第6話①「父と娘」
青白い残光が、夜の公園を走っていた。
抉れた地面から土煙が立ち、吹き飛ばされた木の葉がゆっくりと舞い落ちていく。
その中心に、カイは立っていた。
ユカを背にかばい、ゲーツを真っ直ぐに見据えている。
その目は氷のように冷たい。
だが、その奥には、それとは正反対の感情が燃えていた。
怒り。
あと少し遅れていたら。
もしユカが、完全にゲーツの支配下へ落ちていたら。
考えるだけで、右腕にまとった青白い光が強く脈打つ。
「ゲーツ……言ったはずだ」
低い声が落ちる。
「お前は、俺が止める」
ゲーツはカイを見つめた。
驚いた様子はない。
ただ、わずかに眉を動かす。
「……とんだ邪魔が入ったな」
その隣で、ノワが大げさに肩をすくめた。
「あーあ。せっかくいいところだったのに。テンション、ダダ下がり」
指先で黒いノイズを弾く。
バチッ、と空間が歪んだ。
ゲーツの背後に亀裂が走り、周囲の景色が乱れていく。
「また来る」
ゲーツはユカへ視線を移した。
「そのとき、お前は選ぶことになる」
「何度来ようが同じだ」
カイは一歩も退かない。
「ユカには手を出させない」
ゲーツは何も答えなかった。
ただ、その言葉を確かめるようにカイを見つめる。
やがて黒いノイズが濃くなり、二人の輪郭を飲み込んでいく。
身体が歪む。
存在そのものが、別の場所へ滑り落ちていく。
最後まで残ったノワが、ユカへ笑いかけた。
「次は、ちゃんと壊そうね。ユカ」
「ノワ……」
ノイズが収束する。
ゲーツとノワの姿は完全に消えていた。
あとには、風に揺れる木々の音だけが残った。
「……」
カイはしばらく、二人が消えた場所を見つめていた。
そして振り返る。
ユカが地面に座り込んでいた。
ピコに支えられながら、まだ浅い呼吸を繰り返している。
「……カイ」
かすれた声だった。
カイはすぐに歩み寄り、ユカの前に膝をついた。
顔を見る。
瞳に光は戻っている。
自分を認識している。
それを確認して、ようやく肩から力が抜けた。
「間に合って、よかった」
それだけだった。
けれどユカには分かった。
カイが、どれほど心配していたのか。
「……うん」
小さく笑う。
震える指先を、ユカはそっと握りしめた。
***
しばらくして、公園には穏やかな夜が戻っていた。
裂けていた空間は閉じ、黒いノイズも消えている。
雨はいつの間にか止んでいた。
湿った土の匂いが立ち上り、街灯の光が濡れた地面に揺れている。
ユカは立ち上がっていた。
けれど、身体の奥にはまだあの感覚が残っている。
冷たい。
暗い。
何も感じなくなっていく恐怖。
《マインド・エクリプス》。
自分の意思が、自分ではない何かに塗り潰されていく。
あれほど恐ろしいものを、ユカは知らなかった。
「……ごめん、カイ」
俯いたまま言った。
「やっぱり私、足手まといだね……」
「……」
「あんな簡単に、乗っ取られそうになって」
声が弱くなる。
「強くなったつもりだったのに……何もできなかった」
握った拳が震えた。
「結局、カイに助けてもらっちゃった」
カイは答えなかった。
代わりに、ユカの手を取った。
素手だった。
黒い手袋越しではない。
直接伝わる温度が、冷え切っていた指先へじわりと広がっていく。
ユカが顔を上げる。
「そんなことはない」
カイは、はっきりと言った。
「ユカ」
その目が、真っ直ぐこちらを見ている。
「俺と一緒に戦ってくれ」
「……えっ?」
耳を疑った。
つい数時間前。
カイは言った。
危険だから前線から外れろ。
俺が守る。
それに腹を立てて、ユカは家を飛び出した。
なのに今――。
「一緒に……?」
「ああ」
カイはうなずいた。
「ゲーツは危険な男だ。一人でどうにかできる相手じゃない」
その視線が、一瞬だけ遠くなる。
昔のゲーツを見ているようだった。
「俺一人じゃない。お前一人でもない」
再びユカを見る。
「だから、みんなで力を合わせる必要がある」
ユカは何も言えなかった。
胸の奥が熱くなる。
欲しかった言葉だった。
戦わせてほしかったわけじゃない。
危険な場所へ行きたかったわけでもない。
ただ――。
信じてほしかった。
自分も考えられる。
自分も選べる。
カイの隣に立てる。
そう認めてほしかった。
「でも……」
それでも、不安は残っている。
「あの力、とても敵わないって思った」
ゲーツの圧倒的な能力。
抗うことすらできなかった。
雲の切れ間から、わずかに光が差し込む。
高層ビル群の向こうに、小さな星が見えた。
「確かに、今の俺たちじゃ勝てない」
カイはあっさり認めた。
「……やっぱり」
けれど、次の言葉は力強かった。
「だから――修行しようと思うんだ」
「……修行?」
ユカの目が丸くなる。
それまで黙っていたピコが、くるりと空中で回転した。
「おやおや。これはバトルものの王道展開ですね。特訓フラグが立ちましたよ」
「そういう言い方するな」
カイが苦笑する。
だが――。
ユカの目が、みるみる輝き始めた。
「修行ってことは……あれでしょ!?」
「ん?」
「生卵を一気飲みしたり!」
拳を握る。
「車にワックスかけたり!」
なぜか腰を落とし、両手を左右に動かす。
「それから最後は――戦闘機を不思議な力で浮かしたりするんでしょ!?」
「待て待て待て」
カイが両手を上げた。
「お前の中の修行って、どんなイメージなんだよ」
ピコも即座に補足する。
「しかも最後は、光の剣を使った宇宙戦争になりそうです!」
「えーっ! やらないの?」
心底残念そうな顔をするユカ。
「戦闘機、浮かしたかったなぁ……」
「そもそもお前の能力、そういう力じゃないだろ」
「やってみないと分かんないじゃん!」
「分かる」
「即答!?」
ピコが小さく上下に揺れた。
「ちなみにユカ。生卵の大量摂取も推奨しません」
「そこ!?」
「衛生管理は重要です」
カイは額を押さえた。
「……先が思いやられるな」
そう言いながらも、口元には笑みが浮かんでいた。
「まあいい。逃げる気はない。強くなる」
ユカを見る。
「お前も、俺も」
その言葉に、ユカはゆっくりとうなずいた。
「……うん」
もう一度。
今度は、強く。
「うん! 私も、もっと強くなりたい!」
カイがユカの肩を軽く叩いた。
「よし。決まりだ」
そこで、急に表情を緩める。
「でもその前に――腹が減ったな」
「え?」
「帰りに特大ピザでも買って帰るか」
ユカの顔が、ぱあっと明るくなった。
「うん! カイのこと、だーい好き!」
「お、おいおい!」
勢いよく抱きつかれ、カイがよろめく。
「急にどうしたんだよ!」
耳まで赤くなっている。
それを見ていたピコが、冷静に指摘した。
「さっきは“大っ嫌い”って言ってませんでしたっけ? 回復速度が異常値です」
「うるさい! あれは感情の揺らぎ!」
「都合のいい揺らぎですねぇ」
「いいの!」
ユカはカイから離れると、元気よく手を挙げた。
「私、特大サイズ二枚にする!」
「は!?」
カイの顔が引きつる。
「そんなに食うのか?」
「だってお腹ぺっこぺこなんだもん!」
ピコは何も言わなかった。
ただ、内部ログにひとつだけ追記する。
《万年欠食児童疑惑――継続観察》
三人の笑い声が、湿った夜気をやわらかく震わせた。
ゲーツの目的も。
《世界を閉じる》という言葉の意味も。
何ひとつ解決していない。
それでも――。
父は、娘をただ守ることをやめた。
娘は、父に守られるだけの存在ではなくなった。
これからは。
同じ場所に立ち、同じ敵を見る。
遠くでアストラシティのネオンが瞬いている。
その光の下を、三人は並んで歩き出した。
今度は――同じ方向へ。
※作者の活動報告に各話の設定や裏話などのコメントを書いています。
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