第17話 深海境界
人であることは、
弱さなのか。
それとも――
最後の抵抗なのか。
HYDRA CHRYSALIS
新章:ORIGIN
第17話 深海境界
雨が止んでいた。
だが。
空はまだ海だった。
都市上空を覆う、
暴走水環。
ゆっくり回転しながら、
世界中の水を引き寄せ続けている。
「……はぁ……っ」
榊が落下する。
空から。
崩れたビル群へ。
ドォン!!
激突。
コンクリートが砕ける。
瓦礫が舞う。
「――榊!」
管理体が降下する。
白い光をまといながら。
だが。
瓦礫の中心。
榊は立ち上がらない。
静かに。
動かない。
「――生体反応低下」
管理体の声が揺れる。
初めて。
恐怖に近い感情。
「――榊」
返事はない。
その時。
瓦礫の隙間から、
深海色の水が溢れる。
ゆっくり。
まるで血液のように。
「――っ」
管理体が後退する。
危険。
本能的に。
次の瞬間。
榊の身体が浮く。
意思とは無関係に。
「……がっ」
苦しそうな声。
背中が裂ける。
深海色の流体が噴き出す。
翼。
巨大な。
半液体の水翼。
「――侵食率、91%」
管理体が震える。
限界を超えている。
もう。
普通なら存在維持できない。
榊がゆっくり顔を上げる。
瞳。
完全な深海色。
人間の白目すら消え始めている。
「……聞こえる」
低い声。
二重に響く。
「全部」
その瞬間。
都市中の水が反応する。
道路。
排水。
雨水。
人体内部。
全て。
「――やめろ!」
管理体が障壁展開。
だが。
遅い。
水が浮く。
都市全域で。
何百万もの水滴が、
空中へ持ち上がる。
「……綺麗だな」
榊が空を見る。
完全に危うい。
理性の境界。
その時。
起源個体の“目”が開く。
海の向こう。
巨大な瞳。
まっすぐ榊を見る。
「――到達寸前」
声が響く。
世界中へ。
「――適合完了間近」
榊の身体が震える。
胸の原初。
脈動。
同期。
深海と一つになっていく。
「……あぁ」
榊が微笑む。
穏やかに。
「分かる」
管理体の顔色が変わる。
「――聞くな!」
榊の周囲に、
深海の幻影が現れる。
巨大な海。
原初。
静かな世界。
痛みも。
争いもない。
ただ。
“統合”だけがある。
「――こちらへ」
起源個体の声。
優しい。
母親のように。
「――苦しみは終わる」
榊の指先が崩れる。
水へ。
ゆっくり。
「……楽になれる」
小さく呟く。
管理体が叫ぶ。
「――違う!!」
榊の目がわずかに揺れる。
「――それはお前が消えるだけだ!」
沈黙。
雨のない空。
回転する水環。
終末の都市。
その中で。
榊が静かに笑う。
「……じゃあ」
一歩。
前へ。
「人間って何だよ」
管理体が言葉を失う。
榊が空を見る。
「弱くて」
「すぐ壊れて」
「何も守れなくて」
深海色の涙が落ちる。
水になりながら。
「……それでも」
都市を見る。
避難する人々。
泣いている子供。
崩れた街。
それを見て。
榊の目が戻る。
ほんの少しだけ。
人間の色へ。
「……守りたいって思うんだろ」
その瞬間。
胸の原初が激しく脈動する。
だが。
今度は違う。
深海へ沈む力ではない。
“抵抗”。
「――っ!?」
起源個体の“目”が揺れる。
初めて。
明確に。
「――拒絶反応」
管理体が息を呑む。
榊の身体から、
深海色の水が噴き上がる。
暴走。
だが。
意志がある。
「うぉぉぉぉ!!」
咆哮。
超巨大水環が震える。
空全体が軋む。
「――榊!!」
管理体が叫ぶ。
榊が空へ飛ぶ。
一直線に。
起源個体へ向かって。
「……終わらせる」
その言葉。
決意。
人間としての。
最後の。
そして最大の抵抗。
空が裂ける。
深海が吠える。
終末の中心へ。
榊は、
ついに踏み込んだ。
―――続く
第17話を読んでいただきありがとうございます。
榊は深海へ沈みかけながらも、
最後の理性で抗い続けています。
そしてついに、
起源個体との直接対決へ向かい始めました。
物語は、
シーズン3最大の核心へ突入していきます。




