第133話:鉄壁
転移の光が静かに消える。
カレンはゆっくりと目を開いた。
目の前へ広がっていたのは、巨大な円形闘技場だった。
石畳には無数の剣傷や亀裂が刻まれ、高い壁には歴代の戦いを物語るような深い傷跡が残っている。
空を見上げても天井はなく、黒い霧だけが闘技場全体を包み込んでいた。
「ここが……。」
カレンは静かに剣を抜く。
仲間の姿はどこにもない。
完全に一人だった。
その時。
ドン……
重い足音が闘技場へ響く。
正面。
黒い霧の中から、一人の巨漢が姿を現した。
全身を黒銀の重鎧で覆い、片手には人間ほどもある巨大な戦槌を担いでいる。
鎧の隙間から覗く肉体は岩のように分厚く、その存在だけで圧倒的な威圧感を放っていた。
男はゆっくりと戦槌を地面へ下ろす。
ゴォン……
鈍い音が闘技場全体へ響き渡る。
「魔王親衛隊。」
低く重い声。
「《鉄壁》、バルドだ。」
カレンも正面から視線を返す。
「百華繚乱。」
「一条カレンです。」
互いに名乗り終える。
静寂。
次の瞬間。
二人は同時に地面を蹴った。
ガァン!!
剣と戦槌が激突する。
凄まじい衝撃が腕へ伝わる。
(重い……!)
カレンは力を逃がすように身体を捻り、そのまま流れるように二撃目へ繋げる。
肩。
脇腹。
太腿。
三連撃。
全てが正確に鎧の隙間を捉えた。
しかし。
「浅い……!」
確かに斬れている。
それでも刃は深く食い込まない。
まるで分厚い鋼を斬っているような手応えだった。
「その程度か!?」
巨大な戦槌が横薙ぎに振るわれる。
ブォン!!
空気が唸る。
カレンは後方へ跳躍し、その一撃を紙一重で躱した。
戦槌は石畳へ叩き付けられ、大地が大きく砕け散る。
「……っ!」
飛び散る破片を避けながら距離を取る。
(今のを受けていたら終わっていました。)
一撃の威力だけなら、これまで戦ってきた敵の中でも最上位だった。
だが。
攻撃が単調なのは救いだった。
カレンは再び踏み込む。
今度は一点だけを狙う。
右肩。
鋭い刺突。
続けて横薙ぎ。
さらに返す刃で同じ場所を斬り裂く。
ガキィン!
金属音。
ようやく鎧へ一本の傷が刻まれる。
(入った!)
しかし。
その傷はゆっくりと蠢き始めた。
肉が盛り上がる。
鎧の隙間から魔力が溢れ、裂け目が見る間に塞がっていく。
「再生……。」
カレンは息を呑む。
「効かねえんだよぉ!」
その事実だけで十分だった。
(硬い。)
(しかも再生する。)
(普通に斬っていては勝てない。)
バルドは再び戦槌を持ち上げる。
「次は。」
「こっちだ!」
ドォン!!
地面を砕く踏み込み。
巨体とは思えない速度で距離を詰め、一撃を振り下ろす。
カレンは剣で受け流す。
受けるのではなく、刃を滑らせて力を逃がす。
ギィィィン!!
耳をつんざく音が響く。
それでも衝撃は殺し切れず、カレンの身体は数メートル後方へ弾き飛ばされた。
着地。
すぐに構え直す。
呼吸は乱れていない。
視線も逸らさない。
傷。
再生速度。
戦槌を振るう癖。
踏み込み。
全てを頭の中へ刻み込んでいく。
(まだ。)
(何かある。)
(必ず攻略法があるはずです。)
カレンは剣を静かに握り直した。
ガァン!!
戦槌が石畳を砕く。
砕石が舞い上がる中、カレンは紙一重で身を翻し、そのまま一閃を放つ。
斬撃は再びバルドの肩を捉えた。
しかし。
「効かねえって言ってんだろぉ!」
傷口が紫黒い魔力に包まれ、見る間に塞がっていく。
カレンは一度距離を取った。
静かに呼吸を整えながら、目の前の敵を見据える。
(硬い……。)
(鎧だけじゃない。)
(肉体そのものが異常な耐久力を持っている。)
さらに、その傷さえも瞬く間に再生する。
普通なら勝ち目はない。
だが。
カレンの瞳に迷いはなかった。
(硬い上に再生までする。)
(ならば――。両断できるまで、再生を上回る速度で斬り続ける!)
その結論へ辿り着いた瞬間。
カレンは再び地面を蹴った。
「はあっ!」
一閃。
二閃。
三閃。
全て右肩だけを狙う。
バルドは戦槌で迎え撃つ。
轟音が響く。
だがカレンは止まらない。
受け流し。
踏み込み。
回転。
剣筋は一切乱れない。
「少し速くなったか。」
バルドは僅かに目を細める。
戦槌を横薙ぎに振るう。
カレンは身体を沈め、その下を潜り抜ける。
そのまま懐へ入り込んだ。
「まだです!」
肩。
脇腹。
胸。
そして再び肩。
斬る。
斬る。
斬る。
傷が塞がる前に、さらに刃を重ねる。
再生が始まる。
その前にまた斬る。
「おおおおっ!」
剣閃だけが幾重にも走る。
バルドの肩口から火花が散る。
「ぐあああああっ!」
鎧へ刻まれた傷が少しずつ深くなっていく。
(再生より先に斬り続けるつもりか!)
だが。
その巨体はまだ倒れない。
戦槌が振り下ろされる。
カレンは横へ跳ぶ。
地面が爆ぜる。
着地した瞬間には、もう踏み込んでいた。
「まだ終わりません!」
再び高速連撃。
剣が見えない。
残像だけが闘技場を埋め尽くす。
ズバッ!
ズババッ!
ズガガガガッ!!
同じ場所。
同じ場所。
ただひたすら同じ場所だけを刻み続ける。
再生する。
その前に斬る。
再生する。
さらに速く斬る。
ついに。
傷口の再生が追いつかなくなった。
「グッ!?」
初めてバルドの表情が変わる。
右肩から胸元へかけて、大きな裂け目が生まれる。
「今です!」
カレンは全身の力を剣へ込める。
蒼い軌跡が一直線に走る。
ズバァァァァッ!!
これまで刻み続けた傷をなぞるように、一太刀が振り抜かれた。
裂け目は一気に広がる。
再生が始まる。
しかし。
もう遅い。
傷が塞がる前に、その肉体は完全に両断されていた。
「ああああ!認められるかこんなん!ふざけるなよ畜生があ!」
その巨体はゆっくりと崩れ落ち、黒い粒子となって静かに消えていく。
闘技場に静寂が戻る。
カレンは剣を静かに鞘へ納め、小さく息を吐いた。
「勝てました……。」
その瞬間。
足元に黄金色の転移魔法陣が浮かび上がる。
「青真。」
「どうか、無事で。」
光がカレンを優しく包み込む。
その姿は静かに消え、次なる戦場へと転移していった。
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