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12.信じてるぞ

―――青下・松野川合同チームのロッカールーム。


試合開始の時間が刻一刻と迫る中、部屋には独特の緊張感が張り詰めていた。


「き、緊張してきたぁ・・・」


ベンチに深く腰掛けた健一が、両膝をさすりながら小声で弱音を吐き出した。額にはすでにじっとりと汗が浮かんでいる。


「なに緊張してんだよ。3年間、同じ様な大会に参加しただろうが」


隣に座っていた蹴太は、健一とは対照的に大きなあくびを噛み殺しながら、呆れたように突っ込んだ。


「そりゃそうだけど! 大会の初戦はいっつも緊張すんだよ! お前みたいに図太くねぇんだよ俺は!」


「まっ、そうか」


相変わらずどこか他人事のような蹴太の反応に、健一は少しだけ肩の力が抜けたように息を吐いた。


すると、ホワイトボードの前に立った居舘がパンッと手を叩き、メンバー全員に集合をかけた。


「集合だ! いよいよ試合が始まる。最後にもう一度、システムを確認するぞ!」


居舘の声に、真新しいユニフォームに着替えた選手たちの顔つきが一気に引き締まる。


今回青下・松野川合同チームが採用したシステムは、攻撃的な【4-3-3】だった。


そしてスタメンからは外れているものの、蹴太の背中にはストライカーの象徴である背番号【9】が、そして蒼空斗の背中にはエースナンバーである【10】が、真新しい生地に誇らしげに刻まれていた。


FW

山本明信 センターフォワード(CF)

伊野新太 右ウィング(RWG)

中山修 左ウィング(LWG)


MF


高橋一郎 右インサイドハーフ(RIH)

田中翔太 左インサイドハーフ(LIH)

吉峰春樹 ボランチ(VO)


DF

白河健一 センターバック(CB)

斎藤光夫 センターバック(CB)

中村直樹 右サイドバック(RSB)

渡辺健吾 左サイドバック(LSB)


GK

中野聡


「いいか? 岩下中学はサイド攻撃を得意としている。サイドからの展開には十分に警戒しろ。ウィングはサボらずに横ずれしながらプレスをかけていけ。守りに入らず、ガンガン攻めるぞ!」


居舘の力強い指示に、スタメンに選ばれた選手たちが真剣な眼差しで力強く頷く。


「神野と月影抜きでの練習は十分に積んできた。お前たちならやれる! じゃあ最後に吉峰! 声掛けを頼む!」


「はい!」


春樹が中央に歩み出ると、スタメンメンバーだけでなく、控えの選手たちも立ち上がり、全員で一つの大きな円陣を組んだ。


「いいか?」


春樹は、円陣の輪の中から一人ひとりの顔を力強く見回した。


「俺たちは、神野や月影頼りのワンマンチームじゃないだろ?」


輪の外からその光景を眺めていた蹴太の肩がわずかにピクリと動く。


「俺たち全員が去年の秋から勝つために、本気で全国を目指すために、血反吐を吐くような努力をしてきた。違うか?」


春樹の熱い問いかけに健一をはじめとするメンバー全員が深く、力強く頷く。


「俺たちは勝つ! 必ず俺たちは全国へ行く! そのためにはこんなところで負けてられないよなぁ!」


「「「「「あぁ!!!!」」」」」


「絶対勝つぞー!!!!」


「「「「「おおぉぉぉぉぉっ!!!!」」」」」


青下・松野川チームの気合の入った咆哮がロッカールームの壁を震わせた。


そして居舘の「行くぞ!」という指示に合わせてメンバーたちはスパイクの音を響かせながら、初戦の地である芝生のピッチへと向かっていく。


そんな中、蹴太は壁にもたれかかったままその頼もしい背中を黙って見送っていた。すると、横に並んだ蒼空斗が、蹴太の背中をポンと軽く叩いた。


「どう? これを見ても、君は自分が間違ってたって思うかい?」


「・・・いや」


蹴太は口元に小さく笑みを浮かべると仲間たちに続いてピッチへと向かい、歩き出した。


両チームがピッチに散らばり、それぞれのポジションにつく。


春の青空の下、主審の吹く甲高いホイッスルが鳴り響き、試合の幕が切って落とされた。


■■


前半は、岩下中学のキックオフでスタートした。


岩下中学のシステムは、中学生年代で最もオーソドックスな【4-4-2】。彼らは無理に前線へ蹴り込まず、最終ラインからゆっくりとパスを回しながら、ジリジリと青下・松野川陣内へとビルドアップを進めてきた。


(なんだ? 思ってたよりも圧がない。でも、嫌なペースだ)


最終ラインで構える健一は、相手の慎重なボール回しに焦りを感じ始めていた。


そして試合が動いたのは前半13分。


岩下中学の右サイドハーフがドリブルで仕掛けると見せかけ、前線に張っていたツートップの一人へ鋭い縦パスを通した。


「やらせるか!」


ボールを受けたFWがターンしてペナルティエリアに侵入し、右足を振り抜こうとした瞬間、健一が猛然とスライディングに入り、シュートをブロックした。


「ナイス白河!」


ボールがこぼれた先には、ボランチの春樹がいた。


(ここだ! カウンター!)


春樹はルックアップすると前線へ走り出しているCFの山本に向かって、一気に縦のロングパスを放った。しかし。


「あっ!」


春樹の足元から放たれたボールは山本の走るスピードを遥かに超える勢いで飛んでいき、山本が触れることもできないまま無情にもタッチラインを割ってしまった。


(しまった!)


春樹は思わず頭を抱えた。


(無意識のうちに、神野に渡す時のスピードと感覚でパスを出しちまった。神野の圧倒的なスピードなら追いつくパスでも今の山本には長すぎる。切り替えないと!)


神野蹴太という規格外の存在がいないピッチ。練習を重ねてきたとはいえ、試合に勝ちたいという焦りが感覚のズレを生み出し、徐々に青下・松野川チームの歯車を狂わせていく。


そこからは一進一退の攻防が続いた。青下・松野川も果敢に攻め込むが、岩下の堅いブロックを崩しきれない。


そして、前半26分。


青下・松野川の左サイドバック、渡辺が自陣でパスを受けた瞬間、トラップがわずかに大きくなった。


「もらった!」


その隙を見逃さなかった岩下中学のFWが、猛烈なプレッシングで渡辺からボールを強奪する。


「やばっ!」


一気にペナルティエリア内へと切り込んできた岩下FWに対し、キーパーの中野が果敢に飛び出す。しかしFWは中野の動きを見て、冷静にシュートを放った。


中野の指先がボールに触れたものの軌道を完全に変えるには至らず、ボールはギリギリでサイドネットを内側から揺らした。


【岩下中学1-0青下・松野川】


痛恨の失点。


その後青下・松野川は猛反撃に転じるものの、岩下中学の時間をかけた強固な守備に阻まれ、4分間のアディショナルタイムを経ても得点を奪うことはできなかった。


そして主審のホイッスルが鳴り、10分間のハーフタイムへと突入する。


■■


「すまん・・・俺のせいで・・・」


ベンチに戻ってくるなり、失点の起点となってしまった渡辺がタオルで顔を覆い、深く肩を落とした。


「気にするな。これくらいはどうってことないさ。まだ1点差だ」


キャプテンの春樹がすぐに駆け寄り、渡辺の背中を叩いて気遣ったが、ベンチの空気は鉛のように重かった。


自分たちの力だけで勝つと意気込んだものの、現実は甘くない。その事実が選手たちの心に暗い影を落としていた。


「下を向くな! 気にするな、攻めた結果だ!」


居舘がパンッと手を叩き、沈んだ空気を吹き飛ばそうと声を張った。


「それより後半戦のことを考えよう。岩下は1点を守り切るためにさらに引いてブロックを敷いてくるはずだ。ウィングはもっと幅を取って相手のディフェンスを広げろ。そしてボールを奪ったら手数をかけずにカウンターを狙うんだ。いいな!」


居舘からの具体的な指示を受け、メンバーたちは「はい!」と返事をして再び気合を入れ直そうとした。


しかし、声のトーンはどうしても低く、どこか自信を失っているように見えた。


その様子を黙って見ていた蒼空斗が、隣で腕を組んで座る蹴太に顔を向けた。


「どう思う? 蹴太」


「・・・」


質問された蹴太は立ち上がると、無言のままベンチの前に進み出た。そして・・・

パンッ!!!


蹴太は大きく、乾いた音を立てて両手を叩いた。


ビクッとして、チーム全員の視線が蹴太に集まる。


蹴太は、不安と焦りで顔を強張らせて見上げてくる仲間たち一人ひとりの顔を、ゆっくりと見渡した。


その瞳にはいつもの他人事のような冷めた色は一切ない。まっすぐで、はっきりとした強い意志の光が宿っていた。


そして、短く、静かに一言だけ告げた。


「信じてるぞ」


たった一言。


厳しい叱咤でも、具体的な戦術のアドバイスでもない。


しかしあの圧倒的な才能を持つ神野蹴太が、他でもない自分たちの力をただ純粋に『信じている』と断言してくれたのだ。


その一言はどんな戦術ボードの指示よりも深く、熱く、メンバーたちの心に突き刺さった。


「・・・当たり前だろ! 俺たちを信じろ!」


最初に顔を上げたのは健一だった。その目にはもう微塵も迷いや怯えはなかった。


「勝ってやるよ! お前がいなくたって、俺たちは強いって証明してやる!」


健一の吠えるような声に呼応するように、渡辺が、春樹が、そしてメンバー全員が力強く立ち上がった。


重苦しかった空気は完全に霧散し、闘志の炎が再び燃え上がる。


そしてピッチに戻ると主審のホイッスルが鳴り、運命の後半戦が始まろうとしていた。


■■


後半は青下・松野川のキックオフでスタートした。


居舘の予想通り、岩下中学は完全に全員が自陣に引き、1点を守り切る姿勢を取ってきた。


青下・松野川は高いポゼッションでボールを保持し、左右に揺さぶりをかけるものの、ペナルティエリア内に築かれた強固なブロックを崩せず、シュートまで持ち込めないもどかしい時間が続く。


そして、後半18分。


青下・松野川が獲得したコーナーキック。しかし、ゴール前に入れたボールは岩下DFに高く跳ね返され、逆に岩下中学の鋭いカウンターを食らってしまう。


「戻れぇっ!!」


岩下FWがドリブルで独走状態になりかけたその時、猛然と追いついた影があった。前半でトラップミスを犯した左サイドバックの渡辺だった。


渡辺は後方から決死のスライディングタックルを敢行。ファウルギリギリの深いタックルで見事にボールを刈り取り、そのまま立ち上がりざまにボランチの春樹へとパスを繋いだ。


(ナイスだ渡辺! ここで行く!)


ボールを受けた春樹はインサイドハーフの田中、高橋と細かくダイレクトパスを繋ぎ、一気に岩下中学のペナルティエリア手前まで駆け上がった。


目の前には岩下のセンターバックが立ち塞がっている。パスのコースはない。


(どんだけ神野の理不尽なシュートを見てきたと思ってる!)


春樹は右足を大きく振りかぶった。


脳裏に焼き付いているのは練習で何度も見た蹴太の弾丸のようなミドルシュートのフォーム。


もちろん、蹴太のようなチートじみた威力はない。放たれたシュートはグラウンダーの決して速くはないボールだった。


しかし大振りのフォームから放たれたタイミングのズレが、岩下センターバックの虚を完全に突いた。


ボールはセンターバックの股下を綺麗に抜け、反応が遅れたゴールキーパーの手の先をすり抜け、右隅のゴールネットを揺らした。


「よっしゃああああああっ!!!」


春樹が雄叫びを上げ、メンバーたちが一斉に彼に飛びつく。


【岩下中学1-1青下・松野川】


ついに、同点に追いついた。


そしてさらに後半27分。


青下・松野川のウィングである伊野がオフサイドの判定を受けると、岩下中学はセットプレーから一気に全員を前線へ上げて猛攻を仕掛けてきた。


勝利への執念が生んだ波状攻撃に、青下・松野川は一気に自陣深くまで押し込まれる。そして岩下のボランチから、ペナルティエリア内のFWへ絶妙なスルーパスが通った。


フリーの状態。至近距離。絶体絶命のピンチ。


岩下のFWが渾身の力で右足を振り抜き、至近距離からシュートを放つ。


「やらせるかぁぁぁっ!!!」


その軌道上に、身を投げ出すように飛び込んだのは健一だった。


バゴォッ!!


鈍い音が響き、健一の顔面をシュートが直撃する。


「白河!」


顔面ブロックをしたために倒れ込む健一。しかしその身を呈したブロックにより、ボールの勢いは完全に死に、ペナルティエリア外へとこぼれた。


(白河の思い、無駄にするか!)


こぼれ球を拾ったのは、またしてもキャプテンの春樹だった。


春樹はボールを足元に収めると、一気に相手陣地へとドリブルで駆け上がる。岩下中学は前掛かりになっており、最終ラインはガラ空きだった。しかし岩下のディフェンダーが必死に追いつき、春樹の前に立ち塞がる。


そのため春樹は左を走る中山へパスを出す素振りを見せた。相手の重心が左へ傾く。


(引っかかった!)


瞬時にボールを右足のアウトサイドで弾き出し、そのままペナルティエリアへ侵入。


飛び出してきたキーパーの動きを冷静に見極め、無人のゴールへ確実にボールを流し込んだ。


【岩下中学1-2 青下・松野川】


「うおおおおおおおおっ!!!!」


ベンチメンバーも入り乱れての歓喜の爆発。執念の逆転ゴールだった。


「顔面ブロックなんて、無茶しやがって

「へへっ! 根性だけは、誰にも負けねぇからな」


ピッチ上で鼻を押さえて笑う健一と、それに肩を貸す春樹。


そこからのアディショナルタイム、岩下中学の決死の猛攻を全員で身体を張って守り切り・・・


ピッ、ピーッ、ピィィィィィィーッ!!!!


試合終了のホイッスルが、春の空に高らかに鳴り響いた。


「勝った・・・勝ったぞおおおっ!!!」


ピッチ上で抱き合い、涙を流して喜ぶ青下・松野川のメンバーたち。


圧倒的な才能に頼らず、自分たちの力で因縁のライバルを打ち破った瞬間だった。


そして、もみくちゃになって喜ぶ歓喜の渦から少し離れたベンチの端。


蹴太はピッチで泥だらけになって抱き合う仲間たちを見つめながら、自然と、ゆっくりと口角を上げていた。


(ったく。あいつら、最高にかっこいいじゃねぇか)


膝の上に置かれた右手は、ジャージの裾に隠れ、誰にも見えない位置にあった。


しかしその手は、まるで自分がゴールを決めたかのように力強く、ギュッと固い拳を握りしめていた。

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