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25.ミニゲーム

(ヤンセン・大河、か)


ネットの向こうで小学生に囲まれて屈託なく笑っているその男を、蹴太は目に焼き付けるように静かに見ていた。


同い年。同じ中学三年生。それでいて、サッカー選手として立っている場所がまるで違う。


「てか、なんでヤンセン君はこんなところにいるんだろうな?」


隣で父親の博が不思議そうに首をひねっている。


「知らんよ」


「どうする? せっかくだし、サインでも貰ってくるか?」


「いらん! さっさと帰るわ」


蹴太は素っ気なく言い捨てて、借りていたボールを返却口へ置きに行こうとした。


顔は覚えた。名前も頭に入れた。今はそれで十分だ。いずれどこかの公式戦のピッチで会うのなら、その時に嫌でも向き合うことになる。


もっとも飛び級でJリーグクラブのユースに片足を突っ込んでいるような人間と、部活動の寄せ集めチームが公式戦でぶつかる機会など、そうそうあるはずもないのだが。


そう思って踵を返した、その時だった。


「あのぉ。すみません・・・」


「はい? なんですか?」


イベントスタッフのユニフォームを着た男性が、申し訳なさそうに近づいてきていた。


「実は中学生のエリアで、急遽フットサルのミニゲームをやろうと思っているんですが、どうしても一人人数が足りなくて・・・もしよろしかったら、そちらの息子さんに参加してもらえないでしょうか?」


「はい! それはもうぜひ!」


「・・・おい」


蹴太が口を挟む前に、博は満面の笑みで即答していた。


「いや、俺に許可なく勝手に承諾するなよ」


「いいじゃないか! フットサルで軽く汗を流すことくらい!」


「いいじゃないかって・・・」


蹴太は額を押さえた。そして、ため息をつきながら横目で人工芝のピッチを見た。


せっかく新しいスパイクを履いているのだ。感触を本格的に確かめるには、親父との緩いパス交換より、ミニゲームとはいえ実戦形式の方がいいのは事実だった。


「・・・はぁ、分かったよ」


「ありがとうございます! では息子さんはこちらへ!」


■■


案内された先のコートには、すでに8人の中学生が集められていた。蹴太を含めて9人。あと一人はどこかから連れてくるらしい。


蹴太はざっと顔を見渡す。


(・・・ヤンセンはいないのか)


自分の腕を試したいという期待が少しあったが、それを胸にしまう。そしてそこへ最後の一人として、見知らぬ中学生が駆けてきてちょうど10人が揃う。


「はい、それでは説明しますね!」


スタッフがパンパンと手を叩いた。


「フットサルの4秒ルールとか、キーパーのパス制限とかの厳しいルールはないので、とにかく気楽に楽しんでください! では今から赤と白のビブスを渡しますので!」


蹴太は白いビブスを受け取り、頭からかぶった。


同じ白を受け取った4人となんとなく円を作る形になる。名前も学校もばらばらの、今日初めて顔を合わせた即席の寄せ集めチームだ。


「えっと、神野蹴太です。よろしく」


蹴太は必要最低限の挨拶だけを言って軽く頭を下げた。他の3人もそれぞれ照れくさそうに簡単に名乗っていく。


そして、最後の一人が腹の底からよく通る声を出した。


「俺は九条隼人(くじょうはやと)だ! 私立・白豪学園(はくごうがくえん)高校の中等部所属で、サッカー部のキャプテンをやってる! よろしくな!」


短く刈り込んだ髪。ニカッと白い歯を見せる明るい笑顔。いかにも強豪運動部の中心にいるという頼もしい顔をした男だった。


その瞬間、周りの中学生たちの空気が一変した。


「白豪って・・・あの強豪の!?」


「そこでキャプテンってすごいじゃん! これは勝ったな!」


「うちの兄貴の高校、こないだあそこの高校にボロ負けしたって言ってたぞ」


明らかに他の三人のテンションが跳ね上がっている。誰も彼もが、まるで有名人にでも会ったかのような興奮した顔をしていた。


(何? そんなに有名なとこなの?)


一人だけ東京のサッカー事情に疎く、話についていけていない蹴太の様子を九条は目ざとく見つけた。


そして、まったく嫌味のない軽い足取りで距離を詰めてくる。


「もしかして君、フットサル・・・というか、サッカー初心者?」


「・・・まぁ。去年から始めた」


「そうか! そうか!」


九条の顔がなぜかぱぁっと太陽のように明るくなった。

「サッカーはいいぞ! 大丈夫、初心者でも絶対楽しいから! 俺が絶対に勝たせるから安心してくれ!」


そう言ってニカッと微笑んだまま、蹴太の背中をバンッと気安く叩く。


(・・・痛ぇな)


遠慮のない一撃だった。だがそこに見下すような響きは微塵もない。初心者だと聞いて足を引っ張る厄介者扱いするでもなく、逆に『俺がカバーしてやる』と張り切っている。


こういう手合いを蹴太はよく知っている。青下中のキャプテンである、健一と全く同じ種類の人間だった。


「いいか! ミニゲームとはいえ、ピッチに立つからにはこれは試合だ! 遊びでも勝ちに行くぞ!」


九条は白チーム全体に向かって、元気いっぱいにそう宣言した。


こうして、赤チーム対白チームのフットサルゲームが始まった。


■■


(まぁ、素人を気遣ってGKの位置にされなくてよかったか)


蹴太はサッカーで言えばトップの、一番前の位置に配置されていた。すでにチームのリーダーとして振る舞っている九条はゲームメイクをすべく右のサイドを取っている。


自陣からの白チームのリスタート。


「神野君! まずは俺にパスを出してくれ!」


「はい・・・」


蹴太は言われるままに、足元へ転がってきたボールをダイレクトで右の九条へと流した。


ただそれだけの、なんの変哲もない横パス。


だがそれを受けた瞬間、九条の目がわずかに見開かれた。


(ほぅ?)


芝を転がるボールの回転が異常に綺麗すぎる。速度もちょうどいい。自分が次に走り出したい方向へ、まるで手で置くように精確に届いている。トラップしてボールを制御する手間が一切かからない。


(初心者だと思ってたけど、案外いいパスするんだな!)


九条は上機嫌になってそのまま一気にドリブルで駆け上がった。


寄せてきた相手の逆を、身体の向きひとつで簡単に取る。抜き去る。狭いフットサルコートの中で、足技ではなく身体の使い方だけで一人を完全に置き去りにしていた。


そして迷いのない、コンパクトな左足のシュート。


パァンッ!


ボールはキーパーの横を抜け、ゴールネットの隅を確実に揺らした。


「よっしゃぁぁ! まず1点目!」


九条が大きく両腕を振り上げて喜ぶ。白チームの他のメンバーが「すげぇ!」と駆け寄って揉みくちゃにする。


その輪の外で蹴太は静かに今の九条のプレーを分析していた。


(ほぅ? 上手いな)


体重の移動が滑らかで無駄がない。抜く時に力んでいないから、抜いた後の一歩目が異様に速い。ドリブルもシュートも、素人相手に明らかに手加減していたが、それでも基礎レベルの違いははっきりと見えた。


(全力じゃないと思うが、華麗で洗練されたドリブルだったな)


蹴太が想像していた水準を明確に超えている。白豪学園という名前に周りが過剰に反応した理由がなんとなく分かった気がした。


「よし! これでもう俺達に負けはないな!」


九条が白チームを集めて笑顔でそう伝える。


その時、フィールドの外から声が飛んできた。


「おい隼人! 一人でプレーすんなよ! 周り使え!」


「分かっているよ!」


九条が振り返って笑いながら叫び返す。


「てか、お前もこっちで参加しねぇか?」


「いや、いいわ。俺は見てるだけにするよ」


フェンスの外で、あのヤンセン・大河が呆れたように肩をすくめていた。


(・・・知り合いなのか)


蹴太は不思議そうにその二人のやり取りを見ていた。


U―15日本代表で、Jリーグクラブのユースに呼ばれている【世界に届く逸材】。そんな雲の上の人間が、ただの中学生の部活の選手に気安く野次を飛ばしている。その光景がどうにも噛み合わなかった。そして視線に気づいた九条が、あっという顔をして蹴太に話しかけてくる。


「あぁ。俺とヤンセン・・・あそこのデカいやつは学校の同級生でね!」


「同級生」


「まぁ、あっちは飛び級でJリーグのユースにいて、こっちは学校のサッカー部っていう違いはあるけどね!」


そう言う九条の口調には、圧倒的な才能に対する卑屈さも羨望もなかった。ただ純粋な事実として、そういうものだと受け入れている清々しい顔だ。


「へぇ」


「今日は俺の新しいスパイクを買いに来たんだ。あいつは暇そうだから付き合ってもらった。そんでこのイベントを知って参加したわけよ!」


「へぇ」


「なんだよ! もうちょっと俺たちに興味持ってくれてもいいだろ!」


九条が茶化すように肘で蹴太の脇腹をつついてくる。その距離の詰め方の遠慮のなさに、蹴太は少しだけ呆れた。初対面の人間にここまで土足で踏み込んでくる奴が、健一以外にもこの世には一定数いるらしいと。


「はいはい、そこ! 次行きますよ、準備してくださーい!」


スタッフに促され、白チームは慌てて自陣へ戻る。


「おっしゃぁ! 次も行くぞ!」


九条が全体に声をかけると、白チームから気合いの入った声が返った。


蹴太を除いて。


「神野君も、もっと声出していこう!」


「・・・おぉ」


■■


赤チームからのリスタートで試合は再開された。


そこからは特に大きな動きもなく、和やかな時間が流れていった。


九条は宣言通り【勝ちに行く】動きをしていたが、明らかに初心者を含めた周りを楽しませることを優先している。パスを散らし、後ろの不慣れな選手にもボールを触らせ、決定機はあえて他人に譲る。中学生のレクリエーションとしてのミニゲームとして、極めて健全で理想的な光景だった


一方の蹴太はと言えば、トップの位置でただぼんやりと立っているだけった。


走らない。要求しない。パスコースを作らない。ボールが来れば、ダイレクトで一番近い味方へ返す。それだけ。


そんな蹴太に九条は何度か意図的にボールを預けていた。


(・・・妙だな)


その度に返ってくるパスがあまりに正確すぎた。強すぎず、弱すぎず、必ず自分の利き足の前の最もプレーしやすい位置へ転がってくる。初心者どころか、下手なジュニアユースの選手よりよっぽど丁寧で気が利いている。


だがそれ以外は本当に何もしない。走り込まない。スペースを突かない。まるで【絶対に目立たないこと】を目的にしているような、不気味なほどの立ち振る舞いだった。


(・・・まぁ、無理に引っ張り出すのも野暮か)


九条はそう結論づけて、また別の選手へパスを散らした。


フェンスの外では、博が「蹴太ー! もっと前! 前!」と一人で熱くなって叫んでいる。


「うるせぇな・・・」


蹴太は聞こえないふりをした。そして新品のスパイクの感触はもう十分に確かめられていた。人工芝の食いつきも悪くない。都大会に向けていい買い物ができたと思っていた。


なので、このままこれ以上何もし目立たず終わらせて、さっさと帰る。そのつもりだった。


だが。


「神野君!」


九条の明るい声が飛んだ。


蹴太はちょうどコートの真ん中に、誰にもマークされないままポツンと立っていた。


そこへ届いたのは芝の上を滑るような、寸分の狂いもないピンポイントのグラウンダーのパスだった。


回転も、速度も、着地点も。すべてが【そこ】でなければならない場所へ、吸い込まれるように転がってくる。九条隼人という選手が持っている技術の、本気の一端がそこにあった。


(・・・あぁ)


その完璧なパスを見た瞬間、ストライカーとしての本能が目覚めた蹴太には、はっきりと見えてしまった。


慌ててこちらへ寄せてこようとする、相手ゴールキーパーの重心。一歩前に出すぎている左足。その脇を通ってゴールネットの隅へ向かって伸びていく、輝くような【たった一本の線】。


ゴールを狙える確実なコースがあまりにはっきりと。


「あっ」


思考で抑え込むより先に本能で身体が動いていた。


トンッ。


固有スキル【ワンタッチ】。転がってきたボールを右足でわずかに自分の前に置く。そしてトラップと同時に、上半身がもうシュートを振り抜く体勢に入っている。


迷いのない、一切の無駄を削ぎ落とした一振り。


ドンッ!


【パワーシュート】の乗った放たれたボールは、まるで定規で引いたように空中で切れも垂れもせず一直線に進んだ。


ゴールキーパーが反応して伸ばした指先を嘲笑うかのように通過し、ネットの角へ美しく吸い込まれる。


バサッ。


コートに一瞬の静寂が落ちた。


「!!!!」


九条とヤンセンが同時に息を呑んだ。


そして二人はほとんど反射的に互いの顔を見合わせていた。


(あまりにきれいなパスだったから、つい身体が反応して決めちまったぜ)


当の蹴太は少しばつが悪そうに後頭部の髪をかいていた。


蹴太にとっては何ということもない、ただコースが見えたから流し込んだだけのシュートだった。むしろ本気を見せないよう、手加減した方だ。九条のパスがあまりに気持ちよく足元へ収まったせいで、ストライカーの身体が勝手に反応してしまっただけ。


周りで他のミニゲームを見ていた保護者たちも、「おー」と言ってぱらぱらと拍手をしただけだった。彼らの素人の目にはたまたま適当に蹴ったボールが上手いこと入ったようにしか見えなかったのだろう。


観客席の一角で博だけが「おぉ! 入った入った!」と一人で興奮している。


だが、九条隼人とヤンセン・大河という【本物】だけは違った。


フェンスにもたれて退屈そうにしていたヤンセンは、いつの間にか背筋を伸ばしてコートを見据えて立っていた。


(・・・今の)


見えていた。あの一連の動作のすべてが、自分の目にはスローモーションのようにはっきりと見えていた。


九条のパスが足元に届くより前に、蹴太はすでにGKの重心の位置を確認していた。トラップはただ前に置くのではなく、次のコンマ数秒でシュートを撃つための完璧な角度に置かれていた。振り抜きは最小限のテイクバックで、それでいてボールは一切減速していない。


そして何より決めた後の顔。


喜んでいない。驚いてもいない。あんなスーパーゴールを決めておいて、【そこへ蹴れば入って当然だった】という顔を無意識にしている。


(あれは・・・絶対にただの初心者の動きじゃない)


ヤンセンは確信とともにゆっくりと歩き出し、コートの入り口へと向かった。


一方コートの中では蹴太が何食わぬ顔でもとの位置に戻ろうとしたその前に、九条がぴたりと立ち塞がっていた。


さっきまでのミニゲームを楽しむお祭り騒ぎの空気が、彼の顔から綺麗に消え失せている。


「神野君。君、本当はどこかの街クラブ・・・」


九条は一度言葉を切り、より核心を突くように言い直した。


「いや、【ジュニアユース】でやってた?」


おどけた態度は一切ない。その目は本物の選手を見定める真剣なものだった。


初心者はそもそもあの体勢からダイレクトでシュートを選択しない。撃てたとしても、あんな弾道にはならない。トラップの数ミリの置き所も、テイクバックのない蹴り足の振り幅も、一瞬でキーパーの重心を見る目も。そのすべてが最高峰の環境で何年も血反吐を吐いて積み上げてきた、エリートにしかできない洗練された動きだった。


「・・・いや」


蹴太は肩をすくめた。


「俺はさっき言ったように、公立中学のただの部活だ。ジュニアユースじゃないぞ」


「本当ぉ? 嘘ついてない?」


「くだらん嘘なんてつく必要ないだろ?」


「ふーん」


九条は数秒間、疑わしげに蹴太の顔を至近距離で覗き込んでいた。そして、ふっと緊張を解いて表情を崩す。


「まぁいいや。でも、あいつはどう思うかな?」


「へっ?」


蹴太が間抜けな声を漏らすと、九条は親指でコートの入口を指し示した。そしてそこには、赤いビブスを頭からかぶりながら、悠然と歩いてくる長身の影があった。


明るい髪が人工芝の照り返しを受けて光っている。さっきまで小学生に囲まれて人の良さそうに笑っていた男とは、纏っている空気がまるで違った。獲物を見つけた肉食獣のようなプレッシャー。


「どうやらあいつも君の本当の実力を知りたいみたいだよ!」


九条がにやりと笑う。


「・・・」


蹴太は何も言わなかった。


言葉が出てこなかったわけではない。喉の奥が勝手にひりついていたのだ。


U―15日本代表。東京カイザースのユース。世界に届く逸材。そして圧倒的才能。その事実だけが腹の底を静かに、しかし強烈に熱くしていた。そしてヤンセン・大河がゆっくりとコートの中央へ足を踏み入れ、こちらへ挑戦的な視線を向ける。


蹴太は逃げることなく、まっすぐにその目を見返した。胸の奥でストライカーとして純粋に燃える炎を、確かに感じながら。

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