第45話:不穏な影
ダンジョン『樹海窟』のボスを撃破し、最初の試練を無傷で乗り越えた俺たちは、転移陣を使って初期の拠点である『白亜の街・リベリア』へと帰還していた。
街の中は、外の大草原以上の熱気と賑わいに包まれている。
中世ヨーロッパを思わせる石畳の通りには、色鮮やかな露店がひしめき合い、NPCの商人たちが威勢のいい声を張り上げている。行き交うプレイヤーたちも、ピカピカの初期装備に身を包んでこれから始まる冒険に目を輝かせていた。第一部で俺たちが命をかけて守り抜いた、あの血と硝煙にまみれた現実の戦場が嘘のように、ここにはただ純粋な「娯楽」としての平和が広がっている。
「ぷはぁー! 生き返るわね! 戦った後の冷たい果実水、最高!」
露店で購入した木イチゴのジュースを喉に流し込みながら、メグがぷはぁと息を吐いた。ゲームの仕様とはいえ、味覚や喉越しの再現度は完璧で、本物の果実を絞ったかのような瑞々しさが口いっぱいに広がる。
「本当ですね。あんなに大きなモンスターと戦ったのに、お腹が空く感覚までリアルなのが不思議です」
カレンも隣で、甘い焼き菓子を小さな口で嬉しそうに頬張っている。彼女の初期装備である白い胸当てには、先ほどのボス戦での汚れ一つ残っていない。街に入った瞬間に、耐久度が自動で全回復する仕様らしい。つくづく過保護なシステムだ。
「WISTERIAさん、お待たせしました! ギルドカウンターで、先ほどのダンジョンクリア報酬の換金と、討伐証明の報告を済ませてきました!」
人混みをかき分けて、闇風が息を切らせながら走ってきた。その手には、革製の小さなコイン袋が握られている。
「お疲れ様、闇風。一気に報告を任せて悪かったな。報酬は4人で等分してくれ」
「いえ、これくらい弟子として当然の務めです! それより、ギルドの受付嬢から『レベルが上がったので、街の訓練所で新しいスキルの教導を受けられますよ』と言われました。どうしますか?」
闇風の言葉に、俺は自分のウィンドウを引っ張り出した。
ボスを倒したことで、俺たちのレベルは全員『3』に上がっている。
これに伴い、俺の【予測演算】もLv.3へと上昇し、脳内でシミュレートできる敵の行動パターンが、さっきのボス戦時よりもさらに細かく、枝分かれした樹形図のように予測できるようになっていた。
名前:WISTERIA
レベル:3
職業:戦術士(見習い)
所持スキル:【予測演算(Lv.3)】
「スキルレベルが上がるだけじゃなくて、新しいスキルか……。戦術士としての選択肢が増えるのは悪くない。みんなで一度、訓練所に行ってみるか」
「賛成! 錬金術師のスキルも、もっと攻撃的なポーションが作れるようになるといいんだけどなー」
メグが空になったカップをゴミ箱へと放り込みながら、やる気満々で拳を握る。
俺たちは街の広場を横切り、大理石で造られた立派な施設『冒険者訓練所』へと向かった。
しかし、その道中――
賑わう雑踏の向こう側から、周囲の一般プレイヤーとは明らかに質の違う、異質な視線を感じて俺は足を止めた。
「……? どうしたんですか?青真」
カレンが俺の様子に気づき、心配そうに顔を覗き込んでくる。
「いや、なんでもない。気のせいか……」
俺は視線を向けた先をじっと睨みつけたが、そこにはただ楽しそうに談笑する初心者プレイヤーの集団がいるだけだった。
だが、俺の【予測演算(Lv.3)】が、一瞬だけ奇妙なノイズを弾き出していた。
ただの背景のNPCやプレイヤーなら、彼らの移動ルートは規則正しい予測ラインとして脳内に表示される。しかし、さっきの視線の主がいた場所だけは、予測のラインが激しく歪み、黒く塗りつぶされたような「計算不能」のエリアになっていたのだ。
(俺のスキルが通用しない……? いや、それとも……)
俺の脳裏に、現実世界で俺たちをこの仮想世界へ引きずり込んだ、あの錆びた歯車のマークを持つ謎の黒幕組織の存在がよぎる。あいつらの目的が何なのかはまだ分からない。だが、このあまりに過保護で、プレイヤーを甘やかす世界の構造そのものが、俺たちを油断させるための罠であるかのような、そんな漠然とした恐怖が胸をよぎる。
「WISTERIAさん、何か落ちてますよ?」
闇風が、俺の足元を指差した。
そこには、先ほどまでなかったはずの、一枚の黒い布切れが落ちていた。表面には、ゲームのシステムグラフィックとは明らかに異なる、不気味な錆びた歯車の紋章が刺繍されている。現実世界で俺たちが戦った、あの因縁の紋章だ。
「これは……あいつらの……」
俺がそれを拾い上げようとした瞬間、突如として街の環境音が遠ざかり、世界がほんの一瞬だけ、セピア色に反転したような錯覚に襲われた。
「――おい、行くわよ青真! 置いてっちゃうからね!」
メグの声で、ハッと意識が現実に戻る。
手の中にあったはずの黒い布切れは、まるで最初から存在しなかったかのように、煙のように消え去っていた。
「……ああ、今行く」
俺は冷や汗が背中を伝うのを感じながら、3人の後を追った。
このピカピカのファンタジー世界の裏側で、あいつらの陰謀が確実に蠢いている。運営からの、あるいはあの黒幕からの『刺客』の足音が、すぐ近くまで迫っているような、そんな強烈な予感が軍師としての俺の胸を締め付けていた。
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