第56話:亡霊の残響
「ガハッ……! クソ、クソがぁ! 解除しやがれ! こんなセコいバグ技を使いやがって……! 汚ねえぞチーターどもが!」
空中に完全固定されたブラッドチェインの幹部・ラストは、どれだけシステムコマンドを乱打しても全く動かない我が身に、初めて明確な恐怖の色を浮かべていた。
「カレン、削れ。猶予時間はシステムの再計算が入るまでの3分間だ。それまでにこいつのシステムコアをハックし、データを逆流させる」
「了解。お安い御用」
カレンが迷いなく屋上から飛び降り、身動きの取れないラストの重装甲の隙間へ、黒鉄刀による正確無比な連撃を叩き込み始める。どれだけ相手の防御ステータスが高かろうと、回避も防御も不可能な完全無防備状態でのハめ殺しだ。ラストの頑強なHPバーは、確実に、ミリ単位で、だが絶え間なく削られていく。
俺はメグの隣にしゃがみ込み、拘束したラストのアバターからこちらの端末へと逆流してくる『プレイヤーデータ』の解析作業を開始した。目的は、こいつらが街の支配に使っているアイアングリッチの不正バックドアのマスターキーを強奪すること。
だが――画面に表示された、ラストの固有ログの「暗号文字列」を見た瞬間、俺のタイピングする指先がピタリと止まった。
『暗号化プロトコル:B-BUTTERFLY_05』
『内部識別コード:RUN-DIR_5th』
(……待て。このコードの設計思想、それにこの独特な文字配列の暗号化の癖……どこかで見たことがある。いや、見覚えがあるなんてレベルじゃない。これは――)
脳裏に、かつて《現実世界》で命をかけて戦った、あの忌まわしい広域不良組織の記憶が鮮烈に、そして最悪な形でフラッシュバックする。
(『黒死蝶』……!? なんで現実のあの犯罪組織が使っていた違法通信ツールの独自の暗号コードが、この隔離サーバーの巨大ギルド幹部のデータから検出されるんだ……!?)
背筋に、氷水を直接流し込まれたような戦慄が走った。
レイドで第四〜第八師団を潰し、続く黒死大戦で第一〜第三師団を完全にハメ倒して壊滅させたはずの、あの組織の影。
当時の記憶を急速に手繰り寄せる。
黒死蝶は第一から第四の上位師団、そして第五から第八の下位師団という明確な格付け構造を持っていた。俺たちはあの戦いで、襲いかかってきた各師団長をすべて打倒したはずだった。
だが、明確な違和感が一つだけ残っていた。あの時、確かにデータ上だけで存在が噂されながらも、最初のレイドにも、あの決戦の黒死大戦の戦場にも、絶対に姿を現さなかった主要メンバーがいたのだ。
(第五師団長……。あの時、最後までリアルで警察にも俺たちにも尻尾を掴ませず、大戦の表舞台にすら一度も出てこなかった、黒死蝶の隠された『五人目の幹部』……!)
冷汗が額から流れ落ち、視界を滲ませる。
まさか、その亡霊の残党がこの隔離サーバーに紛れ込んでいるというのか。
「おい、青真!? どうしたの、急に顔色が真っ青になって……! ハッキングの逆流デバフでも喰らった!?」
メグの悲鳴のような心配の声が耳に届くが、それに応える余裕すらなかった。
俺は震えそうになる声を必死に喉の奥で押さえつけ、空中でカレンに刻まれ続けているラストを鋭く睨みつけた。
「おい……ラスト。お前、あの現実の街で『黒死蝶』にいた奴だな? この暗号コードの仕様、第五師団が使っていた独自のバックドアツールそのものだ。なぜお前がそれを持ってここにいる。バハムートの残党が、なぜブラッドチェインの幹部をやっている」
その言葉が俺の口から飛び出した瞬間、ラストの目がガチリと見開かれた。
恐怖に染まっていたはずのその顔が、一転して、獣のような凶悪なニヤけ面へと歪んでいく。
「……ヒハッ、アハハハハハ! 気づいたかよ、百華繚乱のクソガキがぁ! そうだよ、俺は元・第五師団の生き残り構成員だ! あのリアルでの大戦の後は警察のせいで散々だったがなぁ……」
男の口から漏れ出た狂気的な笑い声が、夜の路地裏に不気味に響き渡る。
「テメェらが、かつてゲーム内で敵対してたあのライバルギルド……『バハムート』の正体に、とっくの昔に気づいてたのは知ってんだよ! ああそうだ、お前らの読み通り、あのギルドの中身は黒死蝶の主要メンバー全員の巣窟だった!」
「そんなことは百も承知だ。バハムートに集まっていたお前らが、現実の黒死大戦で組織がバラバラになった後、一斉にギルドを脱退して行方をくらましたこともな。……俺が聞いているのは、なぜその残党が今、この隔離サーバーの『ブラッドチェイン』にいるのかってことだ」
俺が冷徹に、声音を低くして言い放つと、ラストはさらに狂狂しい笑みを深め、血走った眼球をギラつかせた。
「あの人はバハムートでのテメェら百華繚乱との戦いを通じて、お前らの、いや、青真……お前自身の『知略の癖』や戦術パターンを完全に学習し尽くしたんだよ! そしてバハムートという殻を捨て、俺たち黒死蝶の生き残りをこの隔離サーバーに集めて、この『ブラッドチェイン』をゼロから創設したんだ!」
「――な、んだと……!?」
俺の思考が、今度こそ完全に停止した。
ただの残党が、たまたまこの巨大ギルドに紛れ込んでいたんじゃない。
「テメェらが今から引きずり下ろそうとして戦っている、ブラッドチェインの最高権力者……『ギルドマスター』。その正体こそが、あの『第五師団長』だ! あの人が、この世界の一番奥でお前の首を、その傲慢な鼻をへし折るのをずっと待ってるぜ……!!」
最悪の因縁、そして俺の手の内をすべて知り尽くした宿敵の最高頭脳が、このデスゲームの絶対的な支配者という形で目の前に繋がってしまった。
手の内をすべて見透かされているかもしれない宿敵の亡霊が、この街の王として、冷酷に俺たちを見下ろしている。
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