17.VS明石SC―――2
ピッ、ピーッ、ピィィィィィィーッ!!!!
前半終了を告げる主審の長いホイッスルがグラウンドに虚しく響き渡った。
失点後、青下・松野川合同チームは一点を返すべく、リスタートから果敢に攻め込んだ。
春樹が必死に前を向き、蒼空斗が懸命にボールを引き出す。だがやはり、絶対的な矛である蹴太へのパスは明石SCの厳重に構築された包囲網に阻まれ一向に通らない。
ようやく縦の隙間を狙ってパスを入れても、完全に思考を読まれていたようにコースを切られてあっさりと刈り取られてしまう。結局、攻めあぐねたまま前半は0―1で幕を閉じた。
反撃の糸口を全く掴めぬまま奪われたあまりにも重すぎる失点だった。
■■
引き上げてきた青下・松野川のロッカールームには、鉛のように重く沈んだ空気が満ちていた。
誰も口を開こうとしない。前半の30分間、ボールをひたすら追い回された選手たちは肩で激しく息をし、芝の汚れを拭うこともせず、ただうなだれたままだ。格上との絶望的なまでの実力差と組織力を全員が肌で味わった前半だった。
マネージャーの明里でさえかける言葉が見つからず、ただ黙って冷たい給水ボトルを配ることしかできなかった。
(このままじゃ、何もできないまま終わる・・・)
誰もが心の奥底でそう感じていた。
その澱みきった空気を破ったのはホワイトボードの前に立つ居舘のピンと張りのある声だった。
「全員、顔を上げろ! 前を向け! 相手が格上なのは最初から分かっていたはずだ! 前半の失点シーンだって、こっちが果敢に攻めた結果のカウンターだ。何より、あの都大会常連の明石SC相手にチームとしての守備はしっかり出来ていたぞ!」
空元気ではない。確かな根拠と分析を持って居舘はチームを力強く鼓舞する。その言葉に真っ先に呼応したのは誰よりも泥だらけになった健一だった。
「そ、そうだぞ! あの格上相手に俺たちはむしろ一点に抑えて終えられたんだ! まだまだいけるだろ!」
「そうだ。失点こそしたが内容としては決して悪くない。後半は必ず得点できる」
健一の泥臭い声に、冷静な春樹が力強く続く。二人が並んで発した言葉に俯いていたメンバーの顔が少しずつ上がっていった。淀んでいた空気に再び闘志の熱が戻る。
「・・・行けるよ」
それまで黙って汗を拭っていた蒼空斗も、静かに、しかし確信を込めて呟いた。前半あれだけ徹底的に自分と蹴太が消されてなお、チームは崩れなかった。その事実こそが何よりの手応えだった。
士気の回復を見て取った居舘はすかさず後半の采配へと移った。
「よし。後半からはセンターフォワードの位置に山本。神野は伊野と交代して、右ウィングに入ってくれ」
「はい」
蹴太は静かに頷いた。少ない時間ではあったが、この形は練習で準備してきている。蹴太を右ウィングに据えることで、明石SCの絶対的な左サイドバックである鵜飼朝陽と直接マッチアップさせる。あの怪物を蹴太自身の圧倒的な力で強引に抑え込む作戦だった。
(俺が右に張れば、朝陽はうかつに攻め上がれなくなる。あいつの攻撃力を削ぎつつ、逆に俺がぶち抜けばそのまま決定機だな)
守りながら攻める。最も危険な選手を張り付かせることで、相手の最大の武器を封じる作戦だった。
「それと月影を左インサイドハーフに戻す。田中と交代で高橋入ってくれ!」
「はいっ!」
居舘がチームに的確な指示を飛ばしているその頃、明石SCのロッカールームでも同じようにミーティングが行われていた。
「よし。前半はほぼ想定通りに試合を動かせている。9番の神野も10番の月影も、最後まで徹底して沈黙させる。このまま交代はなしで行くぞ」
監督が前半を振り返り、後半の方針を淡々と告げる。1点のリード。だが決して油断はしない。相手の9番がたった一度でもフリーになれば、その一瞬で試合はひっくり返る。それだけの理不尽な選手だと、この監督は正しく見抜いていた。
説明が終わると選手たちは身体を冷やさないよう、思い思いに軽くウォームアップを始めた。
その中で朝陽だけは床に座って開脚のストレッチをしながら、どこか上の空だった。
「どうした? 朝陽」
同じくアップをしていたFWが声をかける。
「・・・いや、なんでもない」
「そうか」
短くやり取りを交わし、朝陽は再び黙ってストレッチを続けた。だがその心の内ではさっきから何度も【あの瞬間】がフラッシュバックしていた。
蹴太と、正面から対峙したあの瞬間・・・
(あの時、俺は抜けないと分かってしまった。チームのためとはいえ、俺は勝負から・・・逃げた)
思い返すほど、腹の底からじりじりと焼け焦げるような悔しさが込み上げてくる。地域トレセンにまで名を連ねた、自分の矜持が痛いほど疼いた。
かつて生粋のFWとしてこの足で幾多の相手を置き去りにしてきた。その頃の自分なら相手が誰であろうと迷わず仕掛けていたはずだ。なのに、あの得体の知れない9番を前にした瞬間、本能が警告を発し、身体が竦んだ。
抜けるイメージが一片も湧かなかったのだ。
(・・・悔しい。悔しくて仕方がない)
だがその悔しさは不思議と嫌なものではなかった。自分よりも上がいるという事実が忘れかけていた勝負師の血を、静かに、そして激しく沸き立たせていく。
(・・・次は、絶対に勝つ)
伏せていた朝陽の瞳にぎらりと鋭い闘志が宿る。
ハーフタイムが終わる。後半開始を告げるホイッスルが高らかに鳴り響いた。
■■
後半は青下・松野川のキックオフで幕を開けた。
山本から左インサイドハーフに戻った蒼空斗へとボールが渡る。
(・・・寄せが速いな。もう蹴太のいる右へのパスコースは完全に塞がれた)
蒼空斗は即座に状況を察した。こちらの右ウィングへの配置転換など、とうに読まれている。
(仕方ない。ならまずは自分たちで1点を取りにいく!)
蒼空斗は自ら左サイドをドリブルで駆け上がる。だがすぐに相手の右サイドバックとセンターバックが鋭くボールを奪いに寄せてきた。ここで無理はしない。蒼空斗は一旦、後方の健一へとボールを預けた。
(蹴太は・・・いや、蹴太ばかりに頼らない! 俺たちは蹴太抜きでも勝てたんだ!)
健一はあの岩下戦での泥臭い勝利を思い出し、自らを奮い立たせる。ボランチの春樹、そしてサイドバックの渡辺や中村と細かくパスを繋ぎながら、慎重にビルドアップを組み立てていく。
その一方で明石SCの左サイドバック・朝陽は、右ウィングに配置転換された蹴太を鋭く凝視していた。
(なるほどな。俺の上がりを警戒して直接マッチアップさせてきたか)
半身に構え、ボールの行方を窺う蹴太へ朝陽は最大限の警戒を向ける。
(・・・絶対に、負けない)
その闘志は一層激しく燃え上がっていた。だが同時に、朝陽は迂闊に前へ出られなくなってもいた。自分が攻め上がった背後の広大なスペースをあの9番に使われれば終わりだ。前半のように思うままサイドを蹂躙するわけにはいかない。居舘の狙いは確実に明石SC最大の武器である朝陽の攻撃力を削いでいた。
そしてその視線の痛いほどの熱を、蹴太もまた敏感に感じ取っていた。
(・・・前世の俺が見たら信じられねぇだろうな。【才能】を持ってる本物のエリートが、この俺に対抗心を燃やしてるなんてよ)
かつて才能ある者に絶望させられる側だった蹴太。その立場が逆転し、あまつさえ才能ある者から真っ向勝負を挑まれている。その事実を、蹴太は素直に嬉しく思った。だが…・・・
(でもこいつが燃えてるのは【俺自身】じゃなくて、俺の【異常な才能】に対して、か)
自分の純粋な努力の結晶かどうかも怪しい数値によって、目の前の本物が闘志を燃やしている。その皮肉に蹴太は嬉しさと苦さの入り混じった複雑な感情を抱いた。
(って、そんな感傷に浸ってる場合じゃねぇな。パスが来ないなら・・・自分から奪うまでだ!)
蹴太は思考を切り替えた。
明石SCのボランチがセンターバックへとボールを下げたその瞬間、パスの受け手へと猛然とプレスをかけようと足を踏み出す。
だがその一歩目は、朝陽によって阻まれた。
ダンッ!
蹴太が地を蹴ったその刹那、まるで最初からそこにいたかのように朝陽がぴたりと並走して、寸分違わず食らいついてきたのだ。
(こいつ! 俺のスピードについてきやがる! まさか・・・スピードはSSSレベルなのか!?)
(俺のスピードと同等・・・いや、俺以上だ。一瞬でも気を抜いたら置いていかれる!)
肺が焼け、心臓が軋む。それでも朝陽は歯を食いしばり、必死に喰らいつく。互いの規格外のスピードに互いが驚愕していた。
だが朝陽は前半と変わらず、自らが輝くことではなく蹴太をプレーに参加させないための密着マークに徹していた。
(鵜飼朝陽・・・自分ごと俺という存在を消す気か!)
(今の俺は・・・チームのために仕事をする!)
朝陽は蹴太をマンツーマンで完全に消しにかかる。そのため青下・松野川のメンバーは後半になっても決定機を生み出す蹴太へパスを通せずにいた。
後半17分。
明石SCは後半のミーティングで指示された通り、1点のリードを守るべく、守備により重きを置いていた。おかげで前半よりもボールを保持できるようになった青下・松野川。
だが、整然と構えた堅い守備網を前に決定機までは至らず、じりじりと攻めあぐねていた。
ボールは持てる。しかし崩せない。もどかしい時間がただ過ぎていく。
(何か一つ。突破口さえあれば・・・)
春樹はセンターライン付近で健一たちDFとパスを回し、辛抱強くボールを保持し続ける。
すると、蒼空斗がボールを引き取りにすっと下がってきた。
「吉峰君!」
「月影君!」
春樹は間髪入れずに蒼空斗へパスを通す。ボールを受けた蒼空斗はそのまま一気に左サイドをドリブルで駆け上がった。
(蹴太のことは今考えない。状況はこちらが不利・・・なら!)
蒼空斗の前に相手の右インサイドハーフが立ち塞がる。
(信じるぞ・・・俺の脚を!)
かつて相手のスライディングでこの脚を壊した。靭帯を断ち、骨を折り、二度とピッチには戻れないとまで言われた。その脚に今、あえて最も負担のかかる急激な緩急を強いる。
トラウマによる恐怖がないと言えば嘘になる。それでも蒼空斗は恐怖をねじ伏せるように鋭い切り返しから一気に加速し、右インサイドハーフを鮮やかに抜き去った。
(抜けた!)
だがすぐに相手の右サイドバックとセンターバックの二枚がかりで行く手を阻む。
(これ以上中央には入れないか・・・)
左サイドを駆け抜けながら、蒼空斗は素早く中を見た。その視線につられて明石SCのディフェンス陣の意識が逆サイドで待つ蹴太へとわずかに傾く。
(逆サイドに来るなら来い! 絶対に止めてやる!)
朝陽は蹴太を止めることだけを考えていた。
そして蹴太は蒼空斗が左を駆け上がり、中を見たその一瞬の視線を絶対に見逃さなかった。
(なっ!?)
刹那、蹴太が動く。カンストしたステイタスをフルに活用した鋭いボディフェイント。朝陽の重心が完全に逆を取られた。
「9番、抜かれたっ!」
朝陽の叫びに明石SCの守備陣が一斉に反応する。フリーになりかけた怪物を止めるべく、ペナルティエリア内にいた全員の意識と身体が強烈な引力に引かれるように蹴太へと吸い寄せられた。
(蹴太・・・)
その完璧すぎる囮の光景を見て、蒼空斗は蹴太にパスを出さなかった。
蹴太に強烈に引き寄せられ、ぽっかりと空いた中央のスペース。そこへ全速力で走り込んでいた完全フリーの山本へと、ふわりと精確なクロスを送り込む。
「いっけえぇぇ!!」
山本は落ち着いてボールを胸でトラップすると、キーパーの逆を突くゴール右隅へと渾身のシュートを叩き込んだ。
バサァッ!
キーパーが必死に伸ばした手もわずかに届かない。
【明石SC 1―1 青下・松野川合同チーム】
後半20分。
ついに青下・松野川が、鉄壁を誇る格上相手に同点へと追いついた。
「よっしゃあああ!!」
同点弾を決めた山本が両拳を突き上げて雄叫びを上げる。ベンチの明里も思わず立ち上がって手を叩いた。重く沈んでいたチームの空気が一気に爆発的に沸き立つ。
一方の朝陽はゴールを決められた瞬間、ただ一人蹴太を見ていた。
(・・・囮か。俺が9番のマークに必死に釣られたその一瞬の隙を完全に利用されたか)
自分が全力で消しにいった【その執着ごと】利用された。相手の戦術が一枚も二枚も上手だった。朝陽は悔しさに唇を噛みしめる。
そして歓喜に沸く味方の中で蹴太は囮となった自分の役割を悟り、ふっと口の端を緩めていた。
(これでいい。まずはチームの勝利を優先させる)
だが、試合はまだ終わらない。ここからが本当の死闘の始まりだった。




