14.リーグ戦開始
4月も下旬。
日中はうっすらと汗ばむような陽気が続き、校庭の桜はすっかり葉桜へと姿を変えていた。しかし青下中学三年一組の教室は、朝からどこか浮ついた熱気に包まれていた。
「なぁ、聞いたかよ! うちのサッカー部、合同チームとはいえ、市区町村大会突破したらしいぜ!」
「マジかよ! あの万年一回戦負けの弱小サッカー部が!?」
普段は誰の話題にも上らない冴えないサッカー部が突如としてクラスの注目の的になっていた。しかしその熱を帯びた視線が向かう先は、たった一人に集中している。
「月影君ってさ、やっぱりすごいんだね!」
「東京カイザースのジュニアユースにいたんでしょ? 超エリートだもんね! かっこいい!」
教室の中央、蒼空斗の席の周りには頬を赤く染めた女子たちが人だかりを作っていた。男子たちもまた、遠巻きに「さすが天才は違うな」と羨望の眼差しを送っている。
しかしいつもの爽やかなイケメンスマイルを浮かべながらも、蒼空斗は内心でひどく困り果てていた。
「いや、あれはチーム全員で勝ち取った結果だよ。俺だけの力じゃない」
「またまたぁ! 謙遜しちゃって!」
「そういうところがモテるんだよねー!」
蒼空斗がいくら本心から否定してもクラスメイトたちはそれを【できる男の謙遜】としか受け取らず、まるで聞く耳を持たなかった。
(困ったな・・・初戦なんて俺も蹴太も出てないし、一番点を取ってるのは蹴太なのに)
そんな喧騒を教室の反対側の隅から冷めた目で眺めている男子生徒がいた。窓際の席で教科書を広げる蹴太である。そしてその向かいには、頬杖をついた健一が不満げに口を尖らせていた。
「かぁ! 結局イケメンかよ! そりゃ蒼空斗も2回戦からは活躍したけどよ!」
「まぁ、人生そんなもんだ。気にしたら負けだぞ」
顔とネームバリューがあれば、世間の賞賛は自然とそこに集まる。だからこそ蹴太はいちいち腹を立てる気にもならなかった。
「てか、お前はいいのかよ? チームで一番得点を取ってるのはお前だろ?」
「別にいいさ。つか、まだ支部大会のリーグ戦進出が決まっただけだろ? 浮かれている余裕なんてない」
「まぁ、そうか」
蹴太の淡々とした物言いに健一が渋々といった様子で頷いた、その時だった。
ガラッ!
教室の後ろのドアが勢いよく開き、マネージャーの明里がずかずかと足音を立てて入ってきた。その頬は誰の目にも分かるほど、ぷくりと怒りで膨れている。
「? なんだ? そんな怒って?」
「それが聞いてよ! さっき葛田先生にリーグ戦の一覧表をもらいに行ったんだけど、なんて言われたと思う?」
「知らん。もったいぶらずに早く見せろ」
「まぁまぁ蹴太。で、なんて言われたの?」
蹴太の身も蓋もない返しにも構わず、明里の脳裏にはつい先ほどの職員室でのやり取りが苦々しく蘇っていた。
「ありがとうございます。じゃあ失礼します」
用件を済ませ、明里が職員室を後にしようとした時だった。よれたジャージ姿の葛田がひどく面倒くさそうに声をかけてきたのだ。
「ちょっと待て、月影」
「なんですか?」
「お前ら、どうやって市区町村大会を突破したんだ?」
「どうやってって・・・普通に実力ですよ」
「嘘だな。お前らみたいな万年一回戦負けの雑魚が勝てるわけ無いだろ」
「ちょっ!
「いや、松野川の連中が有能なのか・・・」
明里は絶句した。
嫌々とはいえ、仮にも自分が顧問を務めるサッカー部の、しかも誰よりも真面目に泥まみれで練習してきた三年生たちのことをまるで信用していない。その事実に、腹の底から冷たい怒りが込み上げた。
「まぁいいか。どうせ次で終わるだろう。よし、行っていいぞ。くれぐれも絶対に問題を起こして、俺の手を煩わせるなよ」
葛田はそう言い捨てると、もう明里になど興味を失ったように視線を外し、自分の作業へと戻っていったのだ。
「ってことがあったのよ!」
「さすが葛田・・・相変わらずクズだな」
健一が乾いた声で呟き、蹴太は興味なさげにため息をついた。
「いいからさっさとリーグ表を見せろよ」
「はいはい・・・」
「俺も見るよ」
騒ぎに気づいた蒼空斗が、人だかりをそっと抜け出して蹴太のもとへとやってきた。そして四人は、明里が広げた一枚のプリントを覗き込んだ。
支部大会のリーグ戦は、16グループ4校の振り分けとなっており、各グループ上位2校が次の東京大会へと進出できる仕組みになっていた。そして蹴太たち青下・松野川中学が振り分けられたのは、Eグループ。自分たちを含めた2つが中学校の部活動チーム、残る2つが【街クラブ】のチームだった。
「やっぱり、クラブチームとの戦いは避けられないか」
「うん。気合を入れていかないとね」
「まじかぁ・・・」
蹴太と蒼空斗が冷静に戦力を見積もる中、健一だけが露骨に顔をしかめていた。
「どうした? 健一?」
「俺らと当たるのって、川島SCと明石SCかよぉ・・・」
「そのクラブチームは有名なのか?」
サッカーの街クラブ事情に疎い蹴太が尋ねると、健一は信じられないという顔で首を振った。
「有名もなにも、少なくともこの2年は両方とも東京大会に余裕で進出しているエリートクラブだよ」
「そうね。都大会常連のクラブチーム。今までのようには行かないわね」
明里が難しい表情でそう補足する。
Eグループで蹴太たちが対戦するのは、同じ部活動である第四中学のサッカー部、そして東京大会進出常連である川島SCと明石SC、この三チームだった。
これまで蹴太のチートじみた力の前に格下を蹂躙してきた青下・松野川合同チーム。しかしここからは本気で上を目指すエリートたちが集う街クラブとの、格上との真剣勝負が待っている。
「はぁ・・・いきなり山場かよぉ」
すっかり意気消沈し、机に突っ伏す健一。その背中を、蹴太が軽くバシッと叩いた。
「全国行くんだろ? だったら今日じゃなくても、夏で当たる可能性もあった。今のうちに当たれてラッキーくらいに思わないと負けるぞ」
「・・・そうだな。どのみち全員倒さないと一番になれないんだ。負けねぇぞ!」
健一はパチンと両頬を叩き、しぼみかけた気合を無理やり奮い立たせた。そんな親友の単純さに、蹴太はふっと小さく笑みをこぼした。
そしてその日の放課後。松野川中学のグラウンドに集まったメンバーに、居舘からも正式にリーグ戦の組み合わせが伝えられた。
「みんな、もう聞いていると思うがいよいよ支部大会のリーグ戦が始まる。相手には都大会常連の街クラブもいる。だが、臆する必要はない! まずは3日後の第四中学のサッカー部に勝つぞ!」
「「「「「はいっ!!!」」」」」
居舘の力強い号令に、全員が腹の底から声を張り上げる。
とはいえ、青下・松野川の面々の顔には、川島SCや明石SCという強敵の名を聞いた緊張がありありと滲んでいた。都大会常連のクラブチーム。彼らにとっては、雲の上のような存在だ。
「おい、そんなビビった顔すんなよ!」
その空気を破るように声を上げたのは、やはり健一だった。
「岩下相手に俺たちだけで勝った時のことをもう忘れたのかよ? 相手が強かろうが関係ねぇ。全員でぶつかって、全員で走り勝つ。それだけだろ!」
キャプテンの春樹が隣で満足そうに頷く。健一の泥臭い檄が、メンバーの強張った表情を少しずつほぐしていった。
そこから3日間、蹴太たちは来たる強豪との連戦を見据えていつも以上に集中して練習に打ち込んだ。基礎練の一本一本に気迫を込め、激しく身体をぶつけ合う。そうしてあっという間に、リーグ戦初戦、第四中学との対戦の日を迎えたのだった。
■■
ピーッ!
主審のホイッスルが鳴り響き、第四中学との一戦の火蓋が切られた。
第四中学もまた、地道に練習を積んできた真面目な部活動チームだった。しかし、今の青下・松野川合同チームには彼らの努力を根こそぎ吹き飛ばす、規格外の矛が存在した。
「蹴太!」
ボランチの春樹が前を向いた瞬間、その視線の先には、すでにディフェンスラインの裏を狙って動き出す蹴太の姿があった。針の穴を通すような鋭い縦パスが、密集を切り裂いて最前線へと通る。
「止めろ! 絶対に離すな!」
第四中学のディフェンダーが必死に身体を寄せる。だが、蹴太は焦る素振りすら見せず、飛んできたボールを固有スキル【吸着トラップ】で足元に無音でピタリと吸い付かせた。
そこからは、もはや暴力的なまでの独壇場だった。
ドンッ!
爆発的な踏み込みの音とともに、カンストした【スピード】と【ドリブル】が牙を剥く。蹴太の目には、必死に足を伸ばしてくるディフェンダーたちの動きが、まるでスローモーションのように見えていた。
無駄の一切ない極小のタッチで二人、三人とディフェンダーを置き去りにし、ペナルティエリアへと侵入。決死の覚悟で飛び出してきたキーパーの重心を冷静に見極めると、予備動作ゼロの【クイックモーション】で、ゴール左隅へと弾丸のようなシュートを突き刺した。
バサァッ!
わずか前半の立ち上がり、あっけないほど簡単に先制点が生まれた。
「なんだよあいつ・・・」
第四中学のディフェンダーが呆然と呟く。三人で囲んだはずのマークを、まるで存在しないかのようにすり抜けられたのだ。その恐怖と困惑は、前世で蹴太が幾度となく味わった絶望の感情そのものだった。しかし蹴太は止まらない。
2点目は、味方のシュートが弾かれたこぼれ球を、誰よりも早く落下点に入り込んで無回転気味に押し込んだもの。3点目はパスの出し手に回った蒼空斗との連携から生まれた。
「蹴太、行けるぞ!」
完全に復調しつつある蒼空斗が、ディフェンスの視線を自分に引きつけながら、ワンタッチで裏へと絶妙なスルーパスを供給する。それに完璧なタイミングで抜け出した蹴太が、ゴールキーパーとの一対一を涼しい顔で沈めてみせた。
気づけば、たった一人で3点を奪う圧巻のハットトリック。しかもそのどれ一つとして、汗ひとつかいていないかのような余裕綽々のプレーだった。
(月影の動きも完全に戻ってきてるな。あのタイミングでパスを引き出せるならもう大丈夫だろ)
前半終了のホイッスルが鳴った時、スコアは既に3-0。第四中学の選手たちは点差以上に開いた圧倒的な実力差を前に、すっかり戦意を削がれ、肩で息をしながらうつむいていた。
「よし、神野君と月影君は後半下がっていいよ。田中、山本、準備しろ!」
ハーフタイム、居舘は迷わずそう指示を出した。3日後には最大の山場である明石SC戦が控えている。ここで主力を無理に消耗させる必要はないという的確な采配だった。
「無理はさせられないからね。あとは頼んだよ」
「あぁ、任せろ」
蹴太と蒼空斗に代わり、後半から田中と山本がピッチに立つ。二人は蹴太のような派手さこそないものの、冬の練習で培った基礎を活かして危なげなく試合を運んだ。
結局、後半はスコアが動かないまま、試合終了の笛が鳴った。
【第四中学0-3青下・松野川】
主力二枚を温存しての完璧な勝利。リーグ戦初戦を、青下・松野川合同チームは最高の形で飾ってみせた。
■■
「よーし、みんなお疲れさん! まずは1勝だ!」
試合を終え、ロッカールームに戻ってきたメンバーたちは勝利の余韻に浸りながらも、どこか引き締まった表情を浮かべていた。
誰もが分かっている。本当の戦いは、ここから先だと。
「あっ、そうだ! みんな聞いて!」
給水ボトルを配り終えた明里が、1枚のスマホのメモを手に声を上げた。同じ時間帯に、別会場ではEグループの残り2チーム、川島SCと明石SCの試合も行われていたのだ。
「今、川島SCと明石SCの試合結果が入ってきたわ。えっと、明石SCが4―0で勝ったって」
「4点差か・・・」
蹴太が静かに呟いた。
同じ勝利でも、同格であるはずのクラブチーム相手に大量得点を奪ってみせたその数字が、明石SCという相手の底知れなさを物語っていた。
川島SCが手を抜いてこの結果なのか、それとも本気でこの点差なのか。いずれにせよ、これまで蹴太たちが蹂躙してきた格下の部活チームとは、明確に格が違う。
「明石SCか・・・ついに来たな」
健一がゴクリと唾を飲み込んだ。その隣で、蒼空斗の瞳がギラリと光る。強者との対戦を前に、この野心家の男はむしろ胸を高鳴らせているようだった。
「そして、うちの次の試合は・・・3日後。その明石SCよ」
明里の言葉にロッカールームの空気がぴりっと張り詰めたものへと変わる。都大会常連のエリート集団。しかし蹴太は・・・
(エリート集団か。面白い)
前世の自分ならその肩書きと圧倒的なスコアを聞いただけで、絶望と無力感に苛まれていたはずだ。しかし、今の蹴太の胸に恐怖は一切なかった。
あるのはただ、腹の底からじわりと熱を帯びて滲み出してくる、前世でも感じたことのない純粋で静かな【闘志】だけだった。
蹴太は自分の胸に芽生えたその感情を確かめるように、誰にも気づかれないよう、そっと口角をつり上げた。




