲いかかってきた。三方向から同時に圧力がかかる。ボールを持った瞬間に呼吸を奪うような、息の詰まるハイプレス。
(速い!)
だが春樹は慌てなかった。顔を上げ、ボールを持たない身体の向きだけで一人目のプレスをずらし、空いた左のスペースへ丁寧にボールを流す。
「月影君!」
受けたのは左インサイドハーフの蒼空斗だった。すかさず白豪の右インサイドハーフが激しく詰めてくる。
(抜ける!)
蒼空斗は逃げなかった。戻したはずのボールを、極めて細かなタッチで縦へ運ぶ。相手が対応に重心を落としたその一瞬に、内側へ切り返すと見せかけて外へ。膝を壊す前に磨き上げ、そして手放しかけた天才の技術。それが今、完全な形で確かに戻ってきていた。
「なっ!」
置き去りにされた白豪の選手が呆然と振り返る。蒼空斗は一気に左サイドを駆け上がった。すぐさま相手の右サイドバックがカバーに出るが、その足が届く前に。
(蹴太!)
蒼空斗は右足を振り抜いた。中央へ向かう、鋭く低いクロス。走り込んでいた蹴太の頭にぴたりと合う、完璧な軌道、のはずだった。
(! ヤンセン君・・・)
その完璧な空間に理不尽に先に入ってきた影があった。
ゴンッ。
ヤンセンの額が誰よりも早くボールを捉える。しかもヤンセンはそれをただ前方にクリアするような真似はしなかった。
空中で首を振り、明確に狙いを定めて抜かれたばかりの自チームの右サイドハーフの足元へ、正確にヘディングのパスとして落としたのだ。
「よし!」
ただのクリアではない。守備の完璧な一手目が、そのまま鋭い攻撃の第一手になっている。そして白豪の右インサイドハーフがそのまま青下・松野川の左サイドを駆け上がる。
「行かせるかっ!」
対応したのは左サイドバックの渡辺だった。思い切りよく、鋭いスライディングに入る。だが・・・
「はぁ!」
その足がボールに触れる寸前、相手はほんの少しだけボールを内側へ動かしていた。渡辺の身体が空を切って地面を虚しく滑る。
躱された。そのまま中央へパスが通る。そして、そのパスを受けたのは白豪学園の司令塔。トップ下の九条隼人だった。
(さぁ! まずは挨拶代わりの1点目・・・)
顔を上げた九条の目には、最高の光景が映っていた。
味方のワントップ、武雄颯太。すでにセンターバックの健一の裏を抜け、絶好の位置を走っている。ここにパスを出せば確実に1点。開始3分での先制点。これで試合の流れは決まる。九条の左足がキラーパスを送るためにボールを優しく撫でようとした。
「舐めるな」
(! 神野!)
真横から風のように滑り込んできた影があった。前線にいたはずの蹴太が全速力で自陣のペナルティエリア手前まで戻ってきていた。
それに対して九条は目を疑った。あの最前線の位置からこの位置まで、この異常な時間で戻れる中学生がいるのか。
そして次の瞬間、蹴太の肩が九条の身体にドンッと密着した。
(なっ!?)
倒されない。ファウルを取られるような強い衝撃はない。だが、身体の向きが全く自由にならない。
腰と肩をぴたりと正確な角度で当てられ、押し出されるわけでも、ユニフォームを引っ張られるわけでもなく、ただ【パスを出したい方向へ身体を向けられない】状態に完全に固定される。
(これは! まるでヤンセンとやり合ってるみたいだ!)
九条の背筋にブワッと鳥肌が立った。
全く同じだった。九条も知っているあの日のフットサルで、ヤンセンが蹴太に対して見せた完璧なディフェンス。相手を力任せに倒さず、しかし何一つ自由にさせない、あの絶妙すぎる間合いと体幹の使い方。
目の前の男はあの日ヤンセンにやられたその最高峰の技術を、一瞬でコピーして自分のものにしているのだ。
(くそっ、これじゃ間に合わない!)
このままでは完全に奪われる。そう悟った九条は苦し紛れに強引に左足を振った。しかし、体勢を崩された状態から放たれたパスは大きく精度を欠いていた。味方の武雄の足元から大きく逸れそのままタッチラインを割る。
主審が青下・松野川ボールのスローインを示した。
「蹴太!」
健一が驚いたように蹴太に話しかけた。それを蹴太は無言で振り向く。
「蹴太、お前・・・あそこから、そこまで戻ってくるのかよ!」
「文句あるか」
「ねぇよ! ねぇけどな!」
健一は笑いながら、自分の頬を両手でバシッと強く叩いた。
(俺が抜かれたせいだ。次は絶対にやらせねぇ)
「なぁ神野!」
九条が声を張り上げた。その顔はパスを失敗した悔しさよりも、強敵に出会えた喜びで歪んでいた。
「あのフットサルの時、全然本気じゃなかったんだな!」
「・・・お前もだろ」
蹴太は短くそう返してゆっくりと自分のポジションへ戻っていく。そして歩きながら空中にステイタスを確認した。
――――
神野蹴太
ランク:ジュニアユース
【基本スキル】
フィジカル:SSS1000
スピード:SSS1000
ドリブル:SSS1000
スタミナ:SSS1000
シュート:SSS1000
キープ:SSS1000
パス:SSS1000
【固有スキル】
・神の祝福:ステイタスが伸びやすくなる
・決定力:シュート時、ボールがゴールの枠内に収まりやすくなる
・両利き足:両足が利き足になり、ボールをコントロールできるようになる
・クイックモーション:威力は下がるが、クイックシュートを撃てるようになる
・ピンポイントクロス:対象に対してピンポイントでクロスをあげられるようになる
・精密パサー:パスミスがなくなり、精度が上がるようになる
・キラーパス:的確なスルーパスを出せるようになる
・パワーシュート:ミドルレンジからのシュートが入りやすくなる
・ヘディング:ヘディングシュートが入りやすくなる
・吸着トラップ:トラップミスがなくなるようになる
・ワンタッチ:ワンタッチでプレーができるようになる
・丈夫な身体:怪我がしにくくなる
・フリーキッカー:フリーキックがゴールに収まりやすくなる
・ブロッカー:相手と身体を密着させることで、パスとシュートを封じやすくする
――――
新しい固有スキルの獲得が一番下に誇らしげに表示されていた。
(ふん! 今更こんなチートに驚かねぇよ)
呆れることすらしなかった。たった一度、あの男の守備の真似をしただけで身につく。そういう身体なのだともう受け入れている。蹴太は画面をさっさと消し、自陣のスローインの準備に加わった。
■■
右サイドバックの中村がスローインを投げ入れ、右インサイドハーフの高橋がそれを受ける。
その瞬間、白豪の左サイドハーフが猛然と寄せてきた。しかもその後ろから、あのワントップの武雄までもが必死に追いかけてくる。
(やば!)
エースストライカーが自陣の最終ラインまでプレスバックの守備に走る。それが白豪学園というエリートチームの恐ろしさだった。
高橋は慌てて中央へパスを逃がす。かろうじて春樹へ通った。
(ゴール近くでボールを回したくないけど、仕方ない)
春樹は無理をせず、逆サイドの渡辺へと展開する。そこからは青下・松野川がゆっくりとボールを回す時間になった。前へ急がず、剥がされない位置で丁寧にパスを繋ぎ、相手の陣形が緩むのを待つ。
そんな最中。前線に残った蹴太、白豪の陣地でぽつんと立っていた。そしてその背後から楽しげな声がかかる。
「さっき隼人をブロックしたやつって、俺の真似た?」
「うるせぇ。試合中だぞ」
「ハハッ! やっぱり蹴太はいいよ!」
「ちっ!」
蹴太は一度も振り返らなかった。顔を見ればこちらまで釣られて笑ってしまいそうだったからだ。
蹴太はボールを引き出すため、一度自陣方向へ下がる。そしてその動きを見た春樹が相手の寄せの一瞬の隙を突いて左へ鋭い縦パスを差し込んだ。
受けたのは蒼空斗。
(切り込むか・・・いや!)
蒼空斗は駆け上がらなかった。顔を上げた瞬間、視界に映ったのはセンターサークル付近で圧倒的な威圧感を放つ蹴太。
(蹴太に預けた方が早い!)
高速のパスが中央へ突き刺さる。
ピタッ。
【吸着トラップ】と【ワンタッチ】。凄まじい速度で届いたボールが蹴太の足元で嘘のように完全に静止した。そして、ゆっくりとドリブルが始まる。
(さぁって! 神野の本気は・・・)
すぐさま九条が前に立ちはだかった。さらにその後方から白豪の二枚のボランチが挟み込むように迫ってくる。数的不利。普通なら下げるか外へ逃がすかの二択だ。
「・・・」
蹴太は無言のまま前だけを見ていた。その目は冷たかった。だが奥にあるのはヤンセンと同じ種類の熱だった。
「! 早くカバー来い!」
「えっ!」
蹴太の異常な気配に気づいた九条の叫びにボランチの反応が半歩遅れる。
「くっ!」
その半歩がすべてだった。九条は一瞬たりとも目を離していなかった。それでも対応できなかった。
足元で細かく刻まれるボール。上半身が右へ流れたと思った瞬間には、身体はもう左へ抜けている。神がかったタッチと常識を超えたボディフェイント。
いとも簡単に九条は抜かれ、続いてボランチも置き去りにされた。そしてその先にはすでに広大なスペースが空いている。
並のセンターバックならもはや対応が出来ないほどの圧倒的なスピード。並のセンターバックなら。
(ヤンセン!)
(蹴太!)
その巨体に似合わない理不尽な速度でヤンセンが蹴太の正面へ滑り込んだ。シュートコースを消し、しかし飛び込まない。ドリブルで仕掛けられても反応できる、絶妙な距離を保ったまま後退する。
守備の完璧な教科書だった。ここで蹴太が選ぶべき最善手は味方の上がりを待つこと。だが、蹴太はドリブルをやめなかった。
(向かってくるか!)
ヤンセンの顔に獰猛な笑みが浮かぶ。縦へ運んでいたボールを蹴太は右足の裏で急停止させた。そして、流れるようなスムーズさでボールを持ち上げる。膝の上に乗せ、跳ね上げて突き進む。
(ちっ! こいつは本当に何個引き出しがあんだよ!)
ヤンセンの反応は速かった。例の規格外の大股一歩で、失われた距離を一瞬で埋めてくる。だが蹴太の身体はもうシュートを振り抜く体勢に入っていた。
【クイックモーション】。テイクバックのない、予備動作を完全に殺した左足のシュート。
「おらぁぁぁぁ!」
咆哮と共にヤンセンの右足が限界まで伸びる。
(ちっ!)
蹴太の足がボールを叩くその刹那。ヤンセンのつま先がボールの下側にかすかに触れた。
コンッ。
たったそれだけ。だがそれで十分だった。
弾丸のような一撃は軌道を狂わされ、本来ならゴール左隅に突き刺さっていたはずのボールが、ぐんと上へ跳ね上がる。
ガンッ!
クロスバーの上端を激しく叩き大きく跳ね返った。
「クリアぁっ!」
ヤンセンが叫ぶ。そしてもう一人のセンターバックが必死に飛び込み、こぼれ球をタッチラインの外へ蹴り出す。
コーナーキック。
だが白豪学園の選手たちは誰も安堵していなかった。
「今の・・・」
「ヤンセンが、負けかけた?」
呆然と立ち尽くしている。
彼らにとってヤンセン・大河は、この年代における絶対的な安全装置だった。あの男の背後にボールが渡ることなど想像したこともなかった。
その大前提が試合開始数分で揺らいでいる。観客席も同じだった。ざわめきが波のように広がっていく。
そして。
「次は、撃ち抜く」
蹴太は体勢を崩した身体を起こしながら、静かに、だが確かな闘志を込めてそう言った。
「生意気!」
ヤンセンが吠える。その顔は、心の底から楽しそうに笑っていた。二人の間で、火花が確かにバチバチと散っていた。




