第1話⑥「黒の観測者」
夕暮れ。
データ管理省ビルの自動ドアが開き、
ユカとピコが外へ出た。
西の空は、
鮮やかな茜色に染まっている。
ガラス張りのビル群が夕陽を反射し、
街全体が燃えるような光をまとっていた。
上空では、
空中列車が光の航路を走り抜けていく。
その軌跡が、
夕暮れの空に細い線を描いていた。
「んーっ……!」
ユカは両腕を高く伸ばす。
背筋を反らし、
大きく息を吐いた。
「今日も大変だったけど……」
少し疲れた顔で、
それでも満足そうに笑う。
「なんだか、
ちゃんと“やった”感じする」
「本日の成果を整理します」
ピコがすぐに応じた。
「ピース回収成功」
「うん」
「中規模クラスタ修復の見通しを確立」
「うんうん」
「報告書24箇所修正」
「そこは成果に入れなくていい」
「そして――」
ピコが少し間を置く。
「カフェテリアにおける、
正体不明の業務拡張圧力」
「最後のやつ、何なの?」
ユカが首を傾げた。
「ユカは知らなくていいことです」
「何それ。気になるんだけど」
「総合評価としては――」
ピコは無視して続ける。
「《上出来》です」
「やった!」
ユカが笑う。
今日一日の疲れが、
夕暮れの風に少しずつ溶けていく。
ピコもその隣を浮遊しながら、
街の先へ視線を向けた。
「では明日も、
がんばりましょう」
「うん!」
「我々の戦いは――」
声を低くする。
「まだ始まったばかりです」
ユカの足が止まる。
「なんで《俺たたエンド》みたいな
言い方なのよ!?」
「?」
「まだ第1話だよ?!」
「メタ発言はNGです!」
「ピコが振ったんでしょ!」
「ピコは何も言っていません」
「言ったよ!」
二人の笑い声が、
夕暮れの街へ流れていった。
何気ない。
いつも通りの帰り道。
今日の仕事が終わり、
明日もまた仕事がある。
そんな日常。
だが――
その光景を、
はるか上から見つめる者がいた。
***
近くのビル。
屋上の縁。
夕陽の届かなくなった場所に、
ひとりの少女が立っていた。
黒いマント。
風に揺れる、
ボブカットの黒髪。
陶器のように白い肌。
整いすぎたほど美しい顔立ちには、
まだ少女らしいあどけなさが残っている。
完成された美しさと、
幼さ。
相反する二つが、
不思議なほど自然に同居していた。
ただし――
その表情に、
温度はない。
黒い瞳が、
地上を歩くユカを捉えている。
「あれが……」
少女が小さくつぶやいた。
「ユカ・セイラン」
視線だけが、
ユカの動きを追う。
歩き方。
表情。
ピコとの会話。
身振り。
周囲への反応。
ひとつずつ、
確かめるように見ていく。
「見たところ――」
少女の眉が、
ほんのわずかに動く。
「普通ね」
地上では、
ユカがピコと笑っている。
どこにでもいる、
少し元気すぎる少女。
少なくとも、
そう見える。
「なぜマスターは、
あいつをターゲットに……?」
黒い瞳が細くなる。
何かを測るように、
じっと見つめる。
だが。
「《能力》の発現は、
なさそう……か」
少女の声に、
わずかな疑問が混じった。
完全な無関心ではない。
ほんの少しだけ。
興味。
好奇心。
あるいは――
何かを期待するような光。
それが、
黒い瞳の奥に浮かんでいた。
「……観測を継続」
短く告げる。
黒いマントが、
夕暮れの風を受けて大きく翻った。
次の瞬間。
少女の姿は、
建物の影へ溶けるように消えていた。
***
そんなことなど知らず。
地上では、
ユカが夕飯について悩んでいた。
「さーて。
今日、何食べようかなー」
「近所のスーパーの
安売り情報を検索します」
「お願い!」
「本日の特売は――」
「お肉ある?」
「検索中です」
「お魚は?」
「検索中です」
「ケーキは?」
「なぜ夕食の候補に
ケーキが入るんですか?」
「大事でしょ!」
「栄養バランス的には
最優先ではありません」
「心の栄養!」
「便利な言葉ですね」
二人は、
いつものように言い合いながら歩いていく。
その背中へ、
夕陽が長い影を伸ばしていた。
やがて太陽は、
街の向こうへ沈んでいく。
茜色が消え。
群青が広がり。
アストラ・シティに、
夜が降りてくる。
ユカはまだ知らない。
自分が、
誰かに観測されていることを。
そして――
その黒い視線が、
これから始まる異変の
最初の兆しであることを。
《第1話・終わり》
***
【次回予告】
いつもの買い物帰りの夜――
そのはずだった。
突然、
カイの身体が光に包まれる。
翌朝。
アストラシティ全域で、
データ異常が連鎖。
さらに――
本来なら存在するはずのない《バグ》が、
現実世界に実体化して襲いかかってくる。
「自己増殖型……?」
でも。
そんなアルゴリズムは――
ありえない。
そして混乱の中に現れる、
謎の少女。
黒いマント。
冷たい瞳。
そして――
破壊を楽しむような笑み。
その力は、
私たちの常識を軽く超えていた。
逃げ場のない異常事態。
そのとき。
私の中でも――
《何か》が目を覚ます。
次回。
『フラグメンツ・オブ・ヴェスティギア
~魂の共鳴~』
第2話「レゾナーレ」
私の《共鳴》は――
いったい、
何を導くのだろう。
※作者の活動報告に各話の設定や裏話などのコメントを書いています。
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