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27.白豪学園中等部

GW明け、青下中学三年一組の昼休み。


「うぉぉぉぉ! 都大会進出だぁぁ! すげぇな月影ぇぇ!」


「うん! 本当にすごいよ!」


教室の一角が、完全に興奮した人だかりで埋まっていた。


その中心にいるのは言うまでもなく、月影蒼空斗である。男子は羨望の目を、女子はもはや隠す気もない熱烈な好意の視線を遠慮なくその整った顔へと注いでいた。


「いや、あの・・・だからそれは俺の力じゃなくて・・・みんなが頑張った結果で・・・」


「またまた! 謙遜するなんてすごいわ!」


「本当に月影君って人間ができてるよね!」


蒼空斗がいくら事実を述べて否定しても、女子たちはそれを爽やかな謙遜と受け取ってしまう。そして結果として、蒼空斗の学校内での評価はまた一段階上がっていくのだった。


(・・・モテすぎるってのは大変だな)


蹴太はその騒がしい輪を遠目に眺めながら、他人事のようにそう思った。


あの男が本当に心底喜ぶのはこういう上辺だけの称賛ではない。ピッチの上で自分の足でボールを奪い返した時の方がよほど活き活きとしたいい顔をする。それをここにいる誰も知らないのだ。そしてそんな光景を教室の隅から恨めしそうに眺めている男が一人。


「くそぉ・・・俺も、俺もモテてぇ!」


「だから散々言ってるが・・・」


「分かってるよ! 顔でも身長でもねぇ、日頃の行いだって言うんだろ!」


「ならいい」


「はぁ・・・それより、次の試合がなぁ」


机に突っ伏した健一の声のトーンが急に重く落ちる。


「白豪学園中等部・・・か」


蹴太も窓の外の青空へ視線を投げた。それは、その日の朝のことだった。


登校してすぐ、マネージャーの明里が都大会のトーナメント表のコピーを持って、蹴太の元へとやってきた。


「白豪学園だと!?」


紙に印字されたその名前を見た瞬間、蹴太の普段は淡々とした声が思わず裏返るように跳ね上がった。


「へぇ、珍しいね。蹴太があの学校の名前を知っているなんて」


蒼空斗が意外そうな顔で覗き込んでくる。そのため蹴太は自分の反応の大きさに気づき、慌てて咳払いをした。


「あ、あぁ。まぁちょっとな」


「マジかよぉ。いきなり優勝候補じゃねぇか・・・」


健一が両手で頭を抱えている。


私立・白豪学園。


中高一貫の私立高校であり、スポーツ、とりわけサッカー部の名門として都内では知らぬ者がいない学校だ。中等部の段階から強豪街クラブと互角に渡り合い、毎年のように都大会の上位へ顔を出す。


そして今大会の優勝候補。


対戦相手はランダムな抽選で決まる。誰が悪いわけでもない。だが青下・松野川合同チームにしてみれば、一回戦でいきなりラスボスと当たったようなものだった。


「今日の放課後に松野川中学の視聴覚室で試合映像を確認するって」


「えっ? 相手の試合映像なんてあったの?」


「居舘先生が、自分の伝手を当たってくれたらしくて」


明里が少しだけ嬉しそうに言う。


「今回の大会じゃないけど、今年の練習試合の映像を借りてきてくれたの」


「マジか! さすが居舘先生! うちの葛田とは全然違うね!」


そんな会話が交わされている間、蹴太はずっと黙って明里が持ってきたトーナメント表を真剣な表情で睨みつけている。


「? どうしたの? 蹴太?」

蒼空斗が顔を覗き込んでくる。蹴太は数秒だけ迷い、それから口を開いた。


「・・・なぁ。中学の部活動に、街クラブの選手とか、Jのジュニアユースの選手とか出ることってないよな?」


「・・・」

蒼空斗が無言で蹴太を見た。


その一瞬で蒼空斗には伝わった。蹴太が何を懸念しているのか。なぜ今、そんなことを聞いたのかを。


「3年くらい前からかな?」


蒼空斗は静かに答えた。


「中体連の規約に変更があったんだ。街クラブやジュニアユースの選手も、本人の意思と所属するクラブの意思次第だけど、自分が所属している学校の部活動に限って、大会への参加は許可されているよ」


「そうか・・・」


胃の底がじわりと重くなる感覚があった。


つまり可能なのだ。制度としては何の問題もない。


「でも・・・ヤンセン君は出ないと思うよ」


「!」


蹴太は弾かれたように顔を上げた。驚きがそのまま表情に出てしまっていた。


「ヤンセンって、あのヤンセン・大河か!?」


健一が椅子から半分立ち上がる。


「うん。ヤンセン君は白豪学園の中等部に通っているよ」


蒼空斗はあっさりと頷いた。


「俺が東京カイザースのジュニアユース時代、少しだけだけど一緒にプレーしていたからね」


そう言った蒼空斗は、ほんの少しだけ懐かしむような表情をした。


脚を怪我する前。そこには当然、あの規格外の男もいたのだ。だが蒼空斗はすぐに真剣な顔に戻った。


「でも彼は出ない。ヤンセン君は飛び級でもうユースの練習に上がっているからね。わざわざ中学生の大会に出る必要性は無いと思うよ」


「うげぇ! 中学生でもうユースかよ!? さすが俺らの世代の怪物だな!」


健一が大袈裟に仰け反る。蒼空斗の言うことは極めて理屈が通っていた。


高校生年代のチームで揉まれている選手が、わざわざ中学生の大会に出る意味がない。得るものより怪我のリスクの方がはるかに大きい。冷静に考えればそういう結論になる。


(・・・そうだよな)


そのはずなのに。蹴太の胸の奥ではなんとも言えない胸騒ぎが渦を巻いていた。


蹴太はあの男の目を思い出す。赤いビブスを着て、悠然とコートへ入ってきたときの、あの強敵という獲物を見つけた顔。


『もう会うことは無いと思うが、戦えてよかった』


別れ際に自分はそう言った。あの時は本心だった。ユースの選手と部活の選手が公式戦で当たる道理などないのだから。


(・・・あいつがあれで満足するタイプに見えたか?)


最後に握ったヤンセンの手の硬さと分厚さが、まだ掌に熱く残っている気がした。


「・・・おい、蹴太! 聞いてんのか?」


「あっ、悪い。聞いてなかった」


「なんだよもぉ」


朝の回想に蹴太が浸っていると、健一が不満げに唇を尖らせた。


「じゃあもう一回言うけど、お前、進路どうすんの?」


「進路か・・・」


蹴太は、机の中に押し込んである一枚の紙を思い出した。


今朝のホームルームで担任から配られたばかりの進路希望調査票。今月末までに現在考えている進路を書いて提出しなければならない。


三年生になったのだから当然の手続きだ。だがそこに文字を書き込むという行為が思っていた以上に重かった。


1年前の蹴太なら配られたその場で迷わず【開進高校(かいしん)】と記入して提出していた。答えは最初から決まっていたのだから。


それが今はペンを持つ手が止まる。


「・・・俺は開進高校かな? 東京帝王大学の合格者を一番出してるし」


「マジかよ!」


健一が目を剥いた。


「あそこは都内で一番頭の良いガリ勉の学校だぞ!? しかも男子校!」


「帝王大いくならあそこが一番いいだろ? 今の成績的にも問題ない。あとは受験勉強を乗り切るだけだ」


「だってお前・・・女の子いないんだぞ!」


「そこかよ」


私立・開進高校。


都内だけでなく、日本で最も難関と言われている高校である。日本最難関大学である東京帝王大学の合格者を毎年多数輩出しており、その進学実績は他の追随を許さない。


転生してからずっと蹴太の頭の中にあった道筋だった。いい高校に入り、いい大学へ行き、大手のホワイト企業に入社して勝ち組になる。それが二度目の人生の目標だった。


「いや、それだけじゃねぇ!」


健一が真剣な顔で身を乗り出してきた。


「お前、サッカーどうすんだよ!?」


「・・・」


蹴太は答えなかった。いや答えられなかった、というのが正しい。


開進高校に進むということはそのままサッカーの最前線から引退することを意味している。


理由は単純。あの高校の部活動はおよそすべてが弱い。部活動に割く時間があるならその分を全員が勉強に充てる。それが開進の校風であり、そこに通う生徒の総意でもある。


「なぁ、本当に中学でサッカーやめちゃうのか?」


「・・・」


健一の声は、いつもの馬鹿みたいな明るさではなかった。蹴太は答えられないまま、机の木目を見つめていた


迷いは確かにあった。いや、今の蹴太の心の中には明確に彼を縛り付けて離さない強烈な【熱】があった。


サッカーだ。


三人に囲まれてなお、強引に前へ出た時のあの万能感。仲間から託されたボールをゴールネットへ叩き込んだ瞬間に爆発したあの熱。そして何より、ヤンセンに空中で押し負けた時の純粋な悔しさ。安定した勝ち組の人生。それは確かに魅力的な計画だった。


だが、ストライカーとしての本能に目覚めてしまった今の自分から、血の沸騰するような【サッカーをしない】という選択肢はいつの間にか綺麗さっぱり消えなくなっていたのだ。


「・・・サッカーは、続けるよ」


自分の口から出た言葉は驚くほど迷いがなく、すんなりと落ちた。


「マジか!」


「どんな形になるかはわからんが、必ずサッカーは続ける。約束だ」


「約束だぞ!」


「あぁ・・・で? お前はどうすんだよ?」


「ふふっ! よくぞ聞いてくれた!」


健一がドヤ顔で胸を張る。


「俺は・・・私立・赤鳳学園(せきほうがくえん)だ!」


「・・・赤鳳学園?」


「あそこは男子サッカーがまぁまぁ強いし、なにより女子が多い!」


「あっそ。聞いて損したわ」


「何だよ!」


キーンコーンカーンコーン。


そこで予鈴が鳴った。蹴太は騒ぐ健一を置いて、自分の席へと戻っていく。机の中の進路希望調査票はまだ真っ白なままだった。


そのまま午後の授業は過ぎていき、放課後になると蹴太たちはいつものように自転車に跨って、松野川中学へと向かった。


■■


私立・白豪学園中等部、サッカー部ミーティングルーム。


冷房の効いた広い部屋に、30人を超える部員がずらりと並んで座っていた。そして前方の大型スクリーンには一本の試合映像が映し出されている。


「本来なら明石SCの試合映像として確認するつもりだったが、視察しておいてよかった」


腕を組んだ監督が静かに口を開いた。


プロジェクターに流れているのは支部大会Eグループのリーグ戦。明石SC対青下・松野川合同チームの一戦だった。


「もしこの事前情報がなければ、我々はこの9番に苦戦を強いられていたと思っている」


その言葉に部員たちがわずかにざわついた。


白豪学園中等部は、名実共に強豪と呼ばれるチーム。その上、この監督は普段、無名な相手を過剰に持ち上げるような人間ではない。彼らを率いる絶対的な指揮官が、公式の場で【苦戦】を認めた。それだけで空気が変わるには十分だった。


「監督。よろしいですか?」


前列で手が上がる。


「大丈夫だ。武雄(たけお)


立ち上がったのは白豪学園のエースストライカー、武雄颯太(たけおそうた)だった。


引き締まった顎。挑むような鋭い目つき。得点を奪うことに人生を捧げてきた人間特有の剥き出しの自負がそこにあった。


「俺にはそこまで脅威には見えないのですが? 得点したのもこの選手じゃないですよね?」


映像の中の9番は確かに目立った活躍をしていなかった。相手のセンターバックに封じられ、ボールにもろくに触れていない。数字だけを見れば、ただ完璧に抑え込まれたFWだ。


「そうだな。だが、もう少し先を見てくれ」


監督は動じず、映像を早送りした。映し出されたのは後半戦のアディショナルタイム。その9番がボールを持ち、左サイドバックと対峙している場面だった。


一瞬の踏み込み。低い姿勢。そして宙に浮いたボールが相手の頭上を越えていく超絶技巧の瞬間。


「この9番は鵜飼朝陽を完璧に抜いた」


その名前に部員たちが一斉に息を呑んだ。


明石SCのキャプテン。地域トレセンにまで名を連ねた、この年代で屈指のスピードと対応力を持つ選手。白豪学園の選手ならその恐ろしさを知らない者はいない。


「ここまでの高度な個人技を俺はこの年代で見たこと無い」


「・・・偶然なだけでは?」


武雄が食い下がる。その声には焦りが滲んでいた。認めたくないのだ。同じ年代の、しかも無名の部活動の選手がそんな技術を持っているはずがないと。


「偶然じゃねぇよ」


その言葉を否定したのは監督ではなかった。武雄と同じ前列で、キャプテンの九条隼人が立ち上がっていた。


「色々あって、俺はこの9番・・・神野とちょっとだけ遊んだ」


「・・・遊んだ?」


「その時の感想を言わせてもらうと・・・」


いつも笑顔を絶やさず、部内の誰よりも陽気なはずのその男が今は不気味なほど表情を消していた。


「油断したら俺たちでも負けるぜ」


武雄の喉が小さく鳴った。


九条隼人がこういう本気の顔をする時、それがどういう意味を持つのか。同じチームで戦ってきた人間には痛いほど分かってしまった。


そして九条はいつもの調子に戻ってニカッと笑うと入口の方へ声を張った。


「だよなぁ! ヤンセン!」


全員の視線が一斉に振り返る。ミーティングルームの入口には壁にもたれて静かに映像を眺めている長身の影があった。


ヤンセン・大河。


呼ばれた男は肩をすくめ、悠然と歩いて監督の横へ並んだ。


「昨日話したが、もう一度伝えておく」


監督が全員を見渡す。


「次の青下・松野川合同チームの試合には、ヤンセンも出場してもらうことになった」


部屋の空気が一段階冷えた。


部員たちが息を呑む。彼らにとってヤンセン・大河は同じ学校に通ってはいても、すでに別の世界で戦う住人なのだから。


「ヤンセンは前にユースの試合で軽い肉離れを起こして離脱していた。完治はしたが、試合勘を取り戻して身体を慣らすために、こちらの試合に特例として出場してもらう。なにか質問ある者?」


武雄の手が真っ先に上がった。


「ヤンセン。お前、予定では決勝とか、少なくとも強豪のクラブチームとの対戦でしか出ないって話じゃなかったのか?」


至極まっとうな疑問だった。身体をならすためだけなら相手は誰でもいい。しかし初戦の格下相手にわざわざ出るのは怪我のリスクだけを負う行為だ。


「そうだな。俺もそのつもりだった」


ヤンセンはあっさりと認めた。そしてスクリーンへと視線を向ける。映像の中では、9番の蹴太が朝陽を置き去りにして駆けていた。


「でもな、極上の獲物がいるんだ」


その口元が、ゆっくりと吊り上がる。


「出ないわけにはいかないだろ?」


ミーティングルームの誰もがその目から視線を逸らせなかった。穏やかで、礼儀正しく、誰からも好かれるはずの男。しかしそこにあったのは明確な意思を持って獲物を狙う、本物の獣の目だった。

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