第134話:幻惑の森
眩い転移の光が消える。
アルナは静かに目を開いた。
目の前へ広がっていたのは、どこまでも続く深い森だった。
巨大な木々が空を覆い隠し、木漏れ日すら届かない。
湿った土の匂い。
葉が擦れ合う音。
そして、不気味なほど静かな空気。
「ここは……。」
アルナはゆっくりと魔弓を構えた。
仲間の姿はない。
完全に一人だった。
「分断ね。」
小さく息を吐く。
青真達なら必ず勝つ。
そう信じている。
だから今は、自分の戦いへ集中するだけだった。
ヒュンッ!!
風を裂く音。
アルナは反射的に身体を捻る。
一本の黒い矢が頬を掠め、そのまま背後の木へ深々と突き刺さった。
「っ!」
即座に反撃。
風を纏った矢を音のした方向へ放つ。
しかし。
バシュッ。
木の幹を貫いただけだった。
「外れ。」
森の奥から女の声が響く。
姿は見えない。
「反応は悪くないわ。」
「でも、それじゃ当たらない。」
ヒュン!
二本目。
今度は背後。
アルナは地面を転がるように回避し、そのまま木陰へ飛び込む。
「姿を見せなさい!」
「嫌。」
クスクスと笑い声だけが森へ響いた。
「見えない相手を撃つのは苦手?」
「それとも怖い?」
アルナは周囲を見渡す。
木々。
草むら。
枝葉。
どこにも人影はない。
風魔法を発動する。
柔らかな風が森全体を駆け抜けた。
木々が揺れる。
葉が舞う。
しかし。
「……いない。」
気配が掴めない。
ヒュンッ!!
三本目。
今度は右。
アルナは矢で撃ち落とす。
ガキィン!
火花が散る。
だが、その直後。
左。
正面。
頭上。
四方向から同時に矢が飛来した。
「しまっ――!」
風魔法で身体を押し出す。
三本は避けた。
最後の一本が肩を掠める。
布が裂け、赤い血が滲んだ。
「惜しかった。」
「次は当てる。」
その声と同時に。
森のあちこちへ人影が現れた。
一人。
二人。
三人。
十人。
二十人。
全員が同じ姿。
漆黒の外套。
妖しく微笑む女性。
その全員が魔弓を構えている。
「幻術……。」
アルナは眉をひそめた。
全員が本物に見える。
魔力も同じ。
気配も同じ。
区別がつかない。
「改めまして。」
何十人もの女が同時に笑う。
「魔王親衛隊。」
「《幻術師》リリス。」
「あなたの相手よ。」
全員が同時に弓を引く。
その光景だけで圧迫感が凄まじい。
ヒュンッ!!
無数の矢。
アルナは風魔法で跳び上がり、一斉射撃を躱す。
そのまま空中から風矢を連射。
五人のリリスを射抜く。
しかし。
パリン。
硝子が割れるような音を立てて消えた。
「また幻……!」
残ったリリス達が笑う。
「当たらない。」
「当たらない。」
「当たらない。」
声だけが森へ反響する。
アルナは奥歯を噛み締めた。
(どれが本物……。)
(このままじゃ埒が明かない。)
その時だった。
リリスの一人が口元を歪める。
「ねぇ。」
「仲間って、本当に信用できる?」
アルナは眉をひそめる。
「何が言いたいの?」
「だって。」
「最後は足手まといじゃない。」
別のリリスが笑う。
「いざとなれば、あなたを見捨てる。」
アルナの表情が僅かに曇る。
「……違う。」
「本当に?」
リリス達は笑い続ける。
「戦場では自分が生き残るのが一番。」
「仲間なんて、最後には捨て駒よ。」
「あなたも、そのうち捨てられる。」
その一言。
アルナの中で何かが切れた。
「…………。」
弓を握る手へ力が入る。
「……黙れ。」
静かな声。
しかし、その瞳には今までにない怒りが宿っていた。
リリス達はなおも嘲笑を続ける。
「図星?」
「だから怒るの?」
アルナはゆっくりと顔を上げる。
その表情から、いつもの柔らかな笑顔は完全に消えていた。
森中へ響く嘲笑。
何十人ものリリスが、同じ笑みを浮かべてアルナを見下ろしていた。
アルナはゆっくりと弓を握り締める。
肩は小さく震えていた。
「……あなたに。」
「何が分かるの。」
静かな声だった。
だが、その奥に抑え切れない怒りが滲んでいる。
リリスは肩を竦める。
「全部分かるわ。」
「人族なんて最後は自分が一番可愛いもの。」
「仲間なんて、所詮は利用し合うだけ。」
その瞬間。
アルナの中で張り詰めていた糸が切れた。
「黙れぇぇぇぇぇッ!!」
轟ッ!!
暴風が森を吹き荒れる。
木々が大きく揺れ、枝葉が空高く舞い上がった。
アルナは魔弓へ矢を番える。
一射。
二射。
三射。
休むことなく撃ち続ける。
しかし狙いは目の前のリリスではない。
全て真上。
「ふふっ。」
「壊れたの?」
リリス達は笑う。
「上に撃ってどうするの?」
アルナは答えない。
さらに矢を放つ。
十本。
二十本。
五十本。
百本。
矢は空高く舞い上がり、落ちることなく空中へ留まり続ける。
「風よ……!」
アルナの足元へ巨大な魔法陣が展開された。
暴風が渦を巻く。
撃ち上げられた矢は風に支えられ、まるで空そのものへ縫い付けられたように静止した。
リリスの笑みが初めて消える。
「……何をする気?」
アルナは肩で息をしながら空を見上げた。
数え切れない。
数百本。
森の上空を覆い尽くす矢。
その全てが風の中で静かに待機している。
「あなたは。」
「仲間を侮辱した。」
アルナはゆっくりとリリスを睨み付ける。
「それだけは。」
「絶対に許さない。」
風がさらに強まる。
魔力が一気に膨れ上がる。
「《天穹乱雨》!!」
握っていた拳を振り下ろした。
その瞬間。
支えを失った数百本の矢が、一斉に落下を始める。
ザァァァァァァァァァッ!!
矢の豪雨。
森全体を覆い尽くす圧倒的な一斉射撃。
木々。
地面。
幻影。
全てを容赦なく貫いていく。
「きゃあああっ!」
リリス達が散開する。
だが逃げ場はない。
四方八方。
どこへ動いても矢が降る。
幻影が次々と消滅する。
一体。
二体。
十体。
二十体。
森を埋め尽くしていた幻は、矢の雨に呑み込まれ、一瞬で消え去っていった。
「そんな……!」
最後に残った一人が悲鳴を上げる。
本物だった。
アルナはその姿を見逃さない。
風を纏わせた最後の一矢を静かに番える。
「見つけた。」
弦が鳴る。
放たれた矢は一直線に風を裂き、逃げようとしたリリスの胸を正確に射抜いた。
ドスッ。
「……見事。」
リリスは力なく膝をつく。
「幻を……。」
「全部潰すなんて……。」
アルナは静かに歩み寄る。
「本物を見つけられないなら。」
「全部撃ち抜けばいい。」
短く、それだけ告げた。
リリスは小さく笑う。
「なんて……力任せ。」
その言葉を最後に、身体は黒い粒子となって静かに消えていった。
戦いが終わる。
森を覆っていた幻術も消え、風だけが静かに木々を揺らしていた。
アルナは大きく息を吐く。
「……少し、怒り過ぎたかな。」
苦笑しながら弓を下ろす。
その時。
足元へ黄金色の転移魔法陣が浮かび上がった。
「みんな。」
「私も、すぐ行くから。」
光がアルナを優しく包み込み、その姿は次なる戦場へと消えていった。
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