第1話⑤「業務拡張命令」
報告書の修正を終えたころには、
ユカの肩からすっかり力が抜けていた。
「疲れたぁ……」
椅子の背にもたれ、
ぐったりと天井を見上げる。
そんなユカを見て、
ピコが提案した。
「休憩にしましょう。
集中力が低下しています」
「賛成!」
返事だけは早かった。
***
データ管理省ビル高層階。
カフェ《アストラ・ブレンド》。
大きなガラス窓から、
昼下がりのアストラシティが一望できる。
空へ伸びるタワー群。
その間を縫うように走る空中列車。
店内には、
コーヒーマシンの蒸気音と、
仕事の合間に休憩する人々の話し声が
穏やかに混ざり合っていた。
ユカはカウンターで、
ミルク多めの抹茶ラテを受け取る。
「今日のご褒美……」
両手でカップを包み、
幸せそうに目を細めた。
その横から、
ピコが言う。
「《24箇所達成記念》ですね」
ユカの表情が曇った。
「達成って言い方やめて。
指摘された数だからね?」
「108箇所から24箇所です。
十分、記念に値します」
「でも24って、
微妙に中途半端じゃない?」
するとピコが、
なぜか真剣な顔になる。
「そんなことはありません。
24は非常に優秀な数字です」
「優秀?」
「はい。まず、一日は24時間」
「うん」
「そして24は、
2、3、4、6、8、12で割り切れます」
「……いっぱい割れるね」
「さらに、
4×3×2×1――つまり4の階乗も24です」
「へぇ……」
ユカが少し感心すると、
ピコの説明にも熱が入る。
「しかも24は、
それ以前のどの正の整数よりも
約数の数が多い《高度合成数》です」
「なんか急に、
24がエリートに見えてきた……」
「そうです。
決して中途半端な数字ではありません」
ピコは胸を張った。
「むしろ24は――
《分けても強い》数字です」
「何そのキャッチコピー!?」
そもそも何の話をしていたのか。
二人とも、
少し分からなくなっていた。
そんな会話をしながら
空いている席を探していると――
「ユカ、ここ空いてるわ」
窓際から、
女性が手を振っていた。
データ管理省・会計室室長。
サクラ。
きりっとした目元に、
柔らかな笑みを浮かべる大人の女性だ。
部署は違うものの、
ユカにとっては仕事の相談もできる頼れる先輩。
そして――
アラン部長の恋人でもある。
「サクラさん!
お疲れさまです」
ユカは嬉しそうに
向かいの席へ腰を下ろした。
「ふふ。
私も今、ようやく一段落したところ」
サクラの柔らかな笑顔につられて、
ユカの疲れも少しずつ抜けていく。
会計室の締め処理。
最近の仕事。
アランの几帳面すぎる話。
そして当然のように話題になった、
ユカの報告書。
「24箇所まで減ったなら、
かなり進歩じゃない」
「ですよね!」
「最初は108箇所だったんでしょ?」
「その数字は忘れてください!」
サクラが笑う。
そんな他愛もない話をしているうちに、
話題は別の人物へ移っていった。
「そういえば」
サクラがストローを回しながら、
何気ない口調で尋ねる。
「レンがセラフィム・シティを出て、
アストラ・シティに来たんですって?」
「あ、はい」
ユカの顔が自然に明るくなる。
「今はセラ博士の家に住み込みで、
研究助手をしてます」
セラ博士。
カイとともにユカを育てた、
セラ一族の族長にして
世界最高峰の科学者。
そしてレンもまた、
セラ一族の一人。
旅を通して出会い、
何度も一緒に困難を越えてきた。
ユカにとって、
とても大切な存在。
ただし――
それがどういう意味で“大切”なのか。
本人はいまだに、
あまり理解していない。
サクラはそんなユカを見ながら、
小さくつぶやいた。
「近くに住むってことは……」
目が細くなる。
「これは、
二人が付き合う可能性アップね」
その声は十分小さかった。
しかし。
AIであるピコの聴覚センサーには、
当然ながら聞こえていた。
ピコはサクラへ近づき、
さらに小さな声で返す。
「現状、
進展確率は横ばいかと」
「ちょっとピコ!」
サクラが眉を寄せる。
「そこは《右肩上がり予測》って
言うところでしょ!」
「事実と異なる報告は、
ピコの倫理規定に反します」
「報告じゃないの!
あなたがムードを作るの!」
「なぜピコが?」
「近くにいるんだから、
それくらいできるでしょ!」
「恋愛支援機能は
標準搭載されていません」
「追加しなさい!」
「そんな無茶な」
二人が小声で言い合っている横で、
ユカは抹茶ラテを飲んでいた。
「……?」
首を傾げる。
「何の話?」
サクラの肩が跳ねた。
「な、何でもないわ!」
「でも今、レンって――」
「会計の……未来予測よ!」
「レンと会計が関係あるんですか?」
「あるの!」
「ないです」
即座にピコが否定した。
「ちょっと!」
サクラがピコをきっとにらむ。
「……そ、そうです!
収支と、感情と、
余計なお世話について――」
ビビって無理にサクラに合わせ出すピコ。
「ますます分からないんだけど」
ユカだけが、
完全に話から取り残されていた。
サクラは急に腕時計を見る。
「あっ!
次の会議、行かなきゃ!」
どう見ても、
今思い出した顔ではない。
立ち上がると、
ユカへ笑顔を向けた。
「じゃあ、またね」
「はい!
お仕事がんばってください!」
そして去り際。
サクラはピコの横を通りながら、
耳元へ顔を寄せた。
「次に会うまでに――」
声を潜める。
「少しは進展させなさいよ」
その目が光った。
冗談を言っている顔ではない。
「えっ」
ピコが固まる。
「それは、
明らかに管轄外では……」
返事を聞く前に、
サクラはにっこり笑って歩き去った。
ユカは何も知らず、
その背中へ手を振る。
「サクラさん、
またねー!」
ピコだけが、
テーブルを見つめていた。
「…………」
「どうしたの?」
ユカが抹茶ラテを飲み干す。
ピコは、
深刻そうに答えた。
「……ピコの業務範囲が
拡張されました」
「?」
「しかも、
本人の同意なしです」
「大変だね」
「原因はユカです」
「なんで!?」
窓の外には、
穏やかなアストラシティの空。
ユカは何も知らない。
そしてピコには――
本来の業務には存在しない、
新たなミッションが追加されていた。
※作者の活動報告に各話の設定や裏話などのコメントを書いています。
https://syosetu.com/userblog/list/
※『フラグメンツ・シリーズ』一覧はこちら。
https://ncode.syosetu.com/s8950k/




